2017年11月25日
書評『読書について』
こんにちわ、小谷中広之です
「小谷中広之」が読んだ本の書評をします。「小谷中広之」なりに感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に書評は更新していきます)
「小谷中広之」が感じ、思った事を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、ショウペンハウエル様の「読書について」です
このような方にお勧めです
「多読書家 小説家 ドイツ文学好き」
著者の方のプロフィール
「アルトゥル・ショーペンハウアー ドイツの哲学者 思想家」
まとめ
表紙にも載っている言葉
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。一日に多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」
かなりこの言葉に引っかかったのは、もちろん私
年間300冊以上の本を読んでいるため、この言葉にはとても引っかかった
自分でものを考える力を失う?他人にものを考えてもらう?
なるほど、そういう視点も確かにある
読書は他人にものを考えてもらう、というよりも、他人の新たな意見や視点、考え方などと出会うことが一つの読書から得られる利点と捉える
しかしやはり他人にものを考えてもらうという読書の仕方もある
疑問点にぶつかっていて、自分の頭中だけでは考えられないほどに煮詰めていたときに出会う本、この本がまさに疑問点を解消してくれる新たな考えを提供してくれることを、他人にものを考えてもらうということになるのかもしれない
多読書が自分でものを考える力を失う
これは私も割と同意見で、私自身も注意していること
多読をしているとある一つのことに関する考え方がどんどん変化していく時がある
あ〜こんな考え方もあるのか。なるほど、この前の著者の言っていたことよりもこちらの著者の言っていることの方が自分に当てはまるかも…そしてまた新たの本を読むと…この繰り返しに陥りそうになる
つまり自分でそのことについて、自分の頭で考えようとする時間がないほどに次の本をどんどん読んでいく状態
この状態こそをショウペンは「多読に費やす人はしだいに自分でものを考える力を失う」ことと思う
なので読んでいる途中でも自分の頭で考えるような言葉に出会ってしまえば一度本を閉じてしばらく考えたり、自分の頭で考える時間を設けたり(音楽も聴かず、一人で、もちろん本も読まない時間をつくっている)してなんとか自分の考え方を発展させ新たな考え方を自分の物をしようと日々奮闘しています
改めて注意を受けた気がした文章がある
「最近の発言でありさえすれば、常により正しく、後から書かれたものならば、いかなるものでも前に書かれたもの改善しており、いかなる変更も必ず進歩であると信じることほど大きな誤りはない。学問が常に進歩すると信じたり、新しい書物には古い書物が利用されていると思い込んだりするのは、非常に危険である」
中古で買った本と新品で買った本だと読み入れ方が変わったり、動植物関係の本や人類進化系、考古学、などは特に新しい本の方が正しいと思ってしまう(実際そうなのかもしれませんが)
しかしどのような常識もいつ非常識になるかわかりませんし、非常識もまたいつ常識に変わるかもわからないのが世の常、という視点をもって書物を読むことを改めて注意してもらった
向上心も沸いた
それは相手に伝える力の向上心だ
難しい内容をやさしくし、複雑な言葉を簡潔にするような言葉の使い方を覚える
長々書く文章をもっと短く相手に伝わりやすくするにはどうしたらいいのか?
そんな疑問をくれた一冊です
感謝です
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
読書について改版 他2篇 (岩波文庫) [ アルトゥル・ショーペンハウアー ] |
⇓私の会社のホームページです。コラムも書いていますので覗いてみてください⇓
http://cycleair.jp/
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6984871
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック