2018年03月04日
北海道のことばA
今日は純粋に北海道の言葉ではありません。
でも、きっと北海道以外で聞くことはない言葉だと思います。
私は岩手と青森と東京と栃木と北海道で暮らしてきました。
東北の頃はまだ幼稚園にも入る前でしたので、方言という概念は持っていませんでした。
初めて方言の中に入ったのは栃木に引っ越したときです。
昔は特に、栃木の訛りも凄いものであり、馴染むまで躊躇もありました。
しかし、北海道では同じ地域に住む人でさえ、わからない言葉がときにあると思います。
そのひとつは「ズダコマ」です。
お世話になった先輩がよく口にしていた言葉です。
「あいつとあいつはズダコマだから。」
と。その先輩とは昭和59年、、1984年に知り合いました。
意味は、あいつ(A)にあいつ(B)の悪口を言えば、AとBはよく通じ合っている仲だから、悪口を言ったことが漏れてしまう。だから気を付けろということです。
話の内容で意味は理解できます。でも一応、
「ズダコマってなに?」
と確認するのですが、
「知らないのか?」
といった温度で適切な説明をしてくれませんでした。
それでも何度も何度も「ズダコマ」を聞くうちに、通じ合っている仲であるとか、親身であるというニュアンスで会話は成り立っていました。もうそれ以上、深く追求する必要もなくなっていました。
しかし聞いたことのない言葉。〜 ズダコマ 〜
それがあるとき、思いもよらないところから正体(?)を知ることができました。
それは、
1989年から2002年まで日テレ系列で放映された、関口宏さんを司会者とする教養番組です。
「知ってるつもり?!」
毎週日曜日の午後9時から、歴史上の人物をテーマにその生涯と功績を紹介する番組でした。
調べると、1998年5月3日に放映されています。
津軽三味線の名人、高橋竹山さんを紹介したときです。
高橋竹山は、3歳のとき麻疹をこじらせて半失明し、以降三味線と歌で生計を立てました。
その竹山はいわゆる「流し」をしていた頃があり、三味線を弾いては人から心付けをいただき、生計を立てていたことがありました。
青森で産まれた竹山は、北海道、そしてロシアまで旅をします。
ロシアの船に乗り旅する中、三味線を弾き、大いに感銘を受けますがロシア人も皆お金に困っている人たち。
心付けを置けない代わりに言葉をたくさん、いただいたそうです。
竹山はロシア語を話せません。理解できません。
しかし何度も聞かされた、ある言葉だけ耳に残ったといいます。
その後、竹山は1963年、キングレコードから史上初の津軽三味線独奏LPレコードを発売。
長年の苦労が報われ、津軽三味線を広めその地位を不動のものにしました。
成功をなした竹山は、今度はソ連(旧ロシア)から招待されます。
ソ連にいた竹山の三味線を聞いた人たちの反響も大きかったのでしょう。
招待された竹山は、ソ連の人に質問しました。
「ズナコムって言葉はどういう意味なんですか?」
と。
返答は「親友」だといいます。
昔、ロシアの船の中で竹山の三味線を聞いた人たちは、お金を払えない代わりに「親友だ」という言葉で竹山に返したのでしょう。
良い話です。
----------------
話は戻ります。
ズナコム ≒ ズダコマ
その先輩、仮に「木村さん」としておきましょうか。
木村さんの父は樺太からの引揚者と聞きました。今はロシア領です。
家族の間で一部ロシア語が話されていたことは十分に考えられます。
なるほど、1998年、その「知ってるつもり?!」まで14年。
ようやく謎が理解できたのです。(笑)
2018/2/24「北海道のことば@」
でも、きっと北海道以外で聞くことはない言葉だと思います。
私は岩手と青森と東京と栃木と北海道で暮らしてきました。
東北の頃はまだ幼稚園にも入る前でしたので、方言という概念は持っていませんでした。
初めて方言の中に入ったのは栃木に引っ越したときです。
昔は特に、栃木の訛りも凄いものであり、馴染むまで躊躇もありました。
しかし、北海道では同じ地域に住む人でさえ、わからない言葉がときにあると思います。
そのひとつは「ズダコマ」です。
お世話になった先輩がよく口にしていた言葉です。
「あいつとあいつはズダコマだから。」
と。その先輩とは昭和59年、、1984年に知り合いました。
意味は、あいつ(A)にあいつ(B)の悪口を言えば、AとBはよく通じ合っている仲だから、悪口を言ったことが漏れてしまう。だから気を付けろということです。
話の内容で意味は理解できます。でも一応、
「ズダコマってなに?」
と確認するのですが、
「知らないのか?」
といった温度で適切な説明をしてくれませんでした。
それでも何度も何度も「ズダコマ」を聞くうちに、通じ合っている仲であるとか、親身であるというニュアンスで会話は成り立っていました。もうそれ以上、深く追求する必要もなくなっていました。
しかし聞いたことのない言葉。〜 ズダコマ 〜
それがあるとき、思いもよらないところから正体(?)を知ることができました。
それは、
1989年から2002年まで日テレ系列で放映された、関口宏さんを司会者とする教養番組です。
「知ってるつもり?!」
毎週日曜日の午後9時から、歴史上の人物をテーマにその生涯と功績を紹介する番組でした。
調べると、1998年5月3日に放映されています。
津軽三味線の名人、高橋竹山さんを紹介したときです。
高橋竹山は、3歳のとき麻疹をこじらせて半失明し、以降三味線と歌で生計を立てました。
その竹山はいわゆる「流し」をしていた頃があり、三味線を弾いては人から心付けをいただき、生計を立てていたことがありました。
青森で産まれた竹山は、北海道、そしてロシアまで旅をします。
ロシアの船に乗り旅する中、三味線を弾き、大いに感銘を受けますがロシア人も皆お金に困っている人たち。
心付けを置けない代わりに言葉をたくさん、いただいたそうです。
竹山はロシア語を話せません。理解できません。
しかし何度も聞かされた、ある言葉だけ耳に残ったといいます。
その後、竹山は1963年、キングレコードから史上初の津軽三味線独奏LPレコードを発売。
長年の苦労が報われ、津軽三味線を広めその地位を不動のものにしました。
成功をなした竹山は、今度はソ連(旧ロシア)から招待されます。
ソ連にいた竹山の三味線を聞いた人たちの反響も大きかったのでしょう。
招待された竹山は、ソ連の人に質問しました。
「ズナコムって言葉はどういう意味なんですか?」
と。
返答は「親友」だといいます。
昔、ロシアの船の中で竹山の三味線を聞いた人たちは、お金を払えない代わりに「親友だ」という言葉で竹山に返したのでしょう。
良い話です。
----------------
話は戻ります。
ズナコム ≒ ズダコマ
その先輩、仮に「木村さん」としておきましょうか。
木村さんの父は樺太からの引揚者と聞きました。今はロシア領です。
家族の間で一部ロシア語が話されていたことは十分に考えられます。
なるほど、1998年、その「知ってるつもり?!」まで14年。
ようやく謎が理解できたのです。(笑)
2018/2/24「北海道のことば@」
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