2019年01月23日
跨線橋
跨線橋。
こせんきょうです。
小さなころは読めませんでしたし、名前も知りませんでした。
駅のホームとホームを、それこそ“跨ぐ(またぐ)” 橋なんですね。
今ではほとんど見なくなりました。
線路は高架線になり、列車はその上を走り、地面を走っていません。
線路が地面にあったときはホームも地面だったから、渡るときには跨線橋を上る必要がありました。
高架線にすることで踏切がいらなくなります。
踏切がないことで、交通渋滞することなく人身事故も減りますね。
昭和50年当時、住んでいた総武線の東京、新小岩ほかだいたいの線路はすでに高架線化されていました。
でも新小岩とさほど離れていない亀戸駅には東武亀戸線が乗り入れていて地面を走っており、子供ながらに“哀愁”を感じていました。(笑)
といっても、上野の隣、鶯谷とか日暮里、西日暮里、尾久駅はまだ、線路が地面を走っているようです。
あのあたりは上野の近くということもあり鉄道の幹線で線路が10本くらい走っています。
高架橋にする工事は時間的にも予算的にも非現実的なのでしょうね。
しかし、いまや跨線橋は“バリアフリー”ではありません。
が、高架線になっても階段を上る必要があることには変わりません。
また今では高架線でも跨線橋でも、どちらであってもエレベーターがあります。
そもそも鉄道の旅自体が、駅という広大な場所を歩かなくてはなりません。
エレベーターは最低限必要で、高齢者や体が不自由な人には優しいとはいえません。
それでも跨線橋の味わいというのは他にはない“哀愁”があると思うんです。
1978年
いま北海道と本州は青函トンネルで結ばれています。
昔、青函連絡船がその役割を負っていました。
本州から北海道、北海道から本州へ渡るとき青森で、或いは函館で長い跨線橋を歩く必要がありました。
今でもその光景はおぼろげに憶えています。
今日、札幌市内の駅で人身事故がありました。男性が飛び込んだといいます。
いくら高架線にして踏切事故が少なくなったとはいえ、ホームから飛び降りる事故は安全柵が完備されていないうちは少なくともゼロにすることはできないでしょう。
そのニュースを見ながら、昔読んだ漫画を思い出しました。
以前、毎年“日本SFベスト集成”という本が毎年出版されていました。
その中に、“不安の立像”という作品があります。
毎日、満員電車で通勤する主人公。
ある日、線路際にたたずむ、ある“モノ”に気付きます。
まるで人間が布をまとっているようです。
毎日その“モノ” = “立像”はいて、主人公は好奇心に駆られ正体を突き止めようとします。
しかし次第に、知ってはいけない、突き止めてはいけない“モノ”であるように感じてきます。
そんなとき、ホームから列車へ人が飛び込む事故が起こります。
皆、飛び込んだ人に気を奪われているとき、主人公は“モノ”の挙動を目にします。
それは線路に付いた、わずかな肉片をむさぼる姿なのでした。
いつ起こるかわからない事故で、わずかな肉片をむさぼるため、“モノ”は毎日線路にたたずむ。
そんな“立像”は、もしかしたらあなたの住む街の駅にもたたずんでいるかも知れない。
そんな作品です。
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