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しのちゃん
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2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 20:39 | イギリス回想日記 | この記事のURL
正夢
 大社に言ったのは10月14日で15日に帰りました。  その夜(明け方)夢を見たんです。Gが出てきました。ベットの上には猫の絵のTシャツとスーツケースがありました。  そのホテルにGが入ってきて、床に横たわっている私を起こしに来たんです。その後Gが私に覆いかぶさりハッと目が覚めました。  枕元に置いてあった祖母からもらった数珠をいつもその時腕にして眠っていたのですが、どう説明していいかわからないのですが、数珠の紐を留めるためについている小さなプラスティックのものがついていて、その小さなプラスティックがありえもしない紐の先端に来ていたんです。  “なんでこんなところに来ているんだろう”  そしてその日の朝メールをチェックするとなんとそこにはGからのメールが来ていたんです。  それは私たちがメール交換を辞めてから8ヶ月が経っていました。

2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 20:23 | イギリス回想日記 | この記事のURL
縁結び
 数ヶ月が経ち、私は毎日の生活に飽き飽きしていました。  特別目標もなく漠然と過ごしていたのです。  “気分転換に旅行でも行こう”そう思い立った私は、ある県の縁結びの神様に会いに行くことにしました。  “新しい出会いがありますように”そして私はその時もうGについて諦めを持っていました。  そこの県の大社には言い伝えがあり、そこの大社に行くなら、もう一つの神社のところへ行かないと願いが叶わないというのです。  なぜならその大社の神様ともう一つの神社の神様(お姫様)は堅く結ばれているのです。  私は二人の了解を得に行きました。  “必ず素敵な人に出会いますように”  その神社には周りと全く違う雰囲気の池があります。その池にお願い事(神社で用意された紙)を池に浮かべ10円を置くのです。そしてお願いをして3分以内に紙が池の中に沈めば願いが叶う、そう言い伝えられています。  その透明の紙を池に浮かべるとすぐ占いの答えが見えます。それぞれの紙の答えが違うのですが、たとえば「恋愛が叶う・・・」とかそう言った感じで。  私の場合は紙が沈むのに1分もかかりませんでした。

2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 17:07 | イギリス回想日記 | この記事のURL
優柔不断
 Gとメールを交換することに本当は喜びを感じていたにも関わらず、メールを書くと遂Gを責めたり、否定的な事ばかり書いていました。まだGがそれに反応していたから良かったのですが・・・・。  執拗以上に責める私からのメールを受け取って、Gはもう駄目だと思ったのでしょう。  そして私たちのメールは終わりました。  毎日、毎日寝ても冷めてもGの事ばかり。考えないようにしてもGの事を考えてたんです。良くも悪くもGについて。“あんな事したんだから、許せない”とか“今度メールが来た時は絶対にGを受け入れよう”とか。  メール交換をしていなかったにもかかわらず、どこかでGといつか一緒になるって思っていた私は日本での生活も一時的と考えていました。

2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 16:55 | イギリス回想日記 | この記事のURL
考えないようにしても・・。
 帰国後何もかもに疲れた私は、英語の勉強もせず、家で何も考えずに過ごす時間が多くなっていました。  そして本当に私はイギリスが好きだったのか、そしてこれからもイギリスに行くべきなのか自問自答していたのです。  イギリスのことを考えるをやめよう。そう決意しました。  しかし、浮かんでくるんです。イギリスにいる私の姿が、ダブルデッカーが、街を歩いている私が・・。何も考えてないのに、イギリスの風景が次々と浮かんでくるんです。  結局イギリスのことを考えないようにするとイギリスの風景が、しかも自分がその中でどこかを歩いている様子が出てきます。  忘れようって無理したわけじゃないんです。考えなくてもイギリスが出てくるので、やっぱりイギリスを考えない私はもういないんだって思いました。  帰国してからもGとのメールは続いてました。2ヶ月後位経って、断り続ける私に「僕たちは同じ思いだと思っていました。僕はあなたがしたくない事をするのは好きじゃない、もうあなたは日本で別の道を行ったほうがいいのかもしれない。でもあなたは僕がどこにいるか知っている。だからいつでも連絡してきてください。」と言うメールでした。  悲しかったです。  わかりません。どうして断り続けたのか。例え前に言った彼女の事があるにしても。“嘘をつく”と言うことに許せなかったのと、私が誠実に対応している間誰かが傍にいた。そう考えると本当にその事を払拭することができなかったんです。それだけGを思っていたのだと思います。

2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 16:46 | イギリス回想日記 | この記事のURL
大好きなイギリス
 この2年間私は人生勉強をしたように思います。    実はケンブリッジで出会った青年Pとは復讐と言う事で日本に帰ってからロンドンに住むまでずっと手紙の交換をしていました。ロンドンに住んでからはメール交換に変わりましたが、私が日本にいる間にPからJと結婚したと言う連絡が来ました。鐘  でも人の気持ちは時間が経てば変わります。次第にどうでもよくなりました。復讐を誓ったって結局どうでも良い人とメールしてただけなんです。ロンドンに住み始めて以降連絡は取っていません。  そしてケンブリッジで出会ったH子。お金まで貸してくれて本当に感謝しても、仕切れないくらいだったのですが、随分前に書いたように彼女は自分の発言に責任を持っていません。人が不愉快になる事を平気で言うときがありました。私が意見しても自分の意見を通すのでそこで終わりにさせて頂きました。なぜ私が怒ったのか本人はわかってなかったようです。  Gとはその後ずっとメール交換は続きました。メール交換は続いたんです。続いています。そして続けるのでしょうか・・・。  そして私はこの辛く厳しいけれど幸せだった2年間のロンドン生活を終えイギリスを後にしたのであります。

2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 16:31 | イギリス回想日記 | この記事のURL
フラットとロンドンのお別れ
 私は自分の部屋の荷物を整理し、あとは運送会社の車を待つだけとなっていました。  その後本当はこんな事してはいけないのですが、鍵は自分で持ったままO子の部屋に移動。そのことでO子に大家さんが「彼女には気をつけなさい」って言ったそうです。  今まで一番気に留めてもらっていたのに、一番心配してもらっていた大家さんを最後に裏切った形になってしまいました。  大家さんからよく「あなた大丈夫?」って言われてたんです。時々やってくる大家さんの息子さんからも「大丈夫かい?」って。  私は健康なんですが、よく子供の時も勝手に貧血だなんて思われたりしてました。  自分で言うのも変なのですが、私は大家さんに気に入られていたんです。特別気に入られる様な事はしてないのですが、ただ大家さんから気に入られただけなんです。  O子も私が部屋に泊めてもらっている間、自分の部屋からガスの臭いがすると不動産会社に電話をしていたんです。それを不動産会社が大家さんに言ったら、大家さんとO子が一寸険悪になり、結局彼女もその後直ぐに出て行ったみたいです。  3日後フラットを出た私は、後2日ロンドンにいなけらばならなかったので、今度は教会で出会ったフィリピン人Mのステューディオに泊めさせてもらいました。  朝5時にそのステューディオを出なければいけなかったのですが、Mが起きてくれません。勿論5時に起こすなんて悪いので、一人で荷支度をして玄関を出ようとした時、Mが眠い顔で起きてきたんです。悪い気持ちもありましたが、私がそこへ来た時私の所有物(食べ物)をすべてあげたんです。だからせめて何かを食べていきたかったのですが、上げたものを自分が食べるなんかできないので、起きて来ないMに対し一寸不機嫌になりましたが、出発しました。Mに今は悪いことをしたと思います

2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 16:11 | イギリス回想日記 | この記事のURL
新しい住人
 K子が去った後新しい住人が直ぐに入居して来ました。  O子です。彼女は少し私より上でしたが、かなりふけて見えました。  そのO子は80年代のロックが好きでイギリスに来たのと、ストレスで病気になり日本から逃げるようにイギリスに来たらしいのです。  後になって私はこのフラットと言うより部屋を出てO子の部屋で3日泊めてもらうことになります。  1月4日にGと会ってからずぐに私はメールを送りました。ありがとうのメールを。でも実は全くそんな感情無かったのです。  Gと会った日こんな会話がありました。どちらが切り出したのか覚えてませんが、Gが「彼女(私が直感で感じた人)は12歳年下の中国人だった。いつも口論が絶えなかったけど彼女は良かった。」って言ったんです。  私がなぜあの時会わなかったのか、怒ったのかわかってますか?その彼女の事でです。どうしてそれをその時言うのでしょうか。今思えば一生懸命話す内容を探していたのでしょうが、どうしてよりによってその話をしたのか・・。  私も言いました。「私のフランス人のボーイフレンドは24歳でした。」Gがうつむき加減に「あ〜」って言いました。  だからまたその事が蘇ったんです。せっかく会えたのになんでそんな事はなすんだろう。  怒りが治まりませんでした。でも初めは「昨日はありがとう、楽しかったわ」て書いたんです。返事が来ません。人がせっかくメールを書いたのに返事を書かないとは!  だから言ってしまったんです。「なんで前の彼女の話しなんかするんですか?」かなり怒っていたのでその後何を書いたか覚えてません。  その後すぐGからメールが来て「僕は昨日ニューヨークに帰ったんだよ。だからメールを書くことができなかった。  君は彼女について話している僕に“そんな話すべきじゃない”って言うべきだった。」って書いてきたんです。そして多分また謝ってきたんだと思います。  せっかくうまくいきかけたGとの交際でしたが、それ以降のメールは辞書も引かずに感覚で読んでいたのと、私のパソコンが使えなくなってしまったので、じっくり読めなかったんです。前にも書いたように彼は公式的なビジネス文書を良く書いてきたので(これが彼の標準の会話の方法なんでしょう)私のレベルでそれを総て理解しろと言うのは無理です。

2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 15:50 | イギリス回想日記 | この記事のURL
やっぱり因果応報
 R子とK子とはまだ同じフラットでした。しかし私がキッチンに居たときにK子が来て「私このフラット出ようと思っているんです。」以前からK子は不運に見舞われていました。  財布よりも大事な手帳を盗まれ、病院に行くほどの騒ぎを起こして日本に一時帰国をしていたんです。  私にそのいきさつをK子は話しました。「本当に最近ついてないんです。」内心当たり前じゃないかと思いました。  私がK子と初めて一緒に食事をした時から私は彼女が嫌いだったので、親しく話すわけありません。それなのに「しのぶさん一人でいたいかと思って声をかけなかったんです」って言った事がありました。  声を掛けなくても良いですが、私が別の人の悪口をK子に言っているような事を言うのは明らかにこの人が悪いんです。  でも結局人の事を言ったり、人に不愉快な事をするのは後々本人に降りかかってきます。それを身を持って感じました。  一番最初に私の隣に来たB子も一緒に居る時大家さんからお金を払っているのに、“払ってない”って言われて2度払いしました。  R子にもよくないことが降りかかってました。カードが盗まれたり、何かごたごたと彼女の周りであったようです。  必ず総てにこの因果関係があるかはわかりませんが、少なくとも人を意図的に不愉快にさせたりすれば私は因果応報はあると思います。  その後K子は引っ越して行きました。新しい職場を紹介されたと言うことです

2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 15:10 | イギリス回想日記 | この記事のURL
やっと出会えた
 Gとは相変わらずメールが続いてました。もう何回も「メールを辞めたい」って言ったんですが、「辞める必要はない」とか「何が起こったんだそこで!」って書いてくるんです。実際もう2年近くになろうとしていましたが、まだ会ったことも無かったんです。  でも今思っても、Gしか続かなかったって思います。  クリスマスの時期にGがイギリスの実家に帰国すると言っていました。  もういい加減会ってみようか・・・・。そう思ってGに言ったんです。「会いますか?」ってそしたら「会いたい」って言うので、偶然にも2年前に私がまだ日本に居たときにGとインターネットで初めて話した日に会うことになりました。  そして何日か前にGから電話があったんです。あいにく私は不在で留守番電話にメッセージが残してありました。「こんにちは、○○○○○・○○○○○○○です。そしてそれがどうしても私には聞き取れなかったんです。そして“ライセスターピカデリー○○○○○○って地名の名前と彼の苗字を言っているかのようだったんです。(本当はライセスターではなくレスターです。)  その後私が折り返し電話をすると、Gがとても緊張した声で電話に出たのです。  そして1月4日、遂に!私たちは2年目にしてようやくあったのでした。そして偶然にも彼が言ったと思っていたレスタースクエアで待ち合わせをする事になったのです。  Gは手にペットボトルを持ち何度もその水を飲んでました。“あっ彼だ!”私がGに近づくと、一緒に歩き始めるや否や物凄い勢いで話始めたのです。「僕は風邪を引いてマシューに薬を買ってきてもらって・・・」  「マシューってロンドンに住んでるの?」「ああそうなんだ」  私はほとんどGの話を聴いてるだけでした。  それからGの行くままについていき、あるカフェに入ったのです。  まだお店はガラガラでした。Gはキョロキョロするだけだったので、私がウェイターに「どこでも座って良いですか?」って聞いたんです。「どこでもどうぞ」そして私たちは壁側にあるテーブルに座りました。  Gと私はまずはお水を注文。それからGがずっと下を向いてるんです。  Gはとっても素敵な人でした。美しい手、魅力的な胸元、特別ハンサムではないですが、私の理想としている感じのイギリス人でした。背も高くガッちっとした体系で、男らしい(見た目は)感じでした。  しかしずっと下を向いて話してたんです。  年末年始私はスコットランドに2回目のニューイヤーズフェスティバルを見に行きました。その時おかまなボーイ・ジョージがゲストとして来ていて、私は直接彼を見ることはできませんでしたが、大画面でおかまなボーイを見る事になりました。  Gはイギリス人なのにハギス(スコットランドの名物)を食べたことが無いということだったので、私は会うときにお土産で渡しました。  二人の会話中「あなた自分に自身を持ってる」って言うんです。全く持ってません。もし自身があればGに直ぐに会ったでしょう。  Gを見ていると、早く会うべきだったって思いました。こんなに緊張している。食事も全く注文しない。  彼はその夕方飛行機でニューヨークに行くはずだったのですが、飛行機の時間を電話で延ばしていました。しかし私が直ぐに「もう出たいです。」って言うとじゃあ次どこに行きますか?って言うのを期待していたのに、そのまま出て「私ローラ・アシュレイに行きます。」って言って手を振ってお別れしたんです。  お別れする前に彼が「やっと、やっと会えたね。今度会うときは日本だね」って何度も言って、そして何度もGが私のほうを振り返り何回もお互い手を振ってお別れしました。  結局Gは会話中ほとんど下を向いていました。  とっても幸せな時間を過ごしたはずだったのに・・・・。

2008年02月03日 Posted by しのちゃん at 14:57 | イギリス回想日記 | この記事のURL
韓国人男性はイギリス人男性より紳士?
 その教会で夜水曜日聖書を読んで、その意見をグループごとに話し合う会があったんです。食事もできました。  そこには大体同じメンバーが来ていて、その中に韓国人男性2人がいたんですが、その内の一人がいつも私に会うと「I KNOW YOU」って言うんです。彼は韓国では医者をしていました。その友達が「彼は凄い頭がいいんだよ」そしてその「I KNOW YOU」には意味があるんだっていっていましたが、結局教えてくれませんでした。  その韓国人男性はとても紳士的でした。椅子に座るときわざわざ引いてくれたり、ハンカチで椅子をふいてくれたりと。そこまでしてもらわなくても良かったのですが、結構韓国人の男性って紳士って思いました。  この事は私が後にロンドンで紅茶の勉強をしていた時どうしてだかわかったのです。

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