2017年04月04日
古典を読むことの重要性〜科学史を学ぶ意義〜
今日は「古典」を読む事の重要性について考えていきます。
文学における古典の価値は、ほとんどの人が認めるところだと思われます。誰も、現代の作家の方がゲーテやトルストイよりもあらゆる点で優れているなどと、本気で思ったりはしないでしょう。
ところが、科学における古典となると話は違ってきます。
一時代前の科学者たちは必然的に、今では当たり前となっている既成事実を知らずして本を書いています。ですので、「そんな古い考えなんて取り入れたって意味が無い!」と思われる方もいるかも知れません。
しかし私は、科学においても古典は大いに意味があるし、十分に注意を払うべきものだ、と考えています。その理由は大きく分けて2つあります。
⑴ 既成事実を無批判に受け入れない姿勢が身につく
私たちは教科書等でよく、「○○の説は間違っていた」というようなことを習い、その説を自分で詳しく検討することなく、「価値なし」と決めつけてしまいがちです。しかしそのような態度こそ、フッサールが批判したような、天下り的に既成事実を鵜呑みにする態度に他なりません。そうした態度は、「自分の頭で考える」ことを阻害してしまいます。科学の古典を読むことで、そこで述べられる説はなぜ否定されたか、どこがどう間違っているのか、自分の頭でしっかり考えて納得することができます。そうすることで現在の既成事実についても、より深い理解が得られるはずです。
⑵ 現在の視点から過去を見ることで、未来の視点から現在を見ることができる。
私たちは古典を読む時、過去の人物が知らなかったいくつかの新事実、いわば「答え」を知っていることになります。そして過去の人物はその「答え」が隠された状態で、思考を積み重ねていると言えます。ところが、偉大な人物の古典を読んでいると、その論理が極めて首尾一貫しており、全く付け入る隙がないように思えるのです。各時代の最高の頭脳は、その時代の枠組み(パラダイム)の中で考えうる最も完全な思索を遺しているのですから。
このことは裏を返すと、現在もまた、未来の視点からしか見えない「答え」が隠されていることになるので、今どれほど完璧に思える主張でさえも、未来の視点から見ると全く検討違いであるかもしれない、ということです。
私たちは既成事実を無批判に受け入れることなく、「自分の頭で」しっかりと考え、まだ見ぬ「答え」を探し続けるべきだと思います。
古典を読むことできっと、このような姿勢が身につくことでしょう。
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