2022年01月20日
月見が岡八幡神社
新宿区にある月見が岡八幡神社での旧祭神は月読命・美井乃神・杉井乃神であり、いつからか八幡神となった日本によくあるパターンです
八幡神として祭祀されたのは
品陀和気命(応神天皇)
息長帯比売命(神功皇后)
大雀命(仁徳天皇)
こちらのファミリーです
応神天皇の御子である仁徳天皇、そして息長帯比売命は応神天皇の母です
つまり母系社会を意味するファミリーだと考えられます
その場合「トーテム」の存在が隠されていることが考えられます
それは「足」にあるのかもしれません
応神天皇の父は足仲彦天皇です
さらにその父はヤマトタケルですがタケルの父は景行天皇(大足彦忍代別天皇)です
ヤマトタケルは天皇にはならず、もう一人の景行天皇の御子である成務天皇(稚足彦天皇)ですが、みんな死後の贈名に「足」の諡号がついています
おそらくこれがトーテムに近い存在になると思われます
足がつく名前の神社は意外と各地で見つけられます
これはアシナヅチ・テナヅチから来ているのかもしれません
アシナヅチは古事記にも出てきますが、スサノオがヤマタノオロチを退治する条件としてアシナヅチの娘と結婚して夫婦神となりました
それが氷川神社です
アシナヅチはホツマツタヱではモチコとハヤコを自分の新たな局としており、ハヤコの三つ子の姫 (タケコ・タキコ・タナコ) を、ウサ宮に受け入れています
そこへ追放されたスサノオがたどり着いてヤマタノオロチを退治したという話につながっていると考えられます
熱田神宮に祀られる剣はヤマタノオロチ(ハヤコ)を倒した際に尾から出てきた刀です
今は海の底に沈んでしまいましたので、現在の神剣はレプリカです
このことから熱田神宮と氷川神社のつながりがわかりますね
それがここでは八幡神社につながっているのです
氷川神社と熊野神社はスサノオという点で共通していますが、八幡神社もそういった点では共通しています
それは代々のスサノオがやがて八幡神(応神天皇)となったことを意味しています
さらに面白いことに、トーテムは応神天皇から鳥に変わります
つまり百舌鳥古墳群です
それが応神・仁徳天皇の親子ですから、代々の天皇の系譜における一つの分岐点になっているようです
ここで祭神に注目してください
品陀和気命(応神天皇)
大雀命(仁徳天皇)は鳥の名前ですが、なぜ父親の応神天皇は鳥の名前ではないのでしょう
それは品陀和気命(応神天皇)
和気(ワケ)を強調しているからではないでしょうか
ワケは気比となります
これは伊奢沙和気大神命(イザサワケ)のことです
つまり神功皇后ファミリーとして建内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)が見え隠れするのです
そして建内宿禰の取り次ぎにより応神天皇は「御食(みけ)の魚」が授かりました
天之御中主(国常立大神)やタカオカミ、或いはひとまとめに「水神」は魚を象徴として顕現し、魚を集めて龍宮城を形成しています
そこへ渡す役割としての、めなしかたまの船でもあります
その場合は水神は塩釜神となるのです
塩釜は親子神であり、つまり春日の神となります
その春日の神が笑福稲荷です
そしてこのファミリーは見えない世界では必ず天神とセットになっているので、見える世界でも北野神社(菅原道真公)が祀られているのです
ちなみに見えない世界では菅原道真公は木花咲耶姫の御子神となる山幸彦です
古事記での山幸彦は塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、めなしかたまの小舟に乗り龍宮城に送られたのです
ちなみにその目的は海幸彦の釣り針を探すためでした
また、海幸山幸の母は木花咲耶姫ですから、富士の浅間神社であり、富士山信仰がしっくりきてしまうんです
ところで、八幡神社でのキーポイントはヒメ神が誰かということです
この場合、ヒメ神は息長帯比売命(神功皇后)であり、月見が岡八幡神社の旧祭神に当てはめると、月読命にあたりますね
月読神は山城(背)一円に秦氏によって祀られていた神であり、
その原型は宇佐八幡です
壱岐の月読神社では月夜見命、月弓命、月読命の3柱を祀っていますが、元は秦氏(辛嶋)の祀る神です
他にも宇佐八幡から勧請された神として厳島神社がありますが、いつきの島で祀られていた女神(イチキシマヒメ)ということです
そして宇佐八幡から全国に勧請されるのが正式です
しかし石清水八幡宮には別のヒメ神を祀っているようです
石清水八幡宮は男山八幡宮とも云われ、応神天皇がハチマン神化した頃です
つまり女神とは別の男神が全面に出てきた頃です
それが九世紀であり、それまでは八幡はヤワタと呼ばれていたようです
なので地方にヤワタハチマンのやうなネーミングが誕生することになり、その元をただせば男山であり、石清水八幡神であり、それが清和源氏の神となったのです
これが渡来新羅の血であるということであり、宇佐八幡の族長息長帯比売命(神功皇后)は新羅のヒメ神であり、建内宿禰もそのファミリーだったのです
それでその血が受け継がれた源頼義・義家の東征により、月見が岡八幡神社にも彼ら清和源氏が来たのでしょう
そしていつからか祭神の名前がチェンジされたということですね
かんたんにまとめると、景行天皇はツキヨミ系統の足王となり、皇室の祖神とリンクしていることが考えられるのです
また、ツキヨミは黄泉の世界を主宰する冥界の女主人になります
仏界では月光観世音菩薩となり、救いの舟を遣わします
月はそのまま仏教世界になっていて、日本に百済から経典や仏像が、新羅から道教的な思想や呪術といったものとして伝来してきたのです
そしてやがて日本全国の庚申塔をつくらせたのです
そのルーツになっているのがカヤ、伽耶、加羅と呼ばれる所です
日本人の姓名のナカムラさんはナムカラ(南韓)の人たちだったかもしれません
結果として南加羅の人たちが仏教と共に渡来してきたのではないでしょうか
そして、それからやがて大化の改新につながっていくのです
さて、旧祭神は月読命の他に、美井乃神・杉井乃神とあります
両方とも井乃神です
いの神と言えば十二支の干支の最後ですが、旧暦の10月でもあります
そしてこの時は亥の子の祭があるのです
これは元は日本の西(南)の方からやってきた風習ではないでしょうか
ちょうど神武天皇が九州から東征してきたように、皇族の「井乃神」を祀っていた人達による風習だとすれば、
考えられるのは貴船神社の原初の神である「井の神」です
賀茂の人達がはじめに祀っていた水神、やがて天之御中主として造化三神と名付けられた神様ですね
神武天皇東征の折には、後に薩摩から相模国経由でやってきた豊島氏や渋谷氏の先祖達も合流していたかもしれません
やがて東征して武蔵野の井の頭まで来たとしたら、井の「頭」が大和政権の東端であるとも考えられます
さらに石神井のあたりから広がっていった氷川神社郡もあります
氷川神社ではスサノオとイナダヒメの夫婦神が祀られます
そうした井乃神が夫婦神であり、原型はイザナギ・イザナミです
それが日本全国の道祖神になっていったのではないでしょうか
やがて道祖神は道教化された格義仏教である庚申塔に塗り替えられてしまいますが…
いずれにしてもそれは井乃神であり、原初の水神であり、さらに美井乃神・杉井乃神は美・杉になります
ミスギ
ここまで来るとその奥に三本杉が見えてきませんか?
三杉とくれば
豊島区の三杉稲荷が思い浮かびますが、大鳥神社(ヤマトタケル)とセットなんですね
たしかに、大鳥神社とくればヤマトタケルですから父親は景行天皇(足)であり、やがて応神八幡につながる系譜です
それと三杉稲荷は神紋が杉ですね、3つの杉がトレードマーク!と来たら、
その神紋が示すように奈良の大神神社ではないでしょうか
日本最古の神社ともされます
大和政権の中枢であり
祭神は大物主大神です
御正体は初期の賀茂氏が奉った「井戸の蛇神様」です
またの名を火雷神とも言い、矢の神(ヤワタ)でもあるのです
その火雷神こそが、八幡神の根源的な力になっているのでしょう
厳島神社ではイチキシマヒメとなり、男山の石清水八幡宮ではハチマンとなり、どちらも戦闘神です
それが火雷神であり、後に最澄を比叡山に導いた神(スサノオの後身である大山咋神)だと考えられます
その場合、妻神が稲荷ですから男神である矢の神(八幡神)とホトをつかれる女神(稲荷)がセットになりますので
櫛稲田姫命(稲荷)と八幡神(スサノオ)がセットで展開されている事が、我が国の神道観の一つとして考えられるのです
そして大物主大神は妻神を娶り、やがて皇室の祖となる御子を産んだのです
そこから神武天皇に辿り着くのが我が国の神話であります
ですから美井乃神・杉井乃神は三本杉の夫婦神であり、それがスサノオとイナダヒメに転生しているということでしょう
それで結局、美井乃神・杉井乃神は氷川であるとも考えられるのです
しかし、ちょっと待って下さい、スサノオは氷川だけではありませんよね
忘れてならない熊野神社があるではないですか!
その場合どうでしょう
スサノオとツクヨミだったならば!!
熊野神社そのものではないですか
同じ新宿区に熊野神社がありますが、そこでの祭神は櫛御気野命(くしみけのおおかみ)であり、スサノオなのですが、名前に注目です
櫛は櫛稲田姫命(ヒメ神)
櫛 御気野命
御気野は群馬の上毛に広がる古墳群に眠れる人たちではないでしょうか
つまり毛(気)の(野)人たちであり、大和政権における支配者層であり、南北の武蔵野を治めてきた崇神天皇からの系譜ですね
或いは気比にまつわる都怒我阿羅斯等(ツノがあるヒト)との関わりも考えられます
どちらにせよ、同じ朝鮮半島のコリア族の人たちです
その末裔が五瀬命(朝鮮に残った)や神武天皇(日本に来た)であり、同じコリア族の兄弟です
この人たちは元は母系社会であり、近親姦が当たり前だった時期があったはずです
しかし男性優位な社会となると近親婚は非常識であり、さらに秦の始皇帝が台頭してきたように暴力が優位な社会になり、結果として武器が過剰に発達してしまう世の中となりました
そうした結果、平和であった母系社会のコミュニティはことごとく武器を持った人たちに支配されたのであり
それが「邪馬台国の滅亡」だったのではないでしょうか
話は飛びましたが、月見が岡八幡神社では月読命がイザナミ女神となり、美井乃神・杉井乃神がスサノオと稲荷の夫婦神であり、後から祭祀された八幡神社の祭神が
品陀和気命(応神天皇)
息長帯比売命(神功皇后)
大雀命(仁徳天皇)
これで品陀和気命は応神天皇(イザナギ)で、息長帯比売命はヒメ神(イザナミ)そして
大雀命の仁徳天皇がスサノオと見ることもできます
その場合のスサノオはイザナミ女神とセットになりますから「氷川」又は「熊野」となるわけです
ですから結果的に月見が岡八幡神社は同新宿区の新宿中央公園にある熊野神社の祭神と同じである、と考えることができます
八幡神として祭祀されたのは
品陀和気命(応神天皇)
息長帯比売命(神功皇后)
大雀命(仁徳天皇)
こちらのファミリーです
応神天皇の御子である仁徳天皇、そして息長帯比売命は応神天皇の母です
つまり母系社会を意味するファミリーだと考えられます
その場合「トーテム」の存在が隠されていることが考えられます
それは「足」にあるのかもしれません
応神天皇の父は足仲彦天皇です
さらにその父はヤマトタケルですがタケルの父は景行天皇(大足彦忍代別天皇)です
ヤマトタケルは天皇にはならず、もう一人の景行天皇の御子である成務天皇(稚足彦天皇)ですが、みんな死後の贈名に「足」の諡号がついています
おそらくこれがトーテムに近い存在になると思われます
足がつく名前の神社は意外と各地で見つけられます
これはアシナヅチ・テナヅチから来ているのかもしれません
アシナヅチは古事記にも出てきますが、スサノオがヤマタノオロチを退治する条件としてアシナヅチの娘と結婚して夫婦神となりました
それが氷川神社です
アシナヅチはホツマツタヱではモチコとハヤコを自分の新たな局としており、ハヤコの三つ子の姫 (タケコ・タキコ・タナコ) を、ウサ宮に受け入れています
そこへ追放されたスサノオがたどり着いてヤマタノオロチを退治したという話につながっていると考えられます
熱田神宮に祀られる剣はヤマタノオロチ(ハヤコ)を倒した際に尾から出てきた刀です
今は海の底に沈んでしまいましたので、現在の神剣はレプリカです
このことから熱田神宮と氷川神社のつながりがわかりますね
それがここでは八幡神社につながっているのです
氷川神社と熊野神社はスサノオという点で共通していますが、八幡神社もそういった点では共通しています
それは代々のスサノオがやがて八幡神(応神天皇)となったことを意味しています
さらに面白いことに、トーテムは応神天皇から鳥に変わります
つまり百舌鳥古墳群です
それが応神・仁徳天皇の親子ですから、代々の天皇の系譜における一つの分岐点になっているようです
ここで祭神に注目してください
品陀和気命(応神天皇)
大雀命(仁徳天皇)は鳥の名前ですが、なぜ父親の応神天皇は鳥の名前ではないのでしょう
それは品陀和気命(応神天皇)
和気(ワケ)を強調しているからではないでしょうか
ワケは気比となります
これは伊奢沙和気大神命(イザサワケ)のことです
つまり神功皇后ファミリーとして建内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)が見え隠れするのです
そして建内宿禰の取り次ぎにより応神天皇は「御食(みけ)の魚」が授かりました
天之御中主(国常立大神)やタカオカミ、或いはひとまとめに「水神」は魚を象徴として顕現し、魚を集めて龍宮城を形成しています
そこへ渡す役割としての、めなしかたまの船でもあります
その場合は水神は塩釜神となるのです
塩釜は親子神であり、つまり春日の神となります
その春日の神が笑福稲荷です
そしてこのファミリーは見えない世界では必ず天神とセットになっているので、見える世界でも北野神社(菅原道真公)が祀られているのです
ちなみに見えない世界では菅原道真公は木花咲耶姫の御子神となる山幸彦です
古事記での山幸彦は塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、めなしかたまの小舟に乗り龍宮城に送られたのです
ちなみにその目的は海幸彦の釣り針を探すためでした
また、海幸山幸の母は木花咲耶姫ですから、富士の浅間神社であり、富士山信仰がしっくりきてしまうんです
ところで、八幡神社でのキーポイントはヒメ神が誰かということです
この場合、ヒメ神は息長帯比売命(神功皇后)であり、月見が岡八幡神社の旧祭神に当てはめると、月読命にあたりますね
月読神は山城(背)一円に秦氏によって祀られていた神であり、
その原型は宇佐八幡です
壱岐の月読神社では月夜見命、月弓命、月読命の3柱を祀っていますが、元は秦氏(辛嶋)の祀る神です
他にも宇佐八幡から勧請された神として厳島神社がありますが、いつきの島で祀られていた女神(イチキシマヒメ)ということです
そして宇佐八幡から全国に勧請されるのが正式です
しかし石清水八幡宮には別のヒメ神を祀っているようです
石清水八幡宮は男山八幡宮とも云われ、応神天皇がハチマン神化した頃です
つまり女神とは別の男神が全面に出てきた頃です
それが九世紀であり、それまでは八幡はヤワタと呼ばれていたようです
なので地方にヤワタハチマンのやうなネーミングが誕生することになり、その元をただせば男山であり、石清水八幡神であり、それが清和源氏の神となったのです
これが渡来新羅の血であるということであり、宇佐八幡の族長息長帯比売命(神功皇后)は新羅のヒメ神であり、建内宿禰もそのファミリーだったのです
それでその血が受け継がれた源頼義・義家の東征により、月見が岡八幡神社にも彼ら清和源氏が来たのでしょう
そしていつからか祭神の名前がチェンジされたということですね
かんたんにまとめると、景行天皇はツキヨミ系統の足王となり、皇室の祖神とリンクしていることが考えられるのです
また、ツキヨミは黄泉の世界を主宰する冥界の女主人になります
仏界では月光観世音菩薩となり、救いの舟を遣わします
月はそのまま仏教世界になっていて、日本に百済から経典や仏像が、新羅から道教的な思想や呪術といったものとして伝来してきたのです
そしてやがて日本全国の庚申塔をつくらせたのです
そのルーツになっているのがカヤ、伽耶、加羅と呼ばれる所です
日本人の姓名のナカムラさんはナムカラ(南韓)の人たちだったかもしれません
結果として南加羅の人たちが仏教と共に渡来してきたのではないでしょうか
そして、それからやがて大化の改新につながっていくのです
さて、旧祭神は月読命の他に、美井乃神・杉井乃神とあります
両方とも井乃神です
いの神と言えば十二支の干支の最後ですが、旧暦の10月でもあります
そしてこの時は亥の子の祭があるのです
これは元は日本の西(南)の方からやってきた風習ではないでしょうか
ちょうど神武天皇が九州から東征してきたように、皇族の「井乃神」を祀っていた人達による風習だとすれば、
考えられるのは貴船神社の原初の神である「井の神」です
賀茂の人達がはじめに祀っていた水神、やがて天之御中主として造化三神と名付けられた神様ですね
神武天皇東征の折には、後に薩摩から相模国経由でやってきた豊島氏や渋谷氏の先祖達も合流していたかもしれません
やがて東征して武蔵野の井の頭まで来たとしたら、井の「頭」が大和政権の東端であるとも考えられます
さらに石神井のあたりから広がっていった氷川神社郡もあります
氷川神社ではスサノオとイナダヒメの夫婦神が祀られます
そうした井乃神が夫婦神であり、原型はイザナギ・イザナミです
それが日本全国の道祖神になっていったのではないでしょうか
やがて道祖神は道教化された格義仏教である庚申塔に塗り替えられてしまいますが…
いずれにしてもそれは井乃神であり、原初の水神であり、さらに美井乃神・杉井乃神は美・杉になります
ミスギ
ここまで来るとその奥に三本杉が見えてきませんか?
三杉とくれば
豊島区の三杉稲荷が思い浮かびますが、大鳥神社(ヤマトタケル)とセットなんですね
たしかに、大鳥神社とくればヤマトタケルですから父親は景行天皇(足)であり、やがて応神八幡につながる系譜です
それと三杉稲荷は神紋が杉ですね、3つの杉がトレードマーク!と来たら、
その神紋が示すように奈良の大神神社ではないでしょうか
日本最古の神社ともされます
大和政権の中枢であり
祭神は大物主大神です
御正体は初期の賀茂氏が奉った「井戸の蛇神様」です
またの名を火雷神とも言い、矢の神(ヤワタ)でもあるのです
その火雷神こそが、八幡神の根源的な力になっているのでしょう
厳島神社ではイチキシマヒメとなり、男山の石清水八幡宮ではハチマンとなり、どちらも戦闘神です
それが火雷神であり、後に最澄を比叡山に導いた神(スサノオの後身である大山咋神)だと考えられます
その場合、妻神が稲荷ですから男神である矢の神(八幡神)とホトをつかれる女神(稲荷)がセットになりますので
櫛稲田姫命(稲荷)と八幡神(スサノオ)がセットで展開されている事が、我が国の神道観の一つとして考えられるのです
そして大物主大神は妻神を娶り、やがて皇室の祖となる御子を産んだのです
そこから神武天皇に辿り着くのが我が国の神話であります
ですから美井乃神・杉井乃神は三本杉の夫婦神であり、それがスサノオとイナダヒメに転生しているということでしょう
それで結局、美井乃神・杉井乃神は氷川であるとも考えられるのです
しかし、ちょっと待って下さい、スサノオは氷川だけではありませんよね
忘れてならない熊野神社があるではないですか!
その場合どうでしょう
スサノオとツクヨミだったならば!!
熊野神社そのものではないですか
同じ新宿区に熊野神社がありますが、そこでの祭神は櫛御気野命(くしみけのおおかみ)であり、スサノオなのですが、名前に注目です
櫛は櫛稲田姫命(ヒメ神)
櫛 御気野命
御気野は群馬の上毛に広がる古墳群に眠れる人たちではないでしょうか
つまり毛(気)の(野)人たちであり、大和政権における支配者層であり、南北の武蔵野を治めてきた崇神天皇からの系譜ですね
或いは気比にまつわる都怒我阿羅斯等(ツノがあるヒト)との関わりも考えられます
どちらにせよ、同じ朝鮮半島のコリア族の人たちです
その末裔が五瀬命(朝鮮に残った)や神武天皇(日本に来た)であり、同じコリア族の兄弟です
この人たちは元は母系社会であり、近親姦が当たり前だった時期があったはずです
しかし男性優位な社会となると近親婚は非常識であり、さらに秦の始皇帝が台頭してきたように暴力が優位な社会になり、結果として武器が過剰に発達してしまう世の中となりました
そうした結果、平和であった母系社会のコミュニティはことごとく武器を持った人たちに支配されたのであり
それが「邪馬台国の滅亡」だったのではないでしょうか
話は飛びましたが、月見が岡八幡神社では月読命がイザナミ女神となり、美井乃神・杉井乃神がスサノオと稲荷の夫婦神であり、後から祭祀された八幡神社の祭神が
品陀和気命(応神天皇)
息長帯比売命(神功皇后)
大雀命(仁徳天皇)
これで品陀和気命は応神天皇(イザナギ)で、息長帯比売命はヒメ神(イザナミ)そして
大雀命の仁徳天皇がスサノオと見ることもできます
その場合のスサノオはイザナミ女神とセットになりますから「氷川」又は「熊野」となるわけです
ですから結果的に月見が岡八幡神社は同新宿区の新宿中央公園にある熊野神社の祭神と同じである、と考えることができます
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11216130
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック