2020年03月14日
不思議な時間
他では味わうことのできない時間の過ごし方ってあると思います。
何かというと、家族、親戚、知人の葬儀に向かうときです。
親戚、知人といってもごく親しい関係。必ず行かなくてはならなくて、それも遠い場合です。
車で行くのであれば、すぐに出発しなければならないかも知れません。
しかし、葬儀に行くのであれば、それなりに準備をする必要があります。
まして、私のように北海道に住んでいれば、本州の葬儀へ行くためにはフェリーに車を載せなくてはなりません。そうすると、フェリーはバス、電車のように頻繁に出ているわけではありませんから、「待つ」という時間がどうしてもできてしまいます。
一昨年、父が死んだとき、朝、連絡が入りました。
会社は休みます。父は岩手にいたので、電車、飛行機で行くと岩手での移動が大変です。
車で行くことにしてフェリーの時刻を調べます。岩手へ行く場合、一番効率が良いのは苫小牧→八戸航路です。
でもその航路だと21:15発か、23:59発しかありません。
他の航路も調べました。苫小牧→仙台や、函館→青森とか。
ところがどうやっても苫小牧→八戸航路が一番早く着くのです。
この時点で目的の岩手着は翌朝となってしまいました。
父の遺体はもう葬儀場へ運ぶ手配がされていました。岩手に住む従兄弟がしてくれました。
また、私たち家族が着くまで、従兄弟が遺体についていてくれるといいます。
なるべく早く着かなければなりません。でもフェリーは21:15発です。
家から苫小牧まで1時間半。余裕を見て早く出発するにも18:30発で充分です。
ここで気持ちはあわただしい、だけどすることのない待ち時間ができてしまいました。
フェリーが八戸港へ着いたとき、まだ外は暗く、目的地に着く頃は朝モヤがかかっていました。
母のときだってそうでした。
夕刻、仕事で小休憩が終わり、たまたまロッカーを開けるとスマホが鳴りました。
老人ホームからで、一度、心臓が止まり、いま心臓マッサージをしていると。
もうこの時点で岩手に行くことは決定です。会社は早退しました。
でも21:15発のフェリーにはもう間に合いません。
また家に着いたときにはすでにフェリー会社の電話受付は終わっていました。
そのことにもっと早く気が付けば良かったんです。
フェリーは予約ができません。
空席はあるだろうと、見切り発車しなければなりませんでした。
フェリーには乗れました。しかしフェリーの中ではすることがありません。
もしなにかあれば病院から携帯に連絡が入るはずでした。
でもフェリーは出港すると間もなく圏外になってしまいます。
本州に近づき、電波を受けられるようになったのは朝6時頃。
見ると、不在着信が一件。時刻は2:15でした。
折り返しますが、誰も出ません。
でも私はそれが母が亡くなったことを告げる電話だったとわかりました。
同じことが小学2年生のときにありました。母方の叔父が亡くなったときです。
私は宇都宮に住んでいました。叔父は函館。学校に着いて間もなく、母が教室に来ました。
担任に呼ばれ、不幸があったからすぐに帰りなさいと言われました。
あのときは慌ただしく、電車で函館に向かい出発しました。
でも家から宇都宮駅まで歩いて行ったんです。約1kmの道のりを。
もし本当に急いでいたら、タクシーで行ったと思います。
やはり、慌ただしい中に急ぎようのない時間があったのだと思います。
乗ったのは「特急はつかり号」。思うと私が鉄ちゃんになるきっかけです。
あのときも電車の長旅。でもすることがない。
青森から青函連絡船に乗り換え、3時間50分の航路。
その間もすることがありません。
葬儀って、することはたくさんあります。
でもひとつひとつはそれほど時間がかかることではない。
慣れていないから、大変に感じるのかも知れないですね。
また、近しい人を亡くした悲しみだって日常そうありません。
いろいろ相まって複雑で特殊な時間感覚が出てくるのかと思います。
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