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2014年02月11日

カレー粉

カレー粉(カレーこ)は、カレー料理を作る際に使うミックススパイス(混合された調味料)の一種。



目次 [非表示]
1 起源
2 材料
3 自作カレー粉の例
4 各地のカレー粉
5 日本における歴史
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク


起源[編集]

18世紀イギリスにおいて、クロス・アンド・ブラックウェル社が開発し商品化したものである。同社は貴族のパーティーなどで料理の下請けをしていたが、植民地インドの料理を紹介するとき、省力化のため、あらかじめ多種のスパイスを調合した「混合スパイス」を使用した。これを「C&Bカレーパウダー」と名付けて一般向けに販売したところ大好評となり、イギリスの家庭料理のひとつに「カレー」が加えられるに至った。 1810年にはオックスフォード英語辞典に「カレーパウダー」の語が登場している[1]。このイギリス式のカレーは、日本に伝わり国民食といわれるほどの人気食となった。カレー粉は現在、ヨーロッパ、アジア、南北アメリカ州等、世界各地でも使われている。

材料[編集]

現在複数のメーカーが、独自のブレンドによるカレー粉を発売している[2]。
味 - クミン、コリアンダーなど
辛味 - カイエンペッパー、胡椒、ニンニク、ショウガなど
色 - ターメリック、サフラン、パプリカなど
香り - クローブ、シナモン、カルダモン、ナツメグ、オールスパイス、キャラウェイ、フェンネル、フェヌグリークなど

C&B社はカレー粉の製造方法を明らかにしていないが、これら複数のスパイスを焙煎し、粉末にし、混合することによりカレー粉を製造したと考えられる。

自作カレー粉の例[編集]

メーカー製のカレー粉は、多くの人になじみやすいように、くせのないブレンドで作られている。また香りの鮮度という点でもあまり優れているとはいえない。これに飽き足らなくなったら、自分でホールスパイスを挽き、好みのブレンドで、より風味の強いカレー粉を作ることも可能である。以下は自作カレー粉のブレンドの例である[3]。
クミン 7g
コリアンダー 6g
シナモン 3g
カルダモン 3g
フェンネル 3g
フェヌグリーク 2g
クローブ 1g
ブラックペッパー 1g
ターメリック(ウコン) 10g
カイエンペッパー 2g
ナツメグ 1g
タイム 1g
ローリエ(ベイリーフ) 1g
パプリカ 1g

各地のカレー粉[編集]

インドのスーパーマーケットにはイギリスから逆輸入されたカレー粉が並んでいる。カレー粉の消費量は世界第1位(世界第2位は日本)という。カレー粉の原型になったのはインドの「マサラ」であるともされるが、それぞれの料理人・家庭の主婦が、好みや、店・家の伝統、料理する素材の相性において、それぞれ独自の配合で混合するものである。したがって既に調合されたスパイスミックスであるカレー粉は、マサラとは別物とみなされる。一方でカレー粉の影響で、元来のインドのマサラにおいても、既に調合されたものが市販されるようになった。これらはあくまでも簡易的な調味料と認識されており、伝統的なインド料理においては利用されない。

カレー粉は、日本ではかつてカレー料理の調理において必須の材料であったが、1960年代から即席カレールウが普及するとともに販売量が激減した。ただし混合調味料としての使い勝手から、今でもロングセラー商品の一つである[4]。

タイ料理のゲーンは「タイカレー」と呼ばれる事が多い料理であるが、インドのいわゆるカレーとは関係無い料理であり、唐辛子やレモングラス、ショウガ科の植物などを混合した「ゲーンペースト」と呼ばれる混合調味料を使用する。ただし現在では、カレー粉を味付けに用いたゲーン(ゲーン・ガリー)のレシピも存在する。

フランスにおいても、19世紀の薬剤師ゴスが「カリ・ゴス」(kari gosse)と名づけた混合調味料を開発、フランス各地のレストランに提供していた歴史がある。全盛期の1930年代にはベルギーやモロッコにも輸出されたが、第二次世界大戦中に工場のあるブルターニュは焦土と化し、今はごく小規模な工場から各レストランに送られるのみとなっている[5]。

ドイツにおいては、カレー粉とケチャップを焼いたソーセージにかけたカレー・ヴルストという料理が、人気の軽食となっている。

日本における歴史[編集]

日本では、「C&B」の製品が使われていたが、後に比較的安い国産品が登場した。これらの国産カレー粉は、その後の日本において、カレー文化を発展させる原動力になった。太平洋戦争(大東亜戦争)中はカレー粉の原料となるスパイスも物資統制の対象となり、戦後もしばらくは原料不足が続いた。スパイスが輸入再開となった1950年にはエスビー食品から「赤缶カレー粉」が発売される。この赤缶カレー粉は2009年現在で日本国内のカレー粉全体の売り上げの8割を占めている。

国産品の起源説は複数あり、定かではない。
エスビー食品は1923年に同社の前身(日賀志屋)が製造したものが、「C&B」の製品に対抗できる初めての国産カレー粉とされる[4]。
1905年に大和屋が製造・販売したともされる[6]。薬種問屋を営んでいた今村弥兵衛がある日、漢方薬の匂いがカレー粉に似ていることに気付き調合したのが始まりとされている。。

それまで「C&B」のカレー粉を使っていた洋食店は、味が変わることを恐れ、なかなか国産のものに切り替えなかった。国産カレー粉普及のきっかけとなったのは1931年に起きた輸入品偽造事件で[7]、これによりかえって国産品の人気が高まった。

脚注[編集]

[ヘルプ]

1.^ 森枝卓士『カレーライスと日本人』(講談社新書) 講談社、1989年7月 ISBN 4061489372
2.^ 水野仁輔『カレーの法則』 NHK出版、2006年7月、ISBN 978-4140332399、p15
3.^ 水野仁輔『カレーの法則』 NHK出版、2006年7月、ISBN 978-4140332399、p15
4.^ a b “ニッポン・ロングセラー考 Vol.90 赤缶カレー粉” (日本語). COMZINE. NTTコムウェア (2010年10月24日). 2010年12月3日閲覧。
5.^ ブルターニュとカレー辻調グループ・とっておきのヨーロッパだより
6.^ “元祖カレーメーカーの歩み” (日本語). これまでの歴史. ハチ食品. 2010年12月3日閲覧。
7.^ “カレーの日本史 大正・昭和初期” (日本語). カレーを知る. ハウス食品. pp. 世界に広がるカレー. 2010年12月6日閲覧。

関連項目[編集]
カレー、カレーライス
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カレー

カレー(英: Curry、カリー)は、複数の香辛料を使って野菜や肉などのさまざまな食材を味付けした料理。インドとパキスタンなどその周辺国(インドの一部はイギリスの統治下にあった。イギリス料理を参考)で作られていた料理をもとに発展し、現在では国際的に人気のある料理のひとつとなっている。

日本では、明治時代にイギリスから伝わった。インド風のIndian curry、タイ風のThai curryと同じく、日本のカレーも独自の料理となり、カレーライス(ライスカレーとも)は国民食と呼ばれて、日本でカレーといえばカレーライスを指す場合が多い。

ヨーロッパや北米、中南米、アフリカ、オセアニアなど、世界中でカレー文化が根付いていることが確認されている。それらは主に各地域の伝統的な料理に香辛料を加えることでカレーらしくなったものだが、移民の影響や、多くのレストランや料理人らが伝播と啓蒙につとめた功績も皆無とはいえない。また、各国の料理をカレー風にアレンジするレシピもインターネット上に多く見られるようになった。



目次 [非表示]
1 世界各地のカレー 1.1 インド
1.2 タイ
1.3 ベトナム
1.4 イギリス
1.5 フランス
1.6 その他の地域

2 日本国内のカレー
3 カレー粉
4 健康への影響
5 脚注


世界各地のカレー[編集]

インド[編集]





イス(マサラ)を挽くインド人




カレー(手前)とナン
詳細は「インド料理#「カレー」とインド料理」を参照

インド料理は香辛料を多用するため、外国人の多くはインド料理の煮込み料理を「カレー」と認識している。しかし外国人がカレーと呼ぶインドの煮込み料理は、サーグ、サンバール、コルマ、ダールなど、それぞれに固有の名称があり、「カレー」という料理はない。ただし、インドの観光客向けのレストランやインド国外のインド料理店では便宜上、メニューに「○○カレー」という表記をしていることも多い。これは、旧宗主国のイギリス人がインド料理をカレーと総称して世界に伝えたことがおもな理由である。

インド固有の言語には「カレー」という言葉はない。ただしドラヴィダ語族には野菜・肉・食事・おかずなどを意味する「カリ」(タミル語:கறி、kari)という言葉があり、それが英語で「curry」と表記されるようになったと言われている。

タイ[編集]





タイカレーとロティ
タイにはタイ語でゲーン(แกง)と呼ばれるスープ状の食品がある。タイの宮廷で発祥した料理で、インドのカレー料理との直接の関連性はない。しかしながら、複数の香辛料を用いるというカレーとの類似性から、タイカレー(英:Thai curry)と呼ばれる。

水分が多く香辛料を使用したタイ料理である。生の香辛料を使用する事が多く、唐辛子、ニンニク、エシャロット、ハーブ類(ショウガ類、レモングラス、コブミカンの葉、コリアンダーなど)をすりつぶして作った「ゲーン・クルーン」を炒め、海老や鶏肉、野菜などを水やココナッツミルクで煮込みナンプラー(魚醤)で味をつけた香り高い料理である。使用するゲーン・クルーンの素材や煮込む素材によって辛さや色、香り、味が異なる。代表的なものにレッドカレー、グリーンカレー、イエローカレーがある。炊いた香り米にかけて食べるが、ロティと共に食べる事もある。英語で「Yellow curry」と呼ばれるゲーンは「ゲーン・ガリー(แกงกะหรี่)」という。

上記の通り、インドのカレーと直接の関係は無いものの、現在ではカレー粉を用いたゲーンのレシピも存在する。この場合のカレー粉は、ポン・カリーと呼ばれ、プー・パッ・ポン・カリー(ปูผัดผงกะหรี่、カニのカレー粉炒め)などに用いられる。

また、タイでカレーと呼ばれているのは、日本から入ってきた日本風のカレーライスである。現地では一般的な食べ物になっており、日本人観光客がタイの食堂でタイカレーを注文するつもりで「カレー」を注文し、トラブルになった例もあるという。

ベトナム[編集]

ベトナム料理のカレーはベトナム語でカリー(Cà ri)と呼ばれ、カレー粉、トゥオン・カリー(tương cà ri)というカレーペースト、唐辛子、レモングラス、ココナッツミルク、トマトペーストで食材を煮込んで作り、麺、米飯あるいはフランスパンと一緒に食べる。タイカレー同様、塩味は魚醤(ヌックマム)でつける。ジャガイモあるいはサツマイモ、タマネギ、ニンジンが入る点は日本のカレーと似ている。ナスと豆腐を使ったカリー・チャイ(cà ri chay)や鶏肉のカリー・ガー(cà ri gà)、カエルを使ったエチナウ・カリー(Ếch nau cà ri)がある。

イギリス[編集]

イギリス人の船乗りは航海中にシチューを食したかったが、当時は牛乳が長持ちしないとの理由で諦めるしかなかった[1][2][3]。これが発端となり、牛乳のかわりに日持ちのするカレーの香辛料を使って、シチューと同様の食材で作った料理をイギリス人の船乗りが考案しており、これがイギリス的なカレーの由来のひとつとされる[1][2][3]。

1772年、インド総督のウォーレン・ヘースティングズによって、イギリスに植民地インドの「カレー」料理が紹介され、評判となった。この時紹介されたのは、インディカ米にターメリックで着色した野菜と肉のスープをかけた料理「マリガトーニスープ」である[4]。しかしイギリス人がインド人のように、多種多様な香辛料を使いこなすことは至難の業だった。そこでイギリスのC&B社は、スパイスをあらかじめ調合したものを「カレー粉」として商品化し、「C&Bカレーパウダー」という名称で売り出した。これによりカレーは英国の家庭料理として普及した。1810年にオックスフォード英語辞典に「カレーパウダー」の語が登場している。なお、ソースを重んじるフランス料理の影響から、小麦粉のルウでカレーにとろみを出す料理法が編み出されたといわれる。





イギリス発祥の
チキンティッカマサラ
インドのカレーは野菜や豆など様々な食材を具にするが、イギリスのカレーの中には具として牛肉のみのケースがあった。これはイギリスの中流以上の家庭で、日曜日に大きなローストビーフを焼く習慣(サンデーロースト)があったためである。その残り肉を一週間かけて食べるのであるが、残り肉の調理法のひとつとしてカリー・ライスがあった。サンデーローストの習慣が失われた現在では、家庭料理としてのカレーはほぼ廃れた状態である。しかし今でもパブや学生食堂のメニュー、冷凍食品として、一定のニーズがある。

第二次世界大戦後、旧植民地の南アジア地域のインドとパキスタンが独立し、そこから移民を大量に受け入れることになったイギリスには、南アジア系移民の共同体とインド料理店が多数生まれた。ここで生まれたチキンティッカマサラは、インド料理の チキンティッカをカレーソースで煮込んだもので、ローストビーフの残り肉を煮込んだイギリス式のカレーを、インド料理が逆に取り入れたものであり、いまではイギリスの国民食と言われるほどの人気を得ている。バルチもイギリス発祥のカレー料理である。こうした環境が、イギリスで家庭料理としてのカレーが廃れた理由のひとつといえる。

明治時代に日本海軍に伝わったカレーは、イギリスのビーフシチューにカレーパウダーを追加したものという説[要出典]がある。

フランス[編集]

植民地インドの料理法に、フランス料理特有のソースを導入したイギリスの手法は本家フランスにもわたり、カレーライスやドライカレーに似た「リ・ゾ・カリー(riz au cari[4]、もしくはリ・ゾ・キュリ riz au curry[5])」という料理が生み出された。また19世紀のパリにおいては、インド皇帝も兼ねたイギリス王にちなみ、エドワード7世風と呼ばれるカレー風味の料理が多く登場した[6]。

さらに、19世紀の薬剤師ゴスは「カリ・ゴス」(kari gosse)と名づけられた混合調味料を開発、フランス各地のレストランに提供した。全盛期の1930年代にはベルギーやモロッコにも輸出されたが、第二次世界大戦中に工場のあるブルターニュは焦土と化し、今はごく小規模な工場から薬局を通じ、各レストランに送られるのみである[7]。現代のフランス人は辛さが苦手で、フランス風の「キュリ」は辛さよりスパイスの風味を活かしたものが多いと云われるが[8]、南仏ではこの「カリ・ゴス」が地元の味として今も活用されている。

その他の地域[編集]
ヨーロッパカレー・ヴルスト(ドイツ):焼いたソーセージにカレー粉を加えたケチャップをかけた料理。オセアニア地方ニューカレドニア風カレー西インド諸島カリー・ゴート(ジャマイカ):カレー粉で下味をつけたヤギ肉を煮込んだ料理。カリード・アキー(ジャマイカ):ココナッツミルクとカレー粉でアキーを煮た前菜。コロンボ(フランス領アンティル):コロンボ粉(カレー粉)を使った肉や魚のカレー。
日本国内のカレー[編集]
カレーライス
日本ではイギリスから伝わったものに小麦粉を加えたとろみのあるカレーを米飯(ライス)の上に掛けて食する「カレーライス」は、国民食と言われるほど普及しており、それぞれの地域や家庭、店舗等によって様々にアレンジされたカレーが存在する。
カレースープ
スープ状のカレーや、カレー味のスープを呼ぶ(元々、カレーはスープ状のものが多くある)。 ハウス食品のレシピの例では、固形カレーの元、玉ねぎ、ロースハム、キャベツ、サラダ油、水、塩、胡椒である。浅草ではグリーンカレーの名で販売されているが、インドの地方やタイのカレーは同様のカレーと呼ぶがスープ状の物であり、スープ状である事からカレースープと呼ぶ人もいる[9]。「カレー」と称しているがスープの店もある[10]。日清食品からカップのグリーンカレーのスープも販売されている。また、タイカレーはスープ状であり、その中のグリーンカレーは「ロイタイ グリーンカレースープ」として販売されている。これらのスタイルを地元産素材を使う地域の町おこしとして、売り出す事も行われている[11][12]。

そのほかにも、日本独自のカレー料理(食品)は多く、 カレー南蛮(カレー味の汁をかけたかけそば)などの麺類、ドライカレー、カレーまん、カレーパン、カレーコロッケなどがある。カレー味に調味したスナック菓子も多い。







カレーライス(とろみのあるカレーを飯に掛けたもの)







カレースープを掛けたもの(チキンカレー)







カレー南蛮(カレー蕎麦)







カレーパン



カレー粉[編集]

詳細は「カレー粉」を参照





カレー粉
カレー粉は、ミックススパイスの一種。18世紀後半にイギリスのクロス・アンド・ブラックウェル(C&B)社が考案し、はじめて製品化したものである[13]。この「カレー粉」の製法はなかなか解明できず、そのため長いあいだC&B社の製品が市場を独占していた。

健康への影響[編集]

カレーに含まれるスパイスの一つとして秋ウコン(ターメリック、C. longa )が含まれ、ウコンにはクルクミンが含まれている。

クルクミンの生理作用として抗腫瘍作用や抗酸化作用、抗アミロイド作用、抗炎症作用などが知られている。

抗炎症作用はエイコサノイド合成の阻害によるものだと考えられている[14]。また、フリーラジカル捕捉能を持ち、脂質の過酸化や活性酸素種によるDNA傷害を防ぐ。クルクミノイドはグルタチオンS-トランスフェラーゼを誘導するため、シトクロムP450を阻害しうる。

クルクミンの生理活性と医学的有用性は近年盛んに研究されている。抗がん効果では、がん細胞特異的にアポトーシスを誘導するとの報告がある。また、クルクミンはがんをはじめとした多くの炎症性疾患に関連する転写因子であるNF-κBを抑制しうる[15]。実際、事前に発がん物質を投与されたマウスやラットに、0.2%のクルクミンを添加した食餌を与えたところ、大腸癌の発症において有意な減少が見られたとの報告がある[16]。

2004年、UCLAの研究チームはアルツハイマー病モデルマウスを用いて実験を行い、クルクミンが脳におけるβアミロイドの蓄積を抑制し、アミロイド斑を減少させることを示した[17]。

クルクミンが精神的機能に影響をおよぼすとの疫学的調査結果も存在する。高齢のアジア人を対象としたミニメンタルステート検査で、半年に1度以上黄色カレーを食する群において相対的に高いスコア(より健康な精神的機能)が見られた[18]。

ルー (食品)

ルー(roux)とは、小麦粉をサラダオイルやバターなどの食用油脂で炒めて[1]調理したもの。「ルウ」とも表記(品名では「ルウ」と表記)。



目次 [非表示]
1 概要
2 作り方
3 種類
4 市販ルー 4.1 市販ルーの製造法の一例 4.1.1 材料
4.1.2 工程


5 脚注


概要[編集]

伝統的なフランス料理の基本ソースのうち、ベシャメルソース、ヴルーテソース、エスパニョールソースのとろみづけに使用する。デンプンがα化し、各種ソースやカレー、シチューなどの料理のとろみを出す。

作り方[編集]

バターを鍋で熱して溶かし、小麦粉を加える。小麦粉がバターとまんべんなく混ざるようにかき混ぜ、熱の通っていない小麦粉がなくなったら、好みの色味がつくまで加熱する。加熱時間の長さの調節次第で、白に近いものから色の濃いものまで作ることができる。このようにしてとろみと香りのついたルーができ上がる。

種類[編集]

白いホワイト・ルーと焦げ色をつけたブラウン・ルーがあり、料理によって使い分けられる。前者は最終加熱温度が120℃前後なのに対して、後者は160〜180℃に達する。

市販ルー[編集]

小麦粉と油、また調味料(カレー粉、スパイス、食塩など)、スープなどを調理[2]して水分を飛ばし固めた、カレー用の製品が市販されており、これも「カレールー」や「ルー」と呼ばれることがある。同様の製法でシチュー用の製品も作られている。

形状は石けん状に成形されたもの(固形ルー)やペースト状、フレーク状のものがある。これらは前述のハンドメイドで作成するルーに対して調理材料として商品化している事から「市販ルー」と総称される。

市販ルーの製造法の一例[編集]

材料[編集]
小麦、食用油脂
調味料 (スパイスなど)
スープ

工程[編集]
1.焙煎した小麦、食用油脂、調味料とスープをあわせて加熱
2.水分を飛ばしペースト状になったソースを容器にいれ石けん状に成形した固形状の物、フレーク状にした物、ペースト状のままの物がある。
3.冷却し、パッケージに梱包

ステロイドアルカロイド

ステロイドアルカロイドは、ステロイド骨格を有するアルカロイドである。基本骨格がアミノ酸に由来する真正アルカロイドと異なり、窒素源がアンモニアに由来する。そのため偽アルカロイド(プソイド(シュード)アルカロイド、英語: pseudoalkaloid)に分類される。

じゃがいもなどの植物の芽や皮に含まれるステロイドアルカロイド配糖体ソラニンがよく知られている。また、未熟なトマトにも含まれている。

ソラニンは摂取から7-19時間後から一過性の嘔吐、下痢などがある。疲労感、傾眠から重篤になると錯乱、脳圧亢進、呼吸困難、呼吸停止、頻脈、腎不全をきたす。



目次 [非表示]
1 代表的なステロイドアルカロイドの一覧 1.1 ナス属 (Solanum)
1.2 シュロソウ属 (Veratrum)
1.3 キョウチクトウ科
1.4 その他

2 外部リンク


代表的なステロイドアルカロイドの一覧[編集]

ナス属 (Solanum)[編集]
α-ソラニン
α-カコニン (チャコニン、chaconine)
ソラニジン - ソラニンアグリコン
ソラノカプシン (solanocapsine)
トマチン (tomatine)

シュロソウ属 (Veratrum)[編集]
ベラルカミン (veralkamine)
シクロパミン (cyclopamine)
シクロポシン (cycloposine)
ジェルビン (jervine)
ムルダミン (muldamine)
ベラトリジン (veratridine)

キョウチクトウ科[編集]
コネシン (conessine)

その他[編集]
サマンダリン
サマンダリジン (samandaridine)
バトラコトキシン





α-ソラニン






α-トマチン






バトラコトキシン






サマンダリン

ソラニン

ソラニン (solanine) とは主にナス科の植物に含まれるステロイドアルカロイドの一種。分子式は C45H73NO15、分子量 868.07、CAS登録番号は 20562-02-1。ジャガイモの表皮や芽、ホオズキ、イヌホオズキなどに含まれている。なお、トマトの葉には類似物質のトマチンが含まれる[1]。 現在では、ポテトグリコアルカロイド(PGA)と呼ばれ、α型−ソラニン(α-solanine)とα型−チャコニン(カコニン : α-chaconine)が該当する。



目次 [非表示]
1 毒性 1.1 中毒時の治療

2 脚注
3 関連項目
4 外部リンク


毒性[編集]

神経に作用する毒性を持ち、中毒すると溶血作用を示し、頻脈、頭痛、嘔吐、胃炎、下痢、食欲減退などを起こす。成人の中毒量はおよそ 200–400 mg、小児の場合はその約10分の1程度と推定されている。[1] 低血圧、神経症状の兆しがあれば 24時間の入院観察を要する。 大量に摂取した場合は、昏睡状態に陥り、死亡する場合もある[2]。

ハムスターによる動物実験では、催奇性が報告されている[2]。

市販ジャガイモの含有量は皮部約 50 ミリグラム、可食部 100 グラムあたり平均約 1.5 ミリグラムであるが、自家栽培では含有量の多い小型のものが多いため、皮部約 70 ミリグラム、可食部 100 グラムあたり平均約 45 ミリグラム(30 から 90 ミリグラム)である。100グラム中の含有量が20 ミリグラムを超えるものは、食用に用いないのが望ましいとされている[2]。

特にジャガイモにおいて、必要な対策(含有量の多い小いもを避ける・皮部の非食用、日陰の保存)を取らずに調理し、中毒する例が多い。

中毒時の治療[編集]

胃洗浄、吸着剤投与、下剤投与。解毒剤、拮抗剤なし。[1]

ジャガイモ

ジャガイモ(馬鈴薯、英名:potato、学名:Solanum tuberosum L.)は、ナス科ナス属の植物。地下茎を食品として利用する。

ジャガイモは地下の茎の部分(塊茎)を食用にする。加熱調理して食べられるほかに、デンプン原料としても利用される。比較的保存がきく食材であるが、暗くても温度の高いところに保存すると発芽しやすいため、涼しい場所での保管が望ましい。芽や緑化した塊茎には毒性成分ポテトグリコアルカロイド(ソラニンなど)が多く含まれ中毒の元になる。

ジャガイモの原産は南米アンデス山脈の高地といわれる。16世紀には、スペイン人によりヨーロッパにもたらされた。このとき運搬中の船内で芽が出たものを食べて、毒にあたった為「悪魔の植物」と呼ばれた。日本には、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。日本では当時は観賞用として栽培されたという。

日本では、男爵薯およびメークインの二大品種が広く栽培されている。北海道が最大の生産地で、夏の終わりから秋にかけて収穫される。九州の長崎では冬に植え付けて春に出荷する。



目次 [非表示]
1 名称
2 歴史 2.1 ジャガイモの利用史
2.2 日本への伝来

3 植物概要 3.1 連作障害
3.2 毒性

4 生産
5 利用法 5.1 料理
5.2 加工食品
5.3 保存食
5.4 でん粉採取
5.5 酒造

6 品種 6.1 男爵薯(だんしゃくいも)
6.2 メークイン
6.3 キタアカリ
6.4 とうや
6.5 ワセシロ
6.6 トヨシロ
6.7 ホッカイコガネ
6.8 インカのめざめ
6.9 デジマ
6.10 ラセット・バーバンク
6.11 シンシア
6.12 アンデス赤

7 各国とジャガイモのかかわり 7.1 イングランド
7.2 アイルランド
7.3 ドイツ
7.4 フランス
7.5 北朝鮮

8 保存 8.1 品種の影響
8.2 茹でた場合
8.3 貯蔵中の発芽抑制 8.3.1 低温貯蔵
8.3.2 発芽防止剤
8.3.3 放射線照射
8.3.4 簡易的な方法


9 主要病害
10 脚注
11 参考文献
12 関連項目
13 外部リンク


名称[編集]

日本では呼び名も様々である[3]。これは、「芋」というとたいていの人がジャガイモ、サツマイモ、サトイモのいずれかを思い浮かべるほどにポピュラーな食材であることを反映したものともいえる。

「ジャガイモ」という呼び名[4]について、「じゃが」とは、ジャワのジャガトラ(ジャカルタ)から伝播したことに因む。これが変化して現在のジャガイモという呼び名になった[5]。ただし異説もあり、ジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化したもの[6]、天保の大飢饉でジャガイモのおかげで餓死を免れたことから呼称された「御助芋」が転じたもの[6]などともされる。

「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名[7]もよく用いられる。これは中国での呼び名のひとつと漢字が同じで、中国語で読むとマーリンシュー(ピン音 mǎlíngshǔ)となる。18世紀に日本人の小野蘭山が命名したといわれているが、中国名をそのまま輸入したものなのか、新しく付けた名前がたまたま中国名と同じだったのか、それとも小野蘭山の命名が中国に伝わったのかは明らかではない。一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴に似ているということからこの名前になったという[5]。また、「マレーの芋」という意味からこの名前が付けられたという説もある。なお、中国ではほかに「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などの呼び方もある。

地方名として、「きんかいも」とも呼ばれる(「きんか」とは金柑転じて禿げのこと)。また、1年に2-3回収穫できることから「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」とも呼ばれる[8]。「南京イモ」「ごしょいも[9]」と呼ばれることもある[6]。

「お助けイモ」と呼ばれたこともある[10]。また、飢饉の際にジャガイモ活用を勧めた代官の名を取って、「善太夫芋[11]」「清太夫芋[12]」と呼んだ地方もあった[10]。これらは、ジャガイモが、サツマイモと同じく主食である米等の穀物の代用品として食べられ、実際にも、江戸時代に幾度となく発生した飢饉の際に、ジャガイモによって飢餓から救われたという記録が残っているためである。なお、後述するように、ジャガイモには、ビタミンCやデンプンが豊富に含まれている上に、加熱してもデンプンに保護されてビタミンCが壊れにくい。寒冷地や痩せた土壌でも栽培しやすく、茹でる等の簡単な調理で食べることができる。

そのほか、オランダ語のaardappelからきた「アップラ」「アンプラ」「カンプラ」という呼称も存在する[3]。

英語のpotatoの語源は、タイノ族の言葉でサツマイモを意味するbatataがスペイン語のpatataに変化したものによる[13]。なお、ジャガイモの原産地で古くから使われている言語の一つであるケチュア語ではpapaと言うが、この単語はそのまま中南米スペイン語で使われている。スペイン語でbatataがpatataに変化したのはこのpapaの影響であると考えられている[14]。Papaはローマ法皇を意味する単語と同じであったため、これを忌避してPatataに変遷したともいわれる。[15]

歴史[編集]

ジャガイモの利用史[編集]

ジャガイモはペルー南部に位置するチチカカ湖の畔が発祥とされる[16][17]。もっとも初期に栽培化されたジャガイモはSolanum stenotomumと呼ばれる染色体数24本の二倍体のもので、その後四倍体のSolanum tuberosumが栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている[18]。

このジャガイモがヨーロッパ大陸に伝えられたのは、インカ帝国の時代、15世紀から16世紀頃とされている。当初、インカ帝国の食の基盤はトウモロコシではないかと伝えられていたが、ワマン・ポマが残した記録[19]やマチュ・ピチュの段々畑の史跡研究、気象地理条件[20]、食生活の解析[21]など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、近年見直しが図られている[22]。しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、スペイン人がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年頃で、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士達によってもたらされたものであろうと推測付けられている[23]。さらに1600年頃になるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない[24]。いずれにせよ16世紀末から17世紀にかけては植物学者による菜園栽培が主であり、[25]ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが登場するのはさらに時を待たねばならない。さらにジャガイモは18世紀にはアイルランド移民の手によりアメリカへ渡り、アメリカ独立戦争における兵士たちの胃袋を満たす貴重な食料源となった。





アイルランドと1750年からのヨーロッパの人口の変動。1845年から49年にかけてのアイルランドでのジャガイモ飢饉の悲惨な結果とそれ以前の人口増加を表している。
アイルランドの小作農家たちは以前は主に麦を栽培していたが、地主に地代を納めなくてもよい自分らの小さな庭地で、生産性の非常に高いジャガイモの栽培を始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。ジャガイモは寒冷地でも良く育ちアイルランド人口の増加を支えた。しかし、1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間からは、ジャガイモ飢饉で100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出した。また、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどへ、計200万人以上が移住したといわれる。なお、アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民はアメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになった。この時代のアメリカへの移民の中には、ケネディ家の先祖も含まれていた。

アイルランドでのジャガイモ飢饉があったものの、寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから鳥害にも影響されないジャガイモは庶民の食料として爆発的な普及を見せた。アダム・スミスは『国富論』において「小麦の三倍の生産量がある」と評価しており、瞬く間に麦、米、トウモロコシに並ぶ「世界四大作物」としてその地位を確立した。

日本への伝来[編集]

日本では江戸時代までにジャガイモが伝来しており、戦国末期から江戸初期の16世紀末から17世紀初頭に渡来した模様だが、普及しなかったと考えられている。

江戸後期の18世紀末にはロシア人の影響で北海道・東北地方に移入され、飢饉対策として栽培された。蘭学者の高野長英はジャガイモ栽培を奨励している。また、江戸後期には甲斐国の代官であった中井清太夫がジャガイモ栽培を奨励したとされ、享和元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村(甲府市)においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)[26]。

また、アイヌの人々もジャガイモを栽培していた[27]。

植物概要[編集]

通常の場合、ジャガイモは種芋を植え付け培土し、栽培される。種芋は芋から発芽した芽を中心にして適度な大きさに切り分けたものである。直立する地上茎は50cm〜1m程度の高さにまで生長する。葉は奇数羽状複葉。葉の付け根から花茎が長く伸び先端に多数の花をつける。花は星形で黄色い花心と5枚の花弁をもち、色は品種によって異なり赤・白・紫と様々である。受粉能力は低いが、品種や条件によっては受粉してミニトマトに似た小型の実をつける。実は熟するにしたがい緑から黄色、さらに赤へと変化するが、落果しやすく完熟に至るものは極希である。果実の中には種子があり、これを発芽させて生長させることも可能である。ジャガイモの交配はこの種子を利用して行われるが、種芋から育たないため生長しても全体的に小柄である。これを親株と同様の大きさ程度にまで育てるには、3年(3代)程度かかるため草本性植物としては交配に時間のかかる植物と言える。

地下茎は種芋より上(地表に近い位置)にできるため、ジャガイモを収穫するためには、この肥大する地下茎を日光に晒さないように土寄せが行われる。

栽培にはpH6前後の酸性の土地が適している。また冷涼な気候や硬く痩せた土地にも強い。その反面、病害や虫の被害を受けやすく 連作障害も発生しやすい。ジャガイモの地下茎は水分と栄養が豊富なため病原菌が繁殖しやすく、保存状態の悪い種芋や、収穫から漏れて地中へ残された芋は病害の原因となる。そのため、日本では植物防疫法の指定種苗となっており、種芋の売買が規制されている。

連作障害[編集]

前述の通りジャガイモは連作障害が発生しやすい。連作を行うと土壌のバランスが崩れ単純に生育が悪くなるだけでなく、病害や寄生虫が発生しやすくなる。ジャガイモに限らずナス科の植物は基本的にこの性質を持ち、さらに例えばジャガイモの後にナスを植えた場合にも連作障害を起こす場合がある。

特にジャガイモに大きな被害を与える原因として、ジャガイモシストセンチュウによる生育阻害がある。このセンチュウは地中で増殖し高密度になるとジャガイモの生育を大きく妨げる。例えば乾土1グラム中に100卵が存在する状態(高密度)では収穫量が60%程度低下する。 センチュウは宿主(ジャガイモ等)が無い状態でも、卵状態(シスト)になり10年以上も生存し続ける場合があり、シスト状態は薬剤にも強いため根絶が難しい。卵を含む可能性のある土を移動させない、付着の恐れのある農具や運搬具の洗浄、といった拡散防止策がとられている。また、長期の休閑や非宿主の作付なども対策として行われているが、センチュウ密度の低減には効果は低く、最も有効な密度低減対策は抵抗性品種の作付である。ただし、センチュウはジャガイモには被害を与えるが人体には無害である。このセンチュウは動物糞から伝染するとされている。そのため、日本ではアイルランド経由以外の検疫を受けていない塊茎類の直接持ち込みは禁止されている。植物防疫法の指定種苗とされ種芋の販売が規制され、検査が義務づけられている。

ジャガイモの原産地であるアンデス中央高地では、古くから連作障害について認識されており、長期の休閑と輪作が行われている。ジャガイモの次は別の作物を植えるようにするだけでなく、3〜4サイクルで一つの区画を利用したあと長期の休閑をとる。休閑の長さは、人口密度や畑の大きさによって様々である。ただし、1950年代に行われた農地改革などで、共有地が崩壊し始め、耕作地が私有地化され、個人が所有する土地区画が狭くなったため、長期の休閑が行えず、シストセンチュウが再び問題になってきている。 また、アンデスのいくつかの地域では、マシュア(イサーニョとも、学名Tropaeolum tuberosum)と呼ばれるノウゼンハレン科の塊茎類を混植することで、シストセンチュウの発生を抑えている。マシュアは、その根からシストセンチュウを避ける分泌物を発生することが科学的に確認されている。また、インカ時代には、このマシュアは、男性の生殖能力を抑える働きがあることが知られており、長期間にわたる兵士の出征や労働賦役のため、男性の生殖能力を抑える目的で利用されていたことが、スペイン人の記録文書に記されている。

毒性[編集]

ジャガイモはポテトグリコアルカロイド(PGA)として総称されるソラニンやチャコニン(カコニン)、ソラマリン、コマソニン、デミツシンなどの有毒なアルカロイド配糖体を含む。これらはジャガイモ全体に含まれるが、品種や大きさによりばらつきがあり[28]、特に皮層や芽、果実に多く含まれる。そのため、食べる際には芽や緑色を帯びた皮は取り除かなければならない。PGAは加熱による分解が少ない。PGAなどの中毒症状は頭痛・嘔吐・腹痛・疲労感。毒性はそれほど強くはないが、小児は発症量が10分の1程度と成人より少なく、保育園、小学校の自家栽培による発育不良の小芋などは特にPGAの量が多いため、中毒例が多い。芽を大量に食べて死に至った事例もある。対策としては芋を日光にあてず、暗所で保存し、芽を(緑色になった場合は皮も)丁寧に取り除く。PGAは水溶性のため、皮をむいて茹でたり水にさらすことである程度除くことはできるが、粉ふきいもで中毒した例が報告されているように、除ききれない場合がある。果実は、芽ほどではないにせよ、塊茎と比べPGAの含有量が高いため食用に向くとは言い難い[29]。

「ソラニン」を参照

食中毒報告状況(2003-2007年)厚生労働省[30]


年度

発生件数

患者総数

摂食者総数

2003年度 1件 6人 32人
2004年度 1件 74人 145人
2005年度 1件 46人 81人
2006年度 4件 140人 228人
2007年度 1件 5人 13人

生産[編集]

国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計資料 (FAOSTAT)[31]によると、2005年の全世界におけるジャガイモの生産量は3億2310万トンであり、主食となるイモ類ではもっとも生産量が多い。生産地域は大陸別ではアジアとヨーロッパが4割ずつを占め、インドを除くといずれも中緯度から高緯度北部に分布する。上位5カ国で全生産量の54%を占める。日本の生産量は275万トン(世界シェア0.85%)。
1.中国 7346万トン(22.7%)
2.ロシア 3728万トン(11.5%)
3.インド 2363万トン(7.3%)
4.ウクライナ 1946万トン(6.0%)
5.アメリカ合衆国 1909万トン(5.9%)
6.ドイツ 1162万トン(3.6%)
7.ポーランド 1037万トン(3.2%)
8.ベラルーシ 819万トン(2.5%)
9.オランダ 678万トン(2.1%)
10.フランス 668万トン(2.1%)

農林水産省の統計資料[32]による平成20年度の都道府県別生産高では、北海道が約213万トンと全国の8割近くを占める。
1.北海道 212.1万トン(77.7%)
2.長崎県 11.0万トン(4.0%)
3.鹿児島県 9.0万トン(3.3%)
4.茨城県 4.0万トン(1.4%)
5.千葉県 3.4万トン(1.2%)

利用法[編集]

ジャガイモの利用形態は、生食、加工、デンプン原料の3種類に大別される。なお、ジャガイモの品種の説明における「生食用」とは、家庭や飲食店での調理素材として利用することを指しており、通常、加熱して食することを意味する。つまり「生食」の辞書的な意味である非加熱で食用とする意味ではないことに留意すること(本項の説明において以下同様)。加工用としては、ポテトサラダ、ポテトチップス、フライドポテト、冷凍食品(コロッケなど)がある。デンプンは、いわゆる片栗粉として流通している粉末の原料とする意味であり、インスタント麺などの原料にもなる。

ジャガイモは、デンプン源だけでなくビタミンやカリウムも多く含んでいる。特にビタミンCが豊富で、フランスでは「大地のリンゴ(pomme de terre:ポム・ド・テール)」と呼ばれる。ジャガイモのビタミンCはデンプンに保護されるため加熱による損失が少ないという。

ジャガイモの皮は、それを使ってガラスや鏡を磨くと曇り止めになる。

料理[編集]

ジャガイモは各地域で様々な料理に用いられる。形状・加熱の具合や水分量によって多種多様な食感になり、様々な調味料や油脂・乳製品等との相性が良い。

日本では一般家庭料理の範疇に属するものとして、肉じゃがや粉吹き芋、ポテトサラダ、いももちなど、じゃがいもを主な食材とする料理がある他、カレー、シチュー、グラタン、おでん、味噌汁などの具にも広く用いられている。

単に茹でたジャガイモに、バターや塩をかけて食べるじゃがバターもポピュラーな食べ物である。北海道の観光地ではよく名物として売られている。

フライドポテト、マッシュポテト、ベークドポテト、ヴィシソワーズ、ポテトのスープ、コロッケなど、欧米ではジャガイモを主体とした料理が多くあり、主食としての食べ方をする場合もある。

中国では、千切りしたジャガイモの炒め物も一般的である。

ジャガイモが主体とは言えないかもしれないが、ジャガイモが欠かせない料理としては、アイリッシュシチュー、トルティージャなどがある。

また、日本以外では、パンの材料に用いられることがあるほか、パスタ(ニョッキ)に使われることもある。

電気炊飯器でご飯を炊くときに、落とし蓋を入れてその上にジャガイモを置いておくと、手間をかけずに茹でることができる。

加工食品[編集]

スナック菓子としてポテトチップスが広く食べられている。ただし、タンパク質の成分としてトリプトファンが多く、焦がした場合ニトロソアミンに変化することがあるので注意が必要である。なお、ポテトチップス用の品種も存在し、そのような品種は揚げても焦げにくい(無論、焦げないわけではない)という特徴を持つ。

保存食[編集]

ジャガイモは、古くから凍結乾燥させるという方法で保存性を高め、保存食として利用されてきた。

例えば、先コロンブス時代、中央アンデス地域において、冷凍したジャガイモを踏みつけることを繰り返すことで水分と毒を抜く方法が発明され、長期にわたる保存・備蓄が可能になった。この凍結乾燥したジャガイモのことを「チューニョ」と呼ぶ。現在でもボリビアやペルーの高地(アルティプラーノ)ではチューニョが利用されている。乾燥したチューニョはまるで小石のように見える。塩味のスープに入れて長時間煮込んで食べるが、質の悪いチューニョはアンモニアのような臭いがすることがある。

また、若干作り方が異なり、イモの種類も異なるが、原理的にはチューニョと同じ凍結乾燥ジャガイモに、トゥンタと呼ばれるものがある。これもペルー南部やボリビアなどで広く食べられている。

日本でも、山梨県の鳴沢村や長野県の一部地域にジャガイモを寒冷期の外気温で冷凍し踏みつけることを繰り返して、重量と体積を減らし、保存性を高める方法が存在する。「しみいも」「ちぢみいも」などと呼ぶ。

北海道のアイヌ民族も、秋に収穫し切れなかったジャガイモや傷のあるジャガイモを畑に放置し、雪に埋もれて凍るに任せる。放置されたイモは凍結と解凍を繰り返し、干からびて体積が減る。この工程を経て作られた保存食をポッチェイモ、ペネコショイモなどと呼び、食べる際は水で戻して丸め、団子にして脂を引いた平鍋で焼く。

でん粉採取[編集]

ジャガイモは、そのものが調理に使われるだけでなく、豊富に含まれるデンプンを抽出したものが片栗粉として販売されている(片栗粉は本来はカタクリのデンプンを粉にしたものであるが、現在市場に出回っている片栗粉のほとんどはジャガイモのデンプンである)。

酒造[編集]

豊富なデンプンを持つジャガイモは、ウォッカ、ジン、アクアビット、ソジュ(韓国焼酎)など蒸留酒の原料にも用いられる。

日本においても、近年、北海道では特産のジャガイモを使ったジャガイモ焼酎(しょうちゅう乙類)の生産が広く行われるようになっている。また、長崎県でも特産品としてジャガイモ焼酎を製造している酒蔵がある。1979年4月に、北海道斜里郡清里町の清里町焼酎醸造事業所が、日本で最初のジャガイモ焼酎を製造販売した。以後、北海道の多くの焼酎メーカーがジャガイモ焼酎に参入している。ジャガイモ焼酎は、サツマイモで作る芋焼酎と比べると癖が少なく飲みやすいものとなる。

品種[編集]

日本では2011年現在、98品種が品種登録されている[33]。現在では公的機関ばかりでなく、農家により突然変異を基にした新種育成が行われている[1]。なお、先述したとおり以下の説明における「生食用」は家庭や飲食店での調理素材であることを意味し非加熱で食用とする意味ではない。





男爵薯
男爵薯(だんしゃくいも)[編集]

生食用品種。英名は「アイリッシュ・コブラー(Irish Cobbler、「アイルランドの靴直し職人」)」といい、1876年ごろにアメリカで赤い「アーリーローズ」の白色変異種として発見され、発見者にちなみ命名されたと伝えられているが、近年の調査で「アーリーローズ」由来説は否定されており、何らかの雑種由来と考えられている[34]。明治時代の1908年に川田龍吉(かわだ・りょうきち)男爵がイギリスから持ち込んで日本に定着させた品種(品種の正体が「アイリッシュ・コブラー」であることは後に判明した)。デンプンが多くホクホクした食感が得られるが、煮くずれしやすい。このため、粉吹き芋やマッシュポテト、コロッケなど潰してから使う料理に適している。芽の部分が大きく窪んでおり、でこぼこした形状なので皮をむきにくい。主に、東日本で主流の品種である。花は薄い紫色、雄性不稔の為父親とはならないが直接の母として「キタアカリ」「農林一号」などがあり、交配によらないものとしてプロトクローンから「ホワイトバロン」が選抜された。





メークイン
メークイン[編集]

生食用品種。英名は"May Queen"。イギリスで民間に栽培されていたのが1900年に登録され、大正時代に日本に持ち込まれた品種[35]。男爵イモよりもねっとりしていて、煮くずれしにくい。このため、カレーやシチューや肉じゃがなど、煮て調理する料理に適している。男爵薯に比べて長い形状で、でこぼこもそれほどひどくなく、皮はむきやすい。主に西日本での消費が多い。世界的に見ても、特に日本で人気がある種(イギリスでも今日では忘れ去られている)。「メイクイーン」と呼ばれることも多いが、品種名としてはメークインが正しい名前である。花は紫色で雄性不稔。長年派生種は存在しなかった[36]が俵正彦により突然変異から「タワラ小判」「タワラ長右衛門宇内」が選抜された。





キタアカリ
キタアカリ[編集]

生食用品種。男爵薯を母親として、ジャガイモシストセンチュウ抵抗性を付与させて農林水産省北海道農業試験場(現:北海道農業研究センター)で育成したもので、1987年に品種登録された。カロテンやビタミンCの含有量が多い。男爵薯同様、粉吹き芋やマッシュドポテトに適している。黄色が強めである。





とうや
とうや[編集]

生食用品種。ジャガイモシストセンチュウ抵抗性およびウイルス病(PVY)耐性を目的として北海道農業試験場で育成され、1995年に品種登録された。内部が黄色く、カロテンやビタミンCの含有量が多い。口当たりがなめらかで、ポテトサラダに適している。JAたんの(現:JAきたみらい端野支所)では、独自ブランド名として黄爵(こうしゃく)と名付けて販売している。

ワセシロ[編集]

生食(加工)用品種。北海道立根釧農業試験場で育成され、1974年に品種登録。新じゃがポテトチップの材料として使用される。

トヨシロ[編集]

加工用品種。北海19号とエニワの交配種で、1976年に品種登録。ポテトチップの材料として生産されている品種。風味は男爵薯に較べると劣るといわれるが、揚げると男爵に比べ色合いがよい。

ホッカイコガネ[編集]

生食用品種。「トヨシロ」を母、「北海51号」を父として交配された品種で、1981年に品種登録。細長い形はメークイン似ており、やや黄色みを帯びている。煮崩れに対する強さはメークインを上回り、「黄金メーク」、「コスモメーク」等の別名でも呼ばれる。収穫時期がメークインより遅いので、その代替品として店舗に並ぶことも多い。





インカのめざめ
インカのめざめ[編集]

2002年に種苗登録された小粒で黄色みの強い品種。アンデス産の小粒で食味が良い種(S. tuberosumではなく、2倍体のP. phureja)と、アメリカの品種Katahdinの半数体を交配させ、日本の長日条件下で栽培できるように開発した2倍体の品種。甘みが強く、サツマイモや栗に似た味を持つなど食味はよいが、収量は少なく、病虫害に弱いことから他の品種と比較して栽培が難しい。また発芽しやすく、長期の保存には不向きである。生食用品種として人気が高まってきているが、生産量は少なくジャガイモのなかでは高価である。北海道十勝地方の幕別町などが主産地である。長期冷蔵貯蔵により更に糖度の増加した物もあり、近年ではその風味を生かした本格焼酎の原料にもなっている。





デジマ
デジマ[編集]

長崎県総合農林試験場で交配・育成された品種で、1971年(昭和46年)に品種登録された。品種名は江戸時代に外国への窓口であった長崎の出島にちなんだもの。長崎県を中心に九州で多く栽培される。 多収で薯が大きくなる品種。肉色は黄白色で適度に煮崩れし美味だが、明るい所では緑化しやすい。





ラセットバーバンク
ラセット・バーバンク[編集]

英名は"Russet Burbank potato"。1875年にアメリカの種苗家ルーサー・バーバンクが開発した『バーバンク』の突然変異により1910年頃に誕生。大きくなるためフライドポテトに向き、日本へも加工品が多く輸出されている。

日本では環境の違いから収量が得られず[37]栽培されていないため、専ら加工品の輸入に頼っている。

"Russet"は、「ザラザラした」という意味で、芋の表面の特徴にちなむ。ラセット・バーバンク以外にもラセット・レンジャー、ラセット・ノーコタ、ノーキング・ラセット、シェポディーなどの品種があり、これらを総称して「ラセット種」「ラセットポテト」などと呼ぶ。これらラセット種は、アメリカでもっともポピュラーな品種である[38]。

シンシア[編集]

仏名は"Cynthia"。フランスのジャガイモ育種・販売会社であるジェルミコパ社により育成され、1996年に登録された品種。日本では2003年2月に品種登録された。 他の品種と比べ卵形のシンプルな形状をしており、貯蔵性に優れ煮物にしたときの煮崩れが少ないなどを理由に人気がある。

アンデス赤[編集]

1971-1974年にかけて[39]川上幸治郎等がアーリーローズを母、アンデス原産の2倍体栽培種「S.phureja 253」を父として交配し「M72218」の名で選抜育成していた3倍体の種間雑種系統。春作より寧ろ秋作に適し、岡山県牛窓町のばれいしょ採種農家が在来種として栽培を繰り返し維持してきた[40]。派生種として、麒麟麦酒が本種のプロトプラスト培養から選抜した「ジャガキッズ」、俵正彦が突然変異から選抜した「タワラマガタマ」「タワラヨーデル」がある。

各国とジャガイモのかかわり[編集]

16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく、黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。さらに民衆は、ジャガイモは聖書に載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。
しかし、ヨーロッパで栽培される主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きいことから、17世紀にヨーロッパ各地で飢饉が起こると、各国の王は寒さに強いジャガイモの栽培を広めようとした。とくに冷涼で農業に不適とされたアイルランドや北ドイツから東欧、北欧では食文化を変えるほど普及した。これには地中で育つジャガイモは麦などと違い戦争で畑が踏み荒らされても収穫できることと、農民がジャガイモを食べることで領主たちが自分の麦の取り分を増やそうとした目論見もあった。また西洋のみならずアメリカ合衆国など北米地域や日本など、アジア地域にも普及し、ジャガイモが飢餓から救った人口は計り知れないといわれる。2005年にはジャガイモの原産地の一つであるペルーが国連食糧農業機関(FAO)に提案した「国際イモ年(IYP International Year of Potato)」が認められ2008年をジャガイモ栽培8000年を記念する「国際イモ年」としてFAOなどがジャガイモのいっそうの普及と啓発を各国に働きかけることになった。

イングランド[編集]

ジャガイモがヨーロッパにもたらされた当初、ヨーロッパには芋という概念が無かった。そのため、芋というものを食べると分かるまで、本当は有毒である葉や茎を食用とする旨が書かれた料理本がイングランドで出版され、それを真に受けたイングランド人がソラニン中毒を起こした。

アイルランド[編集]

アイルランドでは栽培の容易さや収量の為だけではなく、征服者のイングランド貴族が熱心に勧めたことにも原因があった。ジャガイモの栽培を増やして農民がそれを食べるように仕向ければ自分達が収奪する麦の分量が増えると考えてのことである。
結果としてアイルランドでは主食としてジャガイモが非常に重要になった。このため1840年代にジャガイモの疫病がヨーロッパに蔓延した際に、ジャガイモに依存していたアイルランドではジャガイモ飢饉が起こり、大勢のアイルランド人が北アメリカに移住することになった。その移民の中に後に第35代アメリカ合衆国大統領になるジョン・F・ケネディの曽祖父・パトリックがいたのはよく知られている話である(ケネディはパトリックの次男の孫、すなわち四代目である)。

ドイツ[編集]

ドイツ料理にはジャガイモが多用される。ドイツでジャガイモが普及したのはプロイセンである。プロイセンの支配地であるブランデンブルク地方は南ドイツなどとは違い寒冷で痩せた土地が多くしばしば食糧難に悩まされた。そのため荒地でも育つジャガイモは食糧難克服の切り札とみなされ、フリードリヒ2世が栽培を奨励した。しかし、他のヨーロッパ諸国同様不恰好な外見から人々から嫌われたため、フリードリヒ2世は自ら範を垂れ、毎日ジャガイモを食べたという。

また、ドイツでは通常ゆでたジャガイモは潰して食べる習慣があるため(クヌーデル)、第二次世界大戦中、フランスに潜伏したドイツのスパイがレストランでジャガイモを潰して食したためスパイであることが露見したなどのジョークが存在する。

フランス[編集]





ジャガイモの花
フランスでは、プロイセンの捕虜時代にジャガイモを知った農学者アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエの提言により、ルイ16世が王妃マリー・アントワネットにジャガイモの花を飾って夜会に出席させると、貴族は関心を持った。

しかし食用としては他の国々の例に漏れず、当初は民の間で嫌われた。ジャガイモを国に広めたいと思ったパルマンティエは一計を案じ、王が作らせたジャガイモ畑に昼間だけ衛兵をつけて厳重に警備した後、夜はわざと誰も見張りをつけなかった。王がそこまで厳重に守らせるからにはさぞ美味なのだろうと考えた民の中から、夜中に畑にジャガイモを盗みに入る者が現われた。結果的に、パルマンティエの目論見通りジャガイモは民衆の間に広まって行ったという話が残っている。

このことから、以降フランスのジャガイモ料理には「パルマンティエ」の名が付くようになった。特に、牛挽肉とマッシュポテトで作るキャセロール「アッシ・パルマンティエ(Hachis Parmentier)」が有名。

北朝鮮[編集]

北朝鮮では、90年代の後半から食糧危機が発生したが、この時政府(朝鮮労働党)は「ジャガイモ農業革命」を提唱してジャガイモの生産拡大を、同時に種子改良(種子革命方針)、二毛作方針を徹底した。朝鮮中央放送では「偉大なる指導者金正日同志は、ジャガイモは白米と同等であるとおっしゃった」などと報道しており、平壌にはジャガイモ料理専門店が開店したとも報じている。

行き過ぎた二毛作によって、土地の栄養分が不足する事態も発生しているといわれているが、白米に比べて、気候や土地に依存せず大量に生産できるジャガイモにより(連作障害などによる弊害もあるが)、北朝鮮の食料危機はある程度の解決をみた。このように、食糧問題の解決に用いられる例がある。

保存[編集]

品種の影響[編集]

品種により貯蔵性が異なり、加工業者は使用時期別にいくつかの品種を組み合わせて使う場合がある。例えば、長期貯蔵性に優れる「スノーデン」種(ポテトチップスの原料の一つ)は、4〜6月頃の原料として使われる。

茹でた場合[編集]

茹でた場合は、冷蔵庫に入れておけば、滅菌状態ではおよそ1-2週間程度もつ。ちなみにジャガイモ単独で茹でる場合は、皮はついたまま茹でた方が、ふっくらする。

茹でた場合、冷凍庫には決して入れないこと(水分が分離してスカスカした食感になる)。しかしマッシュポテトや水分が比較的少ないフライドポテトなどは冷凍しても問題ない。

貯蔵中の発芽抑制[編集]





ジャガイモから発芽した芽
収穫後2-3ヶ月は休眠期であり、好適な温度や湿度条件下でも発芽しない。しかし、その後、本来繁殖器官である塊茎は発芽を始める。発芽することにより、生食用品種として商品価値を失い、加工用やでんぷん原料用では減耗や歩留まりの低下、品質の劣化が起こる。そのため、貯蔵中の発芽を抑制するためにいくつかの方法が用いられている。

低温貯蔵[編集]

3〜10℃の低温で貯蔵することにより発芽を防ぐ方法が一般的である。最適な貯蔵温度は品種によって異なる。低温保存することにより、可溶性糖の含量が増える。

発芽防止剤[編集]


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アメリカ合衆国などでは、収穫後にクロロプロファムという薬品を散布して発芽を抑制する方法をとっている。日本では除草剤として登録されている農薬で、ジャガイモの発芽防止目的に使用することは許可されていない。この薬品はカナダ・米国・オランダその他の主要ジャガイモ生産国においてフライドポテトやポテトチップなどの加工用ジャガイモに普通に使用されている薬品なので、これらの国から輸入されているジャガイモ加工製品には普通に検出される。日本ではもともとジャガイモには残留基準がなく他の野菜では0.05ppmの残留基準値であったが、米国などからの圧力により1995年のWTO協定の「衛生植物検疫の措置に関する協定」(SPS協定)締結に乗じて1000倍の50ppmに変更された、いわく付きの薬剤である。この条約締結以前においては、日本では使用が認められておらず、残留基準値すら規定されていない薬剤が多量に残留しているジャガイモ加工品(主に冷凍品)が、日本に大量に輸入されるという異常な状態が続いていた。当時、東京都の衛生研究所が「日本で使用が禁止されており、残留基準値すら規定されていない農薬クロロプロファムが、輸入された冷凍ポテト製品から多量に検出された」と発表すると、米国ポテト協会が「米国で長いこと使用されて何等問題のないクロロプロファムについて、日本ではなぜ問題にするのか」と開き直った新聞広告を大々的に公表するというおかしないたちごっこが毎年の恒例行事になっていた。農林水産省は「日本ではこのような適用の方法は、農薬ではなく食品添加物とみなされる為、農薬取締法の範疇で規制されるものとは考えられていない」と弁明を繰り返していた。しかしながら、そもそも国民の健康を守るという主旨から出発している農薬取締法の見地に立てば、「日本では使用が禁止されている薬剤を使用していることが明らかな農産物を原料とする加工食品の輸入について、それが加工食品であって農産物そのものではない」として、自らの問題ではないとして逃げ回っていた農林水産省は全くもって無責任と言わざるを得ない状況であった。そもそも、外国から様々な食品が輸入されて、その中には日本で使用されていない農薬が残留することもあるというような事態をあまり深く想定していなかった行政の対応の遅れを象徴する事件の一つであった。

クロロプロファムを適用する手法はポストハーベスト薬剤の手法そのものであり、具体的には、収穫したジャガイモを倉庫に貯蔵した段階で薬剤溶液を霧状にしてジャガイモに直接噴霧する方法や、生食用のジャガイモで出荷前に塊茎に直接噴霧したり薬剤溶液の中を浸漬・通過させる方法等である。そのため、たとえジャガイモ全体としては残留基準値を守っていたとしても、表皮の部分などに限ってみれば、残留基準値の数倍の濃度で検出されることが米国コーネル大学の研究者の報告で明らかになる等、健康への懸念から残留基準値の見直しが進められており、すでに米国の環境保護庁では30ppm、欧州連合では10ppmへの低下が答申され、EUでは実施に移されている。しかしながら、日本においては基準値の見直しの動きはない。ここにおいて、またしても、日本政府の主体性のない農薬行政の姿勢が浮き彫りになっている。

現在ではクロロプロファムについては、イギリスを中心に消費者の間に懐疑的な動きが広まり、すでにいくつかのスーパーマーケットではクロロプロファムを使用したジャガイモを店頭で販売することを自主的にやめたところも出てきている。この薬剤に対しての懐疑的な動きから、世界的により安全な発芽防止剤の開発が1990年代より盛んになり、すでに様々な発芽防止剤が外国では登録認可されている。

日本国内では、現在、登録されている発芽抑制剤はないが、以前はマレイン酸ヒドラジド(商品名:エルノー)が使われていた。2008年にエチレンが発芽防止目的で北海道ジャガイモ協議会と日本スナックフーズ協会との連名により、特定農薬としての登録について申請、受理されて、現在政府内において審議中である。エチレンは過去に麻酔剤として人間に使用されていた実績もあり、バナナの熟成やキウイの熟成、さらにはモヤシを太くする等の目的により、古くから利用されてきた安全性の高いガスである。エチレンはまた、ジャガイモなどの多くの植物が自ら発生する植物ホルモンとして広く知られており、残留性のない安全性の高い物質であり、発芽防止剤としての普及が期待されている。世界的にはイギリスやカナダなどで登録が行われており、欧州連合においての登録作業もすすめられている。前述のクロロプロファムを使用したジャガイモの販売を取りやめた英国のスーパーマーケットでは、エチレンで発芽防止したジャガイモに販売を切り替えている例が多い。

放射線照射[編集]

放射線であるガンマ線を照射する方法がある。コバルト60から放出されるガンマ線により芽の組織の細胞分裂を阻害することで発芽を抑制する。ジャガイモへの放射線照射は 1972年に厚生省(現厚生労働省)により認可されたが、1974年1月から道の許可を得て北海道の士幌町農業協同組合が実施しているのみである。なお、日本において放射線の食品照射が認められている食品はジャガイモだけである。

放射線照射によって直接に有害物質が生じることはなく、ガンマ線が原因でじゃがいもに放射能が生じることは起こらないと現在では捉えられている。しかし、その言葉のイメージから普及率は低く、一部からは根拠のない非難を受けることがある。また一方では放射線照射が生体に与える影響について未知の部分も多く、発芽が抑制されるという影響の他に生化学的な影響があるのではないかと危ぶむ声も根強い。[要出典]

簡易的な方法[編集]

暗冷所にリンゴと一緒にして保存すると発芽しにくくなるといわれてきた。これには異論も多く、効果がないという報告も多かったが、近年、欧米での研究によりリンゴなどから発生するエチレンガスがジャガイモの芽の伸びを抑制する効果を持つことが明らかにされ、工業的に生産されたエチレンを用いて正しく濃度コントロールをして発芽を抑制する技術が確立されている。しかし、リンゴとの共存によるエチレンガスの濃度コントロールは困難であり、エチレンガスの濃度や保存期間が充分でないと、逆に芽の伸びを助長することも立証されている。ジャガイモは通常5℃以下の冷暗所で保存するといつまでも芽は伸びないので、そのような場所で保存することが最も重要である。但し、一度高温にさらして芽が伸び始めたものは長い期間の保存には適さないので、もともと芽が伸びていないジャガイモを選ぶことがこつである。リンゴと一緒に保存する方法については、濃度や時間・温度のコントロールが困難で失敗の確率が高く、勧められない。

主要病害[編集]
ウイルス病
菌類病 疫病
黒あざ病
粉状そうか病
炭そ病
乾腐病

細菌病 軟腐病
黒あし病
そうか病
輪腐病

亜寒帯

亜寒帯(あかんたい)、もしくは冷帯(れいたい)とはケッペンの気候区分における気候帯のひとつである。記号はDで、低緯度から4番目に位置することを示す。

フローンの気候区分においては、亜寒帯(記号:6a)と冷帯(記号:6)は区別される[1]。フローンの気候区分の場合、亜寒帯(6a)はケッペンの気候区分の亜寒帯・冷帯と一致し、冷帯(6)はケッペンの気候区分のツンドラ気候(ET)に相当する[1]。



目次 [非表示]
1 定義
2 気候区 2.1 ケッペン
2.2 トレワーサ

3 特徴
4 分布地域
5 植生と土壌
6 主な農作物
7 脚注
8 参考文献


定義[編集]
最寒月平均気温が-3℃未満(冬季の積雪が根雪になること)。
最暖月平均気温が10℃以上(樹木が生育できること)。
年平均降水量が乾燥限界以上。

気候区[編集]

ケッペン[編集]

オリジナルのケッペンの区分では雨の多い季節により、3つの気候区に分けた。これらを夏の気温により、それぞれ4つに分けた。
亜寒帯湿潤気候(Dfa,Dfb,Dfc,Dfd)
亜寒帯冬季少雨気候(Dwa,Dwb,Dwc,Dwd)
高地地中海性気候(Dsa,Dsb,Dsc,Dsd) - 亜寒帯の一種だが分布地域はごく限られている。

fは湿潤(feucht)、wは冬に乾燥(wintertrocken)、sは夏に乾燥(sommertrocken)のドイツ語での頭文字である。

トレワーサ[編集]

トレワーサは、ケッペンが下位区分に使った夏の気温により、4つの気候区に分けた。
湿潤大陸性気候(Dfa,Dwa,Dsa,Dfb,Dwb,Dsb)
亜寒帯気候(Dfc,Dwc,Dsc,Dfd,Dwd,Dsd) ⇒ 北半球一の寒極がある。

四季の変化が見られ植物の生育期間も長いので農牧業が可能である混合林型(Da,Db)と、夏が短く冬は前気候(Da,Db)よりもさらに長く寒さもよりきびしい上、土壌もやせており農業不適地の針葉樹林型(Dc,Dd)という分け方である。

特徴[編集]

樹林気候の中では、寒暖の差が最も大きい気候である。シベリア東部内陸部などでは夏は暑く冬になると氷雪気候並みもしくはそれ以下の寒さになるところがあり、世界的な年較差をなしている。

樹木の生育及び夏季の農業が可能なため冬季の寒さ対策により人間は居住可能。

農業・林業・畜産業といった産業に加えて近代以降北海道、ヨーロッパ東部やアメリカ合衆国とカナダの国境付近では高度な産業集積が行われ数々の都市が活動している。

分布地域[編集]
中国北東部・朝鮮半島北部・ロシアの半分以上・東ヨーロッパ・コーカサス山脈周辺・アメリカ北部〜カナダにかけての地域など、概ね緯度40°以上の高緯度地域に分布する。南半球ではこの緯度に陸地が少ないため、陸上に亜寒帯がみられるのは北半球のみである。
日本では北海道のほぼ全域と東北の内陸部、北関東から甲信越・飛騨・北陸地方にかけての高原地帯がDfa,Dfbに属する。

植生と土壌[編集]
トレワーサによる細分により、亜寒帯地域の植生と土壌を区分して説明することができる。
湿潤大陸性気候(Da、Db)に属する地域(おもに南部)では、針葉樹林と広葉樹林の混合林が広がり、肥沃な褐色森林土が分布している。
亜寒帯気候(Dc、Dd)に属する地域(おもに北部)では、タイガと呼ばれる針葉樹の純林(単一樹種が大半を占める森林)が形成され、寒冷な気候のため有機物の分解が進まず、溶脱作用によって酸性のポドゾルと呼ばれるやせた灰白色の土が多くを占める。地下には年間を通じて凍結したままの永久凍土が広がる。地球温暖化の進行とともに永久凍土が解けて閉じこめられていた有機物が分解し、強力な温室効果物質であるメタンとなって大気中に放出されるという悪循環の形成が報告されている。

主な農作物[編集]

春まき小麦・ライ麦・カブ・ジャガイモなど。

土地がやせて穀物生産など農作物栽培に向かない地域や月平均気温10℃以上が3ヶ月以下(Dc,Dd気候)の地域では放牧や酪農が行われる。地域によっては、冷涼な気候に強いジャガイモ・カブ・ライ麦・蕎麦などが栽培されているところがある。

酪農は主に大消費地に近い地域、放牧はそうでない地域で行われている。

成帯土壌

成帯土壌(せいたいどじょう、英: zonal soil)とは、気候帯や植生に関係し、気候帯と分布が一致する土壌のこと。間帯土壌と対になる。その分布は気候帯・植生帯と類似する。



目次 [非表示]
1 事例
2 分類 2.1 湿潤土壌
2.2 半乾燥土壌
2.3 乾燥土壌

3 関連項目


事例[編集]

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分類[編集]

湿潤土壌[編集]
冷帯 ツンドラ土 - 寒冷な気候のため有機物の分解が不完全で、泥炭化している
ポドゾル - 水分が下方に移動することで化学物質が溶脱し、土壌は漂白され灰褐色の強酸性土になる

温帯 褐色森林土 - 腐食を含み、湿潤土壌の中では比較的肥沃

熱帯 赤黄色土 - 主に亜熱帯で大量の降雨により有機物が溶脱し、酸化アルミニウム・酸化鉄が集積した酸性土壌
ラトソル - 雨季に無機質養分や腐植土が溶脱し、地表での蒸発量が高いため鉄・アルミニウムが地表に集まりできた、赤黄色土に近い土壌。固体化したものをラテライトと呼ぶ。


半乾燥土壌[編集]

肥沃な土地が多く大雨による腐植土の溶脱が少ないステップ気候に集中する。
チェルノーゼム - 厚い腐食層を持つ黒色の土壌。ウクライナ周辺に分布する。非常に肥沃で農業に適する。
プレーリー土 - 北アメリカ大陸のプレーリー・グレートプレーンズに多い。アルゼンチンのパンパにも見られる。肥沃な土壌。

乾燥土壌[編集]
栗色土 - ステップ気候の短草草原に多い
砂漠土

ラテライト

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インドの煉瓦工場




ラテライト
ラテライト(英: laterite)は、成帯土壌と呼ばれるもののうち、湿潤土壌に分類される土壌のひとつである。ラトソル、ラトゾルまたは紅土とも呼ばれる。語源はラテン語のLater(「煉瓦」の意)。

サバナや熱帯雨林に分布する。地表の風化物として生成された膠結物質(粒子間に鉱物が入り込み、それが接着作用をしたもの)である。雨季に有機質が微生物により分解することに加えて珪酸分や塩基類が溶脱したことにより残った鉄やアルミニウムなど金属元素の水酸化物が表面に集積して形成される。

構成鉱物は主に針鉄鉱、ギブス石、ダイアスポアなどで、インドシナ半島およびインド、キューバなどサバナ気候地方に広く分布している。やせ土なため農業には向いていないが、インドでは煉瓦をつくる原料に利用されている。



目次 [非表示]
1 形成
2 産地と利用
3 参考文献
4 関連項目
5 外部リンク


形成[編集]

詳細は「:en:Laterite」を参照

風化による溶脱が起こる母岩によって成分も変わる。主成分は石英と重金属酸化物である。ボーキサイトは花崗岩類から、鉄は苦鉄質火成岩から、ニッケルは超苦鉄質岩から由来する。起伏が少なく溶脱塩類が流されないところで形成が進む。地質年代では新第三紀から第四紀にかけて発達したが、更新世中期から地球の寒冷化により形成が遅くなった。

産地と利用[編集]

ラテライトは世界の地表の1/3を占めると言われる。ラテライト化した最も古い岩石はブラジルとオーストラリアの先カンブリア楯状地の岩石である。それより新しい時代の造山活動に伴う岩石では、グアテマラ、コロンビア、中部欧州、インド、ミャンマー、ニューカレドニア、キューバ、インドネシア、フィリピンなどがある。

カンボジアのアンコールワットには、山地から切り出された砂岩とラテライトが建築石材として使われている。また、水の浸透が良いため、スリランカでは地下のラテライト層を水が通り、アイルランドでは下水の燐、アルミニウム、鉄分の吸着材に使われるという。

ボーキサイト鉱床はラテライトが最も利用されている例だが、インドや南米で見られるように帯状に分布するのが特徴である。

サバナ気候

サバナ気候(サバナきこう)とはケッペンの気候区分における気候区のひとつで熱帯に属する。サバンナ気候、サヴァナ気候とも呼ばれる。記号はAwでAは熱帯、wは冬に乾燥(wintertrocken)を表す。漢字では砂伴霖と表記される。



目次 [非表示]
1 特徴
2 条件
3 分布 3.1 分布地域
3.2 典型的な都市

4 気候の特徴
5 土壌と植生の特徴
6 産業の特徴・その他
7 関連項目


特徴[編集]
南回帰線から北回帰線の間の多くの地域に分布。
夏は赤道低圧帯(熱帯収束帯)に入り多雨、冬は中緯度高圧帯に入り、乾燥するため一年の間で雨季と乾季がはっきりと分かれている。なお夏に乾季をむかえる地域もごく僅かながら存在しており、その場合記号はAwではなくAsを用いる。なおAsは熱帯夏季少雨気候と呼ばれるが、分布域が非常に狭いので通常はサバナ気候に含めることが多い。
気温の年較差は少ない。
乾燥に強い樹木がまばらに生える草原、サバナ(Savanna、サバンナとも言う)が広く分布し気候区の名前の由来にもなっている。
土壌は主にラトソル(ラテライト)や赤黄色土からなる。
焼畑のほか様々な農業形態がとられている。

条件[編集]


ブラジリア


雨温図(説明)


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12






241



27

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27

18






124



27

17






39



26

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8.8



25

13






12



25

13






13



27

15






52



28

16






172



28

17






238



27

18






249



26

18

気温(°C)
総降水量(mm)
出典:World Weather Information Service [1]



[表示]インペリアル換算


































































































































































最寒月平均気温が18℃以上(ヤシが生育できること)。
年平均降水量が乾燥限界以上。
最少雨月降水量が60mm未満かつ(100-0.04×年平均降水量)mm未満。

上記3つの条件を全て満たしていて下記の条件も満たす場合のみAs(熱帯夏季少雨気候)となり、上記3つの条件は全て満たしているが下記の条件を満たさない場合はAw(狭義のサバナ気候)となる。
最多雨月が冬にあり、3×最少雨月降水量<最多雨月降水量かつ最少雨月降水量が30mm未満。

また「最少雨月降水量が(100-0.04×年平均降水量)mm未満」という条件から「100-0.04×年平均降水量」の値が正である必要があるため、この気候に属する地域の年平均降水量は2,500mm未満になる。

分布[編集]

分布地域[編集]





バリ島のラグーン




ケニアのサバンナ
典型的なサバナ気候(Aw)は、熱帯雨林の周辺に発達し、太陽の回帰にともない、赤道低圧帯の影響を受ける雨季(夏)と亜熱帯高圧帯の影響を受ける乾季(冬)に分かれる。主な分布地域は以下の通りである。
ブラジル高原
インドシナ半島内陸部
インド亜大陸のデカン高原 - ベンガル湾沿岸部
オーストラリア北部
バリ島
西インド諸島
中央アフリカ沿岸
アフリカ中部の熱帯雨林周辺部
アフリカ東部のインド洋沿岸
南鳥島

夏が乾季となるAs(熱帯夏季少雨気候)は極めて珍しく、ハワイ諸島の一部などごく限られた地域にのみ分布する。

典型的な都市[編集]
ホーチミン(ベトナム)
バンコク(タイ)
デンパサール(インドネシア バリ島)
ダーウィン(オーストラリア)
ヌーメア(ニューカレドニア)
ムンバイ(インド)
コルカタ(インド)
ダルエスサラーム(タンザニア)
キンシャサ(コンゴ民主共和国)
ヤウンデ(カメルーン)
ブラジリア(ブラジル)
フォルタレーザ(ブラジル)
カラカス(ベネズエラ)
ハバナ(キューバ)
サントドミンゴ(ドミニカ共和国)
テグシガルパ(ホンジュラス)
メリダ(メキシコ)
キーウェスト(アメリカフロリダ州)
ポートモレスビー(パプアニューギニア)
ヤンゴン(ミャンマー)
リオデジャネイロ(ブラジル)
三亜(中華人民共和国海南島)

気候の特徴[編集]





モンスーンの激しい雨、ムンバイ




大規模なコーヒーのプランテーション農園、ブラジル・ミナスジェライス州




ベトナムの水田
サバナ気候にあたる地域では夏は赤道低圧帯に入るため湿った空気が流れ込みやすく、対流性・地形性・低気圧性の雨(降雨)が多い雨季となる。しかし冬は一転して中緯度高圧帯に入るため、乾燥した空気が長く居座り雨がほとんど降らない乾季が続く。一年の間で雨季と乾季がはっきりと分かれており、モンスーンの影響が非常に大きい地域である。

なお、ごく限られた地域では夏に高い山脈によって雲が遮られて雨蔭となるなどして夏が乾季、冬が雨季となるが、夏が雨季となる地域に比べて年間降水量は少ない。

雨季の降水量が少なければ旱魃、多ければ洪水となるため、どちらにしても農作物や水をはじめとして生活全般に大きな影響が及ぶ。

土壌と植生の特徴[編集]

植生は丈の高い草原の中に乾燥に強いバオバブなどの樹木がまばらに生える、サバナとよばれる熱帯草原が多く見られる。夏にはこれらの植物が生い茂っているが冬では樹木が落葉、草原は枯れ種や根に姿を変えるため赤茶けた大地となる。アフリカでは、この気候帯に多くの野生動物が生息している。降水量の比較的多い地域(インドシナ半島など)では乾季に落葉する広葉樹林(雨緑林)も見られる。

土壌はラトソル(ラテライト)と赤黄色土が多く分布し、熱帯雨林ほどではないが痩せた土壌で農業にはあまり適さない。しかし、一部肥沃な土壌(ブラジル高原のテラローシャやインドデカン高原のレグール土)が分布する地域もある。

産業の特徴・その他[編集]

農業では、乾季に森林を燃やし雨季に作物を栽培する焼畑農業が多く見られる。プランテーション、自給的農業も多い。主な農産物はコーヒー豆、サトウキビ、天然ゴム、綿花、バナナ、茶、カカオなどである。

ガンジス川河口のバングラデシュやメコン川流域(メコン・デルタ)のベトナム南部・カンボジア、チャオプラヤ川流域のタイなどでは米の二期作が行われており、生産量も多い。
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