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2015年10月17日

地球市民新聞・004号・悩み・苦しみの「問題」はあなたを殺しはしません。



・心のプレーゼンテーション・人間寺




朝の詩


水戸市


堀口美園さん12歳の詩


布団



お母さんは

毛布にはさまれて

あたたかくねている

わたしも

布団と布団に

サンドイッチされて

サンドイッチの

ハムや玉子やレタスの

気分でねている


本日の心のコレクション

京都桜散歩道Vol.1 鴨川→哲学の道


京都のサクラを見てきました。ぶらり花見散策気分で鴨川から祇園をぬけてイ-ンクラインへ、
南禅寺に入り最後は哲学の道を歩いてきました。




さて本日も心のプレゼンをはじめましょう。

心のきれいな生活を送る方法

菩薩行道 以下の記事に付いて

固定観念と固定概念からの自立


[心の使い分け]

【1】「客観的」は、第三者の視点に立って物事に対して自分を見ること。

【2】「主観的」は、自分だけの視点に立って物事を見ること。

述べているのが解脱つまり御本人が元もと持っている 本当の自分の心を理解する意味です。


菩薩行道

心を強くする言葉


試練に打ち克つには
 あなたが遇った試練で世の常でないもはない。

つまり、死ななければならぬほどの問題はこの世にはないということです。 

悩み・苦しみの「問題」はあなたを殺しはしません。

その問題を考えるあなたが「死」の力に負けるのです。

そこで、あなたの魂細胞を心細胞が見守っている構図を思い浮かべてみましよう。

魂である脳細胞は人間コンピュータです。

記憶・演算・分析機能は心細胞の指令によって動いているということです。

胃が空腹を訴え、手足がトゲの痛みを訴えるのは魂細胞です。

「愛してあげなさい」との指令は、心細胞が発するものです。

したがって「問題」の苦しみも、魂が心配の一人スモウをしているのであって、
心細胞はそれに関わっていません。

つまり、もうひとりの「あなた」が勝手に思い悩んでいるのです。

脳を見つめるもう一つの脳、それが心であり本当のあなたなのです

【心にとどいたならばココをクリック。】



菩薩行道
素直な心を養うための実践

第11条 つよく願う


素直な心を養うためには、まず素直な心になりたいというつよい願いをもち続けることが必要である

お互いが素直な心を養おうとする場合には、やはりなんといってもまずはじめに、素直な心になりたい、というつよい願いをもつことが必要だと思います。

もちろん、素直な心になればなかなかよさそうだから、素直な心になれればいいなあ、と思うけれでも、少しは素直な心に近づくかもしれません。けれども、やはりその程度では十分に素直な心を高めていくことはむつかしいでしょう。

やはり何事においても、よりよきものを生み出そうとか、事をなそうといった場合には、そこにそれなりの志というものをしっかりもって、つよく願い、のぞむことが必要だと思います。

一枚の絵を描くにしても、まあ適当に描けばそれでよいなどと考えていたのでは、ある程度のものはできても、それほどすぐれた作品は生まれないでしょう。

それに対して、自分は一生のうちでも最高の作品を描き上げるのだ、ぜひ快心の作をものにしたい、といったつよい願いをもっていたならば、やはりそれにふさわしいものが生まれてきやすいでしょう。

もちろん、つよい願いをもつといっても、心の中にそういうものをもっておりさえすればよい、それでよい結果が自然に生まれてくる、というわけにはいかないだろうと思います。

やはりつよい願いを心にもったならば、それは実際に自分の態度や行動となってあらわれてくると思います。

いいかえれば、その願いを実現するために身も心もそれに打ち込むようになってくると思うのです。

だから、会心の作をものにしたいと願うのであれば、たとえば自分の腕を徹底的に磨き直すというようなこともするでしょう。

また、他の多くのすぐれた作品を見て真剣に学ぶことにもつとめるでしょう。

そして自分なりに日夜いろいろと構想をねったり、さまざまな工夫をこらしたりもするでしょう。

さらには、雑念をはなれるとか、いわば寝食を忘れて作品の製作に没頭するというような真剣な態度も出てくるのではないかと思います。

そういう打ち込んだ態度を保っていくところから、はじめて魂のこもった立派な作品も実際に生まれてくるのではないでしょうか。

こういうことは、単に絵を描く場合だけに限らず、他の多くの場合にもあてはまるのではないかと思いますが、お互いが素直な心になろうとする場合においても、やはりまず素直な心になりたい、というつよい願いをもつことからはじめなければならないと思うのです。

もちろん、そういうつよい願いというものは、はじめの一時期だけもっていればいいというものではありません。

つまり、一度だけつよく願ったから、あとはひとりでに素直な心に近づいていく、というわけではないと思います。

やはりつねにというか、たえずというか忘れることなくその願いをもちつづけてゆくことが必要だと思います。

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仏陀真理のことば

第十一章老いること
第11章は人生における「真理の法」について語っています。


人生しかり、すべてのものは無常です。

絶えず移り変わり変化しており、変わらぬものはありません。

今日は笑っていられても、明日も快楽があるとは保証されません。

一日一瞬たりとも自らの命を大切にし、充実して生きて行かなくてはなりません。


無常と言う火に追いまくられている自分を自覚してみれば、快楽を求めて笑って過ごしていられるものではないのです。

それなのに、多くの人はそのことに気がつかず、また気づこうともしていないのです。

仏陀は心底そう思い、心配し、皆に語りかけていると思います。

私たち多くの凡人をみて、その全く自覚のない奔放な生活ぶりを見て、心のそこから、思われたに違いありません。

無常の火に追いかけられていることになぜ気がつかないのだ、なぜ充実感を得た生活をしようとしないのだと心配されたのです。

仏陀の心配を少しでも受け止めて、真理の法を得なくてはならないと思います。

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「思考についての考察」 〜悩む人間、悩みのない人間〜

人間が他の生きものに比して決定的に差があると思っていることは“考える”ということだと人間自らが認めようとしています。

動物も考えてはいると思うのですが、人間は思考することにプライドすらを持っているようです。 

しかもこの“考える”ことや思考に伴う、あるいは思考の結果に表れる行動について自由性があるというのもまた人間の特権であるような錯覚を持っている人も多くいます。

人間の思考や行動はほんとうに自由があるのでしょうか。 

たしかに、私たちにこの“考える”習性がなければ人間は今日のような発展もなければ、社会秩序 も作れなかったに違いありません。 

人間がこの五、六千年のあいだに築いてきた文明はこの人間だけが持つ考える機能の結果です。 

科学、文学、技術などす べてが思考の産物ですし、そうした人間の思考に執着しそれを研磨していこうとする情熱も分からないではありません。

しかし、幸福をもたらすための思考が実は災難も生みだしている事実を忘れてはいけません。 思考もいろいろです。 

合理的、具体的、実践的を目的 としたどちらかと言えば理工系の思考形態から生まれる農学、工学、医学、科学等は、人間の生き方を豊かにする点において多大な貢献をしていますが、それが 個人の利益の追究や単なる研究のための研究、つまり学問の楽しみだけを目的とした場合は危険な結果につながってしまいます。

 もう一方が、芸術などに代表 される人文科学系の思考法です。 絵画にしても文学にしても芸術は、鑑賞する側の感情と感覚を刺激するものですから、いくら芸術家が自由奔放にといっても 人間の感覚や感情の法則に則(のっと)った上に成りたつものですから純粋に自由性というわけにはいきません。 

芸術家はその制作途上において感覚と感情に訴えるという手段を用いなければ自身の芸術的表現が完結しないという法則に拘束されてしまうのです。

ところで人間がものを考えるときいったい何を基準にしているのでしょう。

 美しいと思ったり、可愛いと感じたり、憎いと恨(うら)んだり、嫌な奴と疎(うと)ん じるのは何故なのでしょう。 

しかもそれが人それぞれ皆価値観が違ってしまうのは何故でしょう。 

美しいものはだれが見ても美しいものでしょうか。 

とす れば一人の美人を何万、何百万という男たちが追うはずです。 

そうはなりませんね。

まりそれは人間がそれぞれこれまで生きてきた経験によって取捨選択 し蓄(たくわ)えられた潜在意識を土台にいろなことを考えて生きる動 物だからなのです。 

つまり人間は思考の自由性もなく行動においても潜在意識に支配されている以上、その行動の自由性もまた失われているのです。

 しかし 観念の支配下にあっても妄想なり夢想なりあるいは純粋思考が、実行を伴わない、つまり自分一人の想念の世界だけに終始しているなら自由で、だれに迷惑を掛 けるわけでなし構わないじゃないかという人がいます。

 一見無害に思えるこの意見ですが、忘れてならないのは人間は思考によって、その行動と社会性を発生 させている事実です。 

ですから一人だけで考えていても、無人島で一人で暮らしているのでないかぎり社会との何かの接点があるはずですから、例え妄想と言 えども自己管理の責任は生じるのです。

ところで、妄想にも幾つかの種類があります。 

一つは実際より自分を高く評価して妄想すること。 

これはほんの少々高くするくらいでしたらかえって自分 のレベルアップの効果もあるでしょうが、

自分を律っせなくなると現実から逸脱した自分を作ってしまいます。

また自分をちょっと卑下したネガティブな妄想 の場合は高慢的にならないようにも思えますが、

これも自分を律しないと自分本来の実力が低下していってしまいます。 

ですからこうした妄想は止めるべきで す。

我々はあくまで自分のことをありのままに見るべきなのです。

また私たちは、自分のこれまでの体験を振りかえって反省したり、いい思い出に浸ったりすることがあります。 

その場合、自分の過去の過ち、犯罪、 悪行、失敗等のマイナスイメージばかりを思いだす人と、成功、善行為などのいわゆるプラスイメージを思いだす人に分けられます。 

これはどちらにしても過 去の出来事を思いだすわけですから妄想ということではありませんが、それでもマイナスの暗いイメージを追う人はかなり悩み苦しむものです。

 こうした感情 は、これから先の生き方にも悪い影響を与え、心の成長を大きくスポイルしてしまう原因を作りだしていきます。 

逆に、成功や善行為を思いだす人は、その度 に喜びが湧いてきて、自分というものに自信が持てさらには生きる喜びが湧いてきます。 生きることに幸福感を抱くのです。 

過去をネガティブに捉えるとす ぐに妄想の部分へと移行し、心にもっとも悪い作用を起こす危険がありますし、人間の思考や行動の自由性を悪いほうへ、悪いほうへと束縛する原因となります から、すぐ止めるべきです。

過去に悩まないためにはどうするか? 


それは悪かったこと、間違っていたこと、邪(よこしま)だっ たことを心のなかで認めてしまえばいいのです。 

人間はどこか自分が可愛く、傷つきたくないものですから反省したり、後悔することによって自分を慰めてい るのです。 

これではいつまで経っても過去を忘れることは出来ません。

 
認めてしまえば、それでおしまいです。 

そういうふうにして過去に悩まず、誤ちを 改めれば、もうネガティブに悩むことはありません。 

ポジティブな方向へ考えることは幸福の扉を開く道です。

しかし、よく考てください。どんな高邁な思考であろうと賞賛すべき行動であろうとそれは人間の生きたいという執着から発生しているのではありませんか。

そう考えていくと人間には考えたり行動するときの自由は果してほんとにあるのでしょうか!?

● 幸福をもたらす考え方のポイント 

• 合理的、実践的、知識に値するもの等を考えるとき、それが自分そして社会の幸福になるか。

• 妄想は自由な思考のように思えるが、実は人間にとって何の役にも立たない思考の浪費です。

• 自分の過去の実績や善行為は進んで思いだし、評価し、それによって心の満足感を得て、未来の設計へと役立てるべきです。

• 実績を思いだすときも妄想に結びつかないようにし、誤ちの念も明るいほうへと導きましょう。

明日の記事まで考えて見ましょう。

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宗教なんて大っ嫌いな人へ

十一、大自然に学ぶ


大自然は、人間に生き方を教えています。太陽を中心に、その周りを回っている惑星たち。

それを取り巻く大宇宙。

全ては規則正しく動き、見事な調和を保っています。また、地球上では光、水、空気などの絶妙なバランスによって、さまざまな生物たちが生かされ、生物たちもお互いにその存在に意味を持ちながら、調和の中に生活しています。

そして、人間にとっても生きていく上で最も大切なのは、この調和を乱さず、自然の中に他の生物=動物、植物たちと共存していくことです。

しかし、実際はどうでしょう。万物の霊長であるはずの人間は生物のリーダーシップをとっていく立場にあるにも拘らず、自らの利益や欲望だけを追い求めた結果、地球を、自分たちの生存すらも危ぶまれるような星にしてしまいました。

3次元的なものにばかりとらわれ、自分さえよければいいという考えが、他の生物のはかり知れない犠牲を生み、地球を破滅に導くことになったのです。

これはどこの国が悪いとか、どこの企業が悪いとかいう問題ではありません。人のせいにして済むことではないのです。

今こそひとりひとりが心から反省すべきことなのです。

もう手遅れなのかもしれません。

しかし、宗教的に考えれば、手遅れであればなおさら、この失敗をあの世までひきずらないよう反省し、地球を救うためにひとりひとりができる限りの努力をすべきでしょう。

それが、人間の進歩・発展と称して犠牲にしてきた動物、植物たちへのせめてもの供養になると思います。

つづく

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(ミトラ教の秘数学)
なぜ四国八十八か所なのか(別の目線で見た宗教)
日本のミトラ教の謎(ゼウスと空海をつなぐ謎の線)+空海と聖徳太子の謎



『......密教法具とは密教で使われる、金剛杵や金剛鈴、前具などの仏具の総称で-す。

金剛杵には3つの形があり、両端がひとつの突起になったものを独鈷杵とっこしょ、三股-のものを三鈷杵さんこしょ、五股のものを五鈷杵ごこしょといいます。

独鈷杵は金剛杵の基本形で、五鈷杵は最も重要視される法具です。

弘法大師が唐から持ち帰り生涯大切にし、祈祷のとき必ず手にしていたのが五鈷杵です。

どの金剛杵も、魔をうち砕く力を秘め、困難や煩悩を振り払う法具として用いられ、身近-にあるだけで、
厄除け・災難除けになるといわれます。

 金剛杵は本来古代インドの武器で、密教では煩悩を打ち砕く意味で用いられる。この独鈷-杵は把に比して鈷部が大振りで、鬼目(きもく)が大きく、蓮把を三紐の約条で締める。-蓮弁の反りが強く、鈷の匙面も深い』
(以上、ウィキペディア百科事典)。

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いつも不幸せな人々の「7つの習慣」

私は、幸福についてしばしば教えているのですが、その中で実にはっきりしてきたことがあります。それは、いつも不幸せな人々は7つの特徴を持っているということです。

アメリカの心理学の専門誌「サイコロジー・トゥディ」によると、カリフォルニア大学の研究員のソニア・リュボミアスキーはこう述べています。「私たちが幸福になれるかどうかの40%は、私たち自身が変われるかどうかの能力にかかっています」。

これが真実なのだとしたら、私たちにも希望があります。地球上には数十億の人々がいて、その中には本当に幸せな人もいます。

そして、残りの人々は、その日によって幸福と不幸の間を行ったり来たりして繰り返しています。

長年にわたって、私はいつも不幸せでいる人々が、ある特徴と習慣を持っていることを学びました。

しかし、そのことについてあなたと考えてみる前に、次のことはあらかじめ申し上げておかなければいけません。私たちすべてがこの7つにあてはまり、ひどい日も、さらには数週間にわたるひどい時期も経験することがあるのです。

幸福な人生と不幸せな人生との間にある違いは、どれほどの頻度で、そして、どれぐらい長く、その状態にいるかどうかなのです。

ここに、いつも不幸せな人々の7つの習慣をご紹介します。


1.人生は厳しいものだと信じている

幸せな人々は、人生をワクワクしながら生きるのか、あるいは、被害者意識を持って生きるのかによって、人生の困難さに違いが出ることを分かっています。

幸せな人々は、混乱した状態にあっても自分を見失うことはありません。

そして、出来る限り早くその状態から脱することに意識を集中させるのです。

環境に不満を言うのではなく、問題を解決することへの忍耐強さは幸せな人の特徴です。

不幸せな人々は、自分自身を人生の犠牲者だと考えています。

そして、「自分の身に何が起きたか」を傍観する姿勢をとり続けています。

そうした状況から抜け出す道筋を見つけ出そうとはしないのです。

2.ほとんどの人間を信用できないと思っている。

物事に対する正しい認識を持つことが大切なのは言うまでもないでしょう。

それにしてもほとんどの幸せな人々は彼らの周りの人を信用しています。

人々の中の善なる部分を信じるのです。

だれも善意など持っていないなどとは考えないのです。

出会う人々に対して常にオープンで親しみやすい態度で接し、自分を取り巻くコミュニティーを育む気持ちを持ち、新しい出会いに心を開いています。

不幸せな人々は出会った人を信用しません。

そして、見知らぬ人は信用できないと考えているのです。

不幸にもこうした態度は少しずつ外部とつながるドアを閉じてしまいます。

そして、新しい友人と出会うチャンスを台無しにしてしまうのです。

3.世の中の正しいことより間違っていることの方ばかり考えている。

この世には正しくないことがたくさんあります。

そのことに異論はありません。

それにしても不幸せな人々は世の中の正しいことには目もくれず、その代わりに、正しくないことに意識を集中させているのです。

そういう人々はよくいるものです。

世の中のポジティブな面に対し、「そうだね、だけどさ」などと必ず不満をもって答える人々のことです。

幸福な人々は地球規模の問題に目を向ける一方で、何が正しいのかをきちんと判断し、バランスを取ろうとしています。

私はこうしたオープンな目を開かせた、両方の視点を保つことが大切だと思います。

不幸せな人々は正しくないことのせいで、自分が被害を受けるのではないかという恐れから、素晴らしいことに向けるべき片方の視点を閉ざしてしまいがちです。

幸せな人々はその視点を保っています。

私たちの世界は問題を含んでいると知りながら、何が正しいのかを見る目も持ち続けているのです。

4.自分を他人と比べて嫉妬心を持っている。

不幸せな人々は、他人の幸運が自分の持ち物から奪い去られるものと信じています。

彼らは世の中に十分に行き渡るだけの善良さが存在しないと信じています。

そして、自分のものと他人のものをいつも比べているのです。

こうした態度は嫉妬と憤りを生んでしまうのです。

幸せな人々からみれば、あなたの幸運や、良い状況は、彼らもまた大きな希望を達成出来るという兆しになっていることを知っています。

幸せな人々は、自分たちそれぞれにこの地球上の誰からも盗んだり真似したりされることのない、独自の人生の青写真を持っていると考えています。彼らは無限の可能性を信じています。

誰かの幸運が自分たちの人生の可能性を阻害するなどという考えにとらわれることなどありません。

5.自分の人生を支配しようと奮闘する。

私たちの目標を達成するために努力することと、物事を支配しようとすることは違います。

幸せな人々は目標を達成するために、日々階段を上ります。

そして、最後に気がつくのです。

自分の人生を自らコントロールできる部分など本当に少ししかないと。

不幸な人々はすべての結果を事細かに管理して、支配しようとしがちです。

そして、結局は自らの計画に人生がつらい仕打ちをして、劇的な出来事の前に打ち砕かれるのです。

幸せな人々は、人生が変化球を投げて向かってきたとしても、集中を保ち、流れとともに生きる能力を持ち続けます。

決して気持ちが萎えてしまうことはありません。

ここで大切なことは、目標志向で、しかも集中していて、それでいて、ひどい出来事が起きても気持ちを打ち砕かれたりしないだけのゆとりを持っているということです。

自分が思っていた最良の計画が思い通りに進まなかった時などにこれは大切です。流れに従うとは、幸せな人々にとってはプランBを持っているということなのです。


6.未来は不安と恐怖に満ちていると考えている。

両方の耳の間には、とても大きな借り物のスペースがあるのです。

不幸せな人々は物事が上手くいくより、悪い方へ進むという考えでこのスペースをいっぱいにしてしまいます。

幸せな人々も、恐ろしいことや不安な出来事を経験します。

しかし、それを感じることと、実際に経験することとの違いをはっきりさせます。

恐怖や不安が心を横切ると、幸せな人々はそうした恐怖や不安が現実に起きるのを防ぐために自分ができる手立てはないかと自分自身に問いかけ(ここにもまた自分の人生に対する責任感が存在します) 、

そして、行動します。

もしそうしなければ恐怖の渦に巻き込まれ、現実になってしまうでしょう。

7.噂話や悪口ばかり話している。

不幸せな人々は過去に生きるのが好きなのです。自分の身に何が起こったか、人生の厳しさばかりが、彼らの話題の中心です。

何も話すことがなければ、他人の生き方や噂話に頼ります。

幸せな人々は、今と、未来への夢の中で生きています。

あなたもそうした人々の前向きな雰囲気が部屋の向こうから伝わってくるのを感じることができるでしょう。

彼らは自分たちが取り組み、感謝し、彼らが持つ人生の可能性について夢見ていることにいつもワクワクしながら生活しています。

私たちの誰もが完璧でないことは言うまでもありません。

私たちの誰もが一度はつらく悲しい状況にどっぷりと浸かってしまうものです。

しかし、問題はどのくらいの間そこにとどまってしまうかです。

どれだけ早くそこから抜け出すために頑張れるかなのです。

日々前向きに行動する習慣は、幸せな人々と、不幸せな人々とを隔てるものです。

全てを完璧に行うということではありません。

前進し、つまずき、もう一度立ち上がる。その繰り返しです。

もう一度立ち上がるということにこそ、違いがあるのです。



CM
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つづきは>>>こちら>>https://fanblogs.jp/ax939ujpyvg6/archive/99/0?1442977861





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