2018年05月15日
社会科見学・修学旅行
小学校の社会科見学が楽しみでした。
遠足も楽しいものでしたが、遠足はどちらかというと昼食がメインですね。
それに対して社会科見学はしっかりとした目的があります。
いろいろなところに行きましたけど、どこも楽しめたと思います。
みんなでバスに乗っていくんですよね。
見学先は住んでいるところによってご当地色が表れます。
宇都宮に住んでいたときは、ゴミ処理場や郵便局。郵便局では当時すでにハガキの行き先自動選別をしていました。郵便番号から配達先の地方に分けていく大きな機械です。まだ昭和40年代後半でした。
東京では豪華になります。
船の科学館や交通博物館。国会議事堂や渋谷のNHKなど行きました。
国会議事堂の赤じゅうたんを歩いたり、当時朝の情報番組だった“スタジオ102”の現場を見せてもらったりしました。
クラスには悪いヤツがいるもので、バスの窓を少しだけ開け、例えば信号待ちのとき、右左折で減速したときに信号待ちをしている大人に向かって
「おっさん!」
と声をかけ、すぐにカーテンで隠れます。
声を聴いた大人はびっくりしたようにこっちを向きますが、どうしたのかわからない様子。
私も笑って見ていました。
中には気づいて怒る人もいましたね。またそれもスリルを楽しんでいました。
いま考えると、けしからんことです。
その頃、流行っていた歌は“太田裕美”さんの「木綿のハンカチーフ」です。
確かバスの中で合唱した気がします。
他にもバスでどこかの研究施設みないなところへ行き、フナの解剖をしたり、公会堂でオーケストラの演奏を聞いたりと、普段は日常の変化を良しとしない人間でも、イベントは大好きなんですね。
あと小学校では臨海学校と林間学校。
私は林間学校へは行ったのですが、臨海学校へ行った記憶がありません。
きっと転校ばかりしていたので、転校先の予定と合わなかったのでしょう。
ただ面白いことがありました。
宇都宮に住んでいた小学校低学年では近間の日光へ遠足などで行く機会がありました。
その後、東京へ行くと今度は小学校の中・高学年です。
すると行き先も少し遠くなります。
今度は少し遠くの日光へ林間学校などで行くようになったのです。
今思うと仕方がありませんが、当時は「また日光かよ。」と思ったものです。
中学校になると、修学旅行です。
中学校へ行くと同時に北海道へ引っ越しました。
北海道は広いですから、南方にある学校は東北方面へ行きます。
私は函館に行きました。
函館というと思い出すのは夜景です。
近年、日本三大夜景から函館が外れたようですね。
代わりに札幌が入ったとか。でも私は反対ですね。
札幌を推した人は、果たして函館の夜景を見たのか?
函館のあの地の利は他にそう見ないと思います。
街の外れに函館山があり、そこから函館市を眼下に収められます。
私は、行く手に見える夜景よりも、眼下に見下ろす夜景が良いと思うのです。
函館の夜景が一番というつもりはまったくありません。
私は神戸も長崎の夜景も見たことがありません。
できればいつか見たいと思っています。
でも香港の100万ドルの夜景は、上から見るものではありませんね。
上から見ない絶景って、どんなものかと思います。
そして夜景を見るのに、ひとつ忘れてはならない、大切なことがあります。
それは、暗くなってから行くものではないということです。
函館山には展望台に、夜景を見下ろせるレストラン&バーがあります。
日没時間等、シーズンによって時間差はありますが、例えば10月頃なら5時前から2~3時間はじっくりと夜景を眺める予定を立てるべきです。
初めは人々の営みが見えてきそうな日常から、だんだんと陽が落ち始め、一つ二つ灯りが見えてきてやがて夜景を形成し始める。さっきまで見えていた街の営みはネオンにとって代わります。
そこにこそ夜景の、本当の価値があるように思えます。
遠足も楽しいものでしたが、遠足はどちらかというと昼食がメインですね。
それに対して社会科見学はしっかりとした目的があります。
いろいろなところに行きましたけど、どこも楽しめたと思います。
みんなでバスに乗っていくんですよね。
見学先は住んでいるところによってご当地色が表れます。
宇都宮に住んでいたときは、ゴミ処理場や郵便局。郵便局では当時すでにハガキの行き先自動選別をしていました。郵便番号から配達先の地方に分けていく大きな機械です。まだ昭和40年代後半でした。
東京では豪華になります。
船の科学館や交通博物館。国会議事堂や渋谷のNHKなど行きました。
国会議事堂の赤じゅうたんを歩いたり、当時朝の情報番組だった“スタジオ102”の現場を見せてもらったりしました。
クラスには悪いヤツがいるもので、バスの窓を少しだけ開け、例えば信号待ちのとき、右左折で減速したときに信号待ちをしている大人に向かって
「おっさん!」
と声をかけ、すぐにカーテンで隠れます。
声を聴いた大人はびっくりしたようにこっちを向きますが、どうしたのかわからない様子。
私も笑って見ていました。
中には気づいて怒る人もいましたね。またそれもスリルを楽しんでいました。
いま考えると、けしからんことです。
その頃、流行っていた歌は“太田裕美”さんの「木綿のハンカチーフ」です。
確かバスの中で合唱した気がします。
他にもバスでどこかの研究施設みないなところへ行き、フナの解剖をしたり、公会堂でオーケストラの演奏を聞いたりと、普段は日常の変化を良しとしない人間でも、イベントは大好きなんですね。
あと小学校では臨海学校と林間学校。
私は林間学校へは行ったのですが、臨海学校へ行った記憶がありません。
きっと転校ばかりしていたので、転校先の予定と合わなかったのでしょう。
ただ面白いことがありました。
宇都宮に住んでいた小学校低学年では近間の日光へ遠足などで行く機会がありました。
その後、東京へ行くと今度は小学校の中・高学年です。
すると行き先も少し遠くなります。
今度は少し遠くの日光へ林間学校などで行くようになったのです。
今思うと仕方がありませんが、当時は「また日光かよ。」と思ったものです。
中学校になると、修学旅行です。
中学校へ行くと同時に北海道へ引っ越しました。
北海道は広いですから、南方にある学校は東北方面へ行きます。
私は函館に行きました。
函館というと思い出すのは夜景です。
近年、日本三大夜景から函館が外れたようですね。
代わりに札幌が入ったとか。でも私は反対ですね。
札幌を推した人は、果たして函館の夜景を見たのか?
函館のあの地の利は他にそう見ないと思います。
街の外れに函館山があり、そこから函館市を眼下に収められます。
私は、行く手に見える夜景よりも、眼下に見下ろす夜景が良いと思うのです。
函館の夜景が一番というつもりはまったくありません。
私は神戸も長崎の夜景も見たことがありません。
できればいつか見たいと思っています。
でも香港の100万ドルの夜景は、上から見るものではありませんね。
上から見ない絶景って、どんなものかと思います。
そして夜景を見るのに、ひとつ忘れてはならない、大切なことがあります。
それは、暗くなってから行くものではないということです。
函館山には展望台に、夜景を見下ろせるレストラン&バーがあります。
日没時間等、シーズンによって時間差はありますが、例えば10月頃なら5時前から2~3時間はじっくりと夜景を眺める予定を立てるべきです。
初めは人々の営みが見えてきそうな日常から、だんだんと陽が落ち始め、一つ二つ灯りが見えてきてやがて夜景を形成し始める。さっきまで見えていた街の営みはネオンにとって代わります。
そこにこそ夜景の、本当の価値があるように思えます。
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