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2020年05月13日

認める


 なんでかわかりませんが、私は昔から大人しい同性に好かれます。

もちろん変な関係ではありませんよ。
なぜか考えたら、私はまず人の話を最後まで聞きます。
大人しい人は自分が話しきる前に、相手に会話を奪われるかも知れません。

かといって私の友人は大人しい人が多いかといえば、ぜんぜん違います。
まず、きっかないヤツが条件といって良いほどです。

人と親しくなるプロセスってどうでしょう?

子供の頃は、いつの間にか友達ってできていたのではないですか?
特に小さな頃は、すぐに打ち解けて仲良しになっていたように思います。
いとこ同士なんて集まったらもう大変。騒いで騒いですぐ大人に叱られました。

 大人になったら、親友はできづらいと聞きます。
実際、確かにそうだと思います。
何が違うのか。

たとえば職場が同じ、同僚と話はします。
仕事上、しなければならない会話なら必要でしょう。

しかしプライベートの話となれば別。
するかしないか、はっきり線引きがあると思います。

その線引きに、
「認める」
というプロセスが必要になると思うんです。

では子供の頃はどうだったかというと、線引きはしていました。
子供はすぐに友達になるといいますが、それでもクラス全員が親しい友達ではありません。

 ♪一年生になったら
 ♪一年生になったら
 ♪ともだち百人できるかな

こんなのウソでしょう。
もし学校に100人も友達ができたら時間がナンボあっても足りません。

親しい友達というのは、きっと多くて3〜4人だったのではないですか?
ではどのようにその3〜4人の友達を選んだかというと、きっと本能的なものだったと思います。

それが大人になると、言葉でいえる“理屈”がくっついてくるんだと思います。
これが「認める」というプロセスだと思います。

ああメンドクサイ。

でも面倒くさいだけかというとそうではなく、ときに素晴らしいものだと思うんです。
「人は見た目で判断してはいけない」
といいますがある程度、年を取ってきたら見た目の判断だってけっこう大事なことです。
的を射ているからです。

それでも実際に話をしていくうちに、
「あ、この人はこんな面も持っているんだ。」
と、理解していく。

ならばこの人と接していくことで自分にもプラスになるだろう。
そのように「認める」というプロセスをいつの間にか挟むようになったのだと思います。

この「認める」瞬間というのは面倒なようで、面倒であるから素晴らしいと思うんです。

どうなんでしょう。
これはすべての人に当てはまることではないのか。

私は
「人を選んで付き合うね。」
そう言われたことがあります。

こう言われてしまうと、偉そうに思われるかも知れません。
が、私自身、そんな気はまったくないんです。
皆さんはいかがなんでしょうか。


腰、イタイ...









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posted by CSおじさん at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想
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