表3
島崎藤村(1874−1943)
「千曲川のスケッチ」の烏帽子山麓の牧場と炬燵話の場面で見ると、視覚情報は、通常よりも多いまたは少ないである。従って、観察の際に、視覚以外の五感情報も使われている。シナジーのメタファーは、「島崎藤村と観察に基づく思考」である。
志賀直哉(1883−1971)
「城の崎にて」の蜂の死骸、魚串の鼠そしてイモリの場面で見ると、直哉の観察は凝視故に、各場面で視覚情報が10割となり、他の五感情報はあまりない。シナジーのメタファーは、「志賀直哉と心的操作としての思考」である。
国木田独歩(1871−2008)
「武蔵野」の林、武蔵野の春、夏、秋、冬そして多摩川の場面で見ると、独歩の観察は内面を持つ新しい個人の出現を目指しているため、各場面で視覚情報が大分多く、他の五感情報はあまりない。シナジーのメタファーは、「国木田独歩と内面の写し絵としての思考」である。
横光利一(1898−1947)
「蝿」に描かれた馬車道の滑落事故の場面で見ると、横光は、文化社会論のカテゴリーにおける現実を蝿の目で観察しようと試みているため、視覚情報が多い。シナジーのメタファーは、「横光利一と観察としての思考」である。
エリアス・カネッティ(1905−1994)
「マラケシュの声」の聖なる男マラブとその一週間後の場面で見ると、カネッティの観察は文化圏の違いもあり、各場面で五感情報が多く、中でも視覚情報が多い。シナジーのメタファーは、「カネッティと直感に基づく思考」である。
フランツ・カフカ(1883−1924)
「変身」の大きな害虫に変身したグレゴール・ザムザが家族の様子を観察する場面で見ると、カフカは、虫の目を通して多少ずらしながら家族の現実を描いているため、各場面で視覚情報が多く、接続法の表現も多々見られる。シナジーのメタファーは、「カフカと適応」である。
花村嘉英(20202)「社会学の観点からマクロの文学を考察するー自然や文化の観察者としての作家について」より
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