LINE。いまでは常識的なコミュニケーションツールとなり LINE Payはじめさまざまな機能があります。
このLINE、メッセージが送られても読まなくて良いのでしょうか?
私のような年寄りに片足を突っ込んだ者にはわからなくなってきました。
メッセージを送ったのに読まれない経験をしたのはちょうど去年の今頃です。
辞めることにしたセンターで飲み会の予定があったから、私は幹事役の人に欠席のメッセージを送りました。
LINEだから相手が読めば「既読」と付いて読んだことがすぐにわかりますね。
それがいつまで経っても既読にならないんです。
幹事役にとって私はもうやめる人間だから、欠席というのはわかっていたでしょう。
でも読まないの?
私はわかりきったことだと知りながら送ったんです。
なんか、読まないというよりも相手にされていない気がして気に障ります。
私がいたときは話していたのに、あれは何だったの?って。
あるドラマを思い出します。
「くだらん人間は誰かが目先からいなくなるとすぐ忘れてしまう。」
若い人です。
若い人が皆そうだとはいいません。
しかし何か、今のことだけで生きている気がします。
手紙が来たら返事を書くのが当たり前でした。
挨拶されたら返すのが当たり前でしょう。それが礼儀と云うものです。
LINEだってそうでしょう。初めにID交換した瞬間からコミュニケーションは始まっているんです。
生きているといろんな人の世話になります。
若い頃は世話になることが多いでしょう。
それが歳を取って経験を積むと世話をすることが増えてきます。
思うのですが、歳を取ると人付き合いって増えていくと思うんです。
同僚であったり、友人であったり、お世話になった人だったりと。
それがあるとき“人脈”として力になることだってあるんです。
でも私が見ている人間関係って、そうじゃないんです。
一過性のもので、いま目の前にいるから付き合っているだけ。
そうじゃなくて、一生かけて増やしていくデータベースだと思うんです。
〜 一過性 〜
心掛けがそんなんだから、真剣に付き合っていないように思います。
先日、友人が若者にスーツをプレゼントしました。
このために買ったものではありませんが新品です。まだタグも付いているのだとか。
ただ、友人は若者と連絡を取る手段を持ってません。
そこで私を頼ってきました。
私は若者のLINEアカウントを知っていたので、私からLINEで伝言しました。
なのに一向に既読にならないんです。
スーツは友人がブースに預けており、ブースの管理者にも伝言しておいたようです。
管理者からの伝言でスーツはきちんと若者に渡ったようです。
今日、友人と若者とでその話題になり、私を介してLINEも送ったことが知れました。
若者は私にLINEで手間をかけたことを謝ります。
と、そこまでは良いんです。
ところが、そのLINEのメッセージは今現在、まだ既読になっていません。
まったく信じられない。
きっと若者にとっては、用事が済んだからLINEメッセージはもうどうでも良い。
そう考えているのでしょう。でもそこが大きく違うところなんです。
次へ進むには先に済ませておくべきことがあるでしょう。
スーツを受け取った若者は友人にそのことを知らせなかったようです。
また、嬉しいんだか嬉しくないんだか、友人曰く
「『もらってあげた』とでも言いたいのか?」
なら返せば良いのに。
若者はきっと、返し方だって知らないんでしょう。
私は若者の“元カノ”を知っています。
が、その元カノもメチャクチャです。
できないことをするという。
できもしないことをやりたいという。
その人たちはその人たち同士の“道徳”があるのか知りません。
が、私たち世代と話の合うはずがありませんね。
物事にはきっかけがあり、面倒なやりとりを介して結果があります。
きちんとした道筋を一歩一歩踏んでいく必要があります。
スーツの若者はその道筋を踏んでいません。
これから若者の人生、懇切丁寧に教えてくれる人が現れれば良いですが、そうでなければ自分で学ばなければなりません。自ら学ぶにはそれなりのセンス、かなりの観察力が必要です。
いったいどうなるのでしょうか。
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