2017年11月13日
お弁当の思い出〜自作編
母にお弁当作りをお願いすることができないことはよくわかっていたので、ある時自分で作ることにしました。
まずお弁当箱ですが、母は天袋から塗りのお弁当箱を取り出してきで、それを使うようにいいました。私はみんなのように液だれしないようにパチンと蓋のできるプラスチックのお弁当箱がいいと言いましたが、家にあるお弁当箱は最上級の塗りのお弁当箱なのだからと新しいものは買ってもらえませんでした。
お弁当箱は液だれするといけないので、スーパーマーケットのビニール袋に入れて持っていきました。みんなのように、可愛い絵のついたナプキンで包んで持っていきたかったのですが、それをいうと母はタンスの上の方の引き出しから縮緬生地の美しい布を出してきて、これであの上等の塗りのお弁当箱を包んでいけば良いといいました。そうではないのです。お弁当箱を包むナプキンにはほどよい厚さと可愛い柄などのある種の約束事がありました。でも言えば言うほど、「塗りのお弁当箱に縮緬生地の包みに何の不満があるのか」「これ以上の贅沢がどこにあるのか」「よそはよそ、うちはうちです」とも何度も言われました。
思い起こせば私の幼稚園のお座布団には座面一面に、母お手製の豪華なフランス刺繍が施されていました。周りのみんなはマンガのプリントの生地のシンプルなお座布団でしたが、私のはビロード生地に咲き誇った薔薇園の刺繍のおかげでお尻の下がゴツゴツしていました。刺繍といえば私のスクール水着にも母は煌びやかな刺繍をしてくれていました。
そういえば、なにもかも母は過剰でした。ランドセルもみんなが持ってる合皮の軽いものではなく、最高級の皮製のずっしり重いものでした。6個のおにぎりと半斤のサンドイッチをいれたリュックは、軽くて丈夫だという山羊の皮でできていて、水筒のキャップには方位磁石までついている本格的なものでした。
母はお洒落でセンスも良かったので、小学生の頃から私もお洒落な格好をさせられていました。でも私は周りのみんなと同じように、パチンとはめる革靴ではなくて、つま先をトントンとして履くズック靴や、マンガのキャラクターが印刷してあるようなTシャツ、木登りしてもどこにも引っかからないようなTシャツが欲しかったのですが、どんなに頼んでも買ってはもらえませんでした。
お弁当箱もナプキンも、両方合わせも千円くらいで買えたでしょうが、母は頑として買ってはくれませんでした。お金がなくて買えないというのとは、まったく違った理由で私は欲しいものを買ってもらうことができませんでした。小さな頃から上等なものを持たされながらも、身の縮むような思い出ばかりが積み上がっていきました。
さて、肝心の中身の方ですが、こちらはなんとかなるだろうと思っていました。小学生の頃からお台所で適当にあれこれ作っていたので、玉子焼きをちょちょいと作り、あとはウインナーでも焼いて詰めれば良いと思っていました。ところが実際に始めてみると、問題はご飯でした。
私の育った家では朝食はトーストでしたから、朝ご飯を炊いて1人分のお弁当を作ると炊飯器の中にご飯が余ってしまいます。あの頃はまだご飯をラップでくるんでおいで、あとで電子レンジで温めるというような発想がなく、夕飯の時に炊飯器の中で冷たくなっているご飯を食べることになりました。あるいはお冷やご飯は別にとっておき、改めてご飯を炊くことになるのですが、そうするとお冷やご飯がどんどん溜まっていってしまいます。私がお弁当を持っていくと家族に迷惑がかかるという雰囲気がなんとなく形成されていきました。
周りの子のお弁当はおかずも充実していましたが、聞けば、少し多めに作っておいた前日の夕飯のおかずを入れているとのことでしたが、私の家には余った夕飯のおかずなどあったためしがありませんでした。
まずお弁当箱ですが、母は天袋から塗りのお弁当箱を取り出してきで、それを使うようにいいました。私はみんなのように液だれしないようにパチンと蓋のできるプラスチックのお弁当箱がいいと言いましたが、家にあるお弁当箱は最上級の塗りのお弁当箱なのだからと新しいものは買ってもらえませんでした。
お弁当箱は液だれするといけないので、スーパーマーケットのビニール袋に入れて持っていきました。みんなのように、可愛い絵のついたナプキンで包んで持っていきたかったのですが、それをいうと母はタンスの上の方の引き出しから縮緬生地の美しい布を出してきて、これであの上等の塗りのお弁当箱を包んでいけば良いといいました。そうではないのです。お弁当箱を包むナプキンにはほどよい厚さと可愛い柄などのある種の約束事がありました。でも言えば言うほど、「塗りのお弁当箱に縮緬生地の包みに何の不満があるのか」「これ以上の贅沢がどこにあるのか」「よそはよそ、うちはうちです」とも何度も言われました。
思い起こせば私の幼稚園のお座布団には座面一面に、母お手製の豪華なフランス刺繍が施されていました。周りのみんなはマンガのプリントの生地のシンプルなお座布団でしたが、私のはビロード生地に咲き誇った薔薇園の刺繍のおかげでお尻の下がゴツゴツしていました。刺繍といえば私のスクール水着にも母は煌びやかな刺繍をしてくれていました。
そういえば、なにもかも母は過剰でした。ランドセルもみんなが持ってる合皮の軽いものではなく、最高級の皮製のずっしり重いものでした。6個のおにぎりと半斤のサンドイッチをいれたリュックは、軽くて丈夫だという山羊の皮でできていて、水筒のキャップには方位磁石までついている本格的なものでした。
母はお洒落でセンスも良かったので、小学生の頃から私もお洒落な格好をさせられていました。でも私は周りのみんなと同じように、パチンとはめる革靴ではなくて、つま先をトントンとして履くズック靴や、マンガのキャラクターが印刷してあるようなTシャツ、木登りしてもどこにも引っかからないようなTシャツが欲しかったのですが、どんなに頼んでも買ってはもらえませんでした。
お弁当箱もナプキンも、両方合わせも千円くらいで買えたでしょうが、母は頑として買ってはくれませんでした。お金がなくて買えないというのとは、まったく違った理由で私は欲しいものを買ってもらうことができませんでした。小さな頃から上等なものを持たされながらも、身の縮むような思い出ばかりが積み上がっていきました。
さて、肝心の中身の方ですが、こちらはなんとかなるだろうと思っていました。小学生の頃からお台所で適当にあれこれ作っていたので、玉子焼きをちょちょいと作り、あとはウインナーでも焼いて詰めれば良いと思っていました。ところが実際に始めてみると、問題はご飯でした。
私の育った家では朝食はトーストでしたから、朝ご飯を炊いて1人分のお弁当を作ると炊飯器の中にご飯が余ってしまいます。あの頃はまだご飯をラップでくるんでおいで、あとで電子レンジで温めるというような発想がなく、夕飯の時に炊飯器の中で冷たくなっているご飯を食べることになりました。あるいはお冷やご飯は別にとっておき、改めてご飯を炊くことになるのですが、そうするとお冷やご飯がどんどん溜まっていってしまいます。私がお弁当を持っていくと家族に迷惑がかかるという雰囲気がなんとなく形成されていきました。
周りの子のお弁当はおかずも充実していましたが、聞けば、少し多めに作っておいた前日の夕飯のおかずを入れているとのことでしたが、私の家には余った夕飯のおかずなどあったためしがありませんでした。
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