俳優の三國連太郎さんがお亡くなりになりました。

他人の親子関係にはあまり関心はないですが
今朝、テレビで息子である佐藤浩市さんが
父、三國連太郎さんについて語っていました。

佐藤浩市さんも俳優としての三國連太郎は
認めるが父親としては認めていないような
発言をしていました。若き日に浮名を流していた
父親への憎悪が感じられました。
息子が父へ憎悪を抱く背景には
母親への思いがあるのではないでしょうか?

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私の父親は三國さんほどの男前ではありません
でしたが、イタリアの男性のように気軽に見知らぬ
女性に声をかけていた本人はそう思っていた
ような節もありました。   公務員をしており県内を
あちこち転勤になり、勤務先が遠くになると
通勤はできないので単身で赴任をしていました。

当時、父はバイクを持っておりそのバイクが
週末になると、けたたましい音を立てて
帰ってくるのです

父は「勉強しろ」とも「兄弟喧嘩するな」とも
言わないような人でした。

ただ、「男は人前で泣くな」とはよく言われました。
小さい頃、私は泣き虫だったのでしょうか?
何故かよくこの言葉だけは耳に残っています。
それと人の悪口をこそこそ言うのを嫌いました。
中学校の頃には「人の痛みを知れ」とよく言っていた
ような気がします。

父は今のハローワーク(当時は公共職業安定所と
いっていました)にいたので、いろいろな人の
人生を見てきたのだと思います。
求職活動でハローワークに来る人をお客様と
呼んでいたと、あとから聞きました。

晩年は胃がんによる全摘手術をしてそれに耐え
乗るなというのにバイクによる事故、自転車での
転倒などで裂傷による長期入院とか
年を取っても生傷が絶えませんでした。
「いい加減にしろよ」なんど入院先で言ったでしょうか?
でも、絶対に人の意見に耳を貸すような人間では
ありませんでした。

そんな父もある寒い朝、朝食中に突然
倒れてそのまま息を引き取りました。
父らしい最期だったと思いますが
私は前日の夜、父と酷い口論をしていました。
もう、思ってもしようのないことですが
なぜ、もう少し父に優しくできなかったのだろうかと
思いました。教えどおり父親の通夜、葬儀では
決して涙は見せませんでした。

あの場で泣いていたら父親が叱りに戻ってくる
ような気がしてたのですが・・・・・・・・・・

私は人の心の痛みを知る人間になれたでしょうか・・・親父殿。




おぼえてますか  和紗


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