映画「砂の器」のことをしゃべり始めました。
ご存知、松本清張さんの「砂の器」は
昭和49年に映画化されました。
松本清張さんはお隣の福岡県北九州市の
ご出身です。私が高校の頃、この人の小説を
貸本屋で借りては読んでいました。
引き算がしづらいくらい前ですから早くから
執筆をされていたのですね。
私は父親から「男は人前で泣いてはならぬ」と
言われて育ってきました。しかし、この映画と
小学校の頃見た「忠犬ハチ公」(字が違うかも?)は
胸が熱くなりました。(古〜い映画ですが昭和です)
ハンセン病(当時はライ病と呼称)という昭和10年代の
ころには伝染病と恐れられていた病を抱えた父親と
その息子が自分たちの村から追い出され
全国を放浪します。国の恥の病いとまで言われ、
忌み嫌われた者たちに落ち着く先はありません。
しかし、あるところで親切な巡査(緒方拳)と
巡り合い世話になります。
初めて他人から手厚く扱われた親子。
やがて、子供は名の知れた有能な作曲家(加藤剛)に
成長します。政治家の娘と結ばれようという時に
自分の過去を知っている世話になった元巡査が現れます。
東京蒲田で元巡査の他殺体が発見されます。
唯一残された手がかりである東北弁を頼りに
全国を訪ね歩く捜査が始まります。
やがて犯人が有能作曲家であるという確証を
得ることになります。捜査会議の中で丹波哲郎扮する
刑事が切々とこの親子の生き様を綴ります。
島根県亀嵩駅(被害者の巡査の故郷)バイクでここに行ったことがあります
この土地のアクセントは東北弁と似ています
やがて捜査の手は作曲家に迫り映画は
組曲「宿命」が流れエピローグを迎えます。
私が当時、この映画を観て辛かったのは
きっとこんな親子が自分の前に現れて
ハンセン病と知ったら、映画に出てきたように
石は投げないにしても出て行けと言うだろうなと
思ったことです。
それは石を投げることと同じことだからです。
映画のはじめだったか、終わりだったか
こんな言葉が字幕で出てきました。
宿命とは本人の責任に帰さない運命のことである。
※ライ病という病名は現在は使われていません。
私の勉強不足で使用してはいけない表記であったなら
心よりお詫び申し上げます。
どうしようもなく切ないという映画は
イタリア映画の「ひまわり」も同様でした。
ひまわりのテーマ
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