2008年05月02日
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「今日は何の日」1994年5月1日「セナ激突死」
1994(平成6)年5月1日(現地時間)、イタリアのイモラで行われたF1サンマリノGPで“音速の貴公子”といわれたアイルトン・セナ(ブラジル)が時速300キロで防御壁に激突、死亡した。34歳だった。
夕刊フジは翌2日の1面で「天才セナ 激突死の謎」と詳報した。
事故が起きたのは「タンブレロコーナー」。時速250キロから300キロの猛スピードで左にコーナリングしていく同サーキット名うての高速コーナーで、ミスから縁遠いセナだっただけに、車体のトラブルなどが考えられる、としている。
ブラジルのフランコ大統領は「セナはブラジルが誇る英雄だった」と異例のコメント。日本人初のF1フル参戦ドライバーの中嶋悟氏は「セナは世界で一番車の運転がうまく、速い男だった」とあっけない死を悼んだ。セナは87年に、当時所属していたロータスに懇願して日本のホンダ・エンジンを搭載したいきさつがあり、「日本は第二の故郷」といっていた。
当時の本田技研・川本信彦社長は「天才的なドライビングテクニックとその人柄は、世界の人々の心の中に永遠に残り、語り継がれるだろう」と哀悼の意を表した。
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