2024年04月16日
漢字の読み
私は保守なんでしょうね、きっと。
時代が変わっていくことに寂しさを感じます。
と、
またことばの話なんですけど、普段、友人や知人と話しているときには、なーんも気にならないんですけど、テレビのニュースで
「え?えーー??」
ってことがあります。
「大地震」
これ、
「おおじしん」
ですね。
なのにあるニュースで
「だいじしん」
といっていました。
同様に、
「市場」
これ、特に食材を売っている場所は
「いちば」
なのでしょうに
「しじょう」
だって。
おそらく、テキストを読み上げるアプリがまだ未完成で間違えるから、人にまで混同を招いているんじゃないかと思います。だけど、現在の社会環境では自浄作用は働かないでしょう。近い将来、どっちが正解かわからなくなるでしょう。
また、ニュースは正しい日本語を求められているはずです。訛っちゃいけないでしょうし、読み間違えると視聴者から抗議の電話が入るでしょう。
あ、
よくある話。コールセンターに電話をすると、コールセンター側から電話を切ってはいけないって。あれ、放送法でそのように決められていると聞いたことがあります。
さて、話を戻して他にもあります。
「同じ轍を踏む」
これは
「おなじわだちをふむ」
ですけど、
「おなじてつをふむ」
になってきてますね。
「わだち」
と聞けば、昔の馬車など重たい車輪が付けた溝で、いちど嵌まると抜け出しづらいというのがイメージできます。が、
「てつ」
だと、「鉄」なもんだか「哲」なんだか「迭」なんだか、なかなかわかりません。
細かいことのようですけど、この積み重ねが正しい日本語を失わせていくんです。もう、誰かの力で何とかなるものではないでしょう。
現に、二重敬語の
「おっしゃられる」
は標準語化してきました。
2020年03月25日
たしなめる
ここでの「たしなめる」とは漢字で「窘める」の方です。
「たしなめる」を漢字変換すると「嗜める」も出てきます。
が、こっちの「たしなめる」は「お茶をたしなめる」などに使います。
今回の「窘める」は、目下の人に対して、してはいけない点を注意するときに使います。
それも穏やかに。怒鳴るとかそういったことにはつかわないようですね。
「戒める(いましめる)」といっても良いかも知れません。
昔のドラマで20代の若い女性が、50代の上司に恋をしてしまいます。
ある晩、女性が体調を崩して、それを心配する上司の家に上がり込みます。
そして
「今夜は帰りたくないからここに泊めて。」
と。
上司は
「無理を言うな、私はもう窘める年齢なんだ。」
と女性を諭します。
前なら言葉の意味としてはわかっても、実感が湧かないで見ていました。
最近ふと、5〜6年前のことを思い出しました。
何人かで飲みに行ったときです。
店は混んでいて、隣のボックスから会話が聞こえていました。
すると一緒に飲んでいた女性が、
「私のことをババアと言ってる。」
きっと酒に酔って暴言が始まったのでしょう。
言われっぱなしはイヤなので、私はケンカを売るように暴言を吐いた若い男を睨んでいました。
確か私が席を立ったタイミングで睨んでいた男が近づいてきました。
自然と、
「表に出よう。」
となります。
表に出ると、よくありがちなのは
「なんだテメー!」
とケンカになる場面です。
が、
そこは私がどう見てもずっと年上。
さすがに若い子を相手にそれはできません。
必然と
「あんた、失礼なことを言ってはいけないよ。」
となります。
向こうも後ろめたさがあったのか、ケンカどころか段々と世間話になり、
「ああ、あのビルで働いてるの、そのうち飲みに行くわ!」
と、平和解決。
思うと、あの辺りから私の「窘める」が始まっていたのだと思います。
だからか仕事でも若い人を言葉で「シバく」ことが何度かありました。
でもケンカになりません。
それは単に、こっちの感情や苛立ちを相手にぶつけるのではなく、
「あなたのしていることは、道徳上いけないことだよ。」
と、そんな言い方に変わってきたのでしょう。
「分別(ふんべつ)」ってあります。
Wikipediaだと、
「善悪を識別できる見識を有していること。」
とあります。
歳を取ってくると、自分の感情だけではなく客観的に状況を把握できるようになるのかと思いたいです。
私だって。(笑)
さて、「窘める」。
普段からあまり使うことのない、また聞くことのない言葉です。
「窘める」は目上から目下の人に対して使います。
では目下から目上はどうでしょう。
これもあまり聞かない言葉で
「諫める(いさめる)」です。
子が親を叱るとは言いません。
NHKの大河ドラマでは
「〇〇殿をお諫めになるのですか?」
とか使われていました。
怒るとか注意するとか本(もと)になる感情は一つであっても、相手によって表現はいろいろあるんですね。
2019年11月24日
失いたくない日本語
新しいカテゴリを追加しました。〜 失いたくない日本語 〜
今風に言うと、「新しいカテゴリを作ってみた。」ということでしょう。
私は学歴がないので、恥ずかしいのですがそれでも知って良かった言葉があります。
同時に、最近あまり遣われなくなり、この先忘れられていくのではないか、心配な言葉です。
・白河夜船(しらかわよふね)
この言葉を知ったのは割と最近のことです。
知るきっかけとなったのは、この歌。
(YouTube :tecchan19)
シンガーソングライターだった明日香さんの歌です。
これは1982年の歌です。2013年夏、ラジオで聞いてとても懐かしいと思った歌。
たぶん1982年当時、一度か二度くらいしか聞いたことがなく、30年振りくらいに聞いて、
「あったあった、こんな歌あった!」
そう思った歌です。でも憶えていたのは当時、きっと好きな歌だったからです。
歌詞はこちら→ https://www.uta-net.com/movie/5870/
奇しくも同年の10月、明日香さんは癌でこの世を去ります。
この歌の2番に“白河夜船”が出てきます。
白河夜船は、
《京都を見てきたふりをする者が、京の白河のことを聞かれて、川の名だと思い、夜、船で通ったから知らないと答えたという話によるという》
とあります。(デジタル大辞泉→コトバンク[https://kotobank.jp/]より引用)
京都の白河は地方の名で、川のことではありません。
転じて、
・熟睡して何も知らない
・知ったかぶり
という意味に遣われます。
・三方一両損(さんぼういちりょうぞん)
トラブルが起きるとなかなか解決できない、または誰も満足できる結果にならないことがあると思います。
悪いことが起こると争った者同士、プラス要素よりマイナス要素が大きく、決してプラマイゼロにならないことがほとんどではないでしょうか。
先日書いた、「家フェチ」だってそうだと思います。
車の事故でもよくありがちですね。
それを平和なシチュエーションで収める言葉だと思います。
これは古典落語の演目で、
大工の吉五郎が三両入った財布を落とす。左官の金太郎が拾い、吉五郎に返そうとするが吉五郎はあきらめていた金だと受け取ろうとしない。お互い江戸っ子で互いに譲ろうとしない。
とうとう奉行所で大岡越前の裁きを受けることになるが、大岡越前は自分から一両出して四両とする。
四両のうち、二両を吉五郎に、残る二両を金太郎に渡す。
これで落とした三両が二両しか返ってこなかった吉五郎、拾った三両が二両になった金太郎、一両出した大岡越前と、みな一両ずつ損をしたと解決した話です。
このカテゴリでは、こんな話を思いつくたび書いていこうと思います。