アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2015年04月09日

パラオの日本兵

南洋のパラオ共和国にはちいさな島がいくつもある。
そんな島にも戦争中はご多分に漏れず日本軍が進駐していた。

その島に進駐していた海軍の陸戦隊は
学徒出身の隊長のもと、住民たちとの摩擦を避け、
作業に人を使う時にも必ず代価を払い、
よき隣人として戦地生活を送っていた。

中でも住人たちに喜ばれたのは
音楽の心得のある兵隊による唱歌の演奏で、
島の人々も「ふるさと」「さくら」などの曲を歌えるまでになった。

しかし戦況は刻々と日本に不利な情勢となっていき、
この島にも米軍の襲来が避けられえない情勢へと変っていった。

島の若者達は相談して、ある夜、日本軍の守備隊長を訪ねた。
どうか我々も仲間としてあなたたちと一緒に戦わせて欲しい
という志願のためだった。

その話を聞いた隊長は、みるみる内に怒色を満面に浮かべて
椅子を蹴り上げ叫んだ。

「我ら帝国海軍の軍人が、貴様ら如き未開の土人どもと共になど戦えるか!
貴様らなど戦の邪魔だ。3日の猶予を与える。パラオ本島に出て失せろ!」

あれほど日本人は東洋融和の仲間だと言っていたのに見せかけだったのか・・
島の人々は悔し涙を流した。

いよいよ島を去る日、桟橋にとぼとぼと集まった住民。
当然ながら兵隊たちは誰も見送りになど来ない。

悄然と船に乗り込み、船が陸地を離れたそのとき、
どこからともなく砂浜にたくさんの日本兵達が現れた。

「ウサギ追いしかの山!小鮒釣りしかの川!」と歌いながら
千切れるほどに戦闘帽を振る水兵達。

そしてその先頭にはあの守備隊長が。
満面の笑みで歌いながら帽子を振っていた。

島の人々はその時に気づいた。
あの夜の言葉は自分達を生かすためのものだったのだと。

2週間後、米軍の海兵隊は周辺地域に殺到。224名の日本軍は全滅した。
最新記事
カテゴリアーカイブ
検索
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。