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2014年02月06日
病者の塗油
病者の塗油(びょうしゃのとゆ、ラテン語: Unctio Infirmorum[1], 英語: Anointing of the Sick)はカトリック教会の七つの秘跡のひとつ[2]。
古代から行われていた病者への塗油は、時が経つにつれて臨終にある者に対してのみ行われるようになったため「終油(しゅうゆ)の秘蹟」と呼ばれるようになっていたが、第二バチカン公会議後の1972年に秘跡の由来と本来的な意味の見直しが行われ、対象を臨終のものに限らず行われる「病者の塗油」という名前に改められた[2]。カトリック教会では新約聖書のヤコブの手紙5:13-16を論拠に初代教会の時代からこの儀式が行われてきたと見なしている[2]。
概説[編集]
福音書の中でイエス・キリスト自身が病人をいたわり、癒し、(病気の原因と考えられていた)悪霊を追い出した。使徒たちもイエスと同じように病人を癒した。ヤコブ書5章13節から16節では初代教会において、病人が罪の許しを願い、教会の長老たちによってオリーブ油を塗られ、祈りを受けている様子が描かれている。カトリック教会はこの伝統を引き継ぎ、病人の癒しのために、聖なる油を塗り、病人のために祈るという儀式を続けてきた。
伝統的なやり方では秘蹟を行うのは司教、あるいは司祭である。儀式の流れは初めに祈りがあり、聖書の朗読および連願が行われ、中心的な部分である塗油が行われる。ついで聖体拝領と祝福が行われて儀式が終わる。この聖体拝領は特に臨終の人にとっては最後の拝領として大きな意味がある。[4]
キリスト教他教派における塗油[編集]
正教会の機密の一つにも同種のものがあり、「聖傅機密」(せいふきみつ)と呼ばれる。
プロテスタントでも油を塗って神癒を祈ることがあるが、礼典、サクラメントではない。[5][6][7]
古代から行われていた病者への塗油は、時が経つにつれて臨終にある者に対してのみ行われるようになったため「終油(しゅうゆ)の秘蹟」と呼ばれるようになっていたが、第二バチカン公会議後の1972年に秘跡の由来と本来的な意味の見直しが行われ、対象を臨終のものに限らず行われる「病者の塗油」という名前に改められた[2]。カトリック教会では新約聖書のヤコブの手紙5:13-16を論拠に初代教会の時代からこの儀式が行われてきたと見なしている[2]。
概説[編集]
福音書の中でイエス・キリスト自身が病人をいたわり、癒し、(病気の原因と考えられていた)悪霊を追い出した。使徒たちもイエスと同じように病人を癒した。ヤコブ書5章13節から16節では初代教会において、病人が罪の許しを願い、教会の長老たちによってオリーブ油を塗られ、祈りを受けている様子が描かれている。カトリック教会はこの伝統を引き継ぎ、病人の癒しのために、聖なる油を塗り、病人のために祈るという儀式を続けてきた。
伝統的なやり方では秘蹟を行うのは司教、あるいは司祭である。儀式の流れは初めに祈りがあり、聖書の朗読および連願が行われ、中心的な部分である塗油が行われる。ついで聖体拝領と祝福が行われて儀式が終わる。この聖体拝領は特に臨終の人にとっては最後の拝領として大きな意味がある。[4]
キリスト教他教派における塗油[編集]
正教会の機密の一つにも同種のものがあり、「聖傅機密」(せいふきみつ)と呼ばれる。
プロテスタントでも油を塗って神癒を祈ることがあるが、礼典、サクラメントではない。[5][6][7]
神癒
神癒(しんゆ、英語: Divine Healing)はホーリネス教会の中心教理の四重の福音の一つ。神の力により、按手、また祈りの中で病気が癒されること。ホーリネス系や聖霊派などでは今日でも、神の力により神癒が行われると信じられている。福音派にも神癒の信仰があり、日本福音連盟の『聖歌』の裏扉には神癒の根拠聖句が書かれてある[1]。
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は「基本的真理に関する宣言」で「神癒は福音の不可欠要素である」と告白する。
聖書の箇所[編集]
聖句は出エジプト記15章26節「わたしは主、あなたをいやす者である。」、イザヤ書53章4節「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」、ヤコブ書5章15節「信仰による祈りは、病む人を回復させます。」[2]である。
マタイによる福音書はイエス・キリストの癒しを、イザヤ書の預言の成就としている。「夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(マタイ8:16-17[3])
神癒伝道者[編集]
三谷種吉[4]、ウィリアム・ブラナム、ゴードン・リンゼイ、A・A・アレン、オーラル・ロバーツ、T・L・オズボーン、キャサリン・クールマン、ジョン・ウィンバーらがいる。
サクラメントと認めるか[編集]
ヤコブ書を根拠の聖句としてサクラメントとする教会が存在する。プロテスタントにおいては礼典ではなく、聖公会においては聖奠ではないが聖奠的諸式として聖奠に準じた扱いとなる。
他方、カトリック教会では、ヤコブ書に基づき秘跡(サクラメント)として病者の塗油がなされる。正教会においては病人への塗油と祈りを伴う聖傅機密があり、機密(ミスティリオン)の一つとして数えられる。[5]
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は「基本的真理に関する宣言」で「神癒は福音の不可欠要素である」と告白する。
聖書の箇所[編集]
聖句は出エジプト記15章26節「わたしは主、あなたをいやす者である。」、イザヤ書53章4節「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」、ヤコブ書5章15節「信仰による祈りは、病む人を回復させます。」[2]である。
マタイによる福音書はイエス・キリストの癒しを、イザヤ書の預言の成就としている。「夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(マタイ8:16-17[3])
神癒伝道者[編集]
三谷種吉[4]、ウィリアム・ブラナム、ゴードン・リンゼイ、A・A・アレン、オーラル・ロバーツ、T・L・オズボーン、キャサリン・クールマン、ジョン・ウィンバーらがいる。
サクラメントと認めるか[編集]
ヤコブ書を根拠の聖句としてサクラメントとする教会が存在する。プロテスタントにおいては礼典ではなく、聖公会においては聖奠ではないが聖奠的諸式として聖奠に準じた扱いとなる。
他方、カトリック教会では、ヤコブ書に基づき秘跡(サクラメント)として病者の塗油がなされる。正教会においては病人への塗油と祈りを伴う聖傅機密があり、機密(ミスティリオン)の一つとして数えられる。[5]
悪魔払い
悪魔払い(あくまばらい、あくまはらい、悪魔祓い、悪魔払)は、宗教、民俗信仰において、祈祷・儀式などによって悪魔・悪霊、悪神、魔神、偽りの神を追い払うこと、またその祈祷・儀式・行事である。
このような営為は、古代から現代に至るまでの世界各地のさまざまな社会にみられるものである[出 1]。それら世界各地の宗教、民族宗教、民俗信仰、その文化における類似行為・現象を、それぞれの名称や意義や形態はさまざまであるが、文化人類学者は総称的に「悪魔払い」と呼ぶことがある[註 1]。悪霊払い(悪霊祓い)、祓霊儀礼ともいう。
用語として[編集]
「悪魔払い」(あくまはらい)[註 2]は修験道や神道に関わる[出 2]日本の宗教文化の語彙である。「払い」とは、元は神道における「祓い」すなわち「祓(はらえ)」であり、穢れを払い、災厄を消滅するための行事であったとされる[出 3]。この場合の「魔」、「悪魔」は仏教用語であり、悪魔と翻訳されたキリスト教の「デヴィル」や「サタン」とは歴史的背景と宗教的意味を異にしている。仏典のマーラの音訳からの漢語として仏教の伝来とともに日本に入ったもので、元は仏道修行を妨げる悪神を意味したが、日本では害や災いをなす原因を人格化した存在一般を悪魔の語で表すようになった[出 4]。
キリスト教では、教派により用語や扱いが異なるが、悪魔、異教(非キリスト教)と決別するエクソシズムの伝統がある。カトリック教会のエクソシズムは、映画『エクソシスト』のヒットにより一般にも有名である。日本語のカトリック用語ではエクソシズムを「祓魔」ともいう[出 5]。
キリスト教の文脈から離れて、エクソシズムという言葉は広く世界各地の宗教文化・民俗文化にみられる悪魔または悪霊を場や人から追い払う諸実践・文化事象に対しても適用されている。日本語ではエクソシズムの訳語として「悪魔祓い」[註 3]、時には「悪霊祓い」[註 4]が当てられる。
日本における悪魔払い[編集]
神道大辞典によれば、悪魔払い(あくまばらい)とは、
遊魂変をなすもの、若しくは不正の邪気に犯さるるを払ふ調伏呪文、加持祈祷の類。『世事間〔ママ〕談』には通り悪魔を払ふに、普門品を唱へて効験あることを載せ、陰陽道にては調伏呪文、修験道には加持祈祷によつてこれを払ふ秘法を説いてゐる。
− 神道大辞典[註 5]
すなわち、修験者や陰陽師による調伏呪文、加持祈祷などによって、游魂が変異をなして物の怪となったものを払う、あるいは邪気・邪霊に侵された人から邪気を払うものである。
「祓い」は古くは神道の祭祀であったが、大陸から渡ってきた宗教や陰陽五行説をもとに陰陽道が構築され、陰陽寮が発足してから、祓いの役割は陰陽師に移ったとされる[出 6]。以来、明治時代に入り、再び「祓い」の祭祀が神道に戻されるまでの間に、仏教、儒教、民間信仰を吸収・習合しながら、様様な悪魔払いの儀式・行事・呪い(まじない)として民間にも広がり浸透していった[出 7]。
民俗学者の坪井洋文は、悪魔は民間信仰の次元で考えられることが多いとしながら、色々な信仰習合の歴史を経ても、日本における悪魔払いの根底には、日本固有の「祓い」の観念が潜在しているとする[出 8]。「悪魔を払う方法も、民間信仰的なさまざまの形をとっているが、密教の調伏咒文、修験道の加持祈祷の類が典型的といえよう」「民間行事としての疫神送りや人形送りも、広義には悪魔払の一種であり、獅子舞などの民間芸能のなかにもその信仰上の名残りを見出すことができる」と説いている[出 9]。
修験道では悪魔を退散させる修法が行われ、修験道の影響を受けた民間芸能の中に悪魔払いの側面があるとも指摘されている[出 10]。神仏習合の世界観の下、諸国を遊行して加持祈祷を行い、邪霊の調伏や憑き物落としに携わった修験者・山伏[出 11]は、民間の芸能にも関わり、各地で神楽などを伝えた[出 12]。その中には悪魔払いの意味をもつ獅子舞や祈祷舞が含まれており、たとえば岩手県に伝わる山伏神楽である黒森神楽の清祓には「この家に悪魔あらんをば祓い清め申す」といった文言がある[出 4]。
現在でも日本各地には「悪魔払い」としての民間行事や祭りがあり、金沢市の魔除けの舞いを修する「山王悪魔払い」のように[出 13]、山王信仰の中にも悪魔払いの儀式が残っている。新潟の「十二山祭」では、山の安全を祈願して悪魔払いの弓を射る[出 14]。どんど焼きとして知られる左義長(さぎちょう)も平安時代の悪魔払い「三毬杖」に由来するとされている[出 15]
沖縄や鹿児島県では、グシチ[註 6]と呼ばれるススキやその葉を束ねたり重ねて形を整えて悪魔払いの呪具とする。シマクラサー(悪疫払いの儀式)に家の決められた場に飾って魔除けとする他、祈願を終えた女性神役が、グシチで村の家々の壁や子供を叩くことで悪魔払いをする[出 16]。
諸宗教に対するキリスト教との比較の見解[編集]
悪魔払いと和訳されるところのキリスト教文化のエクソシズムの概念を、その他の諸伝統における類似の営みに対して適用しうるかどうかについては争いがある。
2世紀のキリスト教神学者、殉教者ユスティノスは、世界中でキリストの御名の下に多くのキリスト教徒が非キリスト教徒の悪魔払い師の癒せなかった人々から悪霊を駆逐してきたと述べ、キリスト教の悪魔払いは異教のそれとは一線を画しているとする[出 17]。
『カトリック百科事典』は、神またはキリストの御名の下に行われるキリスト教の悪魔払いは真に宗教行為であるが、民族宗教のそれは呪術や迷信にすぎないとして、カトリックの悪魔払いを異教の悪魔払いと混同して迷信と断ずることを批判している[出 18]。
厳命による追放はエクソシズムの第一義であり、キリスト教の用法におけるがごとく、この厳命が〈神〉もしくは〈キリスト〉の御名においてのものであれば、エクソシズムは厳密に宗教的な行為ないし儀礼である。しかし民族宗教では、そしてエクソシズムが広く行われた証拠のある時代以降のユダヤ人の間でさえも、宗教的行為としてのエクソシズムは現代の非カトリックの著述家が時々キリスト教のエクソシズムを不当に同類とみなすところのたんなる呪術的・迷信的手段を行使することに大部分取って替わられている。
− Catholic Encyclopedia (1913)
カトリック教会の「祓魔」は教会法で定められている凖秘跡のひとつであり、イエスが教会に委ねた霊的権能に依拠するものであることがカテキズムで謳われている。その意味において、教会とは関係のない民間の呪術師の自称悪魔払いとは別物とされる[出 5]。現代のカトリック教会においては、悪魔払いは基本的にカトリックの洗礼式の時に行われる。また「盛儀祓魔式」と呼ばれる本式のものは司教の許可が必要であり、これはローマ・カトリック独自のものである[出 19][出 20][出 21]。マルコによる福音書には、イエス・キリストが悪霊を追い出した時、ファリサイ派がイエスは悪魔ベルゼブルの力によってそれを追い出したと主張した、という記事がある。プロテスタントの聖書注解は、当時のユダヤにも悪魔払いを行なう者が多くいたが、それとイエス・キリストが異なる点は、イエスが決して失敗せず、神の力を持っていた点であると指摘する[出 22]。
米国の中世史家ロッセル・ホープ・ロビンズは、膨大な資料を基に執筆した西欧の魔女と悪霊の百科事典『悪魔学大全』において、憑依と悪魔払いは時代と地域とを問わずすべての宗教に共通する普遍的なものであると述べる。そして、キリスト教の悪霊の概念は他の宗教の悪霊とは別であるが、キリスト教の悪魔払いと他の宗教の同様の儀式には大きな違いはないとしている[出 23]。
科学的見地による悪魔払い[編集]
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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年2月)
現在科学では人に憑依するような悪魔は存在しないものと考えられており、悪魔憑きは全て科学的・医学的に説明のつく現象であると考えられている。悪魔憑きと考えられる科学的理由については悪魔憑きを参照されたい。科学的見地による悪魔払いは、すなわち悪魔憑き的現象の原因を取り除くことであり、例えば医学的な疾患の場合は単に疾患の特定とその治療を指す。
カトリックにおける悪魔憑きの判断基準となる兆候は、精神疾患などの他因性の現象にも見られるもので、魔女狩りの例もあるように悪魔によらないものを悪魔憑きと誤認してしまう恐れがあり大変危険である。ある人に異常な振る舞いが見られたら、医療機関に相談することが望ましい。
他方、かつて解離性同一性障害の治療に際し、複数の人格を1つに統合する目的で、意図的に悪魔払いの儀式(交代人格を儀式により自殺させるなど)を行う医師もいたが、現在ではこの方法は患者にかえって悪影響を与える可能性があるとして否定されている。
悪魔払いに関する事件[編集]
現代においても、悪魔払いを目的、または名目として、人を虐待したり死に至らしめる等の事件が起こっている。
ルーマニアでは、2005年にルーマニア正教会の神父が悪魔払いのために尼僧をはりつけにするという殺人事件があった(en:Crucifixion#Crucifixion today)[出 24]。
ドイツのアンネリーゼ・ミシェルの事件では、悪魔払いのために科学的医療行為を止めさせた結果、アンネリーゼが死亡したとして、両親と神父が過失致死罪で有罪判決を受けた。この事件を元にした映画が「エミリー・ローズ」である。
2010年、アフリカ、コンゴの首都キンシャサでは、キリスト教原理主義をうたっていると伝えられる新興宗教団体による子供たちへの悪魔払いと称する行為が問題となっている[出 25]。ナイジェリアにおいても近年、牧師を名乗る男や牧師の妻によって子供たちが魔女や黒魔術師と決め付けられ、悪魔払いとして火を点けられたり、釘を打ち込まれる等の虐待を受けたり、殺害されるという事件が起こっている[出 26]。
このような営為は、古代から現代に至るまでの世界各地のさまざまな社会にみられるものである[出 1]。それら世界各地の宗教、民族宗教、民俗信仰、その文化における類似行為・現象を、それぞれの名称や意義や形態はさまざまであるが、文化人類学者は総称的に「悪魔払い」と呼ぶことがある[註 1]。悪霊払い(悪霊祓い)、祓霊儀礼ともいう。
用語として[編集]
「悪魔払い」(あくまはらい)[註 2]は修験道や神道に関わる[出 2]日本の宗教文化の語彙である。「払い」とは、元は神道における「祓い」すなわち「祓(はらえ)」であり、穢れを払い、災厄を消滅するための行事であったとされる[出 3]。この場合の「魔」、「悪魔」は仏教用語であり、悪魔と翻訳されたキリスト教の「デヴィル」や「サタン」とは歴史的背景と宗教的意味を異にしている。仏典のマーラの音訳からの漢語として仏教の伝来とともに日本に入ったもので、元は仏道修行を妨げる悪神を意味したが、日本では害や災いをなす原因を人格化した存在一般を悪魔の語で表すようになった[出 4]。
キリスト教では、教派により用語や扱いが異なるが、悪魔、異教(非キリスト教)と決別するエクソシズムの伝統がある。カトリック教会のエクソシズムは、映画『エクソシスト』のヒットにより一般にも有名である。日本語のカトリック用語ではエクソシズムを「祓魔」ともいう[出 5]。
キリスト教の文脈から離れて、エクソシズムという言葉は広く世界各地の宗教文化・民俗文化にみられる悪魔または悪霊を場や人から追い払う諸実践・文化事象に対しても適用されている。日本語ではエクソシズムの訳語として「悪魔祓い」[註 3]、時には「悪霊祓い」[註 4]が当てられる。
日本における悪魔払い[編集]
神道大辞典によれば、悪魔払い(あくまばらい)とは、
遊魂変をなすもの、若しくは不正の邪気に犯さるるを払ふ調伏呪文、加持祈祷の類。『世事間〔ママ〕談』には通り悪魔を払ふに、普門品を唱へて効験あることを載せ、陰陽道にては調伏呪文、修験道には加持祈祷によつてこれを払ふ秘法を説いてゐる。
− 神道大辞典[註 5]
すなわち、修験者や陰陽師による調伏呪文、加持祈祷などによって、游魂が変異をなして物の怪となったものを払う、あるいは邪気・邪霊に侵された人から邪気を払うものである。
「祓い」は古くは神道の祭祀であったが、大陸から渡ってきた宗教や陰陽五行説をもとに陰陽道が構築され、陰陽寮が発足してから、祓いの役割は陰陽師に移ったとされる[出 6]。以来、明治時代に入り、再び「祓い」の祭祀が神道に戻されるまでの間に、仏教、儒教、民間信仰を吸収・習合しながら、様様な悪魔払いの儀式・行事・呪い(まじない)として民間にも広がり浸透していった[出 7]。
民俗学者の坪井洋文は、悪魔は民間信仰の次元で考えられることが多いとしながら、色々な信仰習合の歴史を経ても、日本における悪魔払いの根底には、日本固有の「祓い」の観念が潜在しているとする[出 8]。「悪魔を払う方法も、民間信仰的なさまざまの形をとっているが、密教の調伏咒文、修験道の加持祈祷の類が典型的といえよう」「民間行事としての疫神送りや人形送りも、広義には悪魔払の一種であり、獅子舞などの民間芸能のなかにもその信仰上の名残りを見出すことができる」と説いている[出 9]。
修験道では悪魔を退散させる修法が行われ、修験道の影響を受けた民間芸能の中に悪魔払いの側面があるとも指摘されている[出 10]。神仏習合の世界観の下、諸国を遊行して加持祈祷を行い、邪霊の調伏や憑き物落としに携わった修験者・山伏[出 11]は、民間の芸能にも関わり、各地で神楽などを伝えた[出 12]。その中には悪魔払いの意味をもつ獅子舞や祈祷舞が含まれており、たとえば岩手県に伝わる山伏神楽である黒森神楽の清祓には「この家に悪魔あらんをば祓い清め申す」といった文言がある[出 4]。
現在でも日本各地には「悪魔払い」としての民間行事や祭りがあり、金沢市の魔除けの舞いを修する「山王悪魔払い」のように[出 13]、山王信仰の中にも悪魔払いの儀式が残っている。新潟の「十二山祭」では、山の安全を祈願して悪魔払いの弓を射る[出 14]。どんど焼きとして知られる左義長(さぎちょう)も平安時代の悪魔払い「三毬杖」に由来するとされている[出 15]
沖縄や鹿児島県では、グシチ[註 6]と呼ばれるススキやその葉を束ねたり重ねて形を整えて悪魔払いの呪具とする。シマクラサー(悪疫払いの儀式)に家の決められた場に飾って魔除けとする他、祈願を終えた女性神役が、グシチで村の家々の壁や子供を叩くことで悪魔払いをする[出 16]。
諸宗教に対するキリスト教との比較の見解[編集]
悪魔払いと和訳されるところのキリスト教文化のエクソシズムの概念を、その他の諸伝統における類似の営みに対して適用しうるかどうかについては争いがある。
2世紀のキリスト教神学者、殉教者ユスティノスは、世界中でキリストの御名の下に多くのキリスト教徒が非キリスト教徒の悪魔払い師の癒せなかった人々から悪霊を駆逐してきたと述べ、キリスト教の悪魔払いは異教のそれとは一線を画しているとする[出 17]。
『カトリック百科事典』は、神またはキリストの御名の下に行われるキリスト教の悪魔払いは真に宗教行為であるが、民族宗教のそれは呪術や迷信にすぎないとして、カトリックの悪魔払いを異教の悪魔払いと混同して迷信と断ずることを批判している[出 18]。
厳命による追放はエクソシズムの第一義であり、キリスト教の用法におけるがごとく、この厳命が〈神〉もしくは〈キリスト〉の御名においてのものであれば、エクソシズムは厳密に宗教的な行為ないし儀礼である。しかし民族宗教では、そしてエクソシズムが広く行われた証拠のある時代以降のユダヤ人の間でさえも、宗教的行為としてのエクソシズムは現代の非カトリックの著述家が時々キリスト教のエクソシズムを不当に同類とみなすところのたんなる呪術的・迷信的手段を行使することに大部分取って替わられている。
− Catholic Encyclopedia (1913)
カトリック教会の「祓魔」は教会法で定められている凖秘跡のひとつであり、イエスが教会に委ねた霊的権能に依拠するものであることがカテキズムで謳われている。その意味において、教会とは関係のない民間の呪術師の自称悪魔払いとは別物とされる[出 5]。現代のカトリック教会においては、悪魔払いは基本的にカトリックの洗礼式の時に行われる。また「盛儀祓魔式」と呼ばれる本式のものは司教の許可が必要であり、これはローマ・カトリック独自のものである[出 19][出 20][出 21]。マルコによる福音書には、イエス・キリストが悪霊を追い出した時、ファリサイ派がイエスは悪魔ベルゼブルの力によってそれを追い出したと主張した、という記事がある。プロテスタントの聖書注解は、当時のユダヤにも悪魔払いを行なう者が多くいたが、それとイエス・キリストが異なる点は、イエスが決して失敗せず、神の力を持っていた点であると指摘する[出 22]。
米国の中世史家ロッセル・ホープ・ロビンズは、膨大な資料を基に執筆した西欧の魔女と悪霊の百科事典『悪魔学大全』において、憑依と悪魔払いは時代と地域とを問わずすべての宗教に共通する普遍的なものであると述べる。そして、キリスト教の悪霊の概念は他の宗教の悪霊とは別であるが、キリスト教の悪魔払いと他の宗教の同様の儀式には大きな違いはないとしている[出 23]。
科学的見地による悪魔払い[編集]
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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年2月)
現在科学では人に憑依するような悪魔は存在しないものと考えられており、悪魔憑きは全て科学的・医学的に説明のつく現象であると考えられている。悪魔憑きと考えられる科学的理由については悪魔憑きを参照されたい。科学的見地による悪魔払いは、すなわち悪魔憑き的現象の原因を取り除くことであり、例えば医学的な疾患の場合は単に疾患の特定とその治療を指す。
カトリックにおける悪魔憑きの判断基準となる兆候は、精神疾患などの他因性の現象にも見られるもので、魔女狩りの例もあるように悪魔によらないものを悪魔憑きと誤認してしまう恐れがあり大変危険である。ある人に異常な振る舞いが見られたら、医療機関に相談することが望ましい。
他方、かつて解離性同一性障害の治療に際し、複数の人格を1つに統合する目的で、意図的に悪魔払いの儀式(交代人格を儀式により自殺させるなど)を行う医師もいたが、現在ではこの方法は患者にかえって悪影響を与える可能性があるとして否定されている。
悪魔払いに関する事件[編集]
現代においても、悪魔払いを目的、または名目として、人を虐待したり死に至らしめる等の事件が起こっている。
ルーマニアでは、2005年にルーマニア正教会の神父が悪魔払いのために尼僧をはりつけにするという殺人事件があった(en:Crucifixion#Crucifixion today)[出 24]。
ドイツのアンネリーゼ・ミシェルの事件では、悪魔払いのために科学的医療行為を止めさせた結果、アンネリーゼが死亡したとして、両親と神父が過失致死罪で有罪判決を受けた。この事件を元にした映画が「エミリー・ローズ」である。
2010年、アフリカ、コンゴの首都キンシャサでは、キリスト教原理主義をうたっていると伝えられる新興宗教団体による子供たちへの悪魔払いと称する行為が問題となっている[出 25]。ナイジェリアにおいても近年、牧師を名乗る男や牧師の妻によって子供たちが魔女や黒魔術師と決め付けられ、悪魔払いとして火を点けられたり、釘を打ち込まれる等の虐待を受けたり、殺害されるという事件が起こっている[出 26]。
癒し
用法の昔と今[編集]
新約聖書の日本語訳の中にイエス・キリストが人々を「癒した」という記述が何度も出てくるように、本来は宗教的な奇跡(奇蹟)的治癒を行う動作の意味で使用されており、「癒し」という名詞での使用はあまり一般的ではなかった。
1980年代を中心とした「癒しブーム」以降に頻繁に使用される「癒し」という言葉は、宗教学や宗教人類学で、未開社会の暮らしを続ける人々の間で呪術医が、病に陥った人を治す悪魔祓いの行為について言ったものだという。上田紀行の『覚醒のネットーワーク』(かたつむり社 1990年)で、セイロンの悪魔祓いについての言及の中で使用されたのが、この言葉の今日のような用法での最初だという。こちらの意味では、なんらかの原因で、地域社会や共同体から、孤立してしまった人を再び、みんなの中に仲間として迎え入れること、そのための音楽や劇、踊りを交えて、霊的なネットワークのつながりを再構築すること、これこそが癒しだという。
現在では、そうした言葉の出自が及びもつかないくらいの多様で、曖昧な用い方をされている。その用法のあらましに鑑みるに、ストレスやうつ病や自殺未遂傾向など、過度の緊張や慢性的な心的疲労を蓄積させている人に、さまざまな手法で、一時的、あるいは中短期的なストレス軽減のための手段を提供する行為、また手段、そのためのアイテムのさまざまなものを総称して、癒し、癒しグッズという言い方をしている。こちらでも、自分を取り戻す、自分の居場所、自分が拠り所とみなす人々の元にあることは同様の重要性を持っている。
癒しの効果と時代のニーズ[編集]
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この節の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。議論はノートを参照してください。(2009年12月)
癒しの持つ力は心身ともに持続的・恒久的・継続的な安らぎの効果をもたらす。過激さの持つ力は、瞬間的・一時的なもので、しかも往々にして強い心的刺激を伴うので心身に悪影響を及ぼす可能性がある。
人間には心身ともに癒し要素を持つものが本質的には受け入れられる。特に心身にストレスがたまっている場合などは過激さは不適切である。バブル時代は白熱した刺激が好まれる傾向もあったが、バブル崩壊後、社会が不安になってくると過激な刺激はよどみ嫌われた。元々、過激さには人体危険が伴うのが常であり、それを求める傾向は一種の自虐行動である。心理学的に人間が本質的に求めているのは安らぎと平穏であり、もともと人間は攻撃的な要素を好まない。もしくは極力避けることで自己防衛を図る生き物なので、癒しを求めることを攻撃的要素を避ける意味でも非常に大きな意味を持つと本能的に知っている故の現象である。
日本における状況[編集]
近年は若者を中心として、癒しの特徴、特性を持つ人物や物体、詩などを「癒し系」と表現することがある。特に芸能界においては、主に「ほんわか」「やんわり」「ふんわり」とした視聴者を和ませる雰囲気がある女優やグラビアモデル、女性タレントをさす言葉として定着しつつある。また、お笑い芸人や男性政治家、学者にも「癒し系」と称される人は存在する。
過激な表現を用いずファンタジーやノスタルジーを主題とするテレビゲームも、「癒し系」というジャンルで呼ばれる。
その他、超能力による治療能力や科学的に証明されていない自然治癒力を利用したエネルギー治療を、特にヒーリングと呼んでいる。この場合は、漢字で「癒し」とは書かず、カタカナでヒーリングと書く。
癒し系[編集]
詳細は「癒し系アイドル」を参照
日本で1999年後半(バブル崩壊後の1997年に消費税5%の増税とアジア通貨危機の発生で大不況が更に深刻化した事がきっかけで一般人の心が完全に荒れたり病み始めた頃)から現れた言葉で、元々はテレビに出演する女性芸能人において、和み・癒し・安らぎを感じさせるような人物およびそのふるまいを指す。
始まりは飯島直子が出演した缶コーヒー「ジョージア」のCMの姿を指して使われ、そのあと同CMに出演した優香や、その後同じく飲料水系のCMに出演した本上まなみ、井川遥などが言われた。
なお、1999年以前は「癒し系」という言葉はなく、「ジョージア」のCMでも「安らぎ系」と言われていた(その証拠に安らぎパーカーというものが当たる企画もあった)。大きなきっかけとして、1999年にミュージシャンの坂本龍一が発表した楽曲「ウラBTTB」が癒し音楽として大ヒット、さらに、ヒーリング楽曲を集めたオムニバスアルバムの「feel」シリーズや「image」シリーズも大ヒットして「癒し系」ブームになり、それ以降は人物などに対しても、癒し系と評されることが増えていった。
2000年代には男性にも使われるようになり、優しくおっとりとした雰囲気をもった一部の男性アイドルや俳優などが「癒し系」と称されることもある。小学館のOL向けファッション雑誌『Oggi』は、癒し系の特徴を持つ若い男性を「モイスチャー男子」と命名した。Oggiの定義によれば「純粋でひたむき。恋愛対象ではないけれど、一緒にいると安らげ、時にはキュンとする」男性のことであるという。
癒しの手法[編集]
セラピー アロマセラピー
リフレクソロジー(足つぼマッサージ)
アニマルセラピー
手技療法
ヒーリング・ミュージック 「feel」シリーズ
「image」シリーズ
「pure」シリーズ
「アイソトニック・サウンド」シリーズ
音楽療法
自然 森林浴
ガーデニング
ハーブ
パワースポット
宗教の技法 瞑想、座禅
ヴードゥー教
健康法 呼吸法
気功
ヨーガ
代替療法 レイキ
バッチフラワー
ホメオパシー
キリスト教 神癒
病者の塗油
悪魔払い
新約聖書の日本語訳の中にイエス・キリストが人々を「癒した」という記述が何度も出てくるように、本来は宗教的な奇跡(奇蹟)的治癒を行う動作の意味で使用されており、「癒し」という名詞での使用はあまり一般的ではなかった。
1980年代を中心とした「癒しブーム」以降に頻繁に使用される「癒し」という言葉は、宗教学や宗教人類学で、未開社会の暮らしを続ける人々の間で呪術医が、病に陥った人を治す悪魔祓いの行為について言ったものだという。上田紀行の『覚醒のネットーワーク』(かたつむり社 1990年)で、セイロンの悪魔祓いについての言及の中で使用されたのが、この言葉の今日のような用法での最初だという。こちらの意味では、なんらかの原因で、地域社会や共同体から、孤立してしまった人を再び、みんなの中に仲間として迎え入れること、そのための音楽や劇、踊りを交えて、霊的なネットワークのつながりを再構築すること、これこそが癒しだという。
現在では、そうした言葉の出自が及びもつかないくらいの多様で、曖昧な用い方をされている。その用法のあらましに鑑みるに、ストレスやうつ病や自殺未遂傾向など、過度の緊張や慢性的な心的疲労を蓄積させている人に、さまざまな手法で、一時的、あるいは中短期的なストレス軽減のための手段を提供する行為、また手段、そのためのアイテムのさまざまなものを総称して、癒し、癒しグッズという言い方をしている。こちらでも、自分を取り戻す、自分の居場所、自分が拠り所とみなす人々の元にあることは同様の重要性を持っている。
癒しの効果と時代のニーズ[編集]
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癒しの持つ力は心身ともに持続的・恒久的・継続的な安らぎの効果をもたらす。過激さの持つ力は、瞬間的・一時的なもので、しかも往々にして強い心的刺激を伴うので心身に悪影響を及ぼす可能性がある。
人間には心身ともに癒し要素を持つものが本質的には受け入れられる。特に心身にストレスがたまっている場合などは過激さは不適切である。バブル時代は白熱した刺激が好まれる傾向もあったが、バブル崩壊後、社会が不安になってくると過激な刺激はよどみ嫌われた。元々、過激さには人体危険が伴うのが常であり、それを求める傾向は一種の自虐行動である。心理学的に人間が本質的に求めているのは安らぎと平穏であり、もともと人間は攻撃的な要素を好まない。もしくは極力避けることで自己防衛を図る生き物なので、癒しを求めることを攻撃的要素を避ける意味でも非常に大きな意味を持つと本能的に知っている故の現象である。
日本における状況[編集]
近年は若者を中心として、癒しの特徴、特性を持つ人物や物体、詩などを「癒し系」と表現することがある。特に芸能界においては、主に「ほんわか」「やんわり」「ふんわり」とした視聴者を和ませる雰囲気がある女優やグラビアモデル、女性タレントをさす言葉として定着しつつある。また、お笑い芸人や男性政治家、学者にも「癒し系」と称される人は存在する。
過激な表現を用いずファンタジーやノスタルジーを主題とするテレビゲームも、「癒し系」というジャンルで呼ばれる。
その他、超能力による治療能力や科学的に証明されていない自然治癒力を利用したエネルギー治療を、特にヒーリングと呼んでいる。この場合は、漢字で「癒し」とは書かず、カタカナでヒーリングと書く。
癒し系[編集]
詳細は「癒し系アイドル」を参照
日本で1999年後半(バブル崩壊後の1997年に消費税5%の増税とアジア通貨危機の発生で大不況が更に深刻化した事がきっかけで一般人の心が完全に荒れたり病み始めた頃)から現れた言葉で、元々はテレビに出演する女性芸能人において、和み・癒し・安らぎを感じさせるような人物およびそのふるまいを指す。
始まりは飯島直子が出演した缶コーヒー「ジョージア」のCMの姿を指して使われ、そのあと同CMに出演した優香や、その後同じく飲料水系のCMに出演した本上まなみ、井川遥などが言われた。
なお、1999年以前は「癒し系」という言葉はなく、「ジョージア」のCMでも「安らぎ系」と言われていた(その証拠に安らぎパーカーというものが当たる企画もあった)。大きなきっかけとして、1999年にミュージシャンの坂本龍一が発表した楽曲「ウラBTTB」が癒し音楽として大ヒット、さらに、ヒーリング楽曲を集めたオムニバスアルバムの「feel」シリーズや「image」シリーズも大ヒットして「癒し系」ブームになり、それ以降は人物などに対しても、癒し系と評されることが増えていった。
2000年代には男性にも使われるようになり、優しくおっとりとした雰囲気をもった一部の男性アイドルや俳優などが「癒し系」と称されることもある。小学館のOL向けファッション雑誌『Oggi』は、癒し系の特徴を持つ若い男性を「モイスチャー男子」と命名した。Oggiの定義によれば「純粋でひたむき。恋愛対象ではないけれど、一緒にいると安らげ、時にはキュンとする」男性のことであるという。
癒しの手法[編集]
セラピー アロマセラピー
リフレクソロジー(足つぼマッサージ)
アニマルセラピー
手技療法
ヒーリング・ミュージック 「feel」シリーズ
「image」シリーズ
「pure」シリーズ
「アイソトニック・サウンド」シリーズ
音楽療法
自然 森林浴
ガーデニング
ハーブ
パワースポット
宗教の技法 瞑想、座禅
ヴードゥー教
健康法 呼吸法
気功
ヨーガ
代替療法 レイキ
バッチフラワー
ホメオパシー
キリスト教 神癒
病者の塗油
悪魔払い
カリャワヤ
Kallawaya Panama.jpg
カリャワヤ(kallawaya、カヤワヤとも)は、南米アンデス地方の山間部に暮らす、呪術師である。ボリビアのラパス県のチャラサニ郡パンパブランカがその中心地として有名である。ここはチチカカ湖の北東側にあたり、インディヘナの習俗を強く残している地域である。ここは、ケチュア族が多くすむ地域である。
カリャワヤは呪術師にして医師であり哲学者でもある。独特の世界観を持ち、人間の心と体、大地、動植物の関係について知見を持つとされる。カリャワヤは全ての自然物(山や木や湖や動物たちなど)を、人間と同じように家族や住む家を持ち名前を持った生命体であると考える。このため、人間が健康であるためには、山や木にも「食事を与える」必要があるとする。
カリャワヤの世界観では、生態系を3つの階層に分けて考える。一つは高地(アルティプラーノ)で、リャマを代表とする。二つ目は高山山間部(バジェ)で、高山植物を代表とする。三つ目は低地(温暖な地域:リャノ)で、綿花や花々を代表とする。
怪我や病気(しばしば精神的な病気も含む)の治療がカリャワヤの最も大切な役割である。この治療のとき、彼らはいくつかの植物を薬草として用いる。
コカはその中でも最も重要な薬草である。コカの葉を噛ませて胃や頭の痛みを抑えたり、空腹時の不快感を和らげたりし、また栄養源としても役立てている。さらに、コカの葉を地面に撒いてその落ち方によって吉凶を占うということもしばしば行なわれる。
コカ以外にも、綿花やマテやパセリなど様々な薬草を使っている。
2003年、カリャワヤの世界観はユネスコの無形文化遺産に登録された。
重要無形文化財
重要無形文化財(じゅうようむけいぶんかざい)とは、日本において、同国の文化財保護法に基づいて、同国の文部科学大臣によって指定された、無形文化財のこと。
概要[編集]
文化財保護法は、無形文化財を「演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの」としている。そのうち重要なものを重要無形文化財として指定することができると規定しており、この指定により文化財の保存、記録の作成、伝承者の育成に対して、公費でその経費の一部を負担することができるとしている。
歴史[編集]
第二次世界大戦以前の日本には1890年制定の帝室技芸員制度はあったものの、近代的な無形文化財の保護・指定制度は存在しなかった。1950年制定の文化財保護法によって初めて無形文化財が法的に位置づけられたものの、同法制定当時の制度では「現状のまま放置し、国が保護しなければ衰亡のおそれのあるもの」を選定無形文化財として選定するという、消極的保護施策であった。1954年の文化財保護法改正により、選定無形文化財の制度は廃止され、「衰亡のおそれ」あるか否かではなく、あくまでも無形文化財としての価値に基づき、重要なものを「重要無形文化財」に指定するという制度に変わった。
文化財の指定、保持者・保持団体の認定[編集]
重要無形文化財の指定の対象は無形の「わざ」そのものである。指定にあたっては、たとえば「人形浄瑠璃・文楽」「能楽」のような芸能、「備前焼」「彫金」のような工芸技術といった無形の「わざ」を重要無形文化財に指定するとともに、その「わざ」を高度に体得している個人または団体を保持者・保持団体として認定する(「指定」と「認定」の差異に注意)。
認定に際しては、「わざ」を高度に体得し体現している個人を個別に認定する「各個認定」、2人以上の者が一体となって「わざ」を体現している場合に、保持者の団体の構成員を総合的に認定する「総合認定」、「わざ」の性格上個人的特色が薄く、かつ、多数の者が体得している「わざ」が全体として1つの無形文化財を構成している場合に、その人々が構成員となっている団体を認定する「保持団体認定」の3種がある。
重要無形文化財保持者として各個認定された者を一般に人間国宝という。「総合認定」の例としては、「雅楽」における宮内庁式部職楽部部員、「能楽」における社団法人日本能楽会会員などがある。「保持団体認定」の例としては、輪島塗技術保存会、本場結城紬保存会、本美濃紙保存会などがある。
選択無形文化財[編集]
このほか、重要無形文化財には指定されていないが、国が記録保存等の措置をとるべき無形文化財については、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択(「指定」ではない)することができることになっている。
概要[編集]
文化財保護法は、無形文化財を「演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの」としている。そのうち重要なものを重要無形文化財として指定することができると規定しており、この指定により文化財の保存、記録の作成、伝承者の育成に対して、公費でその経費の一部を負担することができるとしている。
歴史[編集]
第二次世界大戦以前の日本には1890年制定の帝室技芸員制度はあったものの、近代的な無形文化財の保護・指定制度は存在しなかった。1950年制定の文化財保護法によって初めて無形文化財が法的に位置づけられたものの、同法制定当時の制度では「現状のまま放置し、国が保護しなければ衰亡のおそれのあるもの」を選定無形文化財として選定するという、消極的保護施策であった。1954年の文化財保護法改正により、選定無形文化財の制度は廃止され、「衰亡のおそれ」あるか否かではなく、あくまでも無形文化財としての価値に基づき、重要なものを「重要無形文化財」に指定するという制度に変わった。
文化財の指定、保持者・保持団体の認定[編集]
重要無形文化財の指定の対象は無形の「わざ」そのものである。指定にあたっては、たとえば「人形浄瑠璃・文楽」「能楽」のような芸能、「備前焼」「彫金」のような工芸技術といった無形の「わざ」を重要無形文化財に指定するとともに、その「わざ」を高度に体得している個人または団体を保持者・保持団体として認定する(「指定」と「認定」の差異に注意)。
認定に際しては、「わざ」を高度に体得し体現している個人を個別に認定する「各個認定」、2人以上の者が一体となって「わざ」を体現している場合に、保持者の団体の構成員を総合的に認定する「総合認定」、「わざ」の性格上個人的特色が薄く、かつ、多数の者が体得している「わざ」が全体として1つの無形文化財を構成している場合に、その人々が構成員となっている団体を認定する「保持団体認定」の3種がある。
重要無形文化財保持者として各個認定された者を一般に人間国宝という。「総合認定」の例としては、「雅楽」における宮内庁式部職楽部部員、「能楽」における社団法人日本能楽会会員などがある。「保持団体認定」の例としては、輪島塗技術保存会、本場結城紬保存会、本美濃紙保存会などがある。
選択無形文化財[編集]
このほか、重要無形文化財には指定されていないが、国が記録保存等の措置をとるべき無形文化財については、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択(「指定」ではない)することができることになっている。
世界の記憶
世界の記憶(せかいのきおく、英: Memory of the World)は、ユネスコが主催する事業の一つ。危機に瀕した
書物や文書などの歴史的記録遺産を最新のデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とした事業である。俗に世界記憶遺産(せかいきおくいさん)とも呼ばれる。
概要[編集]
人類が長い間記憶して後世に伝える価値があるとされる書物などの記録物(動産)を、ユネスコ事務局長の任命する委員によって構成された国際諮問委員会を通じて1997年から2年ごとに登録事業を行っている。
歴史的文書などの記録遺産は人類の文化を受け継ぐ重要な文化遺産であるにもかかわらず、毀損されたり、永遠に消滅する危機に瀕している場合が多い。このため、ユネスコは1995年、記録遺産の保存と利用のために記録遺産のリストを作成して効果的な保存手段を用意するために「世界の記憶 (Memory of the World)」事業を開始し、記録遺産保護の音頭を執っている。事業の主要目的は、世界的な重要性を持つ記録遺産の最も適切な保存手段を講じることによって重要な記録遺産の保存を奨励し、デジタル化を通じて全世界の多様な人々の接近を容易にし、平等な利用を奨励して全世界に広く普及することによって世界的観点で重要な記録遺産を持つすべての国家の認識を高めることである。もっとも、自国の費用で文化資料のデジタル化などが既に済んで公開されている国には無縁の事業ではある。
登録手続[編集]
選定基準は世界歴史に重大な影響をもつ事件・時代・場所・人物・主題・形態・社会的価値を持った記録遺産を対象とする。記録遺産の申し込みは原則的に政府および非政府機関を含むすべての個人または団体ができる(事例:国際交流機関、山本作兵衛の炭鉱画)が、関連地域または国家の委員会が存在するのであれば、その援助を受けることができる。まず、申請者はユネスコ本部内の一般情報事業局に申込書を提出して1次検討を受け、最終決定は2年ごとに開かれる国際査問委員会定期総会で下される。認定を受ければユネスコから給付金が支給される。
選定基準[編集]
世界記録遺産の選定における基準は以下のとおりである。
1次的基準
1. 影響力2. 時間3. 場所4. 人物
5. 対象主題6. 形態及びスタイル7. 社会的価値8. ほか
2次的基準
1. 元の状態での保存2. 希少性3. ほか
登録物件[編集]
2009年7月31日時点(第9回定期総会終了時点)での登録数の国別分布図 [注 1]
世界各地からの多数の登録があり、2005年6月18日時点で57ヶ国120点、2009年7月31日時点では193点(35点追加)[1]、そして、最新の2011年5月25日時点(第10回定期総会終了時点)では268点(75点追加)となった。
個別の詳細は別項「世界の記憶の一覧」を参照のこと。
なお、以下に記述する地域区分はユネスコの発表に準じたものであり、日本で通常的に用いられているものとは大きく異なるので注意が必要。例えば、トルコはヨーロッパに含まれ、エジプトやモロッコなどはアフリカではなくアラブ諸国に含まれる。サウジアラビアなどもアジアではなくアラブ諸国に含まれるが、一方で、オセアニアはアジアと同じ区分として扱われる。
ヨーロッパおよび北アメリカ[編集]
ヨーロッパおよび北アメリカ地域では、現在、145点が登録されており、特にドイツの登録数が多い。 代表的な登録物件としては、子供と家庭の物語(グリム童話。2005年登録)、バイユーのタペストリー(バイユー・タペストリー美術館所蔵。2007年登録)、ニーベルンゲンの歌(2009年登録)、マグナ・カルタ(イギリス、2009年登録)、アンネの日記(アンネ・フランクによる文学作品[注 2])(2009年登録)[1]、 グーテンベルク聖書(2001年登録)、ベートーヴェンの交響曲第9番の自筆楽譜(ベルリン国立図書館所蔵。2001年登録)、共産党宣言及び資本論初版第1部(2013年登録)[2]などが挙げられる。
ドイツ (13)、オーストリア (12)、ロシア (11)、ポーランド (10)、デンマーク (8)、フランス (8)、イギリス (8)、オランダ (7)、スウェーデン (6)、ハンガリー (5)、アメリカ合衆国 (5)、リトアニア (4)、ノルウェー (4)、ベルギー (3)、カナダ (3)、チェコ (3)、イタリア (3)、ポルトガル (3)、スロバキア (3)、トルコ (3)、クロアチア (2)、エストニア (2)、フィンランド (2)、ラトビア (2)、セルビア (2)、スペイン (2)、ウクライナ (2)、アルバニア (1)、アルメニア (1)、アゼルバイジャン (1)、ベラルーシ (1)、ブルガリア (1)、アイスランド (1)、アイルランド (1)、ルクセンブルク (1)、スロベニア (1)。
≪外部リンク≫ “Europe and North America” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
アジアおよびオセアニア[編集]
アラブ諸国を除くアジア、および、オセアニアでは、現在、42点が登録されている。
韓国 (9)、中国 (7)、インド (6)、オーストラリア (5)、イラン (5)、マレーシア (4)、フィリピン (4)、インドネシア (2)、カザフスタン (2)、モンゴル (2)、ニュージーランド (2)、タイ (2)、ウズベキスタン (2)、フィジー (1)、カンボジア (1)、日本 (1)、パキスタン (1)、スリランカ (1)、タジキスタン (1)、ベトナム (1)。
≪外部リンク≫ “Asia and the Pacific” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
日本[編集]
慶長遣欧使節関係資料
(仙台市博物館蔵)
支倉常長像
ローマ市公民権証書
長らく日本からは推薦が無く、事業そのものの国内における知名度も低かったが、福岡県田川市と福岡県立大学は共同で2010年(平成22年)3月、炭鉱記録画家・山本作兵衛が描き残した筑豊の炭鉱画など約700点の推薦書をユネスコに提出[3]し、翌2011年5月25日、これら697点の作品が国内初の記憶遺産として登録された[4]。 一方、日本政府は2012年(平成24年)3月までに日本ユネスコ国内委員会がいくつか推薦を出す方針である。候補としては『鳥獣戯画』や『源氏物語絵巻』などが挙がっていた[5]。 日本ユネスコ国内委員会の記憶遺産選考委員会は2011年(平成23年)5月11日、いずれも国宝である『御堂関白記』と『慶長遣欧使節関係資料』を日本政府として初めて推薦することを決定(『慶長遣欧・・・』はスペインとの共同推薦)。2012年3月までに推薦書を作成してユネスコに提出し、2013年(平成25年)の登録を目指すことになった [6]。 2013年6月18日、韓国の光州で開かれた記憶遺産の国際諮問委員会で、両者を共に登録することが決定された [7]。
中国[編集]
中華人民共和国では、『黄帝内経』や『本草綱目』、故宮博物院所蔵の清代歴史文書や、雲南省の古代ナシ族が伝えるトンパ文字による古文書など、7点が登録されている。
朝鮮[編集]
大韓民国では1997年に朝鮮王朝実録と訓民正音解例本がこのリストに登録された。2001年には朝鮮王朝時代に国家のすべての機密を扱った国王の“秘書室”と言える承政院で毎日扱った文書と事件を記録した『承政院日記』(世界最大の連帯記録物であり、総数3,243冊・2億4250万字に及ぶ)がリストに登録された。また2007年には『グーテンベルク聖書』より約80年古い世界最初の金属活字本と公認されているフランス国立図書館所蔵の『直指心体要節』(1377年、清州興徳寺にて印刷される)も新登録されている。2011年時点で9点と、現在、ヨーロッパおよび北アメリカ以外ではメキシコと共に一番多く登録されている。
タイ[編集]
タイでは、同国の近代化に貢献したラーマ5世チュラロンコーン王の政策を記した文書が、2009年に登録されている[1]。登録数は3。
インド[編集]
インドでは、『リグ・ヴェーダ』や、『ヴィマラプラバー (Vimalaprabhā)』(『時輪タントラ』の註釈書)、"Tarikh-E-Khandan-E-Timuriyah" (ムガル帝国初代皇帝ティムールの生涯を描いた挿絵入りの手書き草稿)など、6点が登録されている。
アラブ諸国[編集]
アラブ諸国における現在の登録数は8。
エジプト (3)、レバノン (2)、モロッコ (1)、サウジアラビア (1)、チュニジア (1)。
≪外部リンク≫ “Arab States” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
アフリカ[編集]
アラブ諸国を除くアフリカにおける現在の登録数は8。
南アフリカ共和国 (3)、エチオピア (1)、ガーナ (1)、マダガスカル (1)、モーリシャス (1)、ナミビア (1)。
≪外部リンク≫ “Africa” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
南アメリカおよびカリブ諸国[編集]
南アメリカおよびカリブ諸国における現在の登録数は62。
メキシコ (9)、トリニダード・トバゴ (7)、バルバドス (4)、ブラジル (3)、スリナム (3)、ベネズエラ (3)、アルゼンチン (2)、バハマ (2)、ボリビア (2)、チリ (2)、コロンビア (2)、キューバ (2)、ドミニカ共和国 (2)、ギアナ (2)、ジャマイカ (2)、オランダ領アンティル (2)、セントクリストファー・ネイビス (2)、セントルシア (2)、ベリーズ (1)、バミューダ諸島 (1)、キュラソー島 (1)、ドミニカ (1)、ニカラグア (1)、パナマ (1)、パラグアイ (1)、ペルー 1、ウルグアイ (1)。
≪外部リンク≫ “Latin America and the Caribbean” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
国際交流機関[編集]
国際交流機関からの現在の登録数は3。
国際連合 (2)、赤十字国際委員会 (1)。
≪外部リンク≫ “Registered Heritage” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
書物や文書などの歴史的記録遺産を最新のデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とした事業である。俗に世界記憶遺産(せかいきおくいさん)とも呼ばれる。
概要[編集]
人類が長い間記憶して後世に伝える価値があるとされる書物などの記録物(動産)を、ユネスコ事務局長の任命する委員によって構成された国際諮問委員会を通じて1997年から2年ごとに登録事業を行っている。
歴史的文書などの記録遺産は人類の文化を受け継ぐ重要な文化遺産であるにもかかわらず、毀損されたり、永遠に消滅する危機に瀕している場合が多い。このため、ユネスコは1995年、記録遺産の保存と利用のために記録遺産のリストを作成して効果的な保存手段を用意するために「世界の記憶 (Memory of the World)」事業を開始し、記録遺産保護の音頭を執っている。事業の主要目的は、世界的な重要性を持つ記録遺産の最も適切な保存手段を講じることによって重要な記録遺産の保存を奨励し、デジタル化を通じて全世界の多様な人々の接近を容易にし、平等な利用を奨励して全世界に広く普及することによって世界的観点で重要な記録遺産を持つすべての国家の認識を高めることである。もっとも、自国の費用で文化資料のデジタル化などが既に済んで公開されている国には無縁の事業ではある。
登録手続[編集]
選定基準は世界歴史に重大な影響をもつ事件・時代・場所・人物・主題・形態・社会的価値を持った記録遺産を対象とする。記録遺産の申し込みは原則的に政府および非政府機関を含むすべての個人または団体ができる(事例:国際交流機関、山本作兵衛の炭鉱画)が、関連地域または国家の委員会が存在するのであれば、その援助を受けることができる。まず、申請者はユネスコ本部内の一般情報事業局に申込書を提出して1次検討を受け、最終決定は2年ごとに開かれる国際査問委員会定期総会で下される。認定を受ければユネスコから給付金が支給される。
選定基準[編集]
世界記録遺産の選定における基準は以下のとおりである。
1次的基準
1. 影響力2. 時間3. 場所4. 人物
5. 対象主題6. 形態及びスタイル7. 社会的価値8. ほか
2次的基準
1. 元の状態での保存2. 希少性3. ほか
登録物件[編集]
2009年7月31日時点(第9回定期総会終了時点)での登録数の国別分布図 [注 1]
世界各地からの多数の登録があり、2005年6月18日時点で57ヶ国120点、2009年7月31日時点では193点(35点追加)[1]、そして、最新の2011年5月25日時点(第10回定期総会終了時点)では268点(75点追加)となった。
個別の詳細は別項「世界の記憶の一覧」を参照のこと。
なお、以下に記述する地域区分はユネスコの発表に準じたものであり、日本で通常的に用いられているものとは大きく異なるので注意が必要。例えば、トルコはヨーロッパに含まれ、エジプトやモロッコなどはアフリカではなくアラブ諸国に含まれる。サウジアラビアなどもアジアではなくアラブ諸国に含まれるが、一方で、オセアニアはアジアと同じ区分として扱われる。
ヨーロッパおよび北アメリカ[編集]
ヨーロッパおよび北アメリカ地域では、現在、145点が登録されており、特にドイツの登録数が多い。 代表的な登録物件としては、子供と家庭の物語(グリム童話。2005年登録)、バイユーのタペストリー(バイユー・タペストリー美術館所蔵。2007年登録)、ニーベルンゲンの歌(2009年登録)、マグナ・カルタ(イギリス、2009年登録)、アンネの日記(アンネ・フランクによる文学作品[注 2])(2009年登録)[1]、 グーテンベルク聖書(2001年登録)、ベートーヴェンの交響曲第9番の自筆楽譜(ベルリン国立図書館所蔵。2001年登録)、共産党宣言及び資本論初版第1部(2013年登録)[2]などが挙げられる。
ドイツ (13)、オーストリア (12)、ロシア (11)、ポーランド (10)、デンマーク (8)、フランス (8)、イギリス (8)、オランダ (7)、スウェーデン (6)、ハンガリー (5)、アメリカ合衆国 (5)、リトアニア (4)、ノルウェー (4)、ベルギー (3)、カナダ (3)、チェコ (3)、イタリア (3)、ポルトガル (3)、スロバキア (3)、トルコ (3)、クロアチア (2)、エストニア (2)、フィンランド (2)、ラトビア (2)、セルビア (2)、スペイン (2)、ウクライナ (2)、アルバニア (1)、アルメニア (1)、アゼルバイジャン (1)、ベラルーシ (1)、ブルガリア (1)、アイスランド (1)、アイルランド (1)、ルクセンブルク (1)、スロベニア (1)。
≪外部リンク≫ “Europe and North America” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
アジアおよびオセアニア[編集]
アラブ諸国を除くアジア、および、オセアニアでは、現在、42点が登録されている。
韓国 (9)、中国 (7)、インド (6)、オーストラリア (5)、イラン (5)、マレーシア (4)、フィリピン (4)、インドネシア (2)、カザフスタン (2)、モンゴル (2)、ニュージーランド (2)、タイ (2)、ウズベキスタン (2)、フィジー (1)、カンボジア (1)、日本 (1)、パキスタン (1)、スリランカ (1)、タジキスタン (1)、ベトナム (1)。
≪外部リンク≫ “Asia and the Pacific” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
日本[編集]
慶長遣欧使節関係資料
(仙台市博物館蔵)
支倉常長像
ローマ市公民権証書
長らく日本からは推薦が無く、事業そのものの国内における知名度も低かったが、福岡県田川市と福岡県立大学は共同で2010年(平成22年)3月、炭鉱記録画家・山本作兵衛が描き残した筑豊の炭鉱画など約700点の推薦書をユネスコに提出[3]し、翌2011年5月25日、これら697点の作品が国内初の記憶遺産として登録された[4]。 一方、日本政府は2012年(平成24年)3月までに日本ユネスコ国内委員会がいくつか推薦を出す方針である。候補としては『鳥獣戯画』や『源氏物語絵巻』などが挙がっていた[5]。 日本ユネスコ国内委員会の記憶遺産選考委員会は2011年(平成23年)5月11日、いずれも国宝である『御堂関白記』と『慶長遣欧使節関係資料』を日本政府として初めて推薦することを決定(『慶長遣欧・・・』はスペインとの共同推薦)。2012年3月までに推薦書を作成してユネスコに提出し、2013年(平成25年)の登録を目指すことになった [6]。 2013年6月18日、韓国の光州で開かれた記憶遺産の国際諮問委員会で、両者を共に登録することが決定された [7]。
中国[編集]
中華人民共和国では、『黄帝内経』や『本草綱目』、故宮博物院所蔵の清代歴史文書や、雲南省の古代ナシ族が伝えるトンパ文字による古文書など、7点が登録されている。
朝鮮[編集]
大韓民国では1997年に朝鮮王朝実録と訓民正音解例本がこのリストに登録された。2001年には朝鮮王朝時代に国家のすべての機密を扱った国王の“秘書室”と言える承政院で毎日扱った文書と事件を記録した『承政院日記』(世界最大の連帯記録物であり、総数3,243冊・2億4250万字に及ぶ)がリストに登録された。また2007年には『グーテンベルク聖書』より約80年古い世界最初の金属活字本と公認されているフランス国立図書館所蔵の『直指心体要節』(1377年、清州興徳寺にて印刷される)も新登録されている。2011年時点で9点と、現在、ヨーロッパおよび北アメリカ以外ではメキシコと共に一番多く登録されている。
タイ[編集]
タイでは、同国の近代化に貢献したラーマ5世チュラロンコーン王の政策を記した文書が、2009年に登録されている[1]。登録数は3。
インド[編集]
インドでは、『リグ・ヴェーダ』や、『ヴィマラプラバー (Vimalaprabhā)』(『時輪タントラ』の註釈書)、"Tarikh-E-Khandan-E-Timuriyah" (ムガル帝国初代皇帝ティムールの生涯を描いた挿絵入りの手書き草稿)など、6点が登録されている。
アラブ諸国[編集]
アラブ諸国における現在の登録数は8。
エジプト (3)、レバノン (2)、モロッコ (1)、サウジアラビア (1)、チュニジア (1)。
≪外部リンク≫ “Arab States” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
アフリカ[編集]
アラブ諸国を除くアフリカにおける現在の登録数は8。
南アフリカ共和国 (3)、エチオピア (1)、ガーナ (1)、マダガスカル (1)、モーリシャス (1)、ナミビア (1)。
≪外部リンク≫ “Africa” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
南アメリカおよびカリブ諸国[編集]
南アメリカおよびカリブ諸国における現在の登録数は62。
メキシコ (9)、トリニダード・トバゴ (7)、バルバドス (4)、ブラジル (3)、スリナム (3)、ベネズエラ (3)、アルゼンチン (2)、バハマ (2)、ボリビア (2)、チリ (2)、コロンビア (2)、キューバ (2)、ドミニカ共和国 (2)、ギアナ (2)、ジャマイカ (2)、オランダ領アンティル (2)、セントクリストファー・ネイビス (2)、セントルシア (2)、ベリーズ (1)、バミューダ諸島 (1)、キュラソー島 (1)、ドミニカ (1)、ニカラグア (1)、パナマ (1)、パラグアイ (1)、ペルー 1、ウルグアイ (1)。
≪外部リンク≫ “Latin America and the Caribbean” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
国際交流機関[編集]
国際交流機関からの現在の登録数は3。
国際連合 (2)、赤十字国際委員会 (1)。
≪外部リンク≫ “Registered Heritage” (en). Memory of the World (official website). UNESCO. 2011年9月20日閲覧。
世界遺産
世界遺産(せかいいさん)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産やそれに準ずるものが対象となっている。
歴史[編集]
アブ・シンベル神殿
ユネスコの設立後、1954年ハーグ条約が採択され、武力紛争の際にも文化財などに対する破壊行為を行うべきでないことが打ち出された。
1960年、エジプト政府がナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムを建設し始めた。このダムが完成した場合、ヌビア遺跡が水没することが懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60か国の援助をもとに技術支援、考古学調査支援などが行われ、ヌビア遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が実現した。これがきっかけとなり、国際的な組織運営によって、歴史的価値のある遺跡や建築物等を開発から守ろう、という機運が生まれた。
1965年には関連する国際組織である国際記念物遺跡会議が発足した[注釈 1]。
他方、アメリカ合衆国ではホワイトハウス国際協力協議会自然資源委員会が1965年に「世界遺産トラスト」を提唱し、優れた自然を護る国際的な枠組みが模索されており、リチャード・ニクソン大統領も1971年の教書において、1972年までに具体化することをはっきりと打ち出した。1972年はアメリカで国立公園制度が生まれてから100周年に当たる[1]。
それら2つの流れが1972年の国連人間環境会議で一つにまとまった結果、同年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)が満場一致で成立した。翌年アメリカ合衆国が第1番目に批准、締結し、20か国が条約締結した1975年に正式に発効した。
1978年の第2回世界遺産委員会で、アメリカのイエローストーン国立公園やエクアドルのガラパゴス諸島など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、第1号の世界遺産リスト登録を果たした。
日本は、先進国では最後の1992年に世界遺産条約を批准し、同年の6月30日に125番目の締約国となった(日本についての発効は同年9月30日)[2]。なお、現在のリストでは124番目となっているが、これは日本の締約後にユーゴスラビア解体によって繰り上がったことによる。日本の参加が他の国と比べて遅れたのは、国内での態勢が未整備だったためとされるが、他方で世界遺産基金の分担金拠出などに関する議論が決着しなかったためとも指摘されている[3]。
2013年の第37回世界遺産委員会終了時点での条約締約国は190か国、世界遺産の登録数は981件(160か国)である[4]
分類[編集]
公式上の分類[編集]
世界遺産はその内容によって以下の3種類に大別される[注釈 2]。
文化遺産顕著な普遍的価値をもつ建築物や遺跡など。自然遺産顕著な普遍的価値をもつ地形や生物多様性、景観美などを備える地域など。複合遺産文化と自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるもの。
また、内容上の分類ではないが、後世に残すことが難しくなっているか、その強い懸念が存在する場合には、該当する物件は危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)に加えられ、別途保存や修復のための配慮がなされることになっている[5]。
なお、後述するように、無形文化遺産は世界遺産条約の対象ではない。
非公式な分類[編集]
世界遺産には、自然遺産、文化遺産、あるいは文化遺産の中での文化的景観や産業遺産など、世界遺産センターやICOMOSによって公式に認められた分類とは別に、非公式に使われている分類もある。
負の世界遺産[編集]
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。登録の際に、類似の案件は二度と登録しないことが決議された。
詳細は「負の世界遺産」を参照
平和の希求や人種差別の撤廃などを訴えていく上で重要な物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名「負の世界遺産」(負の遺産)と呼ばれている。
負の遺産としてしばしば挙げられるのは、原爆ドーム、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、奴隷貿易の拠点であったゴレ島、マンデラ大統領が幽閉された島ロベン島[注釈 3]。このほか、2010年に登録されたビキニ環礁の核実験場も、登録された際には負の遺産として報じられ[6]、世界遺産関連書でもそのように扱っているものがある[7]。
裏世界遺産[編集]
裏世界遺産とは、世界遺産委員会などでの審議の結果、登録が見送られた物件を指す[8]。もともとインターネット上の私的なサイト[9]で打ち出された概念である。
世界遺産リスト登録手続きと登録後の保全[編集]
世界遺産リスト登録に必要となる前提、審査の流れ、登録後の保全状況報告などは、「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下「作業指針」)[注釈 4]で規定されている。
登録までの流れを図示すると以下のようになる。
各国の担当政府機関が暫定リスト(後述)記載物件のうち、準備の整ったものを推薦
↓
ユネスコ世界遺産センターが諮問機関に評価依頼
↓ ↓
文化遺産候補は国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) が現地調査を踏まえて登録の可否を勧告。
文化的景観に関しては、IUCN とも協議が行われる場合がある。[10] 自然遺産候補は国際自然保護連合 (IUCN) が現地調査を踏まえて登録の可否を勧告
↓ ↓
世界遺産委員会で最終審議
↓
正式登録
登録対象[編集]
登録される物件は不動産、つまり移動が不可能な土地や建造物に限られる。そのため、たとえば寺院が世界遺産になっている場合でも、中に安置されている仏像などの美術品(動産)は、通常は世界遺産登録対象とはならない。ただし、東大寺大仏のように移動が困難と認められる場合には、世界遺産登録対象となっている場合がある[11]。このような対象の設定に対する限界が、のちの無形文化遺産の枠組みに繋がったが[12]、この点は後述する。
世界遺産に登録されるためには、後述する世界遺産登録基準を少なくとも1つは満たし、その「顕著な普遍的価値」を証明できる「完全性」と「真正性」を備えていると、世界遺産委員会から判断される必要がある。その際、同一の歴史や文化に属する場合や、生物学的・地質学的特質などに類似性が見られる場合に、「連続性のある資産」(シリアル・ノミネーション・サイト)としてひとまとめに登録することが認められている[13]。たとえば、イギリスとドイツという国境を接しない2カ国の世界遺産であるローマ帝国の国境線や、10カ国の世界遺産であるシュトルーヴェの測地弧などはその好例である。
原爆ドーム。登録の際には戦争遺跡は世界遺産条約の対象外とする米国などが反発した。
また登録された後、将来にわたって継承していくために、推薦時点で国内法等によってすでに保護や管理の枠組みが策定されていることも必要である。日本の例でいえば、原爆ドームの世界遺産推薦に先立ち、文化財保護法が改正されて原爆ドームの史跡指定が行われたことも、そうした点に合致させる必要があったためである[14]。
日本の場合、文化遺産候補は文化庁、自然遺産候補は環境省、林野庁が主に担当する。これに文部科学省、国土交通省などで構成される世界遺産条約関係省庁連絡会議で推薦物件が決定される。推薦物件は、暫定リストとして、外務省を通じユネスコに提出される。
なお、世界遺産リストへの推薦は、各国の関係機関しか行うことはできない。ただし、危機遺産リストへの登録の場合は、きちんとした根拠が示されれば、個人や団体からの申請であっても受理されることがある[15]。
登録範囲[編集]
世界遺産の登録に当たっては、登録物件の周囲に緩衝地域 (Buffer zone) が設けられることがしばしばである。ただし、それは「顕著な普遍的価値」を有するとは認められていない地域で、世界遺産登録地域ではない。
かつては、世界遺産そのものの登録地域を核心地域 (Core zone) と呼んでいたが、核心地域と緩衝地域がともに世界遺産登録地域であるかのように誤認されないために[16]、2008年からは世界遺産そのものの登録地域は資産 (property) と呼んで、緩衝地域と明確に区別されるようになった。
暫定リスト[編集]
暫定リストは、世界遺産登録に先立ち、各国がユネスコ世界遺産センターに提出するリストのことである。原則として、文化遺産については、このリストに掲載されていないものを、世界遺産委員会に登録推薦することは認められていない。
崩壊前のバム
ただし、大地震で壊滅的損壊を蒙ったバムとその文化的景観(2004年登録)のように、不測の事態によって緊急で登録する必要性が認められた場合には、「緊急登録推薦」に関する条項[17]に従い、暫定リスト登録を飛び越えて正式登録が認められる場合がある[18]。「緊急登録推薦」に関する条項はイラクのアッシュール(2003年)の時にも適用されている[19]。
暫定リストは、あくまでも各国が1年から10年以内をめどに世界遺産委員会への登録申請を目指すもののリストであって[20]、世界遺産委員会がその「顕著な普遍的価値」を認めたものではない。現在暫定リストに掲載されているものには、ICOMOSが登録延期を勧告し、すでに一度世界遺産委員会で登録見送りが決議されたものもある。ただし、世界遺産委員会で「不登録」(後述)と決議されたものを、暫定リストに掲載し続けることは、原則として認められていない(不登録時と異なる評価基準に基づいて新規に推薦することは認められている)[21]。
世界遺産委員会は、条約締結各国に対して、暫定リストへの掲載に当たっては、その遺産の「顕著な普遍的価値」を厳格に吟味することや、保護活動が適正に行われていることを十分示すように求めている。また、委員会は、暫定リスト作成では、まだ登録されていないような種類の物件に光を当てることや、世界遺産を多く抱える国は極力暫定リストを絞り込むことなどを呼びかけており、後述の「登録物件の偏り」を是正するための一助とすることを企図している[22]。
諮問機関の勧告[編集]
上掲の図のように、自然遺産については国際自然保護連合(IUCN)、文化遺産については国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が現地調査を踏まえて事前審査を行う。そこでの勧告は、後述の世界遺産委員会の決議と同じく「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4種である[23]。世界遺産委員会は後述するように勧告を踏まえて審査するが、「登録」以外の勧告が出た物件が逆転で登録されることもあれば、勧告よりも低い評価が下されることもある[24]。
現地調査の調査官は一人であり、その調査を踏まえて複数名で勧告書が作成される[25]。ICOMOSの調査では、日本の場合、アジア・太平洋地区[注釈 5]の調査官が原則として派遣される。これは他地区の調査官が厳しい評価を下した場合に、無用の批判が出るのを避けるためといわれている[26]。
世界遺産委員会の決議[編集]
世界遺産委員会は、諮問機関の勧告を踏まえて推薦された物件について審査を行い、「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」のいずれかの決議を行う[27]。
「登録」(記載)は、世界遺産リストへの登録を正式に認めるものである。
「情報照会」は一般的に顕著な普遍的価値の証明ができているものの、保存計画などの不備が指摘されている事例で決議され[28]、期日までに該当する追加書類の提出を行えば、翌年の世界遺産委員会で再審査を受けることができる。ただし、3年以内の再推薦がない場合は、以降の推薦は新規推薦と同じ手続きが必要になる[29]。
顕著な普遍的価値の証明などが不十分と見なされ[28]、より踏み込んだ再検討が必要な場合は「登録延期」(記載延期)と決議される。この場合、必要な書類の再提出を行った上で、諮問機関による再度の現地調査を受ける必要があるため、世界遺産委員会での再審査は、早くとも翌々年以降になる。
「不登録」(不記載)と決議された物件は原則として再度推薦することができない。ただし、不登録となったものと異なる理由で再提案すること、たとえば、自然遺産として不登録になった物件を文化遺産として再提出するなどは可能である[30]。諮問機関の勧告の時点で「不登録」勧告が出されると、委員会での「不登録」決議を回避するために、審議取り下げの手続きがとられることもしばしばである。たとえば、2012年の第36回世界遺産委員会では、「不登録」勧告を受けた推薦資産は9件[注釈 6]あったが、うち5件は委員会開催前に取り下げられた[31]。
保全状況の調査[編集]
登録後、保全状況を6年ごとに報告し、世界遺産委員会での再審査を受ける必要がある。
物件の保全に問題がある場合、危機にさらされている世界遺産リストに登録されることがある。また、2007年からは「強化モニタリング」(監視強化)という分類も登場し、危機遺産でなくとも監視が強められる場合が存在するようになった。強化モニタリング対象は危機遺産リスト登録物件と一部重複するが、2010年の第34回世界遺産委員会では36件について強化モニタリングが要請された[32]。
抹消[編集]
世界遺産は、登録時に存在していた「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合、もしくは条件付で登録された物件についてその後条件が満たされなかった場合に、削除されることがある[33]。初めて抹消されたのは、2007年のアラビアオリックスの保護区(オマーン)である。この物件は元々保護計画の不備を理由とするIUCNの「登録延期」勧告を覆して登録された経緯があったが、計画が整備されるどころか保護区の大幅な縮小などの致命的悪化が確認されたことや、オマーン政府が開発優先の姿勢を明示したことから、抹消が決まった[34]。2009年にはドレスデン・エルベ渓谷(ドイツ)が抹消されている。これは、世界遺産委員会が「景観を損ねる」と判断した橋の建設が、警告にもかかわらず中止されず、「住民投票で決定した」と継続されたことによるものである。
顕著な普遍的価値とその評価基準[編集]
すでに述べたように、世界遺産となるためには、「顕著な普遍的価値」(Outstanding Universal Value, 関連文献では OUV と略されることもある)を有している必要がある。しかし、世界遺産条約では「顕著な普遍的価値」自体を定義していない。「作業指針」には一応その定義があるが[35]、その証明のために要請されるのが、10項目からなる世界遺産登録基準のいずれか1つ以上を満たすことである。[36]。
世界遺産はその基準を満たした「最上の代表」(representative of the best) が選ばれるとされる。自然遺産については「最上の最上」(The best of the best) が選ばれるとされたこともあったが、「最上の代表」を選ぶ方向に推移してきた[37]。
世界遺産登録基準[編集]
世界遺産登録基準は、当初、文化遺産基準 (1) - (6) と自然遺産基準 (1) - (4)に分けられていた。しかし、2005年に2つの基準を統一することが決まり、2007年の第31回世界遺産委員会から適用されることになった。新基準の (1) - (6) は旧文化遺産基準 (1) - (6) に対応しており、新基準 (7)、(8)、(9)、(10) は順に旧自然遺産基準 (3)、(1)、(2)、(4) に対応している。このため、実質的には過去の物件に新基準を遡及して適用することが可能であり、現在の世界遺産センターの情報では、旧基準で登録された物件の登録基準も新基準で示している。
基準が統一された後も文化遺産と自然遺産の区分は存在し続けており、新基準 (1) - (6) の適用された物件が文化遺産、新基準 (7) - (10) の適用された物件が自然遺産、(1) - (6) のうち1つ以上と (7) - (10) のうち1つ以上の基準がそれぞれ適用された物件が複合遺産となっている。
登録基準の内容は以下の通りである[38]。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
(7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
(8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには、生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
(9) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において、進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
(10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。
登録基準は不変のものではなく、過去にも文面の修正は行われてきた。たとえば基準 (5) は、1980年、1994年、2006年に改訂されている。1994年と2006年の改訂は文化的景観という概念が導入されたなどに関連したものである[39]。
ほかに、基準 (6) の他の基準との併用が望ましい旨の追記も当初は存在しなかった上、1990年代後半には極めて例外的なものである等とかなり厳しい拘束がなされていた時期もあった[40]。
完全性と真正性[編集]
完全性とは、その物件の「顕著な普遍的価値」を証明するために必要な要素が全て揃っていることなどを指す。
真正性とは、特に文化遺産について、そのデザイン、材質、機能などが本来の価値を有していることなどを指す。
再建された建造物の歴史的価値は、1980年登録の「ワルシャワ歴史地区」で早くも問題になった。ワルシャワの町並みは第二次世界大戦で徹底的に破壊され、戦後に壁のひび割れなどまで再現されたといわれるほどの再建事業を経て、忠実に復元されたものだったからである。
その後、登録物件の偏りなどとの関連で「真正性」の問題がクローズアップされた。石の建造物を主体とするヨーロッパの文化遺産と違い、木や土を主体とするアジアやアフリカの文化遺産は、古い文化遺産がそのまま残り続けているとは限らないためである。そこで、1994年に奈良市で開催された「世界遺産の真正性に関する国際会議」で採択された奈良文書において、建材が新しいものに取り替えられても、その建材の種類や伝統的な工法・機能などが維持されていれば、真正性が認められることになった。この真正性の定義づけには、日本も積極的に関わった[41]。
課題[編集]
種類と地域の偏り[編集]
第37回世界遺産委員会(2013年)終了時点で、世界遺産は981件登録されているが、その内訳は文化遺産759件、自然遺産193件、複合遺産29件である[4]。一見して明らかな通り、文化遺産の登録数の方が圧倒的に多く、地域的には文化遺産の約半数を占めるヨーロッパの物件に偏っている。
また、イタリア(49件)、中国(45件)、スペイン(44件)、フランス・ドイツ(各38件)[注釈 7]など非常に多くの物件が登録されている国がある一方で、世界遺産条約締約の190か国中、1件も登録物件を持たない国が30か国ある(数字はいずれも第37回委員会終了時点)[4]。 なお、世界遺産リストの上位登録国が世界遺産委員会の委員国に選出される傾向にあり、自国の申請物件に関して審議するという制度的矛盾も指摘される[42]。
シドニー・オペラハウス。完成から登録までに30年ほどしか経過していないこのような新しい建築物の登録には、グローバル・ストラテジーが大きく関わっている
こうした内容的・地域的な偏りを是正するために、世界遺産委員会では様々な試みが行われている。内容的な不均衡是正の一例としては、「世界遺産リストの代表性、均衡性、信用性のためのグローバル・ストラテジー」(1994年)が打ち出され、文化的景観、産業遺産、20世紀以降の現代建築などを登録していくための比較研究の必要性が示された[43]。2004年から具体的な作業が行われている「顕著な普遍的価値」の再定義や、暫定リスト作成時点で、偏りをなくすような適切な選択がなされるように働きかけていくことなどもその例である[44]。
上限[編集]
世界遺産の登録数に上限は設けられていない[45]。ただし、ユネスコ内部では上限に関する議論も存在するといい、第8代ユネスコ事務局長松浦晃一郎は、モニタリングの制約などから、現実的に設定される可能性のある数字としては、1500や2000という数字を挙げていた[46]。
なお、現在、1回の委員会での審議数には上限が設けられている。かつてはナポリで開催された第21回委員会(1997年)でイタリアの世界遺産が新規に10件登録されたこともあったが、現在は1回の委員会で各国が推薦できるのは2件までである。当初は文化遺産と自然遺産各1件とされていたものが2007年の第31回世界遺産委員会で文化遺産2件でも許可されることになったが[47]、2014年の第38回世界遺産委員会から文化遺産と自然遺産各1件(ただし、自然遺産は文化的景観で代替可能)となることが決まっている[48]。過去に1件も登録されていない国はこの限りではない。また、全体の審議物件総数は45件までとされている。審議数の上限については、様々な意見が出ているため、年々修正が加えられている。
なお、登録数の増加に伴って審査が厳しくなっているとしばしば言われるが、公式には認められていない。そもそも、世界遺産リストに登録されづらくなっている背景には、ピラミッドや万里の長城のような「分かりやすい」世界遺産がすでにあらかた登録され、その「顕著な普遍的価値」を認めにくい物件や価値を裏支えするストーリーが理解しづらい物件が増えていることもあるのではないかとも指摘されている[49]。また、日本の世界遺産登録物件にしても、世界遺産条約参加当初の物件の時点で、日本が推薦理由としていた評価基準がしばしば退けられたことを理由に、昔から十分に厳しかったと指摘する者もいる[50]。
保全活動[編集]
世界遺産リストからの抹消も議論されたケルン大聖堂
世界遺産の登録は、景観や環境の保全が義務付けられるため、周辺の開発との間で摩擦が生じることがある。第28回から第30回まで3年にわたって、大きな論点になったケルン大聖堂などはその好例である。この件では、近隣での高層ビル建設による景観の破壊が問題となった。
現在でも、“北のヴェネツィア”とも称されるサンクトペテルブルクの歴史的町並みが、同市内にガスプロム社が計画している超高層ビルオフタ・センター(高さ396m)の建設を巡って、経済開発を優先する市側と、世界遺産登録抹消を危惧するロシア文化省との間で軋轢が生じる事態になっており、第32回世界遺産委員会(2008年)でも議題の一つとなった[51]。
また、ドレスデン・エルベ渓谷のように、橋梁の建設による景観の破壊を理由として世界遺産リストからの抹消が実際に決議された例もある。
観光地化[編集]
世界遺産登録後に観光客が激増した白川郷
世界遺産に登録されることは、周辺地域の観光産業に多大な影響がある。 白川郷、五箇山では、登録後に観光客数が激増した。白川郷の場合、登録直前の数年間には毎年60万人台で推移していた観光客数が、21世紀初めの数年間は140-150万人台で推移している[52]。これらの地域では世界遺産の公共性を曲解した一部観光客が住民の日常生活を無遠慮に覗き込むなどのトラブルも発生した[53]。
また、少なくとも日本では世界遺産に登録されることで観光客を呼び込もうとする動きのあることも指摘されている[54]。2006年度と2007年度に文化庁が暫定リスト候補の公募を行ったときには、各地の地方公共団体から2006年度には24件、2007年度には32件の応募が寄せられるなど、大きな関心を集めた[55]。
安易な観光地化は、保全の妨げが懸念される。世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨ではないため、世界遺産登録によって観光上の開発が制限されている地域もあり、マッコーリー島のように観光客の立ち入りが禁止されている物件もある。文化遺産では、宗教上の理由から女性の入山を一切認めないアトス山のような事例もある[注釈 8]。
その一方で、貧困にあえぐ国などでは観光を活性化させることで雇用を創出することが、結果的に世界遺産を守ることに繋がる場合もある。こうした問題に関連して、2001年の世界遺産委員会では、「世界遺産を守る持続可能な観光計画」の作成が行われた[56]。
登録されている世界遺産の一覧[編集]
Category:世界遺産
Category:日本の世界遺産
Category:世界遺産 あ行
Category:世界遺産 か行
Category:世界遺産 さ行
Category:世界遺産 た行
Category:世界遺産 な行
Category:世界遺産 は行
Category:世界遺産 ま行
Category:世界遺産 や行
Category:世界遺産 ら行
Category:世界遺産 わ行
世界遺産の一覧 (ヨーロッパ)
世界遺産の一覧 (アフリカ)
世界遺産の一覧 (アジア)
世界遺産の一覧 (オセアニア)
世界遺産の一覧 (北アメリカ・中央アメリカ)
世界遺産の一覧 (南アメリカ)
日本の世界遺産
世界遺産の一覧 (危機遺産リスト)
世界遺産の一覧 (英語索引)
世界遺産の一覧 (仏語索引)
なお、世界遺産登録名は英語とフランス語で付けられており、公式な日本語訳は存在しない。日本ユネスコ協会連盟、世界遺産アカデミーなどの訳も含めていずれの日本語訳も仮訳であり、物件によっては文献ごとに表記の異なる場合が存在する。
無形文化遺産[編集]
詳細は「無形文化遺産」を参照
世界遺産条約は上に述べた発足の経緯などから、不動産のみを対象としている。このため、地域ごとに多様な形態で存在する文化を包括的に保護するためには、無形の文化遺産を保護することも認識されるようになり、2003年のユネスコ総会で無形文化遺産保護条約が採択された。世界遺産と無形文化遺産は別個のものであり、事務局も別である(前者はユネスコ世界遺産センター、後者はユネスコ文化局無形遺産課)。ただし、ユネスコは将来的に統一する見通しを示している[57]。
無形文化遺産の中には、無形文化遺産「イフガオ族のフドゥフドゥ詠歌」と世界遺産「フィリピン・コルディリェーラの棚田群」、無形文化遺産「エルチェの神秘劇」と世界遺産「エルチェの椰子園」、無形文化遺産「ジャマーア・エル・フナ広場の文化的空間」と世界遺産「マラケシュの旧市街」、無形文化遺産「宗廟祭礼祭」と世界遺産「宗廟」のように、無形文化遺産の中には世界遺産リスト登録物件との間に密接な結びつきがあり、有形と無形の「複合遺産」と捉えられるものもあることが指摘されている[58]。
なお、世界遺産と同様に登録国に偏りがみられるほか、歴史的・民俗的共通性をもつ遺産であるにもかかわらず、複数国家が別々に登録申請を行い、さらにその過程で自国の固有性を主張しあう国際紛争に至るケースもある。例えば、2005年に登録された韓国の「江陵端午祭」について中国政府は抗議し、韓国の一地域での慣習との定義を求めた。のちに同国は、「端午節」の登録(2009年)を果たした。[59]。
世界遺産学[編集]
世界遺産を専門に研究する学問として「世界遺産学」という学際的な枠組みが提唱されることがある。専攻などとして設置されている事例としては、筑波大学大学院人間総合科学研究科の「世界遺産専攻・世界文化遺産専攻」[60]、奈良大学文学部の「世界遺産コース」[61]、サイバー大学の「世界遺産学部」[62]などが挙げられる。海外でも、ブランデンブルク工科大学(ドイツ)に、世界遺産専攻コースが設置されている[63]。
また、検定試験として特定非営利活動法人世界遺産アカデミーによる「世界遺産検定」が存在する。
歴史[編集]
アブ・シンベル神殿
ユネスコの設立後、1954年ハーグ条約が採択され、武力紛争の際にも文化財などに対する破壊行為を行うべきでないことが打ち出された。
1960年、エジプト政府がナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムを建設し始めた。このダムが完成した場合、ヌビア遺跡が水没することが懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60か国の援助をもとに技術支援、考古学調査支援などが行われ、ヌビア遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が実現した。これがきっかけとなり、国際的な組織運営によって、歴史的価値のある遺跡や建築物等を開発から守ろう、という機運が生まれた。
1965年には関連する国際組織である国際記念物遺跡会議が発足した[注釈 1]。
他方、アメリカ合衆国ではホワイトハウス国際協力協議会自然資源委員会が1965年に「世界遺産トラスト」を提唱し、優れた自然を護る国際的な枠組みが模索されており、リチャード・ニクソン大統領も1971年の教書において、1972年までに具体化することをはっきりと打ち出した。1972年はアメリカで国立公園制度が生まれてから100周年に当たる[1]。
それら2つの流れが1972年の国連人間環境会議で一つにまとまった結果、同年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)が満場一致で成立した。翌年アメリカ合衆国が第1番目に批准、締結し、20か国が条約締結した1975年に正式に発効した。
1978年の第2回世界遺産委員会で、アメリカのイエローストーン国立公園やエクアドルのガラパゴス諸島など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、第1号の世界遺産リスト登録を果たした。
日本は、先進国では最後の1992年に世界遺産条約を批准し、同年の6月30日に125番目の締約国となった(日本についての発効は同年9月30日)[2]。なお、現在のリストでは124番目となっているが、これは日本の締約後にユーゴスラビア解体によって繰り上がったことによる。日本の参加が他の国と比べて遅れたのは、国内での態勢が未整備だったためとされるが、他方で世界遺産基金の分担金拠出などに関する議論が決着しなかったためとも指摘されている[3]。
2013年の第37回世界遺産委員会終了時点での条約締約国は190か国、世界遺産の登録数は981件(160か国)である[4]
分類[編集]
公式上の分類[編集]
世界遺産はその内容によって以下の3種類に大別される[注釈 2]。
文化遺産顕著な普遍的価値をもつ建築物や遺跡など。自然遺産顕著な普遍的価値をもつ地形や生物多様性、景観美などを備える地域など。複合遺産文化と自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるもの。
また、内容上の分類ではないが、後世に残すことが難しくなっているか、その強い懸念が存在する場合には、該当する物件は危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)に加えられ、別途保存や修復のための配慮がなされることになっている[5]。
なお、後述するように、無形文化遺産は世界遺産条約の対象ではない。
非公式な分類[編集]
世界遺産には、自然遺産、文化遺産、あるいは文化遺産の中での文化的景観や産業遺産など、世界遺産センターやICOMOSによって公式に認められた分類とは別に、非公式に使われている分類もある。
負の世界遺産[編集]
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。登録の際に、類似の案件は二度と登録しないことが決議された。
詳細は「負の世界遺産」を参照
平和の希求や人種差別の撤廃などを訴えていく上で重要な物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名「負の世界遺産」(負の遺産)と呼ばれている。
負の遺産としてしばしば挙げられるのは、原爆ドーム、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、奴隷貿易の拠点であったゴレ島、マンデラ大統領が幽閉された島ロベン島[注釈 3]。このほか、2010年に登録されたビキニ環礁の核実験場も、登録された際には負の遺産として報じられ[6]、世界遺産関連書でもそのように扱っているものがある[7]。
裏世界遺産[編集]
裏世界遺産とは、世界遺産委員会などでの審議の結果、登録が見送られた物件を指す[8]。もともとインターネット上の私的なサイト[9]で打ち出された概念である。
世界遺産リスト登録手続きと登録後の保全[編集]
世界遺産リスト登録に必要となる前提、審査の流れ、登録後の保全状況報告などは、「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下「作業指針」)[注釈 4]で規定されている。
登録までの流れを図示すると以下のようになる。
各国の担当政府機関が暫定リスト(後述)記載物件のうち、準備の整ったものを推薦
↓
ユネスコ世界遺産センターが諮問機関に評価依頼
↓ ↓
文化遺産候補は国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) が現地調査を踏まえて登録の可否を勧告。
文化的景観に関しては、IUCN とも協議が行われる場合がある。[10] 自然遺産候補は国際自然保護連合 (IUCN) が現地調査を踏まえて登録の可否を勧告
↓ ↓
世界遺産委員会で最終審議
↓
正式登録
登録対象[編集]
登録される物件は不動産、つまり移動が不可能な土地や建造物に限られる。そのため、たとえば寺院が世界遺産になっている場合でも、中に安置されている仏像などの美術品(動産)は、通常は世界遺産登録対象とはならない。ただし、東大寺大仏のように移動が困難と認められる場合には、世界遺産登録対象となっている場合がある[11]。このような対象の設定に対する限界が、のちの無形文化遺産の枠組みに繋がったが[12]、この点は後述する。
世界遺産に登録されるためには、後述する世界遺産登録基準を少なくとも1つは満たし、その「顕著な普遍的価値」を証明できる「完全性」と「真正性」を備えていると、世界遺産委員会から判断される必要がある。その際、同一の歴史や文化に属する場合や、生物学的・地質学的特質などに類似性が見られる場合に、「連続性のある資産」(シリアル・ノミネーション・サイト)としてひとまとめに登録することが認められている[13]。たとえば、イギリスとドイツという国境を接しない2カ国の世界遺産であるローマ帝国の国境線や、10カ国の世界遺産であるシュトルーヴェの測地弧などはその好例である。
原爆ドーム。登録の際には戦争遺跡は世界遺産条約の対象外とする米国などが反発した。
また登録された後、将来にわたって継承していくために、推薦時点で国内法等によってすでに保護や管理の枠組みが策定されていることも必要である。日本の例でいえば、原爆ドームの世界遺産推薦に先立ち、文化財保護法が改正されて原爆ドームの史跡指定が行われたことも、そうした点に合致させる必要があったためである[14]。
日本の場合、文化遺産候補は文化庁、自然遺産候補は環境省、林野庁が主に担当する。これに文部科学省、国土交通省などで構成される世界遺産条約関係省庁連絡会議で推薦物件が決定される。推薦物件は、暫定リストとして、外務省を通じユネスコに提出される。
なお、世界遺産リストへの推薦は、各国の関係機関しか行うことはできない。ただし、危機遺産リストへの登録の場合は、きちんとした根拠が示されれば、個人や団体からの申請であっても受理されることがある[15]。
登録範囲[編集]
世界遺産の登録に当たっては、登録物件の周囲に緩衝地域 (Buffer zone) が設けられることがしばしばである。ただし、それは「顕著な普遍的価値」を有するとは認められていない地域で、世界遺産登録地域ではない。
かつては、世界遺産そのものの登録地域を核心地域 (Core zone) と呼んでいたが、核心地域と緩衝地域がともに世界遺産登録地域であるかのように誤認されないために[16]、2008年からは世界遺産そのものの登録地域は資産 (property) と呼んで、緩衝地域と明確に区別されるようになった。
暫定リスト[編集]
暫定リストは、世界遺産登録に先立ち、各国がユネスコ世界遺産センターに提出するリストのことである。原則として、文化遺産については、このリストに掲載されていないものを、世界遺産委員会に登録推薦することは認められていない。
崩壊前のバム
ただし、大地震で壊滅的損壊を蒙ったバムとその文化的景観(2004年登録)のように、不測の事態によって緊急で登録する必要性が認められた場合には、「緊急登録推薦」に関する条項[17]に従い、暫定リスト登録を飛び越えて正式登録が認められる場合がある[18]。「緊急登録推薦」に関する条項はイラクのアッシュール(2003年)の時にも適用されている[19]。
暫定リストは、あくまでも各国が1年から10年以内をめどに世界遺産委員会への登録申請を目指すもののリストであって[20]、世界遺産委員会がその「顕著な普遍的価値」を認めたものではない。現在暫定リストに掲載されているものには、ICOMOSが登録延期を勧告し、すでに一度世界遺産委員会で登録見送りが決議されたものもある。ただし、世界遺産委員会で「不登録」(後述)と決議されたものを、暫定リストに掲載し続けることは、原則として認められていない(不登録時と異なる評価基準に基づいて新規に推薦することは認められている)[21]。
世界遺産委員会は、条約締結各国に対して、暫定リストへの掲載に当たっては、その遺産の「顕著な普遍的価値」を厳格に吟味することや、保護活動が適正に行われていることを十分示すように求めている。また、委員会は、暫定リスト作成では、まだ登録されていないような種類の物件に光を当てることや、世界遺産を多く抱える国は極力暫定リストを絞り込むことなどを呼びかけており、後述の「登録物件の偏り」を是正するための一助とすることを企図している[22]。
諮問機関の勧告[編集]
上掲の図のように、自然遺産については国際自然保護連合(IUCN)、文化遺産については国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が現地調査を踏まえて事前審査を行う。そこでの勧告は、後述の世界遺産委員会の決議と同じく「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4種である[23]。世界遺産委員会は後述するように勧告を踏まえて審査するが、「登録」以外の勧告が出た物件が逆転で登録されることもあれば、勧告よりも低い評価が下されることもある[24]。
現地調査の調査官は一人であり、その調査を踏まえて複数名で勧告書が作成される[25]。ICOMOSの調査では、日本の場合、アジア・太平洋地区[注釈 5]の調査官が原則として派遣される。これは他地区の調査官が厳しい評価を下した場合に、無用の批判が出るのを避けるためといわれている[26]。
世界遺産委員会の決議[編集]
世界遺産委員会は、諮問機関の勧告を踏まえて推薦された物件について審査を行い、「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」のいずれかの決議を行う[27]。
「登録」(記載)は、世界遺産リストへの登録を正式に認めるものである。
「情報照会」は一般的に顕著な普遍的価値の証明ができているものの、保存計画などの不備が指摘されている事例で決議され[28]、期日までに該当する追加書類の提出を行えば、翌年の世界遺産委員会で再審査を受けることができる。ただし、3年以内の再推薦がない場合は、以降の推薦は新規推薦と同じ手続きが必要になる[29]。
顕著な普遍的価値の証明などが不十分と見なされ[28]、より踏み込んだ再検討が必要な場合は「登録延期」(記載延期)と決議される。この場合、必要な書類の再提出を行った上で、諮問機関による再度の現地調査を受ける必要があるため、世界遺産委員会での再審査は、早くとも翌々年以降になる。
「不登録」(不記載)と決議された物件は原則として再度推薦することができない。ただし、不登録となったものと異なる理由で再提案すること、たとえば、自然遺産として不登録になった物件を文化遺産として再提出するなどは可能である[30]。諮問機関の勧告の時点で「不登録」勧告が出されると、委員会での「不登録」決議を回避するために、審議取り下げの手続きがとられることもしばしばである。たとえば、2012年の第36回世界遺産委員会では、「不登録」勧告を受けた推薦資産は9件[注釈 6]あったが、うち5件は委員会開催前に取り下げられた[31]。
保全状況の調査[編集]
登録後、保全状況を6年ごとに報告し、世界遺産委員会での再審査を受ける必要がある。
物件の保全に問題がある場合、危機にさらされている世界遺産リストに登録されることがある。また、2007年からは「強化モニタリング」(監視強化)という分類も登場し、危機遺産でなくとも監視が強められる場合が存在するようになった。強化モニタリング対象は危機遺産リスト登録物件と一部重複するが、2010年の第34回世界遺産委員会では36件について強化モニタリングが要請された[32]。
抹消[編集]
世界遺産は、登録時に存在していた「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合、もしくは条件付で登録された物件についてその後条件が満たされなかった場合に、削除されることがある[33]。初めて抹消されたのは、2007年のアラビアオリックスの保護区(オマーン)である。この物件は元々保護計画の不備を理由とするIUCNの「登録延期」勧告を覆して登録された経緯があったが、計画が整備されるどころか保護区の大幅な縮小などの致命的悪化が確認されたことや、オマーン政府が開発優先の姿勢を明示したことから、抹消が決まった[34]。2009年にはドレスデン・エルベ渓谷(ドイツ)が抹消されている。これは、世界遺産委員会が「景観を損ねる」と判断した橋の建設が、警告にもかかわらず中止されず、「住民投票で決定した」と継続されたことによるものである。
顕著な普遍的価値とその評価基準[編集]
すでに述べたように、世界遺産となるためには、「顕著な普遍的価値」(Outstanding Universal Value, 関連文献では OUV と略されることもある)を有している必要がある。しかし、世界遺産条約では「顕著な普遍的価値」自体を定義していない。「作業指針」には一応その定義があるが[35]、その証明のために要請されるのが、10項目からなる世界遺産登録基準のいずれか1つ以上を満たすことである。[36]。
世界遺産はその基準を満たした「最上の代表」(representative of the best) が選ばれるとされる。自然遺産については「最上の最上」(The best of the best) が選ばれるとされたこともあったが、「最上の代表」を選ぶ方向に推移してきた[37]。
世界遺産登録基準[編集]
世界遺産登録基準は、当初、文化遺産基準 (1) - (6) と自然遺産基準 (1) - (4)に分けられていた。しかし、2005年に2つの基準を統一することが決まり、2007年の第31回世界遺産委員会から適用されることになった。新基準の (1) - (6) は旧文化遺産基準 (1) - (6) に対応しており、新基準 (7)、(8)、(9)、(10) は順に旧自然遺産基準 (3)、(1)、(2)、(4) に対応している。このため、実質的には過去の物件に新基準を遡及して適用することが可能であり、現在の世界遺産センターの情報では、旧基準で登録された物件の登録基準も新基準で示している。
基準が統一された後も文化遺産と自然遺産の区分は存在し続けており、新基準 (1) - (6) の適用された物件が文化遺産、新基準 (7) - (10) の適用された物件が自然遺産、(1) - (6) のうち1つ以上と (7) - (10) のうち1つ以上の基準がそれぞれ適用された物件が複合遺産となっている。
登録基準の内容は以下の通りである[38]。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
(7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
(8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには、生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
(9) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において、進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
(10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。
登録基準は不変のものではなく、過去にも文面の修正は行われてきた。たとえば基準 (5) は、1980年、1994年、2006年に改訂されている。1994年と2006年の改訂は文化的景観という概念が導入されたなどに関連したものである[39]。
ほかに、基準 (6) の他の基準との併用が望ましい旨の追記も当初は存在しなかった上、1990年代後半には極めて例外的なものである等とかなり厳しい拘束がなされていた時期もあった[40]。
完全性と真正性[編集]
完全性とは、その物件の「顕著な普遍的価値」を証明するために必要な要素が全て揃っていることなどを指す。
真正性とは、特に文化遺産について、そのデザイン、材質、機能などが本来の価値を有していることなどを指す。
再建された建造物の歴史的価値は、1980年登録の「ワルシャワ歴史地区」で早くも問題になった。ワルシャワの町並みは第二次世界大戦で徹底的に破壊され、戦後に壁のひび割れなどまで再現されたといわれるほどの再建事業を経て、忠実に復元されたものだったからである。
その後、登録物件の偏りなどとの関連で「真正性」の問題がクローズアップされた。石の建造物を主体とするヨーロッパの文化遺産と違い、木や土を主体とするアジアやアフリカの文化遺産は、古い文化遺産がそのまま残り続けているとは限らないためである。そこで、1994年に奈良市で開催された「世界遺産の真正性に関する国際会議」で採択された奈良文書において、建材が新しいものに取り替えられても、その建材の種類や伝統的な工法・機能などが維持されていれば、真正性が認められることになった。この真正性の定義づけには、日本も積極的に関わった[41]。
課題[編集]
種類と地域の偏り[編集]
第37回世界遺産委員会(2013年)終了時点で、世界遺産は981件登録されているが、その内訳は文化遺産759件、自然遺産193件、複合遺産29件である[4]。一見して明らかな通り、文化遺産の登録数の方が圧倒的に多く、地域的には文化遺産の約半数を占めるヨーロッパの物件に偏っている。
また、イタリア(49件)、中国(45件)、スペイン(44件)、フランス・ドイツ(各38件)[注釈 7]など非常に多くの物件が登録されている国がある一方で、世界遺産条約締約の190か国中、1件も登録物件を持たない国が30か国ある(数字はいずれも第37回委員会終了時点)[4]。 なお、世界遺産リストの上位登録国が世界遺産委員会の委員国に選出される傾向にあり、自国の申請物件に関して審議するという制度的矛盾も指摘される[42]。
シドニー・オペラハウス。完成から登録までに30年ほどしか経過していないこのような新しい建築物の登録には、グローバル・ストラテジーが大きく関わっている
こうした内容的・地域的な偏りを是正するために、世界遺産委員会では様々な試みが行われている。内容的な不均衡是正の一例としては、「世界遺産リストの代表性、均衡性、信用性のためのグローバル・ストラテジー」(1994年)が打ち出され、文化的景観、産業遺産、20世紀以降の現代建築などを登録していくための比較研究の必要性が示された[43]。2004年から具体的な作業が行われている「顕著な普遍的価値」の再定義や、暫定リスト作成時点で、偏りをなくすような適切な選択がなされるように働きかけていくことなどもその例である[44]。
上限[編集]
世界遺産の登録数に上限は設けられていない[45]。ただし、ユネスコ内部では上限に関する議論も存在するといい、第8代ユネスコ事務局長松浦晃一郎は、モニタリングの制約などから、現実的に設定される可能性のある数字としては、1500や2000という数字を挙げていた[46]。
なお、現在、1回の委員会での審議数には上限が設けられている。かつてはナポリで開催された第21回委員会(1997年)でイタリアの世界遺産が新規に10件登録されたこともあったが、現在は1回の委員会で各国が推薦できるのは2件までである。当初は文化遺産と自然遺産各1件とされていたものが2007年の第31回世界遺産委員会で文化遺産2件でも許可されることになったが[47]、2014年の第38回世界遺産委員会から文化遺産と自然遺産各1件(ただし、自然遺産は文化的景観で代替可能)となることが決まっている[48]。過去に1件も登録されていない国はこの限りではない。また、全体の審議物件総数は45件までとされている。審議数の上限については、様々な意見が出ているため、年々修正が加えられている。
なお、登録数の増加に伴って審査が厳しくなっているとしばしば言われるが、公式には認められていない。そもそも、世界遺産リストに登録されづらくなっている背景には、ピラミッドや万里の長城のような「分かりやすい」世界遺産がすでにあらかた登録され、その「顕著な普遍的価値」を認めにくい物件や価値を裏支えするストーリーが理解しづらい物件が増えていることもあるのではないかとも指摘されている[49]。また、日本の世界遺産登録物件にしても、世界遺産条約参加当初の物件の時点で、日本が推薦理由としていた評価基準がしばしば退けられたことを理由に、昔から十分に厳しかったと指摘する者もいる[50]。
保全活動[編集]
世界遺産リストからの抹消も議論されたケルン大聖堂
世界遺産の登録は、景観や環境の保全が義務付けられるため、周辺の開発との間で摩擦が生じることがある。第28回から第30回まで3年にわたって、大きな論点になったケルン大聖堂などはその好例である。この件では、近隣での高層ビル建設による景観の破壊が問題となった。
現在でも、“北のヴェネツィア”とも称されるサンクトペテルブルクの歴史的町並みが、同市内にガスプロム社が計画している超高層ビルオフタ・センター(高さ396m)の建設を巡って、経済開発を優先する市側と、世界遺産登録抹消を危惧するロシア文化省との間で軋轢が生じる事態になっており、第32回世界遺産委員会(2008年)でも議題の一つとなった[51]。
また、ドレスデン・エルベ渓谷のように、橋梁の建設による景観の破壊を理由として世界遺産リストからの抹消が実際に決議された例もある。
観光地化[編集]
世界遺産登録後に観光客が激増した白川郷
世界遺産に登録されることは、周辺地域の観光産業に多大な影響がある。 白川郷、五箇山では、登録後に観光客数が激増した。白川郷の場合、登録直前の数年間には毎年60万人台で推移していた観光客数が、21世紀初めの数年間は140-150万人台で推移している[52]。これらの地域では世界遺産の公共性を曲解した一部観光客が住民の日常生活を無遠慮に覗き込むなどのトラブルも発生した[53]。
また、少なくとも日本では世界遺産に登録されることで観光客を呼び込もうとする動きのあることも指摘されている[54]。2006年度と2007年度に文化庁が暫定リスト候補の公募を行ったときには、各地の地方公共団体から2006年度には24件、2007年度には32件の応募が寄せられるなど、大きな関心を集めた[55]。
安易な観光地化は、保全の妨げが懸念される。世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨ではないため、世界遺産登録によって観光上の開発が制限されている地域もあり、マッコーリー島のように観光客の立ち入りが禁止されている物件もある。文化遺産では、宗教上の理由から女性の入山を一切認めないアトス山のような事例もある[注釈 8]。
その一方で、貧困にあえぐ国などでは観光を活性化させることで雇用を創出することが、結果的に世界遺産を守ることに繋がる場合もある。こうした問題に関連して、2001年の世界遺産委員会では、「世界遺産を守る持続可能な観光計画」の作成が行われた[56]。
登録されている世界遺産の一覧[編集]
Category:世界遺産
Category:日本の世界遺産
Category:世界遺産 あ行
Category:世界遺産 か行
Category:世界遺産 さ行
Category:世界遺産 た行
Category:世界遺産 な行
Category:世界遺産 は行
Category:世界遺産 ま行
Category:世界遺産 や行
Category:世界遺産 ら行
Category:世界遺産 わ行
世界遺産の一覧 (ヨーロッパ)
世界遺産の一覧 (アフリカ)
世界遺産の一覧 (アジア)
世界遺産の一覧 (オセアニア)
世界遺産の一覧 (北アメリカ・中央アメリカ)
世界遺産の一覧 (南アメリカ)
日本の世界遺産
世界遺産の一覧 (危機遺産リスト)
世界遺産の一覧 (英語索引)
世界遺産の一覧 (仏語索引)
なお、世界遺産登録名は英語とフランス語で付けられており、公式な日本語訳は存在しない。日本ユネスコ協会連盟、世界遺産アカデミーなどの訳も含めていずれの日本語訳も仮訳であり、物件によっては文献ごとに表記の異なる場合が存在する。
無形文化遺産[編集]
詳細は「無形文化遺産」を参照
世界遺産条約は上に述べた発足の経緯などから、不動産のみを対象としている。このため、地域ごとに多様な形態で存在する文化を包括的に保護するためには、無形の文化遺産を保護することも認識されるようになり、2003年のユネスコ総会で無形文化遺産保護条約が採択された。世界遺産と無形文化遺産は別個のものであり、事務局も別である(前者はユネスコ世界遺産センター、後者はユネスコ文化局無形遺産課)。ただし、ユネスコは将来的に統一する見通しを示している[57]。
無形文化遺産の中には、無形文化遺産「イフガオ族のフドゥフドゥ詠歌」と世界遺産「フィリピン・コルディリェーラの棚田群」、無形文化遺産「エルチェの神秘劇」と世界遺産「エルチェの椰子園」、無形文化遺産「ジャマーア・エル・フナ広場の文化的空間」と世界遺産「マラケシュの旧市街」、無形文化遺産「宗廟祭礼祭」と世界遺産「宗廟」のように、無形文化遺産の中には世界遺産リスト登録物件との間に密接な結びつきがあり、有形と無形の「複合遺産」と捉えられるものもあることが指摘されている[58]。
なお、世界遺産と同様に登録国に偏りがみられるほか、歴史的・民俗的共通性をもつ遺産であるにもかかわらず、複数国家が別々に登録申請を行い、さらにその過程で自国の固有性を主張しあう国際紛争に至るケースもある。例えば、2005年に登録された韓国の「江陵端午祭」について中国政府は抗議し、韓国の一地域での慣習との定義を求めた。のちに同国は、「端午節」の登録(2009年)を果たした。[59]。
世界遺産学[編集]
世界遺産を専門に研究する学問として「世界遺産学」という学際的な枠組みが提唱されることがある。専攻などとして設置されている事例としては、筑波大学大学院人間総合科学研究科の「世界遺産専攻・世界文化遺産専攻」[60]、奈良大学文学部の「世界遺産コース」[61]、サイバー大学の「世界遺産学部」[62]などが挙げられる。海外でも、ブランデンブルク工科大学(ドイツ)に、世界遺産専攻コースが設置されている[63]。
また、検定試験として特定非営利活動法人世界遺産アカデミーによる「世界遺産検定」が存在する。
国際連合教育科学文化機関
国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、ユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的として、1945年11月16日に採択された「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された国際連合の専門機関である。分担金(2011年現在)の最大の拠出国は米国、2位は日本である。
概要と歴史[編集]
英語の正式名称は United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization。その頭字語である UNESCO (英語発音: /juːˈneskou/ ィユーネスコウ)も公式に用いられ、日本語では「ユネスコ」と称する。本部はフランスのパリにある。
教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないとの理念により設立の意義を定めたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言があり、設立の目的とその精神を顕著に表している。
活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などを定める。それに基づき、例えば前者に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、後者については世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択のほか、歴史的記録遺産を保全する世界の記憶事業などを実施する。そのほか、極度の貧困の半減、普遍的初等教育の達成、初等・中等教育における男女差別の解消、持続可能な開発のための教育、危機に瀕する言語の保護などを内容とするミレニアム開発目標など、国際開発目標達成を目指す。
1980年代には、放漫財政等のマネージメントの問題に加え、活動が「政治化」していることのほか、当時のムボウ事務局長が提唱した「新世界情報秩序」がジャーナリストの認可制を導入し報道の自由を制限するものだとして、アメリカ、イギリスが脱退し、ユネスコの存続は危機に立たされた。この間、日本は、ユネスコにとどまり、分担金の約4分の1近くを担う最大の拠出国として、ユネスコの存続に大きな役割を果たした。結局、政治的偏向や報道の自由に対する問題を解消したマヨール事務局長につづき、松浦事務局長のもと管理運営についても全般的な改革がなされ、英国が1997年7月に、米国が2003年10月にそれぞれ復帰する。このように、松浦事務局長の改革については高く評価され、総会や執行委員会でも多くの加盟国から繰り返し表明された。一方で、改革の根幹であるRBMの進展やプログラムの整理、官僚主義的な組織機構について、さらなる取組も求められた。
ユネスコ活動の普及と理解促進のため、世界の著名人を「ユネスコ親善大使」に任命し、様々な活動を行っている。日本では、日本ユネスコ国内委員会を中心に活動する。
2013年11月現在の加盟国数は195ヶ国[1][2]、準加盟9地域[3]である。日本は1951年7月2日に加盟[4]。最も新しい加盟国はパレスチナである。2011年10月31日に総会が開かれ賛成107、反対14、棄権52で国としての正式加盟を承認した。アメリカ、イスラエルなどは反対し、日本などは棄権[5]。アメリカ国務省は、この決議案採択への対抗措置として分担金の停止を明らかにした。イスラエルの外務省は、パレスチナを非難するとともにユネスコとの協力関係について再検討するとしている。一方、分担金負担停止から2年経過した2013年、両国は議事への投票資格が停止された。
ワールド・デジタル・ライブラリー[編集]
詳細は「ワールド・デジタル・ライブラリー」を参照
ユネスコは2005年より電子図書館プロジェクト(World Digital Library、WDL)に取り組んできたが2009年4月21日にインターネット上にて公開された。このウエブサイトでは各国の文化資料を地域別、テーマ別、年代別に横断して一望でき、一般の利用者、研究者の別なく無料で閲覧できる。
展示資料は、米国議会図書館、アレクサンドリア図書館(エジプト)、国立国会図書館(日本)など世界の32機関が参加し、現在、書籍・手稿・地図・写真・動画など、約1200点のコンテンツが閲覧できる。
概要と歴史[編集]
英語の正式名称は United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization。その頭字語である UNESCO (英語発音: /juːˈneskou/ ィユーネスコウ)も公式に用いられ、日本語では「ユネスコ」と称する。本部はフランスのパリにある。
教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないとの理念により設立の意義を定めたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言があり、設立の目的とその精神を顕著に表している。
活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などを定める。それに基づき、例えば前者に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、後者については世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択のほか、歴史的記録遺産を保全する世界の記憶事業などを実施する。そのほか、極度の貧困の半減、普遍的初等教育の達成、初等・中等教育における男女差別の解消、持続可能な開発のための教育、危機に瀕する言語の保護などを内容とするミレニアム開発目標など、国際開発目標達成を目指す。
1980年代には、放漫財政等のマネージメントの問題に加え、活動が「政治化」していることのほか、当時のムボウ事務局長が提唱した「新世界情報秩序」がジャーナリストの認可制を導入し報道の自由を制限するものだとして、アメリカ、イギリスが脱退し、ユネスコの存続は危機に立たされた。この間、日本は、ユネスコにとどまり、分担金の約4分の1近くを担う最大の拠出国として、ユネスコの存続に大きな役割を果たした。結局、政治的偏向や報道の自由に対する問題を解消したマヨール事務局長につづき、松浦事務局長のもと管理運営についても全般的な改革がなされ、英国が1997年7月に、米国が2003年10月にそれぞれ復帰する。このように、松浦事務局長の改革については高く評価され、総会や執行委員会でも多くの加盟国から繰り返し表明された。一方で、改革の根幹であるRBMの進展やプログラムの整理、官僚主義的な組織機構について、さらなる取組も求められた。
ユネスコ活動の普及と理解促進のため、世界の著名人を「ユネスコ親善大使」に任命し、様々な活動を行っている。日本では、日本ユネスコ国内委員会を中心に活動する。
2013年11月現在の加盟国数は195ヶ国[1][2]、準加盟9地域[3]である。日本は1951年7月2日に加盟[4]。最も新しい加盟国はパレスチナである。2011年10月31日に総会が開かれ賛成107、反対14、棄権52で国としての正式加盟を承認した。アメリカ、イスラエルなどは反対し、日本などは棄権[5]。アメリカ国務省は、この決議案採択への対抗措置として分担金の停止を明らかにした。イスラエルの外務省は、パレスチナを非難するとともにユネスコとの協力関係について再検討するとしている。一方、分担金負担停止から2年経過した2013年、両国は議事への投票資格が停止された。
ワールド・デジタル・ライブラリー[編集]
詳細は「ワールド・デジタル・ライブラリー」を参照
ユネスコは2005年より電子図書館プロジェクト(World Digital Library、WDL)に取り組んできたが2009年4月21日にインターネット上にて公開された。このウエブサイトでは各国の文化資料を地域別、テーマ別、年代別に横断して一望でき、一般の利用者、研究者の別なく無料で閲覧できる。
展示資料は、米国議会図書館、アレクサンドリア図書館(エジプト)、国立国会図書館(日本)など世界の32機関が参加し、現在、書籍・手稿・地図・写真・動画など、約1200点のコンテンツが閲覧できる。
無形文化遺産
無形文化遺産(むけいぶんかいさん、Intangible Cultural Heritage)は、ユネスコの事業の一つ。同じくユネスコの事業である世界遺産が建築物などの有形の文化財の保護と継承を目的としているのに対し、民族文化財、フォークロア、口承伝統などの無形のもの(無形文化財)を保護対象とすることを目指したものである。
定義[編集]
2003年の第32回ユネスコ総会で採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」の第2条では、「無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう」と定義している。
同条約においては、無形文化遺産の重要性についての意識を向上させるために、ユネスコ内に設置された無形文化遺産保護に関する政府間委員会によって、人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity)を作成することとされている(第16条)。また、条約採択前に人類の口承及び無形遺産の傑作(Masterpieces of the Oral and Intangible Heritage of Humanity)として宣言されたものは、一覧表に記載されることになっている(第31条)。
表記[編集]
一般に、この一覧表に掲載される無形文化遺産を、世界無形遺産や世界無形文化遺産といった世界と付く俗称で呼ぶこともあるが、日本での条約承認手続きにおける表記は無形文化遺産であり[1]、条約本文においてもworldは冠せられず[2]誤りである。
経緯[編集]
無形文化遺産は、芸能(民族音楽・ダンス・劇など)、伝承、社会的慣習、儀式、祭礼、伝統工芸技術、文化空間などが対象である。有形の文化遺産については既に1972年に採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)により、世界遺産をリストアップするなどの保護の枠組みが整えられていたが、無形文化遺産についてはその枠組みで保護することが難しいため、新たな枠組みが作られた。無形文化遺産の保護に関する条約は、締約国が30か国に達した時点から3か月後に発効する規定となっており、採択されてから約3年後の2006年4月20日に発効した。
ユネスコでは、無形文化遺産の保護に関する条約の発効に先立ち、隔年で「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」(傑作宣言)として発表していた。隔年で3回行われ(2001年、2003年、2005年)、計90件が傑作宣言された。これらは無形文化遺産の保護に関する条約の発効後に代表一覧表に統合され、その後の宣言は行われない。
2007年9月には、代表一覧表や「緊急に保護する必要のある無形文化遺産の一覧表(危機一覧表)」などの作成について協議する、ユネスコの第2回政府間委員会が日本で開催された。この委員会では、第1回の一覧表作成を、2009年9月に行うことで各国政府代表が合意した。2008年6月に開催されたユネスコ総会で正式に決定された[3]。なお、代表一覧表への各締約国の提案提出期限については、第1回は2008年9月末となっている。ちなみに、危機一覧表は2009年3月15日である。第2回目以降は、代表一覧表への提出期限は毎年8月末とされている。
代表一覧表[編集]
2008年6月に開催された締約国総会で採択された運用指示書に、代表一覧表に記載される基準やタイムテーブルが示されている。それによれば、2009年9月に開催予定の政府間委員会で第1回の代表一覧表が作成され、その後毎年更新されていく予定である。代表一覧表は、各締約国から提出される個別提案案件を、政府間委員会に設けられる補助機関が審査し、その後、政府間委員会が最終的に評価・決定することによって作成され、世界遺産の評価体制とは異なる。
条約第16条、17条に基づいて作成される無形文化遺産の国際的保護を行うために作成される一覧表は、関係締約国からの提案または要請に基づき、締約国から選出される政府間委員会が作成する。一覧表は、
「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」(代表一覧表)
「緊急に保護する必要がある無形文化遺産の一覧表」(危機一覧表)
の2種類がある。
なお、世界遺産と同様に登録国に偏りがみられるほか、歴史的・民俗的共通性をもつ遺産であるにもかかわらず、複数国家が別々に登録申請を行い、さらにその過程で自国の固有性を主張しあう国際紛争に至るケースもある。 例えば、2005年に登録された韓国の「江陵端午祭」について中国政府は抗議し、韓国の一地域での慣習であるとの定義を求めた。のちに同国は、「端午節」の登録(2009年)を果たした。登録名称が、英語では[dragon boat]、中国語では[端午节]と異なるのは、[江陵端午祭]と対比して、文化間の対話と尊重を促進する地域的、国家的および国際的レベルでの含意を明確にしようと、中国政府が意図したためである[4]。
分野[編集]
無形文化遺産の保護に関する条約第2条第2項では、下記の五つの分野 (Domain) を挙げている。
口承による伝統及び表現(無形文化遺産の伝達手段としての言語を含む)
芸能
社会的慣習、儀式及び祭礼行事
自然及び万物に関する知識及び慣習
伝統工芸技術
この分野は、各国がユネスコに推薦する際の推薦書のフォーム上に記載することとなっている。2009年代表一覧表の掲載案件について、日本からの推薦は1件につき該当分野を1つにしているが、複数分野に該当するものとして推薦・登録される例も多く存在する。代表一覧表に記載されたものの中には、該当分野が記載されていないものもある。
人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言[編集]
人類の口承及び無形遺産の傑作の分布
無形文化遺産の保護に関する条約の発効以前は、法的に無形文化遺産として登録できないので、ユネスコとして、たぐいない価値を有する世界各地の口承伝統や無形遺産を讃えるとともに、政府、NGO、地方公共団体に対して口承及び無形遺産の継承と発展を図ることを奨励し、独自の文化的特性を保持することを目的として、基準を満たすものを、「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」(傑作宣言)として公表した。第1回の宣言は2001年5月18日に、第2回の宣言は2003年11月7日に、第3回の宣言は2005年11月25日に行なわれ、それぞれ19件、28件、43件が傑作宣言されている。2006年に無形文化遺産の保護に関する条約が発効し、これらのものについては2009年に代表一覧表に正式登録され、統合された。
傑作宣言では、「選考基準」のいずれかの条件を満たすものについて、「考慮基準」を考慮のうえ選考された。
選考基準1.たぐいない価値を有する無形文化遺産が集約されていること
2.歴史、芸術、民族学、社会学、人類学、言語学又は文学の観点から、たぐいない価値を有する民衆の伝統的な文化の表現形式であること
考慮基準1.人類の創造的才能の傑作としての卓越した価値
2.共同体の伝統的・歴史的ツール
3.民族・共同体を体現する役割
4.技巧の卓越性
5.生活文化の伝統の独特の証明としての価値
6.消滅の危険性
登録されている無形文化遺産の一覧[編集]
2006年に無形文化遺産の保護に関する条約が発効した。これにより、条約発効前にユネスコにより実施していた「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」に登録されていたものは、2008年11月に本条約の代表一覧表に統合された[5]。
アフリカ[編集]
提案・申請国
掲載年
名称[6]
分野
アルジェリアの旗 アルジェリア
2005 グゥララ地域のアヘリル
ウガンダの旗 ウガンダ
2005 ウガンダのバーククロスの製作
エジプトの旗 エジプト
2003 叙事詩アル・シラー・アル・ヒラリヤ 口承による伝統・表現
ガンビアの旗 ガンビア
セネガルの旗 セネガル
2005 カンクラング(マンディンカ族の成年の儀式)
ギニアの旗 ギニア
2001 ニアガッソラのソソバラの文化的空間 芸能
伝統工芸技術
コートジボワールの旗 コートジボワール
2001 アファウンカハのグボフェ「ダグバナ社会の横吹きラッパの音楽」 芸能
ザンビアの旗 ザンビア
2005 マキシ仮装
ザンビアの旗 ザンビア
マラウイの旗 マラウイ
モザンビークの旗 モザンビーク
2005 グレワムクル
ジンバブエの旗 ジンバブエ
2005 ムベンデ/ジェルサレマの踊り 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
伝統工芸技術
中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカ
2003 中央アフリカのアカ・ピグミー族の口承伝統 口承による伝統・表現
芸能
トーゴの旗 トーゴ
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
ベナンの旗 ベナン
2001 ゲレデの口承遺産 口承による伝統・表現
社会的慣習、儀式及び祭礼行事
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
2005 ナイジェリアにおけるイファ占い制度 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
伝統工芸技術
ブルキナファソの旗 ブルキナファソ
マリ共和国の旗 マリ
2011 Cultural practices and expressions linked to the balafon of the Senufo communities of Mali and Burkina Faso
マダガスカルの旗 マダガスカル
2003 ザフィマニリの木彫知識 自然・万物に関する知識・慣習
マラウイの旗 マラウイ
2005 治療のための踊り、ヴィンブザ
マリ共和国の旗 マリ
2005 ヤーラルとデガルの文化的空間
モザンビークの旗 モザンビーク
2005 チョピ族のティンビラ
モロッコの旗 モロッコ
2001 ジャマ・エル・フナ広場の文化的空間 伝統工芸技術
2005 タンタンのムッセム
アジア・太平洋諸国[編集]
提案・申請国
掲載年
名称
分野
インドの旗 インド
2001 クッティヤタム・サンスクリット劇 芸能
2003 ヴェーダ詠唱の伝統 口承による伝統・表現
社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2005 ラーマーヤナの伝統演劇
インドネシアの旗 インドネシア
2003 ワヤン人形劇 芸能
2005 インドネシアのクリス 工芸
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
2001 ボイスン地域の文化的空間 伝統工芸技術
韓国の旗 韓国
2001 宗廟先祖のための儀礼および祭礼音楽 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2003 パンソリの詠唱 芸能
2005 江陵端午祭 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
伝統工芸技術
2009 カンガンスルレ
2009 男寺党ノリ
2009 霊山斎
2009 済州チルモリ堂燃燈グッ
2009 処容舞
2010 歌曲
2010 大木匠
2013 キムジャン文化
カンボジアの旗 カンボジア
2003 王宮古典舞踊 芸能
2005 クメールの影絵劇
キルギスの旗 キルギス
2003 キルギス叙事詩の語り部、アキンズの技芸 口承による伝統・表現
タジキスタンの旗 タジキスタン
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
2003 シャシュマカーム 芸能
中華人民共和国の旗 中国
2001 昆劇 芸能
2003 「古琴」(七弦琴)演奏技 芸能
2005 新疆ウイグル自治区のウイグル族の大曲(ムカム)芸術
2009 中国の印章彫刻技術
2009 中国の活版印刷技術
2009 中国の書道
2009 中国の切り紙
2009 木造建築の中国伝統建築の職人技術
2009 南京雲錦の職人技術
2009 ドラゴンボート祭り
2009 中国朝鮮族の農民の舞踊
2009 ケサルの叙事詩の伝統
2009 トン族の大歌
2009 花児
2009 マナス
2009 媽祖信仰と習慣
2009 モンゴル族の歌唱技能:ホーミー
2009 南音(福建省の伝統器楽)
2009 熱貢芸術(チベット仏教芸術)
2009 中国の養蚕・絹織物の職人芸術
2009 チベット地方の劇
2009 龍泉青磁の伝統技術
2009 宣紙の手すき製造技術
2009 西安鼓楽
2009 粤劇(広東オペラ)
2010 京劇
2010 中国伝統医学の鍼灸術
2011 中国の影絵劇
2013 中国の珠算
トンガの旗 トンガ
2003 ラカラカの舞踏と歌唱 芸能
日本の旗 日本
2001 能楽 芸能
2003 人形浄瑠璃文楽 芸能
2005 歌舞伎
2009 雅楽
2009 小千谷縮
2009 越後上布
2009 石州半紙
2009 日立風流物
2009 京都祇園祭の山鉾行事
2009 甑島のトシドン
2009 奥能登のあえのこと
2009 早池峰神楽
2009 秋保の田植踊
2009 チャッキラコ
2009 大日堂舞楽
2009 題目立
2009 アイヌ古式舞踊
2010 組踊
2010 結城紬
2011 佐陀神能
2011 壬生の花田植
2012 那智の田楽
2013 和食 日本人の伝統的な食文化
バヌアツの旗 バヌアツ
2003 バヌアツの砂絵 自然・万物に関する知識・慣習
バングラデシュの旗 バングラデシュ
2005 バウルの歌
フィリピンの旗 フィリピン
2001 イフガオ族の歌、ハドハド 口承による伝統・表現
2005 ラナオ湖マラナオ民族のダランゲン叙事詩
ブータンの旗 ブータン
2005 ドゥラミツェの太鼓と仮面舞踏 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
伝統工芸技術
ベトナムの旗 ベトナム
2003 ベトナムの宮廷音楽、ニャ・ニャック 芸能
2005 ベトナム中央高原におけるゴングの文化的空間
モンゴルの旗 モンゴル
2003 モリンホール(馬頭琴)の伝統音楽 芸能
中華人民共和国の旗 中国
モンゴルの旗 モンゴル
2005 オルティンドー―モンゴル人の伝統的な「長い歌」
マレーシアの旗 マレーシア
2005 マヨンの舞踊劇
ヨーロッパ・アラブ諸国[編集]
提案・申請国
掲載年
名称
分野
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
2003 アゼルバイジャンのムガーム音楽 芸能
2009 アゼルバイジャンのアシクの技術
2010 アゼルバイジャン共和国のアゼルバイジャン絨毯の伝統技術
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
イランの旗 イラン
インドの旗 インド
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
カザフスタンの旗 カザフスタン
トルコの旗 トルコ
パキスタンの旗 パキスタン
2009 ノヴルズ、ノウルーズ、ノールズ、ナウルズ、ナウロズ、ネヴルズ(ゾロアスター教の新年祭)
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦
ベルギーの旗 ベルギー
チェコの旗 チェコ
フランスの旗 フランス
韓国の旗 韓国
モンゴルの旗 モンゴル
モロッコの旗 モロッコ
カタールの旗 カタール
サウジアラビアの旗 サウジアラビア
スペインの旗 スペイン
シリアの旗 シリア
2010 生きた人類の遺産、鷹狩り[7]
アルバニアの旗 アルバニア
2005 アルバニア民衆の同音多声音楽(アイソポリフォニー) 芸能
アルメニアの旗 アルメニア
2005 ドゥドゥーク音楽
2010 Armenian cross-stones art. Symbolism and craftsmanship of Khachkars
イエメンの旗 イエメン
2003 サナアの歌 芸能
イタリアの旗 イタリア
2001 シシリアの人形劇 芸能
2005 テノール風の歌の口承伝承:サルデーニャ牧羊文化の無形遺産としての表現
イタリアの旗 イタリア
ギリシャの旗 ギリシャ
スペインの旗 スペイン
モロッコの旗 モロッコ
2010 地中海の食事
イラクの旗 イラク
2003 イラクのマカーム : 伝統音楽 芸能
エストニアの旗 エストニア
2003 キーヌ島の文化的空間 伝統工芸技術
エストニアの旗 エストニア
ラトビアの旗 ラトビア
リトアニアの旗 リトアニア
2003 バルト地方の歌謡・舞踏フェスティバル 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
グルジアの旗 グルジア
2001 グルジアの多声音楽の歌謡 芸能
2013 古代グルジアの伝統的な発酵ワイン
スペインの旗 スペイン
2001 エルチェの神秘劇 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2005 ベルガの民衆祭り「パトゥム」
2009 スペイン地中海岸の灌漑法廷:ムルシア平原の賢人裁定、バレンシア平原の水法廷
2009 ラ・ゴメラ島(カナリア諸島)の口笛言語、シルボ・ゴメロ
2010 マジョルカのシビルの歌唱
2010 フラメンコ
2010 人間の塔
スロバキアの旗 スロバキア
2005 フヤラ:楽器とその音楽
チェコの旗 チェコ
2005 スロバキア地方のウェルブンク(新兵の踊り) 芸能
伝統工芸技術
トルコの旗 トルコ
2003 大衆講談師 メッダの技芸 口承による伝統・表現
2005 メウレウィー教団のセマの儀式
2011 トルコのケシケキの伝統
2013 トルココーヒーの文化と伝統
パレスチナの旗 パレスチナ
2005 パレスティナのヒカイェ
ブルガリアの旗 ブルガリア
2005 ショプロウク地域の古来のポリフォニー・舞踏・儀式
2009 Nestinarstvo, messages from the past: the Panagyr of Saints Constantine and Helena in the village of Bulgari
フランスの旗 フランス
2009 コルシカ島のパディエッラ風の歌謡
2010 フランスの美食術
フランスの旗 フランス
ベルギーの旗 ベルギー
2005 ベルギーとフランスの巨人とドラゴンの行列
ベルギーの旗 ベルギー
2003 バンシュのカーニバル 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2009 Procession of the Holy Blood in Bruges
2010 Krakelingen and Tonnekensbrand, end-of-winter bread and fire feast at Geraardsbergen
2010 Houtem Jaarmarkt, annual winter fair and livestock market at Sint-Lievens-Houtem
2010 Aalst carnival
2011 Leuven age set ritual repertoire
ヨルダンの旗 ヨルダン
2005 ペトラとワディラムのベドゥの文化的空間
リトアニアの旗 リトアニア
ラトビアの旗 ラトビア
2001 リトアニアの十字架の手工芸とその象徴 自然・万物に関する知識・慣習
ルーマニアの旗 ルーマニア
2005 チャルシュの伝統
ロシアの旗 ロシア
2001 セメイスキの文化的空間と口承文化 伝統工芸技術
2005 ヤクートの英雄叙事詩「オロンホ」 口承による伝統・表現
北中南米・カリブ諸国[編集]
提案・申請国
掲載年
名称
分野
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
ウルグアイの旗 ウルグアイ
2009 タンゴ
エクアドルの旗 エクアドル
ペルーの旗 ペルー
2001 サパラの人びとの口承遺産と文化的表現 自然・万物に関する知識・慣習
口承による伝統・表現
ジャマイカの旗 ジャマイカ
2003 ムーアタウンの逃亡奴隷 マルーンの遺産 伝統工芸技術
キューバの旗 キューバ
2003 トゥンバ・フランセーサ 芸能
グアテマラの旗 グアテマラ
2005 ラビナル・アチのバレエ(戯曲、劇、舞踊、舞踊劇) 口承による伝統・表現
コスタリカの旗 コスタリカ
2005 コスタリカの牛飼いと牛車の伝統
コロンビアの旗 コロンビア
2003 バランキージャのカーニバル 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2005 パレンケ・デ・サン・バシリオの文化的空間
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
2001 ビジャ・メージャのコンゴ族の聖霊の集団の文化的空間 伝統工芸技術
2005 ココーロの舞踊劇の伝統
ニカラグアの旗 ニカラグア
2005 エル・グエグエンセ
ブラジルの旗 ブラジル
2003 ワジャピ族の口承及び絵画による表現 自然・万物に関する知識・慣習
口承による伝統・表現
2005 バイーアのレコンカボ・デ・バイアのサンバ・デ・ローダ 芸能
社会的慣習、儀式及び祭礼行事
ベリーズの旗 ベリーズ
ホンジュラスの旗 ホンジュラス
ニカラグアの旗 ニカラグア
2001 ガリフナの言語、舞踏および音楽 口承による伝統・表現
ペルーの旗 ペルー
2005 タキーレとその織物技術 自然・万物に関する知識・慣習
ボリビアの旗 ボリビア
2001 オルロ・カーニバル 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2003 カラワヤ族のアンデス的宇宙観 自然・万物に関する知識・慣習
メキシコの旗 メキシコ
2003 死者に捧げる原住民の祭礼 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2010 メキシコの伝統料理
定義[編集]
2003年の第32回ユネスコ総会で採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」の第2条では、「無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう」と定義している。
同条約においては、無形文化遺産の重要性についての意識を向上させるために、ユネスコ内に設置された無形文化遺産保護に関する政府間委員会によって、人類の無形文化遺産の代表的な一覧表(Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity)を作成することとされている(第16条)。また、条約採択前に人類の口承及び無形遺産の傑作(Masterpieces of the Oral and Intangible Heritage of Humanity)として宣言されたものは、一覧表に記載されることになっている(第31条)。
表記[編集]
一般に、この一覧表に掲載される無形文化遺産を、世界無形遺産や世界無形文化遺産といった世界と付く俗称で呼ぶこともあるが、日本での条約承認手続きにおける表記は無形文化遺産であり[1]、条約本文においてもworldは冠せられず[2]誤りである。
経緯[編集]
無形文化遺産は、芸能(民族音楽・ダンス・劇など)、伝承、社会的慣習、儀式、祭礼、伝統工芸技術、文化空間などが対象である。有形の文化遺産については既に1972年に採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)により、世界遺産をリストアップするなどの保護の枠組みが整えられていたが、無形文化遺産についてはその枠組みで保護することが難しいため、新たな枠組みが作られた。無形文化遺産の保護に関する条約は、締約国が30か国に達した時点から3か月後に発効する規定となっており、採択されてから約3年後の2006年4月20日に発効した。
ユネスコでは、無形文化遺産の保護に関する条約の発効に先立ち、隔年で「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」(傑作宣言)として発表していた。隔年で3回行われ(2001年、2003年、2005年)、計90件が傑作宣言された。これらは無形文化遺産の保護に関する条約の発効後に代表一覧表に統合され、その後の宣言は行われない。
2007年9月には、代表一覧表や「緊急に保護する必要のある無形文化遺産の一覧表(危機一覧表)」などの作成について協議する、ユネスコの第2回政府間委員会が日本で開催された。この委員会では、第1回の一覧表作成を、2009年9月に行うことで各国政府代表が合意した。2008年6月に開催されたユネスコ総会で正式に決定された[3]。なお、代表一覧表への各締約国の提案提出期限については、第1回は2008年9月末となっている。ちなみに、危機一覧表は2009年3月15日である。第2回目以降は、代表一覧表への提出期限は毎年8月末とされている。
代表一覧表[編集]
2008年6月に開催された締約国総会で採択された運用指示書に、代表一覧表に記載される基準やタイムテーブルが示されている。それによれば、2009年9月に開催予定の政府間委員会で第1回の代表一覧表が作成され、その後毎年更新されていく予定である。代表一覧表は、各締約国から提出される個別提案案件を、政府間委員会に設けられる補助機関が審査し、その後、政府間委員会が最終的に評価・決定することによって作成され、世界遺産の評価体制とは異なる。
条約第16条、17条に基づいて作成される無形文化遺産の国際的保護を行うために作成される一覧表は、関係締約国からの提案または要請に基づき、締約国から選出される政府間委員会が作成する。一覧表は、
「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」(代表一覧表)
「緊急に保護する必要がある無形文化遺産の一覧表」(危機一覧表)
の2種類がある。
なお、世界遺産と同様に登録国に偏りがみられるほか、歴史的・民俗的共通性をもつ遺産であるにもかかわらず、複数国家が別々に登録申請を行い、さらにその過程で自国の固有性を主張しあう国際紛争に至るケースもある。 例えば、2005年に登録された韓国の「江陵端午祭」について中国政府は抗議し、韓国の一地域での慣習であるとの定義を求めた。のちに同国は、「端午節」の登録(2009年)を果たした。登録名称が、英語では[dragon boat]、中国語では[端午节]と異なるのは、[江陵端午祭]と対比して、文化間の対話と尊重を促進する地域的、国家的および国際的レベルでの含意を明確にしようと、中国政府が意図したためである[4]。
分野[編集]
無形文化遺産の保護に関する条約第2条第2項では、下記の五つの分野 (Domain) を挙げている。
口承による伝統及び表現(無形文化遺産の伝達手段としての言語を含む)
芸能
社会的慣習、儀式及び祭礼行事
自然及び万物に関する知識及び慣習
伝統工芸技術
この分野は、各国がユネスコに推薦する際の推薦書のフォーム上に記載することとなっている。2009年代表一覧表の掲載案件について、日本からの推薦は1件につき該当分野を1つにしているが、複数分野に該当するものとして推薦・登録される例も多く存在する。代表一覧表に記載されたものの中には、該当分野が記載されていないものもある。
人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言[編集]
人類の口承及び無形遺産の傑作の分布
無形文化遺産の保護に関する条約の発効以前は、法的に無形文化遺産として登録できないので、ユネスコとして、たぐいない価値を有する世界各地の口承伝統や無形遺産を讃えるとともに、政府、NGO、地方公共団体に対して口承及び無形遺産の継承と発展を図ることを奨励し、独自の文化的特性を保持することを目的として、基準を満たすものを、「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」(傑作宣言)として公表した。第1回の宣言は2001年5月18日に、第2回の宣言は2003年11月7日に、第3回の宣言は2005年11月25日に行なわれ、それぞれ19件、28件、43件が傑作宣言されている。2006年に無形文化遺産の保護に関する条約が発効し、これらのものについては2009年に代表一覧表に正式登録され、統合された。
傑作宣言では、「選考基準」のいずれかの条件を満たすものについて、「考慮基準」を考慮のうえ選考された。
選考基準1.たぐいない価値を有する無形文化遺産が集約されていること
2.歴史、芸術、民族学、社会学、人類学、言語学又は文学の観点から、たぐいない価値を有する民衆の伝統的な文化の表現形式であること
考慮基準1.人類の創造的才能の傑作としての卓越した価値
2.共同体の伝統的・歴史的ツール
3.民族・共同体を体現する役割
4.技巧の卓越性
5.生活文化の伝統の独特の証明としての価値
6.消滅の危険性
登録されている無形文化遺産の一覧[編集]
2006年に無形文化遺産の保護に関する条約が発効した。これにより、条約発効前にユネスコにより実施していた「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」に登録されていたものは、2008年11月に本条約の代表一覧表に統合された[5]。
アフリカ[編集]
提案・申請国
掲載年
名称[6]
分野
アルジェリアの旗 アルジェリア
2005 グゥララ地域のアヘリル
ウガンダの旗 ウガンダ
2005 ウガンダのバーククロスの製作
エジプトの旗 エジプト
2003 叙事詩アル・シラー・アル・ヒラリヤ 口承による伝統・表現
ガンビアの旗 ガンビア
セネガルの旗 セネガル
2005 カンクラング(マンディンカ族の成年の儀式)
ギニアの旗 ギニア
2001 ニアガッソラのソソバラの文化的空間 芸能
伝統工芸技術
コートジボワールの旗 コートジボワール
2001 アファウンカハのグボフェ「ダグバナ社会の横吹きラッパの音楽」 芸能
ザンビアの旗 ザンビア
2005 マキシ仮装
ザンビアの旗 ザンビア
マラウイの旗 マラウイ
モザンビークの旗 モザンビーク
2005 グレワムクル
ジンバブエの旗 ジンバブエ
2005 ムベンデ/ジェルサレマの踊り 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
伝統工芸技術
中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカ
2003 中央アフリカのアカ・ピグミー族の口承伝統 口承による伝統・表現
芸能
トーゴの旗 トーゴ
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
ベナンの旗 ベナン
2001 ゲレデの口承遺産 口承による伝統・表現
社会的慣習、儀式及び祭礼行事
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
2005 ナイジェリアにおけるイファ占い制度 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
伝統工芸技術
ブルキナファソの旗 ブルキナファソ
マリ共和国の旗 マリ
2011 Cultural practices and expressions linked to the balafon of the Senufo communities of Mali and Burkina Faso
マダガスカルの旗 マダガスカル
2003 ザフィマニリの木彫知識 自然・万物に関する知識・慣習
マラウイの旗 マラウイ
2005 治療のための踊り、ヴィンブザ
マリ共和国の旗 マリ
2005 ヤーラルとデガルの文化的空間
モザンビークの旗 モザンビーク
2005 チョピ族のティンビラ
モロッコの旗 モロッコ
2001 ジャマ・エル・フナ広場の文化的空間 伝統工芸技術
2005 タンタンのムッセム
アジア・太平洋諸国[編集]
提案・申請国
掲載年
名称
分野
インドの旗 インド
2001 クッティヤタム・サンスクリット劇 芸能
2003 ヴェーダ詠唱の伝統 口承による伝統・表現
社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2005 ラーマーヤナの伝統演劇
インドネシアの旗 インドネシア
2003 ワヤン人形劇 芸能
2005 インドネシアのクリス 工芸
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
2001 ボイスン地域の文化的空間 伝統工芸技術
韓国の旗 韓国
2001 宗廟先祖のための儀礼および祭礼音楽 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2003 パンソリの詠唱 芸能
2005 江陵端午祭 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
伝統工芸技術
2009 カンガンスルレ
2009 男寺党ノリ
2009 霊山斎
2009 済州チルモリ堂燃燈グッ
2009 処容舞
2010 歌曲
2010 大木匠
2013 キムジャン文化
カンボジアの旗 カンボジア
2003 王宮古典舞踊 芸能
2005 クメールの影絵劇
キルギスの旗 キルギス
2003 キルギス叙事詩の語り部、アキンズの技芸 口承による伝統・表現
タジキスタンの旗 タジキスタン
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
2003 シャシュマカーム 芸能
中華人民共和国の旗 中国
2001 昆劇 芸能
2003 「古琴」(七弦琴)演奏技 芸能
2005 新疆ウイグル自治区のウイグル族の大曲(ムカム)芸術
2009 中国の印章彫刻技術
2009 中国の活版印刷技術
2009 中国の書道
2009 中国の切り紙
2009 木造建築の中国伝統建築の職人技術
2009 南京雲錦の職人技術
2009 ドラゴンボート祭り
2009 中国朝鮮族の農民の舞踊
2009 ケサルの叙事詩の伝統
2009 トン族の大歌
2009 花児
2009 マナス
2009 媽祖信仰と習慣
2009 モンゴル族の歌唱技能:ホーミー
2009 南音(福建省の伝統器楽)
2009 熱貢芸術(チベット仏教芸術)
2009 中国の養蚕・絹織物の職人芸術
2009 チベット地方の劇
2009 龍泉青磁の伝統技術
2009 宣紙の手すき製造技術
2009 西安鼓楽
2009 粤劇(広東オペラ)
2010 京劇
2010 中国伝統医学の鍼灸術
2011 中国の影絵劇
2013 中国の珠算
トンガの旗 トンガ
2003 ラカラカの舞踏と歌唱 芸能
日本の旗 日本
2001 能楽 芸能
2003 人形浄瑠璃文楽 芸能
2005 歌舞伎
2009 雅楽
2009 小千谷縮
2009 越後上布
2009 石州半紙
2009 日立風流物
2009 京都祇園祭の山鉾行事
2009 甑島のトシドン
2009 奥能登のあえのこと
2009 早池峰神楽
2009 秋保の田植踊
2009 チャッキラコ
2009 大日堂舞楽
2009 題目立
2009 アイヌ古式舞踊
2010 組踊
2010 結城紬
2011 佐陀神能
2011 壬生の花田植
2012 那智の田楽
2013 和食 日本人の伝統的な食文化
バヌアツの旗 バヌアツ
2003 バヌアツの砂絵 自然・万物に関する知識・慣習
バングラデシュの旗 バングラデシュ
2005 バウルの歌
フィリピンの旗 フィリピン
2001 イフガオ族の歌、ハドハド 口承による伝統・表現
2005 ラナオ湖マラナオ民族のダランゲン叙事詩
ブータンの旗 ブータン
2005 ドゥラミツェの太鼓と仮面舞踏 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
伝統工芸技術
ベトナムの旗 ベトナム
2003 ベトナムの宮廷音楽、ニャ・ニャック 芸能
2005 ベトナム中央高原におけるゴングの文化的空間
モンゴルの旗 モンゴル
2003 モリンホール(馬頭琴)の伝統音楽 芸能
中華人民共和国の旗 中国
モンゴルの旗 モンゴル
2005 オルティンドー―モンゴル人の伝統的な「長い歌」
マレーシアの旗 マレーシア
2005 マヨンの舞踊劇
ヨーロッパ・アラブ諸国[編集]
提案・申請国
掲載年
名称
分野
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
2003 アゼルバイジャンのムガーム音楽 芸能
2009 アゼルバイジャンのアシクの技術
2010 アゼルバイジャン共和国のアゼルバイジャン絨毯の伝統技術
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
イランの旗 イラン
インドの旗 インド
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
カザフスタンの旗 カザフスタン
トルコの旗 トルコ
パキスタンの旗 パキスタン
2009 ノヴルズ、ノウルーズ、ノールズ、ナウルズ、ナウロズ、ネヴルズ(ゾロアスター教の新年祭)
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦
ベルギーの旗 ベルギー
チェコの旗 チェコ
フランスの旗 フランス
韓国の旗 韓国
モンゴルの旗 モンゴル
モロッコの旗 モロッコ
カタールの旗 カタール
サウジアラビアの旗 サウジアラビア
スペインの旗 スペイン
シリアの旗 シリア
2010 生きた人類の遺産、鷹狩り[7]
アルバニアの旗 アルバニア
2005 アルバニア民衆の同音多声音楽(アイソポリフォニー) 芸能
アルメニアの旗 アルメニア
2005 ドゥドゥーク音楽
2010 Armenian cross-stones art. Symbolism and craftsmanship of Khachkars
イエメンの旗 イエメン
2003 サナアの歌 芸能
イタリアの旗 イタリア
2001 シシリアの人形劇 芸能
2005 テノール風の歌の口承伝承:サルデーニャ牧羊文化の無形遺産としての表現
イタリアの旗 イタリア
ギリシャの旗 ギリシャ
スペインの旗 スペイン
モロッコの旗 モロッコ
2010 地中海の食事
イラクの旗 イラク
2003 イラクのマカーム : 伝統音楽 芸能
エストニアの旗 エストニア
2003 キーヌ島の文化的空間 伝統工芸技術
エストニアの旗 エストニア
ラトビアの旗 ラトビア
リトアニアの旗 リトアニア
2003 バルト地方の歌謡・舞踏フェスティバル 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
グルジアの旗 グルジア
2001 グルジアの多声音楽の歌謡 芸能
2013 古代グルジアの伝統的な発酵ワイン
スペインの旗 スペイン
2001 エルチェの神秘劇 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2005 ベルガの民衆祭り「パトゥム」
2009 スペイン地中海岸の灌漑法廷:ムルシア平原の賢人裁定、バレンシア平原の水法廷
2009 ラ・ゴメラ島(カナリア諸島)の口笛言語、シルボ・ゴメロ
2010 マジョルカのシビルの歌唱
2010 フラメンコ
2010 人間の塔
スロバキアの旗 スロバキア
2005 フヤラ:楽器とその音楽
チェコの旗 チェコ
2005 スロバキア地方のウェルブンク(新兵の踊り) 芸能
伝統工芸技術
トルコの旗 トルコ
2003 大衆講談師 メッダの技芸 口承による伝統・表現
2005 メウレウィー教団のセマの儀式
2011 トルコのケシケキの伝統
2013 トルココーヒーの文化と伝統
パレスチナの旗 パレスチナ
2005 パレスティナのヒカイェ
ブルガリアの旗 ブルガリア
2005 ショプロウク地域の古来のポリフォニー・舞踏・儀式
2009 Nestinarstvo, messages from the past: the Panagyr of Saints Constantine and Helena in the village of Bulgari
フランスの旗 フランス
2009 コルシカ島のパディエッラ風の歌謡
2010 フランスの美食術
フランスの旗 フランス
ベルギーの旗 ベルギー
2005 ベルギーとフランスの巨人とドラゴンの行列
ベルギーの旗 ベルギー
2003 バンシュのカーニバル 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2009 Procession of the Holy Blood in Bruges
2010 Krakelingen and Tonnekensbrand, end-of-winter bread and fire feast at Geraardsbergen
2010 Houtem Jaarmarkt, annual winter fair and livestock market at Sint-Lievens-Houtem
2010 Aalst carnival
2011 Leuven age set ritual repertoire
ヨルダンの旗 ヨルダン
2005 ペトラとワディラムのベドゥの文化的空間
リトアニアの旗 リトアニア
ラトビアの旗 ラトビア
2001 リトアニアの十字架の手工芸とその象徴 自然・万物に関する知識・慣習
ルーマニアの旗 ルーマニア
2005 チャルシュの伝統
ロシアの旗 ロシア
2001 セメイスキの文化的空間と口承文化 伝統工芸技術
2005 ヤクートの英雄叙事詩「オロンホ」 口承による伝統・表現
北中南米・カリブ諸国[編集]
提案・申請国
掲載年
名称
分野
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
ウルグアイの旗 ウルグアイ
2009 タンゴ
エクアドルの旗 エクアドル
ペルーの旗 ペルー
2001 サパラの人びとの口承遺産と文化的表現 自然・万物に関する知識・慣習
口承による伝統・表現
ジャマイカの旗 ジャマイカ
2003 ムーアタウンの逃亡奴隷 マルーンの遺産 伝統工芸技術
キューバの旗 キューバ
2003 トゥンバ・フランセーサ 芸能
グアテマラの旗 グアテマラ
2005 ラビナル・アチのバレエ(戯曲、劇、舞踊、舞踊劇) 口承による伝統・表現
コスタリカの旗 コスタリカ
2005 コスタリカの牛飼いと牛車の伝統
コロンビアの旗 コロンビア
2003 バランキージャのカーニバル 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2005 パレンケ・デ・サン・バシリオの文化的空間
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
2001 ビジャ・メージャのコンゴ族の聖霊の集団の文化的空間 伝統工芸技術
2005 ココーロの舞踊劇の伝統
ニカラグアの旗 ニカラグア
2005 エル・グエグエンセ
ブラジルの旗 ブラジル
2003 ワジャピ族の口承及び絵画による表現 自然・万物に関する知識・慣習
口承による伝統・表現
2005 バイーアのレコンカボ・デ・バイアのサンバ・デ・ローダ 芸能
社会的慣習、儀式及び祭礼行事
ベリーズの旗 ベリーズ
ホンジュラスの旗 ホンジュラス
ニカラグアの旗 ニカラグア
2001 ガリフナの言語、舞踏および音楽 口承による伝統・表現
ペルーの旗 ペルー
2005 タキーレとその織物技術 自然・万物に関する知識・慣習
ボリビアの旗 ボリビア
2001 オルロ・カーニバル 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2003 カラワヤ族のアンデス的宇宙観 自然・万物に関する知識・慣習
メキシコの旗 メキシコ
2003 死者に捧げる原住民の祭礼 社会的慣習、儀式及び祭礼行事
2010 メキシコの伝統料理