2017年02月01日
書評『最後の授業』
こんにちわ、小谷中広之です
「小谷中広之」が読んだ本の書評をします。「小谷中広之」なりに感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に書評は更新していきます)
「小谷中広之」が感じ、思った事を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、ランディパウシュ様とジェフリーザスロー様の「最後の授業」です
このような方にお勧めです
「夢を追いかける親達 壁が目の前に現れている人 夢を追いかけている人を応援している人」
著者の方のプロフィール
「翻訳者は矢羽野薫様 ランディパウシュはカーネギーメロン大学教授(2008年死去) ジェフリーザスローはコラムニスト」
まとめ
ランディパウシュは2007年、カーネギーメロン大学で「最後の講義」を行った
この「最後の講義」の一カ月前、ランディパウシュは膵臓癌が転移していると知り、余命宣告を受けていた
家族構成は三人の幼い子供と妻を持つ46歳(当時)のランディパウシュ
私自身も3児の父親であります。父親としての子供とのたくさんのこれからの時間を共に過ごせないことへの悲しさ(私自身は悲しさと表現)を思うと胸が締め付けられてしまいます
特に印象的な言葉は「子供はなによりも。自分が親に愛されていることを知っていなくてはならない」という子育てする親へのストレートメッセージでした
自分の子供達にしっかりと自分の愛情は腑に落ちているのだろうか?子供たちが大人になり、過去を振り返った時に私たち夫婦の子供達への愛情表現は理解されるのだろうか?と考えさせてくれました
考えることで鼓動が変わることを知っている自分としては、この考えができたことできっと子供達との接し方に微少と思われますが変化をしたと思っています
また、人に教えるということに関して言うと「頭のフェイントの達人」になること、が大切と言っています
「頭のフェイントの達人」とは、本当に教えたいことを相手が気が付かないうちに教えている、ということです。自分の教えを相手に教えたときに、その教えによってその相手が良い方向へと進めば進むほど自分が教えたということをアピールしたくなるものですが、そうではなく相手が気が付かないように教えていく、そしてそれを最後まで自分が教えたということをわからないようにすることこそ「頭のフェイントの達人」です
相手が「なぜかあなたといると物事が良い方向へと進むような気がしてなりません。理由はわからないのですが」と言われるような人でしょう(このような人間像になりたいものです)
そしてこの本にたびたび登場してくる言葉
「レンガの壁がそこにあるのは、理由があるからだ。僕たちを寄せ付けないためではない。この壁は、自分がどんなに真剣に望んでいるかを証明するチャンスを与えているのだ」
様々ジャンルの本を読んでいますが、この言葉の他の言い回しとしては「越えられない壁は、そもそも自分の前には現れない」など「人生の壁」という表現を使った言葉はいくつもありますが、壁というものの素材をレンガと表現したのはこの人が自分自身では最初でした、確かに「壁」と考えると長方形の石、またはレンガが積み重なっている壁を想像していたので、やはり壁とはこの方もレンガと想像していたんだと思いました、そこでこれから会う人と「人生の壁」というテーマで話をする機会があった際にまず最初に壁の素材ということを聞いてみたいと思います。皆様は「壁」と想像するときどのような素材を思い浮かべますか?
木?コンクリート?サイディングボード?土?石?レンガ?布?
「時間はあなたのものだ。そしていつか、思っていたより少ないと思う日が来るかもしれない」
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
最後の授業 ぼくの命があるうちに【電子書籍】[ ランディ・パウシュ ] |
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