2015年12月25日
読書感想文『星の王子さま』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、アントワーヌ ド サンテグジュペリ様の「星の王子さま」です
アントワーヌ ド サンテグジュペリ様。1900年生まれ。作家にして飛行士
気になる文章
●あまり大きな謎に出会うと、人はあえてそれに逆らわないものだ。おかしなことに、人里から1000マイル離れたところで死の危険を目前にしているというのに、言われるまま僕はポケットから1枚の紙と万年筆を出した
○小谷中広之の感情・・・不思議がることができないような謎に出会った時、人は確かに何も疑わずにそのモノの言われるがままに動いてしまうものなのかもしれない
●「そんなことはいいの。ヒツジの絵を描いて」
「だめだよ。このヒツジは初めから病気みたいだ。別の絵を描いて」
「わかるでしょ、これは普通の羊じゃなくて、オスのヒツジだよね。角があるもの」
「これはすごく年寄りの羊だよ。僕はこれからずっと長生きするのが欲しいんだ」
そこで僕の忍耐の限界が来た。『これは羊の箱。君の羊はこの中にいるよ』
「そう。僕が欲しいと思っていたのはこんなのだよ。このヒツジ、たくさん草食べるかな?」
『どうして?』
「だって、僕のところはすごく小さいから」
『こいつが食べる分くらいちゃんとあるさ。これはとても小さなヒツジだからね』
「そんなに小さくないよ。あ、見て、寝ちゃった」
こんな風にして僕は王子さまと知り合った
○小谷中広之の感情・・・想像をすること。私が感じたことは、人が書いてもらったヒツジらしいヒツジなんかではなく、この王子さまが求めていたヒツジとはつまりは、自分(王子さま)の頭の中で考えられる想像できるヒツジが欲しかったんだと思う
人に頼りすぎるのではなく、自分の想像や発想を大切にしようということなのではないでしょうか
●大人は数字が好きだ。新しい友達ができたよと言っても、大人は大事なことは何も聞かない。「どんな声の子なの?」とか、「どんな遊びが好き?」とか、「チョウチョを収集する子?」などとは聞かない
聞くのは「その子はいくつ?」とか、「兄弟は何人?」とか、「体重は?」とか、「お父さんの収入は?」などということばかりだ。こういう数字を知るだけで、大人はその子のことをすっかり知ったつもりになる
○小谷中広之の感情・・・確かにその通りだと感じた。子供に新しい友達ができたよと言われたら、数字的にその子のことを聞くのではなく、質問をする前にまず自分が子供の頃、新しい友達ができた出来事を思い出してみよう。その時の感情はどうだっただろうか?きっと、その子のお父さんの職業や家族構成、身長体重年齢などには全く興味がなく、その子自信を見て遊んでいただろうな。どんな遊び方をするのか、どんな遊びが好きなのか、よく笑う子なのか、面白い子なのか、駆け足早いのか、など。そしてまさにこのことを質問してみよう。きっと子供ながらに感じたまま答えてくれるだろう
●「王子様が実在したというのは、彼がチャーミングで、よく笑ったこと、それにヒツジを探していたことからも明らかだ。なぜってヒツジを欲しがるというのは間違いなくその人が実在することの証拠だから」
○小谷中広之の感情・・・「ヒツジを欲しがるというのは間違いなくその人が実在することの証拠」
自分が生きている証とは、深く考えずにこんなことでも十分証明となる
●「ヒツジが小さな木も食べるって本当?」
『ああ、本当だよ』
「それはよかった」
「ということはつまり、バオバブも食べるんだね」
僕はそこで彼に、バオバブは小さな気じゃなくて教会みたいに大きな木だし、象の一群を連れてきたところで、象はたった一本のバオバブも食べきれないはずだと言った
王子さまはケラケラと笑った
「バオバブだって大きくなる前は小さいんだよ」
○小谷中広之の感情・・・とても頭が柔らかくほぐされ気がした
そりゃそうだ、と改めて考えさせられた
きっと世の中にはこんなことがとてつもなく多いんだろうな、先入観にとらわれすぎずに、柔軟に物事をとらえていこう
●「もしも誰かが、何百万もの星の中のたった一つの星に咲く花を愛していたら、その人は星空を見るだけで幸せになれる。自分に向かってこういえる『僕の花がどこかにある…』
もしヒツジが花を食べてしまったら、それはその人にとって全部の星の光がいきなり消えてしまうことなんだ。それが大事じゃないっていうの」
○小谷中広之の感情・・・大切に思う部分は人それぞれで、その価値観の基準を変えることなど他人には到底できないことの方が多いのかもしれない
●「僕は何もわかっていなかった。言葉じゃなくて花の振る舞いで判断すればよかったのに。彼女はとてもいい匂いがしたし、輝いていた」
○小谷中広之の感情・・・人間も言葉よりも行動がすべてを物語っている
相手の言葉にいちいち目くじらを立てずに、その人の行動で判断していこう
●「夜、星を見てほしい。僕の星はとっても小さいから、どこを探せばいいか指さしては教えられない。その方がいいんだ。僕の星はたくさんの星の中に混じっている。だから、君はどの星も好きになる。全部の星が君の友達になる」
「夜の空を見て、あの星の一つに僕が住んでいて、そこで僕の笑っている、と君は考えるんだろう。だから全部の星が笑っているように思える。気にとって星は笑うものだ」
○小谷中広之の感情・・・星の見方がガラリと変わってような気になってしまう文章だ
これに当てはまるかわからないが、よく人は亡くなった人のことを星にたとえるが、まさに上記の文章が当てはまるのではないだろうか。すべての星がその人であるように感じることができるのではないか、どこにいても夜空を見れる環境にいることで‥
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、アントワーヌ ド サンテグジュペリ様の「星の王子さま」です
アントワーヌ ド サンテグジュペリ様。1900年生まれ。作家にして飛行士
気になる文章
●あまり大きな謎に出会うと、人はあえてそれに逆らわないものだ。おかしなことに、人里から1000マイル離れたところで死の危険を目前にしているというのに、言われるまま僕はポケットから1枚の紙と万年筆を出した
○小谷中広之の感情・・・不思議がることができないような謎に出会った時、人は確かに何も疑わずにそのモノの言われるがままに動いてしまうものなのかもしれない
●「そんなことはいいの。ヒツジの絵を描いて」
「だめだよ。このヒツジは初めから病気みたいだ。別の絵を描いて」
「わかるでしょ、これは普通の羊じゃなくて、オスのヒツジだよね。角があるもの」
「これはすごく年寄りの羊だよ。僕はこれからずっと長生きするのが欲しいんだ」
そこで僕の忍耐の限界が来た。『これは羊の箱。君の羊はこの中にいるよ』
「そう。僕が欲しいと思っていたのはこんなのだよ。このヒツジ、たくさん草食べるかな?」
『どうして?』
「だって、僕のところはすごく小さいから」
『こいつが食べる分くらいちゃんとあるさ。これはとても小さなヒツジだからね』
「そんなに小さくないよ。あ、見て、寝ちゃった」
こんな風にして僕は王子さまと知り合った
○小谷中広之の感情・・・想像をすること。私が感じたことは、人が書いてもらったヒツジらしいヒツジなんかではなく、この王子さまが求めていたヒツジとはつまりは、自分(王子さま)の頭の中で考えられる想像できるヒツジが欲しかったんだと思う
人に頼りすぎるのではなく、自分の想像や発想を大切にしようということなのではないでしょうか
●大人は数字が好きだ。新しい友達ができたよと言っても、大人は大事なことは何も聞かない。「どんな声の子なの?」とか、「どんな遊びが好き?」とか、「チョウチョを収集する子?」などとは聞かない
聞くのは「その子はいくつ?」とか、「兄弟は何人?」とか、「体重は?」とか、「お父さんの収入は?」などということばかりだ。こういう数字を知るだけで、大人はその子のことをすっかり知ったつもりになる
○小谷中広之の感情・・・確かにその通りだと感じた。子供に新しい友達ができたよと言われたら、数字的にその子のことを聞くのではなく、質問をする前にまず自分が子供の頃、新しい友達ができた出来事を思い出してみよう。その時の感情はどうだっただろうか?きっと、その子のお父さんの職業や家族構成、身長体重年齢などには全く興味がなく、その子自信を見て遊んでいただろうな。どんな遊び方をするのか、どんな遊びが好きなのか、よく笑う子なのか、面白い子なのか、駆け足早いのか、など。そしてまさにこのことを質問してみよう。きっと子供ながらに感じたまま答えてくれるだろう
●「王子様が実在したというのは、彼がチャーミングで、よく笑ったこと、それにヒツジを探していたことからも明らかだ。なぜってヒツジを欲しがるというのは間違いなくその人が実在することの証拠だから」
○小谷中広之の感情・・・「ヒツジを欲しがるというのは間違いなくその人が実在することの証拠」
自分が生きている証とは、深く考えずにこんなことでも十分証明となる
●「ヒツジが小さな木も食べるって本当?」
『ああ、本当だよ』
「それはよかった」
「ということはつまり、バオバブも食べるんだね」
僕はそこで彼に、バオバブは小さな気じゃなくて教会みたいに大きな木だし、象の一群を連れてきたところで、象はたった一本のバオバブも食べきれないはずだと言った
王子さまはケラケラと笑った
「バオバブだって大きくなる前は小さいんだよ」
○小谷中広之の感情・・・とても頭が柔らかくほぐされ気がした
そりゃそうだ、と改めて考えさせられた
きっと世の中にはこんなことがとてつもなく多いんだろうな、先入観にとらわれすぎずに、柔軟に物事をとらえていこう
●「もしも誰かが、何百万もの星の中のたった一つの星に咲く花を愛していたら、その人は星空を見るだけで幸せになれる。自分に向かってこういえる『僕の花がどこかにある…』
もしヒツジが花を食べてしまったら、それはその人にとって全部の星の光がいきなり消えてしまうことなんだ。それが大事じゃないっていうの」
○小谷中広之の感情・・・大切に思う部分は人それぞれで、その価値観の基準を変えることなど他人には到底できないことの方が多いのかもしれない
●「僕は何もわかっていなかった。言葉じゃなくて花の振る舞いで判断すればよかったのに。彼女はとてもいい匂いがしたし、輝いていた」
○小谷中広之の感情・・・人間も言葉よりも行動がすべてを物語っている
相手の言葉にいちいち目くじらを立てずに、その人の行動で判断していこう
●「夜、星を見てほしい。僕の星はとっても小さいから、どこを探せばいいか指さしては教えられない。その方がいいんだ。僕の星はたくさんの星の中に混じっている。だから、君はどの星も好きになる。全部の星が君の友達になる」
「夜の空を見て、あの星の一つに僕が住んでいて、そこで僕の笑っている、と君は考えるんだろう。だから全部の星が笑っているように思える。気にとって星は笑うものだ」
○小谷中広之の感情・・・星の見方がガラリと変わってような気になってしまう文章だ
これに当てはまるかわからないが、よく人は亡くなった人のことを星にたとえるが、まさに上記の文章が当てはまるのではないだろうか。すべての星がその人であるように感じることができるのではないか、どこにいても夜空を見れる環境にいることで‥
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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タグ:サンテグジュペリ 様
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