2019年10月17日
美意識の欠如
なぜ自転車がバス停に止まったバスを右側から抜かしていくのでしょうか。
私が原付自転車の免許を取ったのは16歳のとき。
まず、車道を走れるんだという喜びに、それだけで幸せを感じていました。
自転車は歩道を走るのが当たり前だと思っていましたから、歩道のない道路のときだけ車道を走りました。
自転車に乗っていた私にとって、車道というのは何か特別なものだったんです。
車社会での“大人扱い”とでも言えばいいのでしょうか。
なのになのに、原付免許を取ろうと思い、買ってきた免許取得本にはまず、
「原付自転車は路側帯を走る」
そう書いてありました。
ガックシ!
なんだ、普通の車両とは一緒に走れないんだ。
次に憧れたのは自動二輪です。
それなら車と同じ走行帯を走れるじゃないか。
しかし機会がなかったため、いまだ自動二輪の免許は持っていません。
今日、帰りのバスでまず、停留所のバスを右側から追い越していく自転車を見ました。
その後、今度は片側2車線の道で、センターライン寄りの車線を原付自転車がバスを追い越していきました。
ちゃんと路側帯がある道路です。
立派な道交法違反じゃないの?
なんというのか、自分さえよければどうでも良い。
捕まらなければそれでいい。
きっと捕まっても、言い訳ばかり達者なのでしょう。
最近は見かけなくなりましたが、
コンビニワープだってそうです。
そもそも“分(ぶ)”というのをわきまえていない人間が増えました。
自転車には自転車の通行帯があるし、原付自転車だってそう。
それを勝手に自分に与えられた領域をはみ出し、行っている行為。
私はそれが格好悪いと思うのですが、当事者はどうなのでしょうか。
中には、格好いいと思ってやっている人間がいるだろうと、私は考えています。
その辺の“美意識”なんです。
ちょっと大げさに聞こえるかも知れませんが、何がカッコよくて何がカッコ悪いのか。
車道を走るには車道を走る免許証が必要です。
取得するには時間とお金がかかります。
そしてお金を払って車を買います。またはレンタカーでも。
そうして初めて車道を走れるんじゃないでしょうか。
コンビニワープにも通じるところですが、ひとことで言うなら“セコイ”です。
免許を取って車を買って車道を走るには少なくとも十万円以上かかるでしょう。
いえ、いまならもっとかかるでしょう。
それを持ってもいない者が車道を我が物顔で走るというのは、私には素敵な光景に見えません。
少なくともその年齢で持ち合わせているべき精神年齢に達していないとしか思えません。
もしかしたら、免許も車も持っているかも知れません。
持ってるけど、会社に駐車場がないとか。
なら、もってのほか。
車にとって無謀運転の自転車がどれだけ迷惑かわかってやっていることになります。
また、美意識を疑ってしまう行動としては、
階段を歩きながらの段抜かしもそう。スーツで自転車、スーツでリュックサックもそう。
挙げ句にスーツでスニーカーというのは、いったいどんな美意識なのか。
他にも。前に書いています。
いや、きっとそいつらに美意識なんてないんです。
もっと言えば、敬語が壊れてきたのだって“美意識”の問題でしょう。
美意識をつかさどるのは、見て、聞いて感じること。
“感性”だと思っています。
そしてこの“感性”は、世界から一目置かれている日本人特有のものだと思っているのですが、一部の人間からこの美意識がだんだんと欠如していくなら、やがて日本は尊敬されない国になっていくことでしょう。
タグ:美意識
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