2017年10月22日
仏都会津
仏都会津の名を生んだのは、最澄や空海と日本仏教の一時期を担った徳一(とくいつ)である。徳一は都の仏教に反発し、磐梯山の麓に、恵日寺(古代会津仏教の総本山)を開山しました。最初は粗末な草堂でしたが、全盛時には寺領18万石、子院3,800、寺僧300、僧兵数千を擁し、実質の会津領主として君臨しました。伊達政宗が会津攻めで焼き払ったため、今は見る影もないが、恵日寺の他に、勝常寺、柳津福満虚空蔵円蔵寺、西会津妙法寺(鳥追観音)など、今に徳一の足跡を伝えています。
勝常寺(しょうじょうじ)は会津地方の河沼郡湯川村にある真言宗豊山派の寺院で、平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)に法相宗の学僧・徳一大師によって開かれました。 当時は、大伽藍と東西の五重塔を持つ大寺院でしたが、火災で焼失、現在は、中門と金堂が存在するのみです。 |
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6885460
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。