2020年09月06日
都市と田舎
私が札幌に来てから先月で13年になりました。
ずっと田舎育ちの人の中には、都会の生活がダメという人もいるようですね。
何がダメなのか、雑踏がダメなのでしょうか。
人の性格を創るのは、持って生まれたものと生活環境だと思います。
中には中学まで小さな島で暮らし、高校を卒業してからは都会で暮らしている人もいます。
私は幼稚園から小学校卒業までを東京で過ごしました。そして中学から40歳を過ぎるまで、高校を除いて人口1万人ほどの田舎で暮らしています。
田舎の人間関係を一言でいうなら“結束”だと思います。
支え合って、助け合って。反面、“よそ者”を受け入れない町というもの聞いたことがあると思います。
似たようなものが都会でもあると思います。
ある店は常連同士の仲間意識が強く、一見さんは馴染みづらいという店が。
なんというか、徒党といえば言葉が悪いですけど、そういったイメージを持ってしまうのも確かです。
私が東京に住んだのはわずか10年弱で、田舎に住んだのは30年くらいです。
それでも人間形成にかかわったのは断然、東京だったんだと思っています。
中でも都営住宅に住んだとき、その間わずか2年弱でしたけど、両隣の世帯に住む人を一度しか見たことがありません。それも右隣の人だけ。左隣の人は一度も見たことがありません。
奇跡的にその都営住宅4丁目団地の入居者一覧がまだ残っていて、数えたら全部で2680世帯くらいでした。
これは30年暮らした田舎町全体に匹敵します。
私の中にある都会の人間関系というのは、いわゆる無関心、無干渉です。
この中で育ってしまったんだから、中学校へ入学したときは違和感だらけでした。
私以外の同級生同士、みな幼馴染なんです。町が小さいから幼稚園と保育所の違いはあれど、小学校では6年間、同じクラスになったことがあるとか、クラスが違えど家が近いとか交流はあったのでしょうね。
それでも30年も過ごしてしまった田舎町です。
不便ですね。買い物をしようにも手に入らないものが多いですから。
また田舎独特だと思います。店の人も知り合いだから、店に入ると買わなくてはなりません。
店に入り、〇〇が欲しいと言えば、その人は〇〇を求めているのが知れてしまいます。
もし他の店も見てみたいからと店を出てしまえば、なぜうちで買ってくれないんだという、裏切られた感を抱かれます。
札幌だったらだいたいのものは手に入りますし、その気になれば何店舗も比較することができます。
買わずに店をあとにしても、裏切られた感を抱かれたってその場限りの付き合いで済みます。
田舎に住んでいたとき、例えば子供のスキーを買うとします。
田舎の店では品数が少ないし、おまけにお買い得感がありません。
そこで近くの都市に家族で買いに出かけます。ちょっとゆっくりしようかと泊りがけで行くと、それが意図せず家族旅行になりました。これは田舎に住んでいて良かったと思うことです。
もう札幌の生活にすっかり慣れてしまいました。
でも初めの頃は買い物に行くのに車で行くのがいちいち遠いと感じました。
田舎では近くのコンビニへ行くにも車で行く運動不足感に付きまとわれました。ガソリンスタンドなど遠くても600メートルくらいでした。車でちょっと出かける感じです。
札幌ではどこへ買い物に行くにも車で最低でも1キロメートルは走ると思います。車でちょっと走るには大げさだと感じました。500メートルくらいなら歩いて行きます。これに慣れるまでしばらくかかりました。
札幌へ来るにあたり、田舎の友人は、中には「いつ(田舎に)戻ってくる?」という考えの人もいましたが、私にその気はありませんでした。
何より札幌へ来て感じたことは、誰にも監視されていない気楽さでした。
監視といえば違うかも知れません。でも近いものです。
住んでいる人が少ないということは、人間関係にも深く入り込んできます。
あいつは昔はこうで、誰と親戚で、誰と結婚して子供はこうで、結婚相手は昔誰と付き合っていた。
子供が大きくなれば、どこに勤めた?結婚しないのか?
こんな感じです。自分の生活なのに、誰かの許可を得なければならない気がして窮屈だったんです。
監視されているわけではないのでしょう、けれども誰かの目を気にして生きなくてはならなかったのです。
それがなくなった。買い物していても知り合いに会うこともない。これは大きなことですね。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10176270
この記事へのトラックバック