島で生活してると時々、言葉遣いや表現に、あれれ?、と感じる事がある。
話の中で冗談に、殺すぞ! 、あるいは殺されるぞ!、 という言葉が出てくるはずだ。
島の人の表現では、それは、死なすぞ!、死なされるぞ!、と言う表現になっている。
何んでそんな表現になるのだろうかとよく考えると、殺すぞ!、殺されるぞ!という表現には、頭をブチ割られ、非常に残忍で残酷なシーンが先に浮かぶ。
その点、島の表現では、そのような残忍残酷さは抑えられる。
島の人達がもともと心根が優しい、穏やかであるから、残忍なシーンを連想するその言葉は使い辛いので、自然に言葉が変換されて出てくるのである。
島の人は素晴らしい、とつくづく感じる日々である。
マスコミでは子供が親を、あるいは兄弟、家族を残忍な残酷な殺人報道が多い。
皆さん、夫婦喧嘩、親子や家族喧嘩の中で、知らずに、殺すぞ!とか、殺してやりたい!とか、そのような言葉が日常、ポロリと出ているのではないだろうか。
子供は親の背中を見て育つ、何時の間にか親や周りに、そのような残酷な言葉が飛び交うのを聞き、精神的に残酷なシーンが受け入れられているのではないだろうか。
喧嘩等、興奮してる時に、周りへの配慮は難しいだろうけど、普段から言葉の使い方、表現の仕方に心配りが必要ではないだろうか。
子供は親の背中を見て育つ! 親の言葉を聞いて育つ!
気をつけよう・・・
以前、民宿のヘルパーをしていた27歳前後の女がいた。
父親は公務員だと言う。
南の島へ行った切りで、心配だっただろう。迎えに来た。
今日は子牛のセリで、見に行くと帰ったはずのその子が牧場へ泊り込み、牛飼いをやっていると言う。
親が許さないだろう、と言うと、ミーラ取りがミーラに成ったのか、父親はこんな良い島は無い、とたびたび訪れると言う。
よく聞くと、他にも牧場に泊り込み、牛飼い女が3人もいると言う。
彼女は大学も出ており、丸の内でキラキラ輝くキャリヤウーマンとしても通用する頭脳明晰、牛飼いがそんなに魅力的なのだろうか、訳が分からなくなった。
160頭もの子牛がセリに出され、70万円前後の値が付いていた。
あすは神戸牛か松坂牛か。
子牛と別れる牛飼い女の目に涙、印象的だった。
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