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2024年10月20日

f1164 ヤギの乳


子供が生まれても、昔は栄養が行き届かず母親の乳が出ない場合が結構あった。
勿論、ミルクは無く、冷蔵庫も無い時代。
そこで、ヤギの乳を頂く事になる。そうやって島の子供達は育ったのである。
ひかるも母に3軒の家からヤギの乳を頂いたという。
だから、3軒の家のヤギ様には感謝しなさいよといわれた。
よって恩返しの為、物心ついた時からヤギを飼わされ、一生懸命ヤギの草を刈ったもんだ。
そしてその3軒の家に子供が誕生した時には、私の飼っていたヤギの乳を恩返しするという事だ。
ひかるがこうやって生きていられるのも、ヤギ様のおかげで神様だ。
ひかるの神様は、ヤギ様である。
領土で中国と揉めている魚釣島、野生のヤギが生息しているがこの地区の人が昔住んでいた。
だから女性が居てヤギを同伴させた証である。
皆さん無人島で住む場合、女房とヤギはセットだぞ。
必ずヤギ様もオス、メス同伴が条件。不滅の鼓動だ!
牛乳が一番だ、と思いがちだが孤島や無人島は川がない。
日照りが二週間も続くと水がなくなる。牛は人間の数倍も水を飲む。
しかしヤギは水を飲まない。まったく水が無くても生きられる。飲ませるといきなり下痢だ。
人間が子供を育てる上でヤギは本当の神様なのだ。
ある小雨の日、牧場をやっている青年が我が家へ来、のんびり喋っている。
牛の草は刈ったのか、と聞くと牛は濡れた草は、食べないという。
???
それでは雨が降った日はどうするんだと聞くと、干し草を食べさせるとの事だ。
初めて聞いたが、牛は苅った草、どんな新鮮な草でも、雨に濡れていると食べないという。
枯らした草、干し草なら、雨に濡れても食べるとの事だ。
勿論、生えている草なら、雨に濡れていても食べるが、苅って雨に濡れた草は刈りたて、新鮮な草でも食べないという。
本当なのだろうか?
この島の牛だけが贅沢な生活をしているのか?
なんで新鮮な草でも、雨に濡れたら食べないのだろうか?
生えた、雨に濡れた草は食べるのに?
不思議である。
他の島の牛飼いさ〜ん、教えて・・・
島のじいさんが、おしゃべりにきた。
泡盛とサバの缶詰で飲んでいると、ハエがうるさい。
このハエ何とかならないのかなぁというと、8時半まで待てよという。
訳を聞くと、ハエは8時半になると就寝の時間だという。
言われてみて初めて気がついたが本当に8時半になると、ありゃりゃ、ハエがピタリといなくなった。
島のハエは夜8時半就寝だそうだ。
島の人達は行動時間が夜型だ。
9時10時から平気で飲み歩く。
ハエの時間を考え行動をずらしているのだろうか?
島での生活、色々と頭を使う。
南の島の夜は開放的だ。
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f1163 ヤギ様


南の島々には、ヤギを飼育しており、ヤギ汁は生活に欠かせない。
そして必ずと言っていいくらい、そこにはヨモギが入っている。
ヤギ汁は血圧を上げる、ヨモギは血圧を下げる効果があるとの事。
だからこの組み合わせは、どこの家庭でも行われている。
古老に聞くと、ヨモギは、サギグスイ、下げ薬と呼んでいる。
昔の人はよくぞ血圧計もなかっただろうに、どうやってそのような組み合わせを考えたのだろうか。
南の島には、色々な不思議が一杯だ。
この島の人達は昔、牛肉は食する風習は無かったが最近では牛肉を食べる機会が多い。
やはり、その時も牛汁にはヨモギを入れて食べる。
島の人達は知らないところで、健康管理が出来ているようだ。
ちなみに、ヨモギは野生でどこにでも生えている。
東北人はおしんこを多く食べ、塩分を取り過ぎ、高血圧で寿命が短いと聞く。
庭先にヨモギを植え、利用するといいかも。沖縄の長寿はヨモギのせいかも?
南の島でヤギは重要な存在である。
人間をはじめ全んどの動物は、生きていくのに水を必要とする。
しかし、ヤギは川がなくても水の無い所でも何ら問題なく生きられる。
八丈島の手前に、周りは崖で人が住めない無人島があるが、(鬼界島?)そこには、かなりのヤギが野生化して育っている。
勿論無人島で、川も無く水溜まりや雨水を溜める容器も無く大雨が降ってもサンゴ礁の島は即地下水に成りヤギの飲み水は無い。
生涯水を飲まなくても草を食べるだけで問題無し。ヤギの生き延びる力は半端じゃない。
この黒島では昔、妊娠すると出産日を計算。
まず妊娠してるヤギをどう確保するかが、大きな問題だ。

f1162 トウージ


この島の方言を見ていると、突然変異みたいな訳の分からない方言が時々出てくる。
豊年際にハーリー競争が昔からある。その船のかじ取り役は重要である。
かじ取り役のことを島の方言では、トウージーという。
なぜかじ取りが、トウージーなのか?
日本の言葉でいうと、統括、統治に当たり、つながるのではないかと思う。
統治が、トウージーになったのではないだろうか。
その昔、この島には、あまりものを書くという習慣がなかったのに不思議である。
昔から続くこの島のハーリー競争は、かじ取りが絶対の権限を持っており、完全に統括している。
言うなれば統治者が、トウージーになっているのだろう。
また女房、妻を、なんと言うかというと、トウージーのハイホンを2つとった、「トゥジ」と呼ぶ。
トゥジ(妻)は、家庭を賄い、やりくりする、言うなれば、家庭の統治者だ。
よって、トゥジと言われるのは、当たり前である。
友人のことを、島の方言では、ドゥシ、と言う。
友達という、複数、総称する場合は、普通、島の方言では、ERがつくが、この友人には、それが付かない。
友達は、ドゥシンキ、という。
この友達という、ドゥシンキは、他の方言と共通しない、変わり種だ。
この言葉がどこから来たのかわからないが、もしかすると、アフリカの山奥で、友達のことをドゥシンキ、というような所があるかもしれない。
渡り鳥が、その言葉をくわえ、島へポコリと落としていったかも?
種子が島で根付き、しっかり島の言葉になったような気がする。
友達の、友達は、みな友達だ。
ドゥシンキの、ドゥシンキは、みなドゥシンキだ。

 1161 人生のスタート




ひかるが、なぜテレビ業界を目指したのか。
昭和30年代、TVは緒についたばかりだ。
遥か南端の小島、映画館は無いが、子供心に映画を見たかった。
石垣島まで渡れば映画は見れたが、家が貧しく船賃もなく出来なかった。
南端小島、当時飛行機は無く船輸送、マンが本等は半年以上遅れて着く。
そのマンガ本の片隅に、4コマでコタツに入りながら映画が見られる。それが四角いテレビだと書いてあった。
それだ! 家に居ながら映画が見られるという、訳のわからないテレビというものの解明に人生をかけよう。
そこから人生がスタート、親兄弟を捨て、故郷も捨て、着のみ着のままで上京、夜学へ通いながら必死に勉強した。
ブログをやっている人ならウイルコム(現AUの前身)と言う会社、知っているだろう。
ホームページに誇らしく、人口カバー率99パーセントと出ているが、ひかるの育った島はまだカバーされていない、日本最後の情報過疎地だ。
半年遅れに漫画本が流れ着くが、それが唯一の情報源だ。
昭和40年、第一回東京オリンピック39年開催の翌年、勿論テレビは白黒時代で、朝と夜の放送で、昼間はフィルムのメロドママ放送。
やっとの思いでテレビ業界へ入った。
本当に人生の辛酸をなめ尽くしたと言われる状況だった。
それでも、しがみ付き夢をまっとうした。
勿論長男ではあるが、両親の死に目にも会えなかった。
そんな経験の中から、今の若者達には是非、勇気を持って己の道を貫いて欲しい。
親が何を言おうと関係ない!
親は、己の人生を既に歩んで来ている。これからは、自分の人生は自分で決断する、でいい。
この世にポコンと動き出した貴方の鼓動、100パーセント間違いなく、いずれは止まる。
何の為に今まで動いて来たのか?
今、何のために動いているのか?
これから先、どう動かせるか?
己の可能性に立ち向かおうではないか!
人生の 喜怒哀楽に ロマンあり
若者よ 思い残すな 明日は華
  貴方には 誰にも盗られない 知恵がある
  貴方には 誰にも止められない 鼓動がある
これしかない!
己の人生ドラマ ロマンを持て!
そして
 命を張れ!
 命を張れ!

1160 帰るな


だから沖縄出身者だけは採用したくないとまで、言い切る社長もいる。
ひかるを見てくれ、一徹に何が何でも仕事一点張りでやりとげる沖縄人だっているんだよというと、あなたはパスポートを持って本土に乗り込んだ人だ。
今の沖縄の若者はそんな覚悟も何もない、と言われてしまう。
原因は何かと考えたら、沖縄の母親は子供が旅立つ時、辛い事があったら、何かあったら、何時でも帰って来い。親の元へ戻ればいいと言って、旅立たせる。
それだ、と考え、ひかるは沖縄の母親に子供を崖から突き放す、ニ度と帰って来るな、例え乞食をしても帰って来るな、と言って旅立たせよ、と説いているが、どんなに言い聞かせても、それは無理だった。
昨日も東京の大学にいる娘から電話があり、辛かったら何時でも帰って来なさい、と母親は伝えたそうだ。
沖縄の女性は、あまりにも情が深すぎ、子供を崖から突き放せない。
結果的に親の面倒を見る、と格好をつけホームシックに負け、厳しい大人の世界へ踏み込めない。
それがいい事なのか、悪い事なのか、悩んでしまう・・・
20代、その人の人生を大きく左右する一番大事な時期である。
Y君のように地元へ帰ると、同窓生は地元企業でそれなりに活躍しだしている。
東京から帰った人間は、キャパシティが狭いからすぐ噂になる。
同窓生の下で、あるいは自分の後輩の下で、顎で使われる身となると頭へ来る。
それで喧嘩をし、また上京する。
20代で、そのような事をしていると、あっという間に30代だ。
好きな恋人がいたとしても、女は生活力をまず先に見る。
何時の間にか他の男と結婚してしまうという結果だ。
そうなると、彼女を恨みつらみ、場合によっては、彼女を奪った男にまで逆恨みをし、心が荒れる。
30代になって、余程謙虚な気持ちで、一心不乱に、人生を立て直せばいいのだが、それもまた難しい。
経験した人でなければ分からないが、30代、あっという間に10年が過ぎてしまう。人生で一番時間が短く感じられる年代だ。
所帯を持つ事もなかなか難しい状況になり、40代に突入すると、人生を立て直すのは、かなり困難である。
フリーターやニートと呼ばれる人達、本気で20代をどう過ごすか考えて欲しい。
まずは親や周りが親身になって、立て直しを支援する必要があるだろう。
生活力の基盤のない男、どんなに男まえが良くても女は逃げていくぞ・・・

2024年10月19日

f1159 帰郷病


東京の放送局、キーステーションに沖縄出身者はひかる一人しかいなかった。
どこで聞きつけたのか、沖縄の若者がキー局で番組制作したいけど、どうしたら良いかという相談、いわゆる就職相談が結構あった。
ひかるの知人に、人格良好すばらしい男がいたので、技術プロダクションを作らせ、毎月一定量の仕事を出し、バックアップ体制をとっていた会社が数社あったので、一人の沖縄出身者、Y君を紹介した。
社長は、貴方の紹介なら100%間違いないと、即座に採用が決まった。
Y君の仕事ぶり評判もよく、そろそろレギュラー番組を持たせてもいいかなと、思っていた矢先、社長からの電話。
Y君が仕事を辞め、親の面倒を見る為、田舎へ帰るというので説得して欲しいとの事だ。
親の事も有るかも知れないが、自分の年を考え仕事を大事を選べ、なかなか自分のやりたい仕事、簡単に手には入らないぞと説得をし、何とか思い止まらする事が出来た。
Y君の評判も良かったので、そろそろチーフとして番組を仕切らせ、テロップで画面に名前が出れば責任感も出、やる気も出すだろう、と思っていた矢先、また社長から電話だ。
また帰郷病が出たという。
今度は何度説得しても田舎へ帰るの一点張りだ。
仕事はどうするのかと聞くと、タクシーでも何でもかまわない、とぬかす。
何でこいつのために仕事を紹介してしまったのか、ましてやこちらの顔に泥を塗るような事までされて、腹が立って往復ビンタをはりたくなった。
とうとう、沖縄へ帰ってしまった。
更に数年後、上京し社長に仕事をさせて欲しいと頼み込んだという。
呆れ果て世の中甘く見るんじゃないぞ、と言いたくなったが勝手にしろ、と言ってやった。
ひかるの知る限りの会社経営者、社長が口を揃えて言うのは、沖縄出身者は田舎へ帰るという病気が2、3年おきに必ず出てくる。

f1158 ハローワーク


この島の方言を聞いていると、訳の分からない事が沢山出てくる。
足の事をパンと呼び、ハブの事もパンという。
畑に使うクワの事をパーイと呼ぶ。
このパーイはペルーの山奥の原住民が使う言葉だと言われている。
インドネシアを旅行したおり、ところどころ車窓に、MAKANというローマ字の看板が出てきたのでガイドに聞いてみると、レストランの意味だという。
島の方言で、旨いは、まーはんと言うが、インドネシアのマカンと発音イントネーションがぴったりだったのには驚いた。
ちなみに島では、食器のちゃわんもマハンと言う。
また島の方言で、殆んど当てはまる事だか、複称、総称の場合、単称の単語に、ERをつければ事が済む。
その点は、どうも英語と同じだ。
例えば、バカな奴、阿保な奴を方言でいうと、プリムン、になる。
複称、あるいは総称して言うと、それはERを付けて、プラーにり、プリムン達という意味だ。
わんぱく小僧の事を、ヤマング、と言う。
複称、ないしは総称すると、ERをつけてヤマンガアー、になり、やマング達との意味だ。
太る、というのは、パンタル、と表現する。
太った人達、と総称すると、やはりERをつけて、パンタラーになる。
逃げるは、ピンギルだが、逃げ足の速い奴、ピンギヤーだ。
極めつけ方言は、働くだ。
働く事は、石器時代の昔からあっただろう。その言葉が、ものの見事、英語のワークと同じだ。
働く、それは、方言でも「ワーク」である。
屁理屈こく前に「働けば」の方言は
屁理屈こく前に「ワーキバ」になる。
日本南端の島は、ERだらけだ。
日本国内に、理解しがたい日本人がいた。
しかし、日本人のルーツかもしれない・・・
島の爺ジーに、なんで働くが、ワークなんだと聞いたら、お前は、ヤマトウへ行って、屁理屈屋になった。
そんな事、ワシに聞いても分からない。昔からそうなっているのだから、しかたないさ!
ごちゃごちゃ屁理屈ばかりこいてないで、「ワーキバ !」、(働けば !)、と怒られた。
まあ まあと言って、泡盛をつぐと、全て円満解決。
飛び交う方言を聞いていたら、いにしえの昔へタイムスリップ。
島の年寄りは、性根が正直で優しい。
私は島の年寄りが大好きだ。

f1157 死なすぞ!


島で生活してると時々、言葉遣いや表現に、あれれ?、と感じる事がある。
話の中で冗談に、殺すぞ! 、あるいは殺されるぞ!、 という言葉が出てくるはずだ。
島の人の表現では、それは、死なすぞ!、死なされるぞ!、と言う表現になっている。
何んでそんな表現になるのだろうかとよく考えると、殺すぞ!、殺されるぞ!という表現には、頭をブチ割られ、非常に残忍で残酷なシーンが先に浮かぶ。
その点、島の表現では、そのような残忍残酷さは抑えられる。
島の人達がもともと心根が優しい、穏やかであるから、残忍なシーンを連想するその言葉は使い辛いので、自然に言葉が変換されて出てくるのである。
島の人は素晴らしい、とつくづく感じる日々である。
マスコミでは子供が親を、あるいは兄弟、家族を残忍な残酷な殺人報道が多い。
皆さん、夫婦喧嘩、親子や家族喧嘩の中で、知らずに、殺すぞ!とか、殺してやりたい!とか、そのような言葉が日常、ポロリと出ているのではないだろうか。
子供は親の背中を見て育つ、何時の間にか親や周りに、そのような残酷な言葉が飛び交うのを聞き、精神的に残酷なシーンが受け入れられているのではないだろうか。
喧嘩等、興奮してる時に、周りへの配慮は難しいだろうけど、普段から言葉の使い方、表現の仕方に心配りが必要ではないだろうか。
子供は親の背中を見て育つ! 親の言葉を聞いて育つ!
気をつけよう・・・
以前、民宿のヘルパーをしていた27歳前後の女がいた。
父親は公務員だと言う。
南の島へ行った切りで、心配だっただろう。迎えに来た。
今日は子牛のセリで、見に行くと帰ったはずのその子が牧場へ泊り込み、牛飼いをやっていると言う。
親が許さないだろう、と言うと、ミーラ取りがミーラに成ったのか、父親はこんな良い島は無い、とたびたび訪れると言う。
よく聞くと、他にも牧場に泊り込み、牛飼い女が3人もいると言う。
彼女は大学も出ており、丸の内でキラキラ輝くキャリヤウーマンとしても通用する頭脳明晰、牛飼いがそんなに魅力的なのだろうか、訳が分からなくなった。
160頭もの子牛がセリに出され、70万円前後の値が付いていた。
あすは神戸牛か松坂牛か。
子牛と別れる牛飼い女の目に涙、印象的だった。

f1156 強制移住


南端に浮ぶ周囲12キロ、ハート形の黒島には遠い昔、溢れんばかりの人口があり、一大文化圏を形成していたという説がある。
ある説によれば、人口1万人はいたであろうという人もいる。
真意の程は定かでないが、1700年、鳩間島へ60人が強制移住、3年後には更に500人が強制移住させられたという記録が残っている。
その記述が本当ならば、黒島の住人は千人や二千人ではなく、一万人説もおかしくない。
それ以降も石垣島等へかなりの人が強制移住させられたという。
1500年代から600年代にかけて、日本では武士が勢力争いをしていた頃、この島は幸せで豊かに、文化を謳歌した人達がいたと思われる。
島には、特に豪族らしきものは無い、また貨幣なるものも見当たらない。
人々は物々交換、海から獲れる膨大な魚介類、御嶽を中心にお互いの門中が、仲良く生活していたと思われる。
島には墓は有るが、お寺は一軒も無い。法事は自宅で親族同士で行う。御嶽は健康子孫繁栄、豊作祈願の太陽崇拝の場で、親族同士が門徒である。
島には人が溢れ、耕作地を岩の上まで広げたという、その痕跡は今でも残っている。
岩の上に出来る作物など、あるはずがないと思って、古老に聞くと、事もなげに粟なら十分作れるとの事だ。
言われてみれば60年前、島には粟が野生化し、野生のウズラがたくさんいた。
ウズラの卵、仕掛けでウズラを捕らえて食した事を思い出す。
また、御嶽は今でも十数カ所残っている。直径2キロちょっとの島に、本土では考えられない十数カ所の御嶽の跡が残っている。
沖縄本島にある御嶽は、久高島に島々を作った神様が降り立ったという事で、久高島を向き、御嶽信仰が行われているという。
しかし450キロ離れたこの島には、そのような信仰は無関係のようだ。
理解出来ないのは、島の十数カ所の御嶽は、それぞれ方向がバラバラで、統一されていない。こんな小さな島で統一されない疑問、不思議である。
御嶽は本土でいうお寺みたいな存在だが2キロ前後の空間に、これ程のお寺なり、御嶽があるような地区はないだろう。
この島を調べていくと、不思議な事だらけだ。

1155 北海道のおばちゃん


島の民宿では夕食後、泡盛がただで振舞われる。
中庭の大きなテーブルで、星空を眺めながら、お互い自己紹介をし観光客は談笑。
ふらりとその輪の中へ入っていくと、島の人だという事で話を聞きたく、周りに集まってくる。
北海道から来たという、60歳過ぎのおばちゃんが、早速、隣へ割り込んできた。
きれいな星空、空気がおいしい、生まれて初めての体験だと、かなりハイになっている。
こんな素晴らしい島で生活出来たらいい。なんとか移住したいので、土地を譲ってくれる人はいないか、との相談だ。
出来ない事はないと言うと積極的に色々な質問をしてきた。
話の内容から、かなり融通の利かない教員か公務員上がりのガチガチな堅物の類、箱入りババーだ。
こんな人に土地を分ければ、住民と間違いなく争いを起こす。
島の人達はテーゲーグワーで、いい加減と言うかあまり小さな事にはこだわらず、のんびり生活をしている。
島人と争いをお越し、後々嫌な思いをするので、この人の相談にだけは乗らないようにしようと心に決めていた。
その内、ひょんな質問をしてきた。
この島に、蜘蛛はいるのですか?・・
はぁー? と思わず聞き返す。
蜘蛛はいっぱいいるし、毒は持ってないが森へ行くと大きなやつもいるよ、と言うと、ギヤアーと血相変えた。
蜘蛛は嫌いどころか糸が体に触れただけで蕁麻疹が出来ると言う。
民宿のベランダでも糸を張っているし、島を散策すると間違いなく糸に触れるよ、と言うと顔面蒼白、わざと嫌がる事を言って脅かしているのではないかと、毛嫌いするというか嫌悪感あらわに出し、睨み付けている。
芯から蜘蛛が嫌いで、アレルギーのようだ。
隣にいるのも嫌になっただろうか、席を移していった。
その話を聞いていた他の観光客が、そのおばちゃんを説得。
日本全国蜘蛛のいない所はない。あなたは、まかり間違っても田舎暮しなど、考えないほうがいいと言われ、渋々納得したようだ。
このおばちゃん、島で連泊するつもりだったらしいが、翌日、早々に引き払ったと言う。
次は西表島観光だと言っていた。あの島は、毒はないが、大きな蜘蛛がもっといっぱいいる。
デッカイ蜘蛛が首に貼り付き、アワを吹き吹き、失神する姿、目に目えるわ・・
その人は北海道だと言う。
おーい北海道〜  蜘蛛いないか??

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