アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2015年01月25日

「イスラム国」報道にみるネット時代の戦争

◆「イスラム国」報道にみるネット時代の戦争

 恐ろしいことだ。インターネットが普及し、世界中で動画やメッセージが見られるようになり、戦争の手段として使われる。イスラム国による日本人殺害の画像も、すでにネットによって誰でも見られる。処刑している場面でさえ、デスクに置いたパソコンで見られる時代となって、私たちは何を信じればよいのだろうか。

 ナイフで首を切られ、その死体の上に生首が置かれる。それが、瞬く間に世界中の何億という人の目にさらされる。消しても、消しても、一度アップされた動画や画像は、ウイルスのように拡散していく。

 その映像には、パソコンを、ものの5分もカチカチやるだけで、たどり着いた。オレンジ色の服を着せられ、胴体部分の上に生首が置かれている。どす黒い血が流れている。人間の最後。最もあってはならない場面。

 考えてみれば、エボラ出血熱より感染力は高いかもしれない。この映像を見ることによって、日本中の人々は何を考えるのだろうか。恐怖、怒り、やるせない感情。政府への怒り。危険な場所と知って入国した渡航者への疑問。

 しかし、僕はここで事件の内容やイスラム国という組織の異常性を問うのではなく、殺害場面を誰でもリアルタイムに見られるようになったことについてだけ、言及したい。

 人類は結局、何も学んではいないのではないか、ということだ。西洋で続いた異端者の公開処刑。日本だって戦国時代に敗者の生首を権力を握った者が河原にさらした。法に基づいた公開処刑が、今も続いている国がすぐそばにもある。

 インターネットの普及は、世界中で言語を超えた同じ議論が可能になり、同じ画像を見ることによって誤解や曲解がなくなり、地球全体の平和につながるものと信じていた。

 ハイテク戦争が起き、軍事衛星がいくつも地球上を回って情報が瞬時に敵方に伝わることこそ、ネット時代の戦争だと思っていたが、もっと恐ろしい戦争があった。

 一人の兵士がオレンジ色の衣服をまとった「囚人」を処刑する場面をネットに流す事によって、何億人という地球人を敵にしたり、あるいは味方にすることもできる。
 核兵器を使ったり、ハイテク兵器を使った大規模な戦争は、それだけで起きる。

 人類は超えてはならないラインをすでに超えているのではないか−。先日、ある科学者と話をしていて、そんな言葉を聞いたとき、僕は考えさせられてしまった。

 インターネットの普及、だれでも簡単に人を処刑、殺害する場面が見られる時代。私たちは知らない間に、治ることのない「病」に冒され始めているのではないか。
 
 それさえもわからなくなっているのは、やはり、この「病」の感染力が人類がこれまでに経験したことがないほど、強いからではないだろうか。

 僕は、ここまで考えるのが精一杯だ。
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/3207093
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
ファン
検索
<< 2017年11月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新記事
最新コメント
タグクラウド
カテゴリアーカイブ
プロフィール
クロダシンさんの画像
クロダシン
プロフィール
日別アーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。