2024年02月13日
ハインリッヒ・ベルの「旅人よ、汝スパ…にいたりなば」で執筆脳を考える2
2 時代の背景
世界大戦後のドイツ文学の特徴は、戦争体験の告白と廃墟からの原点を探究することであった。ハインリッヒ・ベル(1917−1985)の作品は、前者に属し、ドイツ庶民の戦争体験や戦後の苦悩及び困難を一枚の絵のように提示している。ベルは、1917年12月、ケルンに生まれた。
ベルの父は、国民軍の兵士として橋の見張りをした。戦争を呪っていた。父方の祖先は、カトリック教徒で英国から亡命し、しばらく船大工をしてから田舎で家具職人になった。母方の祖先は農夫で、浪費が激しく貧しかった。 ハインリッヒ・ベルの回想は、ヒンデンブルクの並木道、ライン川の橋での隊列、父の工場のにわかのにおい、通りにあったゲルマンの名前トイトブルク、エブローネン、釜土を愛した母の頭振りなどで、ライン川を離れて暮らすことはなかった。父の仕事は当たった。1兆マルクにもなり、ベルは、棒のキャンディーを食べることができた。
数年後、同窓の仲間が休み時間に食料を求めてきた。彼らの父親は、失業したからだ。自転車で学校へ行くとき、不安、ストライキ、赤旗で満たされたケルンの街を目にした。数年後、失業者は、就職し、警官、軍人、死刑執行人、軍需産業の仕事をした。強制収容所に残った者もいる。有罪判決を受けた人たちにとって苦痛は総じて大き過ぎた。災いを解読しようと試みたが、公式は見つからない。ことばが後から見つかるからである。
花村嘉英(2005)「ハインリッヒ・ベルの『旅人よ、汝スパ…にいたりなば』で執筆脳を考える」より
世界大戦後のドイツ文学の特徴は、戦争体験の告白と廃墟からの原点を探究することであった。ハインリッヒ・ベル(1917−1985)の作品は、前者に属し、ドイツ庶民の戦争体験や戦後の苦悩及び困難を一枚の絵のように提示している。ベルは、1917年12月、ケルンに生まれた。
ベルの父は、国民軍の兵士として橋の見張りをした。戦争を呪っていた。父方の祖先は、カトリック教徒で英国から亡命し、しばらく船大工をしてから田舎で家具職人になった。母方の祖先は農夫で、浪費が激しく貧しかった。 ハインリッヒ・ベルの回想は、ヒンデンブルクの並木道、ライン川の橋での隊列、父の工場のにわかのにおい、通りにあったゲルマンの名前トイトブルク、エブローネン、釜土を愛した母の頭振りなどで、ライン川を離れて暮らすことはなかった。父の仕事は当たった。1兆マルクにもなり、ベルは、棒のキャンディーを食べることができた。
数年後、同窓の仲間が休み時間に食料を求めてきた。彼らの父親は、失業したからだ。自転車で学校へ行くとき、不安、ストライキ、赤旗で満たされたケルンの街を目にした。数年後、失業者は、就職し、警官、軍人、死刑執行人、軍需産業の仕事をした。強制収容所に残った者もいる。有罪判決を受けた人たちにとって苦痛は総じて大き過ぎた。災いを解読しようと試みたが、公式は見つからない。ことばが後から見つかるからである。
花村嘉英(2005)「ハインリッヒ・ベルの『旅人よ、汝スパ…にいたりなば』で執筆脳を考える」より
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