2015年05月23日
プロフィール1(学生時代)
子どもの頃は、おとなしかったです。
教師をしているというと、みんなが驚きます。
私自身も驚いていますが、楽しいだけでやってきたかもしれません。
おとなしかったからこそ、自分自身をどんどん変えてきたのかもしれません。
自分の成長を楽しめたのかもしれません。
高校生までは、親の言う通りに、近くの高校に行き、就職して結婚という敷かれたレールの上を歩いていました。
今思い返すと、高校1年生の冬、友だちが間違って誘った補習に行ったことから、人生が変わりました。
分からない子がいく補習だと思って、お付き合いで行った補習が進学補習でした。
そこで、数学の先生にすすめられ、補習を受けていると、すぐに真ん中当たりの200番前後だった成績が、上位10位以内に入ってしまったのです。
進学率の悪い普通科で、先生が力を入れようとしていたところなので、数学だけでなく、受験に必要な教科を教えてもらい、毎日、特別教室を用意してもらって、数人で勉強をすることになりました。
女の子に学問はいらんという父の考えでしたが、塾に行く事もないので、親に迷惑をかけずに、進学するための勉強が始まりました。
いくら勉強してもその高校からは大学に行けるはずがないと、受験を許してもらい、大学に合格しました。
それまで、虚弱体質で、病気がちだったのですが、片道3時間近くかけて大学に通うことになりました。
最初は、朝5時半に家を出て、帰ってきたら夜7時でバテバテ。
弱音をはいて、前期が終わったら大学を辞めると言ってたのですが、夏休みに無理矢理 父に決められたバイトに行ったのをきっかけに変わりました。
プールの受付だったのですが、体育会系の男性ばかりの職場で、運動音痴で、おとなしかった私が、スポーツ大好きな活発な、好奇心旺盛な性格が開花しました。
結局、大学も辞めず、1回生の後期からは、苦手だった派手なグループに入り、大学生活も一変しました。
通学に1日の4分の1を費やし、帰ってきたら、毎日、家庭教師をし、土日は、プールのある運動公園で受付のバイトをするというハードな生活をしました。
体が弱いし、バイトもどうせ休むやろと親は思っていたようですが、本当に元気になりました。
つきものが落ちたかのように、もともと持っていた好奇心旺盛なところがでました。
体が弱い、運動はできないと言って育てられてきて、自分でもそう思いこんでいたのですが、サークルには入ってなかったけど、バイト先で、テニス、ボーリング、卓球、グランドゴルフなどを教えてもらったら、すぐにうまくなり、今までの人生は何だったのだろう?と思うぐらいです。
この体験も今の教育に生かされています。
思いこんでそうなっていることが多いということです。
スキーは、大学の友人でインストラクターしてる子が多かったので、教えてもらってかなり上達しました。
というわけで、教育学部には行くけど、到底無理と思っていた教師になることになりました。
教師をしているというと、みんなが驚きます。
私自身も驚いていますが、楽しいだけでやってきたかもしれません。
おとなしかったからこそ、自分自身をどんどん変えてきたのかもしれません。
自分の成長を楽しめたのかもしれません。
高校生までは、親の言う通りに、近くの高校に行き、就職して結婚という敷かれたレールの上を歩いていました。
今思い返すと、高校1年生の冬、友だちが間違って誘った補習に行ったことから、人生が変わりました。
分からない子がいく補習だと思って、お付き合いで行った補習が進学補習でした。
そこで、数学の先生にすすめられ、補習を受けていると、すぐに真ん中当たりの200番前後だった成績が、上位10位以内に入ってしまったのです。
進学率の悪い普通科で、先生が力を入れようとしていたところなので、数学だけでなく、受験に必要な教科を教えてもらい、毎日、特別教室を用意してもらって、数人で勉強をすることになりました。
女の子に学問はいらんという父の考えでしたが、塾に行く事もないので、親に迷惑をかけずに、進学するための勉強が始まりました。
いくら勉強してもその高校からは大学に行けるはずがないと、受験を許してもらい、大学に合格しました。
それまで、虚弱体質で、病気がちだったのですが、片道3時間近くかけて大学に通うことになりました。
最初は、朝5時半に家を出て、帰ってきたら夜7時でバテバテ。
弱音をはいて、前期が終わったら大学を辞めると言ってたのですが、夏休みに無理矢理 父に決められたバイトに行ったのをきっかけに変わりました。
プールの受付だったのですが、体育会系の男性ばかりの職場で、運動音痴で、おとなしかった私が、スポーツ大好きな活発な、好奇心旺盛な性格が開花しました。
結局、大学も辞めず、1回生の後期からは、苦手だった派手なグループに入り、大学生活も一変しました。
通学に1日の4分の1を費やし、帰ってきたら、毎日、家庭教師をし、土日は、プールのある運動公園で受付のバイトをするというハードな生活をしました。
体が弱いし、バイトもどうせ休むやろと親は思っていたようですが、本当に元気になりました。
つきものが落ちたかのように、もともと持っていた好奇心旺盛なところがでました。
体が弱い、運動はできないと言って育てられてきて、自分でもそう思いこんでいたのですが、サークルには入ってなかったけど、バイト先で、テニス、ボーリング、卓球、グランドゴルフなどを教えてもらったら、すぐにうまくなり、今までの人生は何だったのだろう?と思うぐらいです。
この体験も今の教育に生かされています。
思いこんでそうなっていることが多いということです。
スキーは、大学の友人でインストラクターしてる子が多かったので、教えてもらってかなり上達しました。
というわけで、教育学部には行くけど、到底無理と思っていた教師になることになりました。
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