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2024年03月20日
アーティスト 斉藤由貴
斉藤由貴と聞けば、ほとんどの人にとっては、アイドルか女優、せいぜい、歌手ぐらいの認識しかないでしょうが、私にとっての彼女はアーティストでした。
と言いますのも、彼女は、当時(1980年代)としては珍しい、文系のアイドルでして、自分の歌の作詞をいっぱい行なっていたのです。もちろん、当時も著名なシンガーソングライターでしたら大勢おりましたが、でも、作詞だけに特化した本格派アイドルとなると、かなり希少だったのです。
しかも、当時のアイドルは、戦略なのか、どのアイドルも、一、二曲ぐらいなら作詞も行なっていたのですが、その内容は、たいていは無難な恋愛歌でした。その点で比べても、斉藤由貴の作詞は、バリエーションが広く、特にファンタジー風のものが主流で、そのへんも私の好みに合ったのでした。
最初に、私が彼女の作詞を知ったのは、多分、「斉藤さんちのお客さま」(1987年)と言うトーク番組だったと思います。もちろん、彼女が主役の番組です。この番組の中で、彼女は自作の小説の朗読をして、さらには、エンディングが彼女の作詞曲「家族の食卓」だったのです。
で、この「家族の食卓」と言う曲に惹かれた私は、さっそく、この曲が収録されているアルバム「風夢」(1987年)を聴いてみたのでした。すると、斉藤由貴がけっこうな量の作詞も行なっていた事を知り、なんとなくズブズブはまりだして、以後、彼女の作詞目当てで、彼女のアルバムを聴きまくるようになった訳です。
ちなみに、「風夢」の収録曲(「風・夢・天使」「眠り姫」「体育館は踊る」)は、あまりにも気に入りすぎて、当時、私が作ったアマチュア映画のBGMにも使わせてもらった程なのでした。(おかげで、とても可愛いイメージの映画が撮れました)
それ以降、私は、「LOVE」(1991年)まで、斉藤由貴のアルバムを聴き続けました。斉藤由貴自身は、その後も歌い続けていたのですが、私の方が聴かなくなってしまったのは、彼女の新作アルバムの発表が不定期になり、発売時期を私がすっかり見失ってしまったからです。でも、今更になって、その後の彼女の作品が聴いてみたいとも思い始めております。
なお、斉藤由貴の作詞曲は、「風夢」以外にも秀作が多いのですが、私なりにオススメを選ぶとすると、やはり、アルバム「MOON」(1990年)こそがベストではないかと思います。このアルバムは、全作詞が斉藤由貴で、その上で、アルバムそのものも、彼女の演出による、ちょっとした物語仕立てになっているのであります。この「MOON」が、私の作品「秘密美少女ドクガール」に影響を与えた事については、確か、別の場所でも書きました。
驚く事に、こうした斉藤由貴の作詞曲の数々は、いっさい、彼女のメジャーなヒット曲にはなっていません。斉藤由貴の歌と言えば、「卒業」とか「悲しみよこんにちは」とか「夢の中へ」ぐらいしか思い浮かばない人が大多数じゃないかと思います。でも、だからこそ、斉藤由貴の作詞曲ばかりを追っ掛けていた私は、逆に、彼女の通のファンを気取ったりもしていたのでした。
まあ、最近の斉藤由貴と言えば、不倫騒動を起こしたお騒がせ女優のイメージを持つ人もいるかも知れませんが、斉藤由貴の作詞曲を聴けば、彼女がかなりの強い恋愛体質だった事がよく分かります。つい不倫しちゃったのも、この恋愛体質の負の側面だったのだと考えれば、なんとなく頷けたりもするでしょう。
と言いますのも、彼女は、当時(1980年代)としては珍しい、文系のアイドルでして、自分の歌の作詞をいっぱい行なっていたのです。もちろん、当時も著名なシンガーソングライターでしたら大勢おりましたが、でも、作詞だけに特化した本格派アイドルとなると、かなり希少だったのです。
しかも、当時のアイドルは、戦略なのか、どのアイドルも、一、二曲ぐらいなら作詞も行なっていたのですが、その内容は、たいていは無難な恋愛歌でした。その点で比べても、斉藤由貴の作詞は、バリエーションが広く、特にファンタジー風のものが主流で、そのへんも私の好みに合ったのでした。
最初に、私が彼女の作詞を知ったのは、多分、「斉藤さんちのお客さま」(1987年)と言うトーク番組だったと思います。もちろん、彼女が主役の番組です。この番組の中で、彼女は自作の小説の朗読をして、さらには、エンディングが彼女の作詞曲「家族の食卓」だったのです。
で、この「家族の食卓」と言う曲に惹かれた私は、さっそく、この曲が収録されているアルバム「風夢」(1987年)を聴いてみたのでした。すると、斉藤由貴がけっこうな量の作詞も行なっていた事を知り、なんとなくズブズブはまりだして、以後、彼女の作詞目当てで、彼女のアルバムを聴きまくるようになった訳です。
ちなみに、「風夢」の収録曲(「風・夢・天使」「眠り姫」「体育館は踊る」)は、あまりにも気に入りすぎて、当時、私が作ったアマチュア映画のBGMにも使わせてもらった程なのでした。(おかげで、とても可愛いイメージの映画が撮れました)
それ以降、私は、「LOVE」(1991年)まで、斉藤由貴のアルバムを聴き続けました。斉藤由貴自身は、その後も歌い続けていたのですが、私の方が聴かなくなってしまったのは、彼女の新作アルバムの発表が不定期になり、発売時期を私がすっかり見失ってしまったからです。でも、今更になって、その後の彼女の作品が聴いてみたいとも思い始めております。
なお、斉藤由貴の作詞曲は、「風夢」以外にも秀作が多いのですが、私なりにオススメを選ぶとすると、やはり、アルバム「MOON」(1990年)こそがベストではないかと思います。このアルバムは、全作詞が斉藤由貴で、その上で、アルバムそのものも、彼女の演出による、ちょっとした物語仕立てになっているのであります。この「MOON」が、私の作品「秘密美少女ドクガール」に影響を与えた事については、確か、別の場所でも書きました。
驚く事に、こうした斉藤由貴の作詞曲の数々は、いっさい、彼女のメジャーなヒット曲にはなっていません。斉藤由貴の歌と言えば、「卒業」とか「悲しみよこんにちは」とか「夢の中へ」ぐらいしか思い浮かばない人が大多数じゃないかと思います。でも、だからこそ、斉藤由貴の作詞曲ばかりを追っ掛けていた私は、逆に、彼女の通のファンを気取ったりもしていたのでした。
まあ、最近の斉藤由貴と言えば、不倫騒動を起こしたお騒がせ女優のイメージを持つ人もいるかも知れませんが、斉藤由貴の作詞曲を聴けば、彼女がかなりの強い恋愛体質だった事がよく分かります。つい不倫しちゃったのも、この恋愛体質の負の側面だったのだと考えれば、なんとなく頷けたりもするでしょう。