2020年06月03日
嶋尾康史という元投手
最近、元同僚と話していて、あるドラマロケのことを話題にしました。
2003年6月3日。おお、ちょうど17年前の今日じゃないですか。これは偶然。
そのドラマのロケーションが、私の住んでいた町でも行われました。
自営業をしていたので時間があり、ほぼ半日、見学しました。
ロケーションは何日かにわたり、私の住んでいた町以外でも行われ、確か6月3日が最終日だったと思います。
ドラマは土曜ワイド劇場。
私が見た収録は、ある駅で収録されました。
とても風の強い日で、昔からの友人二人は警官に扮したエキストラ。
パトカーを挟んでじっと立ったまま6時間。パトカーは町の警察署にあったパトカーです。
狭い町だったので、ナンバーからして間違いありません。
もう一台、覆面パトカーとして使われたのは先輩の車でした。
警官に扮した友人のうち一人は昔、ねるとん紅鯨団に出演したことがあります。
そのためテレビ番組収録は経験者で、面白いエピソードを聞かせてくれたことがあります。
ヤツの言う通り、スポンサーの都合上、大抵の会社名は伏せられます。
先輩の車はカリーナEDでした。カリーナEDはボンネットにEDのエンブレムがあります。
しかし収録時、エンブレムはボディと同色の布ガムテープでマスキングされていました。
さらに駅舎前にあったコカ・コーラの自動販売機は、べニア板をかぶせられ、物置にされていました。
友人が着ていた警官の制服は複製です。
私のような素人には本物と見分けがつきません。
きっと、収録用に手配されるのでしょうけど、限りなく似せて作っても良いようでした。
また、別の先輩たちもエキストラでした。鑑識課員の作業服だって、よく似せた複製です。
私はというと、友人から撮影の日時と場所を教えてもらった、ただのやじ馬。^^;
ドラマの収録に左右されることなく駅舎の中からずっと、撮影現場を見ていました。
ドラマに出演した俳優さんは何人もいました。
俳優さんたちは自分の出番がなければ私と一緒に収録を見ています。
辰巳拓郎さんは、いかにも真面目という感じ。
私が話しかけても「収録現場だから話しかけないで」といった空気でした。
京大卒だからとはどうなのか、わかりませんが接していてとてもプライドの高い人のように感じました。
(故)鈴木ヒロミツさんはオープンで、お話ししてくれました。
私は1979年の映画「戦国自衛隊」が大好きなので、その話をしました。
主役の富田靖子さん、ドラマのクライマックスシーン、その撮影を控えていて、長い長いセリフを台本を見ながら何度も何度も朗読していました。
出番待ちで控えていた他の俳優さんとは離れた場所で一人、真剣に。私はとても話しかけられる状況ではないと、近づくことさえできませんでした。小さくて、とても細い女優さんです。
ドラマには富田靖子さんが長い長いセリフを話すシーンに、私が後方で駅舎の中に立っているところがしばらく映っています。当時私が乗っていた車も。
その俳優たちの中に、嶋尾康史さんがいました。私より何歳か年下です。
2020/06/02「ススキノへ行ってきました」にプロ野球、私が贔屓(ひいき)にしている球団を伏せ字で書きました。
嶋尾康史さんは、その球団の元投手です。
その場で初めて知りました。なぜ知らなかったのか。
私には空白期間があります。それは、交通事故で入院して数年。
15日後に退院できましたが、それからしばらくは自分の部屋で寝たきり状態。
頭をケガしたため、ボーっとして、ハッキリするまでにだいたい3年かかりました。
調べると、嶋尾投手がプロ野球でプレイした期間は、ちょうどその頃に重なるのです。
でもあのとき、空白期間だったとは知らない私。
もう何十年もその球団のファンでありながら、そのことは言えませんでした。
何十年もファンであるのに、あなたのことは知らないとは、とてもじゃないが言うことはできません。
ドラマはクライマックスシーンのリハーサルになりました。
富田靖子さんが長いセリフを終え、泣くシーンで辰巳拓郎さんがハンカチを差し出します。
そのシーン、リハーサルを見ながら、嶋尾元投手が言います。
「シリアスなシーンにバックが不似合いだね。」
と。確かに、シリアスなシーンのバックには太陽が擬人化され、ニッコリ手を振る絵がありました。
そのように初対面の私に、何気なくその場の気持ちを話してくれました。
鈴木ヒロミツさんも丁寧に接して下さいましたが、嶋尾元投手はその場で友達になれた気がしました。
嶋尾投手の現役時代というのは5シーズン。
記録を見ると主に先発投手で、1992年には25試合に登板。1勝2敗1セーブ、防御率2.39という成績で、チームを7シーズン振りのセントラル・リーグ優勝寸前にまで導くことに貢献しました(最終順位は2位)。
しかし、シーズン終了後に右肘を痛めて以降は、一軍のマウンドから遠ざかりました。
また阪神淡路大震災でもガラスの破片が左肩へ突き刺さるというケガを負っていたそうです。
暗雲だったのは1990年。
6試合に登板し、6回と2/3。自責点は16ですが、防御率は21.60。
今だからネットでちょっと調べるだけでこのくらいの情報は集まってきます。
もし当時、今のようにネットがもっと便利になっていて、事前にキャストもわかっていたら、、
もっと突っ込んだ話をできていたろうと残念でなりません。
嶋尾元投手は今、サイクロプス大阪のシニアアドバイザーと俳優業に就いているようです。
※Wikipediaより一部引用。
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