Youtubeを見ていたら、関連動画に「はだしのゲン」がありました。
少しだけ見たのですが、確認したい部分があったのです。
私が広島の原爆を知ったのはたぶん1975年。小学校の4年生だったと思います。
週刊少年ジャンプに連載されたマンガを読んだからです。当時は広島弁など少し違和感を感じていました。
確認したい部分というのは漫画「はだしのゲン」中のセリフです。原爆投下後、外にいたゲンは家に戻ります。そこは父と姉、弟が倒壊した家屋に挟まれ、すでに火事が発生しているにもかかわらず、逃げるに逃げられない状況でした。
ゲンの母は、父、姉、弟にのしかかる梁を何とかどけようとします。しかし梁はビクとも動きません。
そのとき、母が
「ニクいよ、ニクいよこの柱が。」
といったのが記憶に焼き付いています。
だから私にとって「はだしのゲン」といえば、
「ニクいよ、ニクいよこの柱が。」
なのです。
実際、Youtube動画では少しセリフが変わっていましたけど、もちろん状況は同じでした。
しかし原爆というものをマンガというビジュアルで見せた「はだしのゲン」はすごいと思います。中には被爆者のグロいシーンも出てきますが、それこそが原爆の恐ろしさだというのを知らせてくれたんですね。
1989年7月に広島へ行きました。そのとき、広島平和祈念館(広島平和記念資料館)を見てきたんです。
融けた瓦や8時15分で止まったままの時計など、惨劇を示すものはたくさんありました。
しかし一番、記憶に残ったのは「人影(人影の石)」でした。ポケモンではありません。('ω')
「ここには人がいたんだ。」
そう思うと切ないし、やるせない。
2005年にTBS系列で「涙そうそうプロジェクト」として『広島・昭和20年8月6日』というドラマが放映されました。西田敏行さんが伝道師役として高校生たちを前に話します。
話の終わりに
「どんなもっともらしい理由を付けても、人間の上にあんなものを落としちゃ、いかんです。」
と涙ながらに訴えるシーンがあります。
その通りだと思います。
これもまた、私の広島原爆に対する忘れ得ない記憶のひとつです。
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