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2008年05月29日
住宅ローン返済のため宝くじ販売
失職したスペインの男性、住宅ローン返済のため宝くじ販売
職を失って住宅ローンの支払いに困ったスペイン人の不動産業者が、マドリード近郊にあるアパートを景品に、宝くじの販売を始めた..........≪続きを読む≫
職を失って住宅ローンの支払いに困ったスペイン人の不動産業者が、マドリード近郊にあるアパートを景品に、宝くじの販売を始めた..........≪続きを読む≫
2008年05月27日
「親の知らないメル友がたくさんいる」
小5の5.6%「親の知らないメル友がたくさんいる」
社団法人日本PTA全国協議会は、成長期における子どもの心身に大きな影響を与えるテレビ、ゲーム、マンガ、パソコン、また携帯電話、PHSについての利用実態についてアンケート『子どもとメディアに関する意識調査』を実施し..........≪続きを読む≫
社団法人日本PTA全国協議会は、成長期における子どもの心身に大きな影響を与えるテレビ、ゲーム、マンガ、パソコン、また携帯電話、PHSについての利用実態についてアンケート『子どもとメディアに関する意識調査』を実施し..........≪続きを読む≫
2008年05月21日
2008年05月17日
2008年05月02日
あり得ない!信じられない!
業界初!大胆すぎる!あり得ない!信じられない!究極のウェブショップがついに登場!この度肝をぬく新時代ショッピングの幕開けと、私の言っている意味を知ったとき・・・あなたは平常心でいられるはずがない!「これからの私はお買い物にお金は使いま宣言!」この世の中にはあり得ない、考えられないことがまれに実在することがあるあなたの常識がこの瞬間に崩れ去る!
熱狂の日」 定着した“百万人の音楽祭
「熱狂の日」 定着した“百万人の音楽祭”(5月2日付・読売社説)
大型連休中の文化行事として、すっかり定着した感がある。
クラシック音楽の祭典〈ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭〉が東京と金沢で開幕した。期間中、国内外の1700人の演奏家が約500の公演を行う。
3万人が集まったロックコンサートをヒントにした「熱狂の日」音楽祭は、フランスの地方都市ナントで1995年から始まり、瞬く間にヨーロッパ有数の巨大な音楽祭に成長した。
今ではスペインのビルバオなど世界5都市に広がっている。
東京国際フォーラムを主会場にした東京の音楽祭は、今年で4年目を迎えた。来場者は20〜30代の若い層を中心に年々増えており、昨年は100万人を突破した。
東京での成功を受けて、今年から金沢市でも始まった。
両会場とも平均1500円の手ごろな料金で、世界の著名な演奏家の名演を聴くことが出来る。無料コンサートや、幼児と共に楽しめる公演も用意されている。
昨年のアンケート調査では、91%もの人が、「来年も来たい」と回答した。
クラシックファンの裾野(すその)を広げる開かれた音楽祭は、音楽界に大きな刺激を与えている。
会場のステージは、世界の多様な文化が融合する場でもある。
東京の会場では、中米トリニダード・トバゴのバンドオーケストラが、スチールドラムを使って、シューベルトの「未完成」や「魔王」などの名曲を披露する。
金沢では、ベートーベンのピアノソナタ「月光」などに合わせて能楽師が舞う。
音楽通の人も、クラシックの演奏会は初めてという人も、音楽の魅力について新たな発見があるかもしれない。
企業の支援も欠かせない。昨年の事業費7億6000万円の半額は、協賛企業などが負担した。
多くの人が気軽に楽しめるクラシック音楽祭は、全国各地に広がりを見せている。
仙台市では、2年前から秋にクラシックフェスティバルが開催されている。前売り券は1000円に抑え、3日間に101回の演奏会を実施している。
大阪市でも、2年前から大阪フィルによる無料の街角コンサートが開かれている。
クラシック音楽を身近にする試みが広がっていくことで、音楽界にも新たな活力が生まれるに違いない。地域の活性化にもつながっていくだろう。
(2008年5月2日01時52分 読売新聞)
情報発信基地
「今日は何の日」1994年5月1日「セナ激突死」
1994(平成6)年5月1日(現地時間)、イタリアのイモラで行われたF1サンマリノGPで“音速の貴公子”といわれたアイルトン・セナ(ブラジル)が時速300キロで防御壁に激突、死亡した。34歳だった。
夕刊フジは翌2日の1面で「天才セナ 激突死の謎」と詳報した。
事故が起きたのは「タンブレロコーナー」。時速250キロから300キロの猛スピードで左にコーナリングしていく同サーキット名うての高速コーナーで、ミスから縁遠いセナだっただけに、車体のトラブルなどが考えられる、としている。
ブラジルのフランコ大統領は「セナはブラジルが誇る英雄だった」と異例のコメント。日本人初のF1フル参戦ドライバーの中嶋悟氏は「セナは世界で一番車の運転がうまく、速い男だった」とあっけない死を悼んだ。セナは87年に、当時所属していたロータスに懇願して日本のホンダ・エンジンを搭載したいきさつがあり、「日本は第二の故郷」といっていた。
当時の本田技研・川本信彦社長は「天才的なドライビングテクニックとその人柄は、世界の人々の心の中に永遠に残り、語り継がれるだろう」と哀悼の意を表した。