2020年09月21日
田山花袋の「蒲団」で執筆脳を考える2
2 Lの分析
田山花袋(1871−1930)は、島崎藤村(1878−1923)と並ぶ日本の自然主義文学のリーダーであるとともに、写実主義の尾崎紅葉(1867−1903)が設立した硯友社にも近かった。主観を加えず、客観も強くなく、平面描写論によりありのままを描いた。「蒲団」(1907)の中では、正しい信頼に値すると評されていても、一方で、酒を飲み便所に寝転がり、女の残した夜具に顔を埋めることもある人物を描いた。
福田(2011)によると、花袋は、こうした人生の発見を読みあさった外国文学の中に見出せることを希望した。こうした好奇心は、外に向かっていた感受性の強い明治の青年が持つ新鮮みをもたらし、徹底した告白が読者に衝撃を与え、自然主義運動の方向性を決めた。
そこで「蒲団」の購読脳を「一元性と人生の発見」にし、執筆脳を「情報公開と照合」にする。さらに、双方の脳の活動をマージした場合のシナジーのメタファーは、「田山花袋と現実性」にする。
花村嘉英(2020)「田山花袋の『蒲団』の執筆脳について」より
田山花袋(1871−1930)は、島崎藤村(1878−1923)と並ぶ日本の自然主義文学のリーダーであるとともに、写実主義の尾崎紅葉(1867−1903)が設立した硯友社にも近かった。主観を加えず、客観も強くなく、平面描写論によりありのままを描いた。「蒲団」(1907)の中では、正しい信頼に値すると評されていても、一方で、酒を飲み便所に寝転がり、女の残した夜具に顔を埋めることもある人物を描いた。
福田(2011)によると、花袋は、こうした人生の発見を読みあさった外国文学の中に見出せることを希望した。こうした好奇心は、外に向かっていた感受性の強い明治の青年が持つ新鮮みをもたらし、徹底した告白が読者に衝撃を与え、自然主義運動の方向性を決めた。
そこで「蒲団」の購読脳を「一元性と人生の発見」にし、執筆脳を「情報公開と照合」にする。さらに、双方の脳の活動をマージした場合のシナジーのメタファーは、「田山花袋と現実性」にする。
花村嘉英(2020)「田山花袋の『蒲団』の執筆脳について」より
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