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2024年09月06日

 1045 異様な音




人工的に作られた防波堤に叩きつける波は、30メートルものしぶきをあげ、音も想像出来るかと思いますが、大自然の熾烈な戦いは、えぐれた岩の横腹に、下からしゃくり上げる時、しぶきは粉末状に、前方へ飛び散るだけ。
搾り出れる音も、これまた想像も出来ない、炸裂、唸り声の異様な合体音。
巨大な鯨が、押し潰され、もがき苦しみ、訳の分からない、悲痛の叫び声を出している様にも聞こえます。
「ドキューン」 「ドズーン」、言葉では表現のしようがありません。
そして台風通過後、一面に油を流し込んだような穏やかな水平線。
嵐の前の静けさ、という諺がありますが、嵐の後の静けさの方が、はるかに静かです。
なぜ、あれだけ熾烈な戦いをするのか?
静かにしていればいいのに・・・
なぜ無意味な戦いをするのか?
普段は遊園地であり、色とりどりの熱帯魚達が見せてくれる、アニメの世界。
穏やかで、母のように優しい海が、何んで異様な音を出し、激しく、恐ろしい海に変わるのだろうか?
激しさと静寂さが目の前に繰り広げられる時、静と動、鬼の顔と母の顔。
この相反する変化に疑問を感じ、この二つの顔の持つ意味が、どうしても理解出来ませんでした。
しかし後日、過酷な試練を味わった時、自分なりの答えが出せたのです。
本当に苦しい時にとれる方法は、背を向けるか、前へ進むか、この二つしかないはずだ。
背を向ける事は簡単ですが、しゃにむに前へ進むしかない。「これしかない!」と、自身に確認出来た時、二つの顔に対し、自分なりの結論が出ました。
そうです。二つの顔には、何ら意味がなく、ただ、「これしかない!」

1044 難問




ひかるが中学生の頃、人生最大の難問にぶつかりました。
島の生活や子供達にとって、海は切っても切り離せない重要な存在。
都会の子供達が、公園や遊園地で遊ぶように、海と魚は、遊園地や動物園であり、熱帯魚と戯れ、遊んで育ちました。
しかし、一度台風が荒れ狂うと、恐ろしい海に変化します。
瞬間最大風速、70メートルの台風が暴れ狂った時の事を想像してみてください。
普段は、波と岩が何気なく、仲よく調和しており、さざ波が、えぐれた岩の横腹をくすぐり、今は、眠たいから、くすぐるのはやめてくれよ、と戯れているように見えますが、
一度台風が襲い暴れだす時、目の前に現れた姿は、凄まじいものでした。
木々は否応なしに揺さぶり、ねじ伏せられ、風雲は、摩擦のあまり、雷音稲妻と化し、
海は、怒涛のうねりを片時も休む事なく送り続け、攻撃の手を緩めません。
海鳴りは耳をつん裂き、雨は天から降らず、横から殴りつけ、風雲波は三つ巴となり、
巨大な洗濯機が渦巻き、暴走するが如く、自然の猛威を見せつけ、荒れ狂い、小さな島は恐れ慄き、震えているかのよう。
人間の存在は、あまりにも小さく、地面を這い、神とて何んら頼りになりません。
そして三つ巴となった風雲波の怒りの挑戦を受けて立つのもまた、大自然で、
どれ程痛めつけられようとも、負けるものか、と受けて立つのは、岩でした。

1043 VTR




ロケーションを多用した番組作り、ひかるにとって、それ自体は朝飯前の仕事だ。
並行して、大きな壁が目の前に立ちはだかったのである。
それは、VTRの問題だ。
当時日本では、アメリカアンペックス社のテープ幅2インチVTRが導入され、独占していた。
勿論、ローカル局では買えない代物で、キー局に5、6台納入されていたから、NHKも含め、国内には30台前後が導入されていたであろう。
なんといっても、目玉が飛び出る程の値段で、日本のメーカーでは、パテントなどがあって、真似の出来ない。
極めつけは、可搬型のVR3000という、旅行トランク大の機種で、アンペックス社とNASAが軍事偵察機搭載用に開発したという、当時の最先端技術が集約された機械だ。
キー局すら持てず、パビックという会社とひかるの八峯テレビしか持っていないため、ドラマロケやスタートしたVCM等で重宝されていた。
ひかるはこの機械で稼げば稼ぐほど、将来の後継機種を考えずにはいられなかった。
たぶん防衛庁やNHKも含め、国内には5台前後が導入されていたであろう。
このままいけば、日本の放送業界は、儲けの大半をごっそり、アメリカへ上納する事になる。
反米感情の激しいひかるにとって、とても許しておけるものではない。
早速立ちあがったが、とても一人の力で太刀打ち出来るようなものではない。
それこそ、死闘と呼ぶにふさわしい試練が待ち構えている。
しかしひかるは、3年をもって、日本からアメリカ製VTRの影を抹殺する。
そして、5年後には、日本のVTRが、全世界の放送局を独占したのである。
また、日本のVTRが軌道に乗るやいなや、「日本の野球中継を、アメリカ大リーグ野球中継に負けない番組にしたい」という話が、ひかるに持ち込まれた。
アメリカと聞くだけで、「やってやろうではないか!」と即座に行動開始。
やっと野球にスローVTRが一台導入された時期だと言うのに、一気にスローVTR6台を導入し、当時、誰もが想像出来ない番組を作り上げたのである。
現在の野球放送の原点を、あっと言う間に作り上げ、業界人のど肝を抜いたのである。

1042 熱意




どうせなら、半端でない覚悟を持って、一気に攻めよう、それしか道はない」 と説いたのである。
いや、間違いなく、説教だった。
あまりの熱意に社長は、反省をした。
飛び出した連中は、折あらば、更に社の弱体化をさせよう、取って代わるべく、虎視眈々と狙っている。
それに比べ、注目もされず、黙々と仕事をし、管理職の機会を与えられなかったこの男が、本気で社を憂い、例へどのような事があっても、最後まで残って踏ん張ると言い切る。
「飛び出したい人は、飛び出せ! 自分は最後まで残る、看板は俺がはずす!」と不動の姿を見せるひかるを見直したのである。
逞しく、一回りも二回りも大きく脱皮した姿で、全社員に号令を発したのである。
社長は、自分の人材登用が間違っていた・・と
そして最後に言った。
責任は、すべて社長である自分がとる、社長の采配すべて任せる、存分に暴れてみろ・・と
ひかるが思い切った、電光石火の行動が採れたのには、この暴走があったのだ。

1041 パスポートから解放




そして沖縄の本土復帰、パスポートを焼き捨てた時、本土の同期の連中と論争も出来る、ケンカも対等に出来る、と目に見えない鎖の呪縛から解放されたのである。
そんな事は多分、体験した人にしか分からない事であろう。
そんな時、窓外族から、社の中心へ戻るはめになったのだ。
そしてひかるは暴走した。今度はいい意味での暴走だ。
同期の連中は先に管理職として登用され、会社の経営にまで携わり、後輩達からは一目もニ目もおかれていた。
それが、徒党を組んで会社に反旗を翻したのである。
ひかるにとって、その行為は許せなかった。
今まで従いて来た後輩たち、女房子供もいるだろうに・・
自分の利益ばかり考えていいものか! と頭へ来たのである。
社の中心に座ると、ひかるは重役や社長を論破した。
そして社長には、三日三晩、いやと言われても追いかけ回し。
「取り巻く状況は最悪だ、しかし守りに回っていると、さらに社員は、歯が抜けるように引き抜かれていく、現在、3分の2の社員が残っているが、5割を切れば、なだれ現象になり、もう持たない。

1040 360円時代




ひかるは、入社早々ある事件を起こした。
友人、上司と府中駅前の飲み屋へ行った時の事である。
スナック風の飲み屋で、4人で楽しく飲んでいた。
店はママさんと、若い女の子が一人手伝っているだけで、小ぢんまりした店であった。
かなりアルコールも回った頃、米兵のお客が二人入って来た。
近くに調府基地があり、その近辺は結構米兵がいたらしい。
思春期を沖縄で過ごし、敗戦後、米兵はやりたい放題。
勝ち誇った米軍による犯罪、本土では報じられない事が日常茶飯事起きていた。
犯人は沖縄の裁判所で裁く訳にはいかない。勿論、日本の法律も通用しない。
米国へ送還され、どういう処罰が下されたか知る権利もなかったのだ。
当然、この地区で青春時代を過ごした連中は、否応なしに反米感情が叩き込まれていたのである。
米兵が入ってくると、ママさんの態度は一変、目いっぱい色気、愛想を振りまいているのである。
当時は1ドル360円時代。ドル紙幣で払ってくれる米兵は特上のお客なのである。
その内ママさんも女の子も米兵のテーブルへ、ドル紙幣を胸へ入れ、きゃっきゃ、と騒いでいるのである。
そのはしゃぎぶりを聞いていると、ムラムラと反米感情が湧きあがってきた。
日本の女も女だ、お前ら売春婦か!、とどなりつけたかったが、その怒りは米兵へ向かった。
いきなり米兵の所へ行き、胸ぐらをつかみ、「ヤンキー ゴーホーム!」、と怒鳴り付けたのである。
上司がいたので、壊した備品代は払ってくれた。
そして翌日から 「この男は、外人の居る所に、決して出入りさせるべからず、外人に近づけるな」という、お振れが社内へ回った。
そういう事があってから、ひかるは自分の感情がコントロール出来なくなる事を恐れ、極力部下はいない方がいい、と一人黙々仕事をしていたのである。
事実、酒の席で喧嘩、空手のヌンチャクを振り回し、相手を怪我させ、即ブタバコ、即会社をクビ、なんていう例を何度も見てきている。

1039 おいタケシ! ヤバかったぜ2




年齢的にはタケシとテリー伊藤君の間、番組作りはベテラン中のベテランで、不慣れなテリー君のフォローとタケシの間を取り持て、と指示。
またMカメラマンはフジテレビ日曜日ゴールデンタイム8時からの萩本欽一「オールスター家族対抗歌合戦」のチーフカメラをやっていた人物で同時進行中。
収録日程を確認し、民放キー局8チャンネルの裏番組4チャンネル、ゴールデンタイム同時間帯に同一チーフカメラマンを起用したのである。
ひかるはお笑い番組もやっていたのでタケシとは顔見知りだ。
これといった印象はないが関西に対抗する東京のお笑い界の起爆剤人になるのではないかと見ていた。
ひかるは毎日平均して15本前後のスタジオ番組や中継、ロケやニュースの取材等忙しい思いをしていたがMカメラマンにタケシの番組、細かに報告するよう指示してあった。
ロケが終わると必ずMカメラマンとは時間を取り状況報告は受けると同時にMカメラマンには不慣れなテリー伊藤君、タケシとの間をうまフォローするよう、その都度指示していたのだ。
タケシの事故後、雨傘番組が次々とお蔵入り状況時、会社の近くの小料理屋でMカメラマンと報告を聞きながら話をしていると時々首をくねらせるヒュック突き現象が出る。
Mカメラマンに注意すると、全く感じていないし自分は何もしていないと言い張る。
これはタケシが事故の後、首をくるんくるんとヒュック突かせる現象が出、カメラのファインダーを見ていて、そのカメラマンが無意識のうちに移ってしまった職業病である。
ひかるがMカメラマンを番組担当にしている都合上あまり強硬に止めろと言えなかった。
そのうち色んな事が起きた。
飲み屋のママが「あんた達2人何をやってんの?? 首をくるんくるんヒュック突く、気持ちが悪いね」と言う。
な なんとひかるに移ってしまったのだ〜
ヒュック突きをひかるとMカメラマンが交互にくねる・・笑い話だ。
その内、何んという事だ! ママに移ってしまったのだ。
料理をしながら、あるいは、いらっしゃいませ、と言いながらくるんくるんとヒュック突きをやっている。
恐るべし・・その内お客までがくるんくるんとヒュック突きをやっている。
店中大騒ぎだ。
これはもうタケシに責任を取って貰うしかないだろうという事になる。
ところがひょんな事にMカメラマンがトイレへ入って居なくなると、全員納まってしまう。
出てくると全員がまた、くるんくるん。
止めろ〜タケシ〜
裁判にしてもMカメラマンが証言台に立たないと実証出来ない。
とんでもないタケシ伝染病、ワクチンのないコロナ以上だ!!
本物タケシのヒュック突き病が放送されると、全国でヒュック突きが蔓延し放送局自体がやり玉に挙げられ社会問題化するのでは、と心配した。
このタケシ騒動、タケシ! 責任を取れ! と言いたかったがその内タケシも番組お蔵入り中、徐々に収まりMカメラマンも収まった。
それで一件落着、タケシは人騒がせな奴じゃ。

 1038 おいタケシ! ヤバかったぜ!



 
話はタケシの話に戻す。
タケシは20代ツービートで漫才をやっていたがチョボチョボでヒットしなかった。
当時は大阪の上方漫才、西川ヤスキヨがブームで、東京では萩本欽一と坂上二郎のコント55号、伊東四朗のテンプクトリオやドリフターズが人気。
テレビ界で影の薄くなったタケシを起用し、大雨で中止になる野球中継番組の代替え、フィラーの雨傘番組企画が持ち上がった。当時後楽園球場はドーム化されていなかった。
王選手と長嶋茂雄の属する巨人軍大ブーム、読売日本テレビの野球中継が雨で中止になった場合に流す、いわゆる雨傘番組「天才タケシの元気が出るTV」での起用。売れているタレントなら断るだろうがタケシは、雨傘番組だとしても初めてタケシの名前が番組の冠に付くタイトル、鬼瓦権蔵役だ。
この番組はスタジオメインでロケの映像、話題をどれだけ取り込めるかにポイントがあった。
ひかるはそのロケの部分を請け負ったのである。
しかし毎週雨傘番組を作るが、多少の雨ではブームの巨人軍野球中継の視聴率が良い為中止にしない。
どしゃ降りの雨が降らない限り、タケシの出番は無い。
スタッフは毎週番組を作って編集するが、また流れてお蔵入りだが、使い回しが出来ない為また作る。
当時読売日本テレビの野球中継が絶好調、視聴率が良く雨傘番組だとしてもお金は予定通り値切る事なく全額支払う。
番組作る側からすれば気が抜けてしまうがお金の為だと言い聞かせ頑張るしかない。
そんな最中、タケシがとんでもない事件を起こしてしまう。
バイクで交通事故を起こし、とんでもない顔面に成ってしまったのである。
どうあがいてもタケシの顔はテレビに出せる状態では無い。
しかし初めて番組でタイトルに自分の名前が出たタケシは、何が何でも続行したい強い意志を示した。
雨傘番組が良かったのだろうか、かなりひどかったタケシの顔はお蔵入りし、なかなか放送されなかったのである。
実はこの時ロケーションディレクターをしていたのが、今のタレント テリー伊藤君であった。
大学を出て間もない27歳前後だったと思うが、ど素人で初めての番組作り、色々苦労させられた。
ひかるは当時カメラマン、音響や映像、VTR、編集など150人の部下を持ち統括部長をしていた。
タケシのロケ担当には当時ロケではナンバーワンと言って良いだろう、Mカメラマンを担当させた。

1037 番組、ねるとん紅鯨団




タケシの番組でロケを担当させたMカメラマンを、ねるとんに起用、ロケの経験が豊富で、他のカメラマンとの連携がスムーズに行ったのである。
勿論オールロケで、これ程充実した内容の番組が出来る、という事で、業界では予想以上の評価を得る事になったのである。
労使問題で青息吐息だった会社が、誰もが目を疑う活況ぶりだ。
当然、業界では注目され、後にフジテレビ100%子会社と成って行く。
アナウンサーの早稲田出身、露木氏はじめ、東大、慶応出身者が周りにゴロゴロいるが、ひかるは益々異彩を発揮していく。
威張る事なく、腰が低い、テレビの命は番組だ!、と茶の間を意識。
人間として生まれ、一番愚かな事、一番の不幸は、せっかく親から貰った知恵を、使う事なく、墓場へ持っていく事だ!
とひかるの口癖は響き渡っていた。
当時、テレビ局はカラー放送、ネット局充実へと殆んどの資金、人材が当てられ、番組の内容がスタジオ中心で、マンネリ化している事に気が付く人はいなかった。
ひかるにとって、テレビは単なるテレビでなく、何時までも魔法の箱であって欲しい。
テレビには、団欒があり、子供達はテレビで育ち、教育にまで影響しかねない。
新しい知識を得る場でもあり、遥か彼方の山や川、望遠鏡ですら見えない風景や景色がある。
行った事もない、国や場所で営まれる人々の生活も垣間見られる。
ふるさとがあり、夢があったり、人々は生涯、どれくらいテレビと対面するのだろうか・・
子供の頃見た、魔法の箱、テレビは未来永劫、魔法の箱だ。
テレビの、命は番組です。
知性、感性、人間性にあふれる番組を作り、感動、興奮を、お茶の間へ届けよう。
そして、テレビに恋した男が贈る言葉。
テレビは、いかに視聴者の目となり得るか、越えられるか、知覚足らんか・・・

1036 不毛の時間帯




この番組の放送時間帯は、不毛の時間帯と言われ、なかなか視聴率がとれない売り物にならない時間帯だったが、一変したのだ。
この番組が放送されると、業界の人達から見ると、中継車を持ち込んで、かなりケーブルを引き回し、番組が作られていると、思ったらしい。
コスト的に中継車をキープすれば、キープしただけで一日百万以上はかかってしまう。
こんな時間帯に、中継車を使って、番組を作るなんて、とても考えられない・・・・といわれたのである。
この番組は、スタジオで番組を作る以上の、素晴らしい画が、低コストで、茶の間に届けられたのである。
ロケの場合、だいたいバッテリーは5、6個持っていく。
ねるとんは、4チェーン必要なので、照明やVTRなどを含めても、30個前後あれば十分だ。
他にも、海外や国内ロケがあるが、トータル的には問題なし。
このシステムは、威力を発揮したのである。
スタジオの音楽番組やドラマなどは、台本があって、ディレクターが、カット割りを決めていく。
重要な仕事である。
ロケの場合、いちいちカット割りなぞ言っていられない。
カメラマンが、全体的な画の構成、流れを把握していく必要がある。
かなり高度な能力を必要とされるが、バッテリーの問題が解決され、番組内容に集中出来るため、いい番組が出来るという訳だ。
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