2018年11月13日
俺にゃできねぇ、、
先日も仕事帰りに見てしまいました。
自転車が車道を走って行きます。
今日見たのはたまたま、若い女性。
なぜかニヤニヤしながら自転車で車道を走って行きました。
日曜日の夜だから、車通りはあまり多くありません。
でも国道、しかも片側3車線の道路です。
自転車は3車線の左側車線を占有して走って行きました。
子供の頃の私にとって、車道を走るというのは大人の特権というか、憧れでした。
16歳のとき、原動機付自転車の免許を取るときには、
「私もやっと、車道を走れるようになるんだ。」
と、ようやく大人の仲間入りができる気がしてワクワクしていました。
しかし、
原動機付自転車の免許を取るため勉強していると、原付は“路側帯”を走ると書いてあり、ガッカリしました。
「だったら次は中免(中型自動二輪免許)!」
と、さらに目標を改めたものです。
それだけ車道を走るというのは特別で、強い憧れだったのです。
なのに自転車で?
今日見たのは車の往来が少ない中だったので、まだマシだったのかも。
ときどき見かけるのは、私が通勤に使うバスを先導するように車道の真ん中を走って行く自転車。
〜 人に迷惑をかけてはいけない 〜
そんな大原則が教育として行きわたらなくなった世界。
それが現代なのかと、ガッカリすると同時にこの先を考えると焦り、恐ろしさも覚えます。
もうこの先、私は自転車に乗ることはないと思います。
でも自転車に乗っていたときを思い返し、もし車道を走ると考えると、恐ろしくて想像できません。
事故に遭うことは確率からも、そうあることではないと思います。
しかし、それで良いわけがありません。
自転車と自動車は走る速度が違う上、自転車は事故から体を守る車体構造がありません。
いざ、事故になったとき、相手が自動車だったらほぼ100%、自動車が悪くなるのです。
それを想定しているとは思いませんが、交通弱者の自転車が自動車と同等、あるいは自動車を先導して走るとが、私には考えられないのです。
ひとこと、
「迷惑」
です。
俺にゃ できません。
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おっしゃる通り、
“自分に都合よく”
というのが今は多くなっていると思います。
また確かに、昔はおっかないオヤジというのがいましたね。
学校に行く途中、下校後にも近所には面倒くさいオヤジがいたものです。
でも、そういったオヤジが睨みを利かせていたことで、してはいけないことを抑える緊張感を与えてくれていたと思います。
それが土台になっているのと、いないのとでは大違いなのでしょう。悲しいことです。
車道が広ければ車道の端を、混んでたら歩道を徐行、歩行者がいれば自転車を降りて歩行、と柔軟に使いこなして欲しいものです。
教育もそうですが、街中で注意できる大人が減ったのもモラルに欠ける人が増えた原因の1つかと。親や先生、警察の目を盗んで悪さをして、赤の他人から注意された時に初めて、教えられた事の正しさを体感するものだと思います。俺はそうでした(笑)