2018年11月18日
喪中欠礼
この時期になると毎年、喪中欠礼はがきがポチポチと届きます。
いま、若者たちを中心に年賀状はメール、またはLINEなどSNSになってきたようですね。
年賀状代わりというのは良いのですけど、メールやLINEで喪中欠礼というのは聞いたことがありませんし、あってもどうかと思います。
私がまだ若い頃、“喪中”について世間話のように話したことがありました。
相手はもう亡くなっています。
その人が言うに、
「喪中とは言うけど、果たして本当に喪に服しているといえるのかな?」
と、半ば諭すように返してきました。
あのとき私はなんか、ドキッとさせられました。
当時あの人は今の私くらいの年齢だったと思います。
今なら、「そうだよな。」と思います。
宗派の違いもあります。
当家は“神道”なので、“通夜”と言わず、“前夜祭”です。
“告別式”と呼ばず、“発柩祭(はっきゅうさい)”です。
また、七日目の“初七日”はなく、十日目の“十日祭”、“四十九日”でなく、“五十日祭”です。
このように“祭”なのです。
これは神道が人の生き死にについて、神々と先祖の恵みによってこの世に生まれ、死して先祖のもとに帰るという考えから来ているようです。
そうはいっても、喪中欠礼はがきを送り、年末年始のご挨拶は遠慮します。
話は戻り、仮に例年、LINEで年始の挨拶をしているとしましょう。
まさか喪中欠礼代わりに
「父(母)が〇月〇日〇〇歳にて逝去したので来年は年始の挨拶をご遠慮しますね」
なんて、送れないですよね。
受けた方も「?」と思うでしょう。
そもそもSNSとは郵便と似て非なるものです。
では、実際に年始はどうなるのか。
喪中欠礼を宣言していないため、不幸を知らない人はいつも通り
「おめでとう」
と送ってくるでしょう。
でも不幸のあった家は喪に服しているのです。
ではそこで
「ごめん、昨年〇〇が亡くなって、喪中だから年始の挨拶はできません。」
このように返すのでしょうか。
それもないですね。
昔は人々の暮らしも今ほど楽でなく、まだ金融機関のない時代には親戚、知人に金を借り、一生懸命に働いてお金を作り、どうにか年内に精算。
そして迎える新年というのはまさに「おめでとうございます。」だったのでしょう。
しかし身内に不幸があった年にはせめて、亡き人を偲び、祝い事や楽しみ事は慎んで、静かに新年を迎えたのでしょう。いつもの年と忌中の年には区別があったのだと思います。
便利なものができると必ず失われるものがあります。
昔、家電に短縮ダイアル(“短く短くピッポッパ!”)ができてから電話番号を覚えなくなりました。
電卓ができてから人は暗算をしなくなりました。
今度はSNSができたため、故人を慎み偲ぶ場がなくなるのかも知れません。
かといって昔に逆行できないのも事実です。
せめて、故人を偲ぶ気持ちだけは人の心からなくなって欲しくないと思います。
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