2017年10月15日
書評『たたかう植物』
こんにちわ、小谷中広之です
「小谷中広之」が読んだ本の書評をします。「小谷中広之」なりに感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に書評は更新していきます)
「小谷中広之」が感じ、思った事を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、稲垣栄洋様の「たたかう植物 仁義なき生存戦略」です
このような方にお勧めです
「植物好き 子を持つ親 学校の先生」
著者の方のプロフィール
「1968年静岡生まれ 雑草生態学 農業博士 静岡大学大学院教授 多数の著者」
まとめ
おそらく多くのみなさんがイメージする雑草といえば、強い、たくましい、負けず嫌い、などと思われる
しかし、見方を変えれば雑草は、弱い、貧弱、負けたらお手上げ、なのだ
それはつまり、人間がいなければ雑草は生息範囲がとても狭まるからだ
いや、むしろ人間がいなければ雑草など存在できないほどの環境に地球はなっているだろう
雑草はどこに生えているのか?そう、それは人が生活するために開拓した場所、または跡地なのである
数々あげられるが、もっともな場所は家の庭、道路や道端、公園、田んぼや畑の脇、空き地などが出てくる
これは、他の植物との競争を避けているのである
自分より背丈の高い植物の生い茂る場所へは、決して挑むことがない雑草
ほかの植物との競争がとても苦手なのだ
逃げている、いや実はそうでもなさそうだ
雑草はどこで勝負すれば一番自分が輝けるのかを知っているのかもしれない
しかしそれには人間の力が絶対的に必要なのである
空き地を何も手入れをせずに放っておくと、最初こそ雑草が有利で覆いつくすが、いずれ(長い年月は必要だが)は雑草が生えてこれなくなる環境へとなるそうなのだ(様々な植物系の本に書いてあるので現時点では間違いなさそうだ)
通常空き地は見た目や虫などの問題もあり、ある時期になると雑草狩りが人の手で始まる
その手入れが次の世代の雑草へとつなげる作業となるのだ
われわれ人間は雑草を毛嫌いする人が大半だが、雑草側から見れば人間を毛嫌いする雑草は存在しないに等しいのかもしれない
人間を媒体としていると思われる雑草にオオバコがある
ほぼすべての人が雑草を踏んだことがあると思う
このオオバコ。雨に濡れると種子がゼリー状になり粘着物質を出しベタベタする
そして、このベタベタを利用して靴の裏や車のタイヤなどにくっついて種子を運ばさせるだ
踏まれても踏まれても負けずに生えてくる雑草、このオオバコは踏まれれば踏まれるほど種子領域を増やしていくのだ
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
たたかう植物 仁義なき生存戦略 (ちくま新書) [ 稲垣栄洋 ] |
⇓私の会社のホームページです。コラムも書いていますので覗いてみてください⇓
http://cycleair.jp/
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6519667
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック