机の引き出しの中を片付けていたら
色の褪せた封筒が出てきた。
私が他界した私の妹の子供である甥に
宛てて書いた手紙で投函するのを
躊躇ってそのままになっていたものである。



甥は広島で工業デザイナーをめざし一人で暮らしていたが
原因不明の脱力感と腰の痛みが続いていた。
開業医に通院していたようだが、原因は当分わからず
とうとう医大でそれがわかった時には、すでにどうしようも
ない状態であった。



黄紋筋肉腫という初めて聞く名前。
どういう字を書くのかと聞いた自分の質問に
自分が歯がゆく、情けなく思えた、あの時。
幼児が罹患する確率が高いらしいが
甥は26歳、まさかであり本人も家族も晴天の霹靂であった。




甥は小さい頃、両親が離婚、よく我が家で遊んでいた。
私にとっては、ほとんど自分の子供のような存在であった。

当時、大学病院で闘病生活を送っていた甥に、せめて
してやれることはないかと思い書いたこの手紙であった。
便箋2枚の文章を書くのに、こんなに手間取ったことは
初めて、というくらい時間が掛かった。




それでも、結局出さなかった。出せなかった。
4月の月命日には、そっと墓に置いてくるつもりである。
甥が入院していた頃、貸してやったパソコンは
まだ捨てずに私の部屋に置いてある。

私にはわからないデザインの表ソフトやデッサンの
資料がたくさん入っているパソコンも今は塵が積もっている。




悲しくってやりきれない   上間綾乃さん
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