2019年10月09日
従兄弟
今日、久しぶりにある従兄と電話で話をしました。
何年振りでしょうか。最後に話したのは昭和49年、1974年だったと思います。
なら45年振り??
タイムスリップか玉手箱ですよ。(笑)
まだ私は小学生だったのですから。
なぜそんなに間が空いたのかというと、その従兄は昭和50年に渡米したからです。
当時はまだ小学生だったので何も考えていなかったのですが、大学の卒業と同時です。
大学を卒業すると同時に渡米するとは、かなり覚悟が必要だったのではないかと思います。
従兄はセントルイスに住んでいます。
セントルイスは人口約30万人の都市で、放物線状の建造物、ゲートウエイ・アーチが有名だと思います。
従兄がアメリカに発つとき、叔母が同行しました。
おみやげにもらった物の中に、歯磨きの“アクア・フレッシュ”がありました。
日本でサンスターからアクア・フレッシュが発売されたのは1981年だそうですから、その6年前です。
また、そのアクア・フレッシュにはバーコードが印刷されていました。
日本でバーコードを見るようになったのは、これもずいぶん後になってからだと思います。
従兄はときどき日本に来ているようです。しかし札幌にいる私はなかなか会うことができません。
今日、電話で話してどれだけ日本語を話せるのか、少し心配でした。
ところがまったくネイティブな日本語です。
そういえば奥様は日本人です。
家では日本語で話しているのかも知れないですね。
それでも、「〇〇を」の「を」が「Wo」と聞こえるときもあります。
従兄は岩手県出身です。
まだ岩手に実家だけは残っています。
しかしもう誰も住んでおらず、老朽化で中に入ることはできないようです。
2001年、私が何十年ぶりにその従兄の実家を訪れたことがありました。
そのとき、従兄は日本に来ていたのですが、わずかの差で帰国し、会うことができませんでした。
ただ、従兄の弟さんに聞いた話では、昔から使っている日本語は問題ないけれど、新たな日本語はうまく話せないと。
当時の新しい言葉は「茶髪」です。
“ちゃぱつ”はどうしても英語っぽい発音になってしまうと聞きました。
その発音を今日、実際に電話で聞きたかったのですが、まさか、、、無理ですよね。
従兄弟というのは、親を通じての付き合いが多いと思います。
だから親が亡くなると、どうしても疎遠になってしまうと思うのです。
実際に父方の従兄弟たちとはすっかり疎遠になっています。
母が亡くなり、今度は母方の従兄弟たちと疎遠になるかと思っていましたが、逆のようです。
7月に母が亡くなって、8月には母の兄妹、長男の息子である従兄がお参りに来て下さり、それも何十年ぶり。
その従兄には私と同い年の妹がいます。それがどうもガンにかかっているといいます。心配なので、近々また従兄に電話してみようかと思います。
今日話した従兄は母の姉の子です。
弟さんとは世間話もしました。
母は晩婚で、私を産むまで従兄妹たちをたいへん可愛がったと聞きます。
それは、私は従兄の母親を「〇〇叔母」と呼びますが、従兄たちがそろって「まあこばちゃん」と呼ぶことからもわかります。
母が亡くなってから急に親しくなった母方の従兄たち、これは母がつなげてくれたのかと思っています。
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