2024年09月09日
1082 方式論
α方式とω方式の図で解るようにグリーンのヘッド部分を一回りしているのがα方式でω方式は交差していない。
テープ幅は2、5センチあるのでα方式の場合ヘッド部分のテープ交差を考えると、かなり長くする必要がある。
図緑のヘット部分、缶ビールのロング缶を想像して頂きたい。
なおかつ送り側と巻き取り側のリールにかなり奥行き、いわゆる前後の段差をつける必要がある。
送り側と巻き取り側のリールにも角度をつける必要がある。
ソニーが提唱するオメガ方式は平面でヘッド部分はロング缶状にする必要は無い。
将来的にテープスレーディングを自動化、又はカセット化する方法もオメガ方式なら考えられる。
ひかるは将来的な事を考えオメガ方式採用に行動を起こすのである。
流れでα方式に決定すると、いずれアメリカがα方式の欠点をカバーしたオメガ方式に近い方式で日本に迫って来る事を恐れたのである。
当時の放送局はフイルム素材が溢れ保管場所に倉庫を次々と契約するが間に合わない。
著名人が亡くなりライブラリーを探すがフイルムでは見つけるのが困難。
高速回転出来ないのがフイルムの最大の欠陥である。
ライブラリーに行き詰った局はアルファでもオメガでも、どれでも良い。
ω方式の20分テープより2時間テープのα方式が当然。α方式導入を疑問視する人は一人もいなかった。
しかし録画時、台本を5、6ロールに分割録画。出演者の都合でロール別にリールを何度も中途で架け換える。
将来のカセット化や使い勝手を考えると、交差のアルファは大きな欠点、オメガ方式になる。
ひかるはオメガ方式開発拠点であるソニーの厚木工場へ乗り込む。
駅前はだだっ広い田んぼと畑だらけ。倉庫のような建物があり、その中で20代後半の若者が5、6人オメガ方式を開発していた。
ひかるはまだ沖縄なまりが取れず、着ている服はオンボロ、名字は見た事もない沖縄名字。
訳の分からない、打倒アメリカが迫って来るだの、チンプンカンプンである。
うさん臭い奴 しーしーと追い払いたいところだろうが、年配の人が黙って聞いている。
話が終わると、訛りが気になったのか、ご出身は、と聞かれたので、沖縄であると言うと、握手を求め分かりました一緒にやりましょう、と言ってくれたM部長である。
開発は想像を絶するスピードで進み、あれよあれよという間にソニーのオメガ方式は世界制覇、ニ年後畑に倉庫の如き拠点は見事な巨大な総二階建ての近代的なコンベヤ工場、後にM部長は副社長になったのである。
当時、最初にどうしてもクリアしなければならない問題はテープにカミソリを使って繋ぎ編集するアメリカ方式ではなく、ワンフレーム単位で抜き取り貼り付けていくいわゆる電子編集が出来るか出来ないかが成否を分けるポイントだと見ていた。
1079 ソニーのベータ方式
カラー放送から十年、プランビコンカメラと2インチVTRの耐用年数が限界となり更新する時期になります。
ひかるは入社10年目、もともと沖縄で育ちアメリカ嫌いが染み付いております。
更新時期を持ってカメラとVTRをアメリカから国産品に切り替えようと、とんでもない事を考え行動に出ます。
カメラは撮像管方式から国産のCCD方式に切り替え、更にVTRは国産の1インチVTR方式に切り替える。
誰がどう考えても無理な事、しかしひかるはとんでもないアイディアを次々と連発、ニ年後にはものの見事に完璧に国産に切り替えます。
時の流れも加味しました。誰一人として気付いていませんが、ひかるは40年後にノーベル賞に輝く開発されたばかりのリチウムイオン電池に目を付けます。
これがいわゆる日本の映像産業を世界ナンバーワンにした原動力です。
デジタル分野ではアメリカと日本では親子の差があると言われた時代。
NASAが国家権力を持っても出来なかった電子編集を日本は簡単にやってのけます。
当時の開発状況を簡単に残していきたいと思います。
当時VTRは2分の1インチホームビデオとしてソニーがベータ方式を提唱していたのですが結果的にVHS方式に統一されソニーは完敗。
孤立無縁苦しい立場に立たされます。
放送VTR方式としてアメリカの2インチ方式から日本の1インチ方式への移行が模索されていました。
ここでもVHS陣営が推すアルファ方式とソニーのオメガ方式が対立。
当然の成り行き、VHS陣営が進めるアルファ方式採用が時間の問題とまで言われていました。
ソニーはホームビデオ、ベータ方式に全力を投入していた為放送方式ではかなり遅れをとっていました。
アルファ方式が2時間テープ使用に対しソニーのオメガ方式は20分テープしか使用出来ません。
素人的にはたいした問題でないように見えますがVTRは鉄粉が塗布され重い為、20分テープと2時間テープでは差があります。
高速で巻き戻し早送りし1秒間に30枚の精度でピタリと止める、あるいはスタートさせる制御は開発時間を必要とします。
ソニーのオメガ方式とVHS陣営が進めるアルファ方式ではどう考えても、ひかるの見た目ではソニー方式に軍配が上がります。
1078 放送用VTRとカメラ
テレビのカラー放送が始まった昭和40年代東京の放送局キー局のVTRやカメラ等、全てがアメリカから輸入された機材でした。
日本のテレビ放送がアメリカのNTSC方式に準じて開始された為です。
世界には他にヨーロッパ方式と共産圏方式、この3つの方式でテレビの放送は行われておりました。
当時のテレビ自体がブラウン管と呼ばれる巨大な真空管であった事は往年の方なら分かるかと思います。
テレビ局側のカメラも真空管でプランビコンと呼ばれる撮像管が使われておりました。
レンズで取り込んだ映像信号をRGBの半透過ミラーで反射させRGBの映像信号を取り出していたのです。
プランビコンの形状は懐中電灯を想像してください。
画面の部分に高圧をかけ電池の部分から電子銃を発射、走査し信号を取り出していたのです。当然三本必要。
その映像を変調して東京タワーから各家庭へ送り込む、テレビ側では巨大なブラウン管後方のRGB電子銃から信号が発射され高圧をかけた画面に叩きこみ発光させます。
TVカメラもかなり重量があり形状もデカい物でした。
それよりまだデカイのはVTRでした。
テープ幅が2インチ、 一インチが2.54センチですから5センチ以上のテープ幅。
テープには鉄粉が塗布され、一時間テープだとズッシリ重くこれを高速巻き戻しで制御、磁気面の粉塵も吸い取りするので巨大なシステムです。
アンペックス社製で宇宙の偵察機にも旅行トランク大のVR三千が搭載され、開発にNASAが関与したといわれております。
これまた値段が目玉が飛び出る値段。キー局といえども4台くらいしか持てません。
予備機も必要でニ式という事、昔の俳優なら局で収録時、VTR待ち時間は度々あり、キー局ですらVTRの数の確保が出来なかった。
2インチVTRは電子編集が出来ませんでした。
記録信号は5センチ幅のテープにワンフレーム単位で上から下に記録されます。
1秒間に30本、いわゆる30フレーム磁気が綺麗に並びます。
それを顕微鏡で見、カミソリで上から下に切断、いらない部分を切り捨て裏面を強烈なテープで張り合わせる繋ぎ編集で、熟練した編集人でないと高速で巻き戻し中あるいはストップ時にバサバサ切れ、切れる事を想定し送出には必ず予備機も回します。
1077 真っ白い砂浜
南の島には眩しいくらいの真っ白い砂浜があります。
どうしてこれ程までに白いのだろうか?
本土の砂は、岩が砕けた破片や内陸部より川に流された土や泥が、海水で洗われ砂浜を形づくっていますが、サンゴ礁で出来た小さな島は川もなく、周りと中心部が小高いコマのような地形になっており、大量の雨が降ったとしても、雨は地下水となり、土や泥が内陸部から海岸へ流れ出る事はありません。
島の砂浜は、海側から珊瑚の死骸や貝類がうち寄せられ、砕かれた石灰砂で出来ており、波の激しい浜では、角がとれ、普通の丸みのある砂になり、波の穏やかな湾や入り江では、星状のままになっています。
本土の砂とは、素材そのものが違う。幸せを呼ぶ星砂としてお土産品にもなっています。
子供の頃、巻貝の殻が高い値で売れており、白い殻がワイシャツのボタンに使われていたのです。
その貝殻や珊瑚の死骸等が、砂になるのですから、島の砂浜が精製された白糖のように、真っ白いのは当たり前。
また沖縄名物のハイビスカスと、赤い瓦に白い漆喰模様は、周りと調和し景観を楽しませてくれますが、島々のかわら屋根を台風や厳しい太陽熱から守るのにも、珊瑚が重要な役割を果たして来ました。
昔から赤い瓦屋根の継ぎ目を補強するのに、珊瑚を焼いて灰にして出来た石灰をこねて作った、漆喰が使われてきたのです。
ひかるが生まれ育った黒島は、世界に類を見ない素晴らしい島だ。
島の形自体は見事なハート型、ハートの両肩から下半球を取り巻くように、ものの見事なリーフがあります。
総延長7、8キロくらいは、あるのではないだろうか。
その島を取り巻くリーフと島の間には、これまた見事な大自然の陸橋の如き渡しがいくつもあり、その渡しと渡しの間は、東京ドームを遥かに凌ぐ、大きな天然の巨大プールが出来上ります。
リーフ上には、直径10メートル前後の大小プールが、いたる所に出現。
勿論、色とりどりの熱帯魚が、いっぱいいます。
リーフの内海は、潮流が殆んどなく、子供や女性でも自由に泳げ、しかも潮の干満で、常に綺麗な透き通った状態が保たれ、手入れや維持費も不要です。
数え切れない熱帯魚達と、色々な形をした珊瑚郡の稀に見る自然環境。
その昔、リーフ内には魚貝類等、膨大な量が捕れたとの事。勿論、今でも捕れます。
そして島には住人が溢れ、一大文化圏を形成していたとの事です。
歴史には出てきませんが、本当の意味での日本のインカ帝国と言ってもいいのではないだろうか。
ひかるは定年後、この島の生まれ育った家で、世界一大富豪の生活が約束されているようなものです。
なぜなら、父が自分の畑だと言っていた、大自然の大小数え切れないプールが目前。
プライベートビーチの如く自由に使え、リーフの内側に生息する、おびただしい珊瑚群。
熱帯魚達は、子共の時からの友人であり、仲間であると同時に大きな財産。
これだけのものを作り上げるとしたら、お金がどれくらいかかるか想像さえ出来ません。
この巨大な財産が自由に使えるのです。
自分の物、と言っても過言ではないでしょう。
そうだ、幸せは独り占めしてはいけない。
全国の皆さんにも楽しんでもらおう。
東京ドームより大きな自然の巨大プール、珊瑚や熱帯魚達が一緒に遊んでくれるぞ!
ここは日本最後の楽園だ。
そして、この大自然が、この世で一番恐れるものは人間。
脅かす事なく、壊す事なく、優しく見守ってやろう。
子共達へ残そう。
魚達よ!
珊瑚群よ!
体に気をつけ、元気で頑張れ。
会える日を、楽しみにしているぞ!
1076 定年うつ病?
場所は錦糸町、知人に、定年したばかりの正彦爺ジーが居る。
体格はスポーツ系、顔も若造りで、いつも元気に散歩、どうみても50代半ば、としか見えない元気の良い爺ジーだ。
ここのところ元気がなく、空ろな眼差し、脅えたような状態。
定年うつ病かと、声をかけてみた。
話を聞いてびっくり、以下の内容である。
先日、暇を持て余し、駅前の喫茶店でも行こうと思って出かけたという。
駅から400メーター手前の信号で、誰もいなかったので、おならを、思いっ切り、ヴオーンと放ったとの事だ。
稀に見る快感、後に人の気配を感じたので、ヤバイ・・と恐る恐る振り返ると、二十歳前後の、ミニスカートを履いた女の子が、自転車で信号待ち、真後ろにいたとの事だ。
しまった!?・・思いっ切り放ったおならを聞かれた!・・
と、照れ隠しに、にが笑いしょうと思った瞬間、なんとその子は、ヘッドホンで音楽を聴いていたのだ。
彦爺ジーは、おならの爆音が聞かれなかったという事と、しめた!と安堵。
それより自分の余計な心配が、おかしくなって吹き出したくなる、つい満面の顔面総崩れ、鏡で見ると我ながらいやらしくて気持ち悪く卒倒するニッタリニッタリ顔、この世にこれ以上ないと言う不気味な男の顔。
瞬間、女の子と視線が合ってしまった。
花も恥じらう二十歳のミニスカート立膝状態パンツ丸見え、目の前に60がらみの筋肉隆々、油ぎった男の顔、満面崩して、昼間からニッタリ顔、パンチラを見られた、と一瞬にして恐怖が全身を走る。
ヤッバイ! と、咄嗟に慌てて逃げたが、あまりの恐怖に動転、対向自転車とぶつかりそうになり、
歩道の植え込みの草むらに頭をつっ込む。
はたまた視界良好、ケツパン、チラチラ。
女の子は完全に脳内大混乱。
脂ぎった屈強なる男に、思いっ切り「犯される・・!?」
と、脱兎と言う言葉は彼女の為の言葉だ。
必死になって、駅の方向へ逃げて行ったという。
駅前には交番がある。
彦爺ジーからすると、その娘が交番へ駆け込み、変態爺ジー現れる、
と人相書きが町内に回され、いつ何時、自分が変態爺ジー扱いされるのではないか、と不安で、のんびり寝れないそうだ。
人が居ないと思って、思いっ切りおならを放ち、気配で振り返ると人が居て、その人が、ヘッドホンをしていると、思わずしめた、満面の笑み吹き出してしまうよ!・・・
テレビで事件の報道を見る度に、変態扱いされるのでは・・と心の落ち着きを失う。
お願いだから、変態扱いされたら証人になってくれ、と手を合せて拝む。
彦爺ジーを見ていたら、助けたくなってきた。
その子が、慌てて逃げ、交通事故で死んだら責任は彦爺ジーにあるのだろうか?
神様、ご加護を!!
1075 我輩は猫ではない!!
当時の沖縄は米国の統治下、東京から遥か二千キロも離れ、生まれ育った島は、日本の地図のどこを探しても載っていなかったのです。
そんな島があるはずがない!
地図にない、一週間以上もかかる、地の果てへ、娘を嫁に出す訳にはいかない!
代々江戸っ子の親には、とても理解してもらえず、あたかも出所不明の住所不定男か、結婚詐欺師の扱い。
訪ねる度に塩を撒かれ、しまいには座布団を投げられる始末。
結婚話は暗礁に乗り上げ、破談になるかと思われましたが、男としてここで引き下がる訳にはいかない。
意地を見せようと、芯から怒ったが、親戚、頼る人とてない二十五歳の若さ。
一人で立ち向かうしかありません。
結婚は当人同士の問題、親や家族が結婚する訳ではない。
文句を言われる筋合いは無いはずだ!
決して、路頭に迷わせるような事はしない。
信じて欲しいと説得。
最後の手段に訴えるしかありませんでした。
これ以上話をしても無理だ!
とにかくこの家を出ろ!
俗に言う駆け落ち・・
彼女が必要な着替えだけはと取りに行き、風呂敷包にし出る直前、
「こちとら江戸っ子だ、犬や猫がくっ付く訳ではあるまい、隣近所の付き合いもある事だし、式くらいは挙げたらどうだ!」
何! よくぞ犬、猫扱いしてくれたな!
我輩は猫ではない!! と怒鳴り返したかったが、ひかるは決断が早い。
何も喧嘩したくて喧嘩している訳ではない。
要は結婚がしたいのである。結婚が出来ればいいのである。
瞬時に頭を切り替え難問解決。
包みを解かせ、「式の日取りは、追って参上つかまつります」と。
彼女は心配顔。
今後この結婚話に反対する様な言動があったら、いつでも私のアパートへ来い、朝でも、夜中でも問題ないよう、管理人には話をつけておく、と・・
目出度く式を挙げ、娘と息子の二人の子供にも恵まれ、あれだけ反対した親も孫達の顔を見、誤解が溶けて行きました。
江戸っ子気質は一度信頼すると、後は何も残しません。
何事もひかるを頼りにし、女房より先に相談してくれるようになりました。
何んで実の娘に、先に話をしてくれないのかと、女房が焼餅を焼く。
平和な、ひかる一家であった。
1074 恋
毎日が、ひもじい思いをし、泥棒走りをしていた二十歳。
この世にこれ以上いないかと思われる、美しい女性に、バイト先で出会いました。
声をかけるにも気が小さく、沖縄生まれだと言う、多少の劣等感もあり、ひたすら胸をときめかすのみ。
ある日、まさかと思われる、一大事発生。
その女性が、食欲がないので、自分のお弁当を食べて欲しい、と持って来たのです。
鮭と卵焼きだけのお弁当でしたが、まさかと思われる、好きな女性。
手作りの弁当かと思うと、美味しいの、どうのと言っている場合ではありません。
そして、彼女が目の前で見ているのです。
全身パニック!
世の中バラ色、生まれて最高に甘い食べ物に出会いました。
このままずーっといつまでも一緒にいたい・・・
弁当の味が忘れられず、恋が芽生え、一気に炎と燃え出し、この女性なしに人生はあり得ないと思うようになったのです。
男の恋、一度燃え出したら、止めようがありません。
体を張っての獲得作戦へと展開。
しかし相手は、生まれも育ちも東京両国で、垢ぬけた生粋の江戸っ子。
田舎っぺの取れない三度笠の似合う男には、とても無理かと思われましたが、「命に賭けても、幸せにしてみせる、この気持ちは世界中を探しても、私以上の男はいないはずだ!」
結婚してくれと、猛うアタック!
一途な気持ちが伝わり、結婚に同意してくれたのです。
やったー!!、
男の情熱、何事か成らざらん!!
天の神、山の神、地の神、海の神、地上の全ての神々を招待し、どんちゃん騒ぎをしたくなったのも当然。
あまりの嬉しさに、気が狂ってしまうのではないか、と自分自身がわからなくなりました。
しかし、暗転、これからが一大事件。
1073 食糧戦争
人類は間違いなく、100億に達しており、カラスとの食糧戦争は回避しがたい事でしょう。
都市部では、身近に感じられない事ですが、農村部や温暖な国では、すでにカラスとの食糧戦争が始まっています。
果たして、人類は勝てるのだろうか?
カラスは、人家に近い所に棲んでおり、核や化学兵器は使えず、戦車を出動させたとしても、一羽打ち落とされれば危険を察知し、戦車よりも早く、自由に空を飛び、山や川、海を越え、国境を破り、逃亡。
人類の一点攻撃型兵器は、通用しません。
例え、二、三万羽打ち落とされたとしても、毎年増える数からして、彼らにとっては平気な数。
もしひかるが、カラスの大統領に就任したならば、人類との食糧戦争は、大勝利を収める事でしょう。
一万羽単位で、カラスの編隊を組み、地球上の各ゴルフ場へ基地として集結させ、上空300メートルから、ホールを狙って、小石を落下させる訓練をします。
ゴルフボールは、訓練用に使う為、必然的にゴルフ場は、カラスの軍事基地と化し、手始めに、一万羽のカラスに、其々300グラムの小石を持たせ、猛スピードで走る、新幹線の線路へ一万個の小石を落下させ、波状攻撃。
新幹線は、小石の山に脱線し、多数の死傷者が出、世界的なニュースになる事でしょう。
滑走路や高速道路、至る所で、小石の攻撃を行う為、人間は恐怖のあまり、新幹線、飛行機、車を利用しなくなるでしょう。
線路の小石は拾って何回でも使用。
軍事開発費はいらず、即座に実行出来、路上の人や民家にも一万個単位で、小石の雨を降らせます。
屋根やガラスは割れ、ライフル銃で撃ち落とすにも、300メートル上空までは届かず、特に黒いカラスの夜襲は、効果覿面。
手が付けられません。
農家へは大事な食糧確保の為攻撃せず、人間をカラスの奴隷にするのです。
カラスを「烏合の衆」、と馬鹿にしていた人間共が、逆に、烏合の衆、と呼ばれる羽目になります。
カラスの大統領は、作戦本部を移動し、世界各地の戦況を悠々と視察旅行。
各国首脳は、連日の応戦会議で、精根尽き果てる事でしょう。
強力な軍事力で、地球の保安官を自認するアメリカ大統領が、茹で上がりのタコ顔で、目ん玉飛び出させ、「カラスの野郎!、ブッ殺してやる!」、と喚き散らす、じだんだ姿が目に浮かびます。
カラスの大統領は、カッカラカ、カッカラカ、と高笑い、見下げる事でしょう。
飛べない人間、国境、人種問題を抱える人間が、カラスに勝つ事は、容易ではありません。
カラスは、すでに貝類を上空より落下させて割り、中身を食べる戦術を習得済。
人間を共通の敵と認知した場合、高速道路を走る車に、小石を落下し、一台でも事故を起こさせ、殺せる事が分かると、全カラスに伝達され行動を開始。
カラスには国境がない為、国際的な問題解決策が必要。
国際会議の開催を提案します。
ヒッチコックの映画が、現実のものにならない事を切望しよう・・・
今すぐに、開発しよう、カラスピル!
1072 カラスの大統領
カラスの行動を観察すると、見事な連携プレー、編隊行動をとっている事が、分かります。
ニワトリのヒナを狙う時、一羽は見張り役。
もう一羽は、ケンカを仕掛ける役。
残りの一羽は、ヒナを奪う役目で、三羽での連携プレー。
親鳥が、ケンカを仕掛けられ、一羽のカラスに向かって行き、ヒナ鳥は、親の泣き声、様子に、危険が迫った事を感じ、オロオロ逃げ回るだけ。
奪う役目のカラスは、空から急降下し、逃げ回るヒナ鳥を事もなげに持ち去ります。
この行動を三度繰り返す事により、平等にヒナを確保。
雑食性で、食欲旺盛なカラスに、殆んどの鳥類は、木の実や虫、卵やヒナ等をことごとく持って行かれ、その悪知恵には、とても追いて行けません。
小学生の頃、ひかるはカラスに弁当を取り上げられ、仕返しに卵を取ってやろうと、カラスの巣へ近付くと、何時どうやって呼び寄せたのか、数百羽のカラスが、上空に飛来し、編隊行動。
カラスは、巣を高い所に作る為、木の上で、本気に襲れたのでは、ひとたまりもありません。
事実、数十羽のカラスは、二メートル圏内に接近し、羽を広げて、黒い口ばしを目いっぱい開け、赤口での威嚇合唱。卵を取れば、即座に攻撃出来る臨戦態勢、恐怖を感じ逃げ帰りました。
何んで自分の卵でもないのに、他のカラスが集団攻撃行動に出るのか?
攻撃態勢のカラスは、血族なのか、それとも種族を守る為、安全保障条約を結んでいるのだろうか?
昨今、自然界の生態バランスが崩れ、人間が原因のように見られていますが、問題はカラスに有るのではないだろうか。
他の動物が減少する中、カラスには殆んど天敵がいない為、繁殖の一途です。東京の空も既に制覇され、神宮の森は、絶好の棲家として、他の鳥は、黒い軍団の恐怖に近付けません。
現在、地球上に、十億のカラスがいるとし、10年間で倍増すると、想定した場合、50年先には、320億の数に大繁殖。
1070 夫婦喧嘩
また、沖縄のおみやげ店で目に付くのか、100歳にもなるかと思われる、シワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面でしょう。
この老夫婦面、実は、夫婦和合の、不思議な力が秘められている面だという事は、あまり知られておりません。
夫婦喧嘩は、どこでもあるかと思いますが、口もきかず、冷戦状態が続いた後でも、このシワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面を見ると、思わず吹き出してしまい、些細な事での夫婦喧嘩が馬鹿馬鹿しくなり、仲直りするとの事。
また、このお面をかぶっての、老夫婦の面踊りは最高です。
おじいちゃんは若い時、人一倍スケベーだったとの事。
腰も立たなくなった今、おばあちゃんが、「私のこと、好いとるか・・」と色っぽく迫り、もじもじし・・「おばあちゃんは、世界で一番美しい・・昔も今も一番好いとるぞー」と答えると、「よくも、焼きもちを妬かせてくれたもんだ・・」、とつねり、100歳もの老夫婦が、這いずり、顔を赤らめ、新婚初夜を思わせる仕草は、腰が抜ける程笑わせてくれます。
お祭りや結婚式などに舞れ、舞台上では決してお面を取らず、どの夫婦が舞ったのか、演者当ても場を盛り上げます。
夫婦の機微、和合を楽しませる踊り、一度は世の夫婦に見せたい踊りです。
また、この面踊り、忘年会や結婚式に踊ると、大受けする事間違いなし。
お面を新婚祝いに送ると喜ばれる事、受けあいです。
このお面は「ヤマシキのアブジヤーマー」、と呼ばれ、山崎村のおじいちゃんおばあちゃん、と言う意味で、この山崎村、今は廃村ですが、昔黒島にあった村で、歯っ欠けお面の発祥地です。
知念家では代々、高砂のお面、として大事に祭られております。
ひかると言う男の脳内プログラム、生い立ちの影響なのか、引く事、後退するという事が、考えられないのである。
前記した通り、12ミリ、いや、12カ月、80センチのスケール上で人生を考えるので、後退という事はあり得ないのである。
勿論、後悔するという事も殆んどない。
そして後輩達には、「俺は、背中に断崖絶壁、崖を背負っている、振り向けば、目まいでまっ逆さま、木っ端微塵。だから、振り向く事もしない。常に進む以外はない。嵐が来れば、四つん這いになり、更に激しくなれば、腹這う、そしてミミズとなって、這いずってでも、前へ進む」
人生とは、そういうものだ、と説くのである。
「生半可でない、常に極限の生き方を求めろ!」と。