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2024年09月13日

社会学の観点から文学をマクロに考えるー自然や文化の観察者としての作家について7

 例えば、円山川の中の物を人が眺めている。首に七寸の魚串が刺さっている鼠が川に投げ込まれ、子供や車夫が石を投げていた。なかなか当たらない。鼠は石垣へ這い上がろうとする。しかし、魚串が痞えてまた水に落ちた。直哉がここで見たものは、物体から跳ね返ってくる光を受け取り物体の色や形、大きさ、立体感などの認識になっている。直哉の観察は、凝視である。
 国木田独歩は、作品中に誠実な目で天地自然の存在を見出し、その存在感を指摘している。文体は、言文一致の「武蔵野」でも誠実な自分が語り手のため、主観も客観も描写が可能であった。内面を持つ新しい個人の出現や独歩の内面の写し絵として武蔵野の自然を使用した。独歩は、生涯を通じて社会に関心があり、文学の手法は想像力を基礎とし、作者自身に関わる作品を正当とした。「武蔵野」は、独歩自身を最も慰めてくれる自然の物語であり、言文一致の成功例として同じ気持ちを持つ人間たちに向けて語りかけている。
 エリアス・カネッティは、「マラケシュの声」の中でこの町のアラブとユダヤの街区を通り、不思議な匂いを嗅ぎ、値切り商人と香ばしいパンの売り子を観察し、スラムで盲人、乞食、身体が不自由な障害者の声を聞いた。駱駝の前では屠殺係りの肉屋と一緒に頼りない創造性と間近の臨終を感じ取り、多くの哀れなユダヤ人の顔に驚き、親密な人間関係の証人となり、悪意、貧窮、売春を見て、より良い生活への羨望を感じた。控えめな主観性による散文集の中で、現実の背後にあるファイナルを解き明かすその声や行動に文化の観察者としての五感が冴え渡る。

花村嘉英(20202)「社会学の観点からマクロの文学を考察するー自然や文化の観察者としての作家について」より
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花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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