2014年09月07日
菊池武時の墓
私の住んでる街に護国神社がある。木がうっそうと茂り外から中の様子が窺えない。
昔はもっと明るい感じだったが・・・・・・・・。
その護国神社から国体道路を渡った所に小さなお墓がある〜
小奇麗に清掃され管理が行き届いている・・・誰の墓なのか?
調べてみると「筑前国続風土記拾遺」に記述があった〜
「早良郡馬場頭(今の中央区六本松)にあり、昔は老杉の下に石一つ立てり。」
「杉は天明の頃民家の火災によりて枯落せり。里俗是を菊池武時の墓と云う」
肥後の菊池武時は、後醍醐天皇の綸旨により、1333年博多に館があった九州探題
北条英時を攻撃したが、大友氏、宗像氏、少弐氏の裏切りに合い戦況不利になり、
激戦の末、重傷を負い馬場頭まで来た時に、家来に首を打たせ急ぎ埋めたのが
今の首塚となったらしい〜。
胴体は、七隈まで馬が走りそこに落ちたので後世胴塚と称えた言われ、武時を祭る
菊池神社は七隈に鎮座されている〜
こんな近くに歴史的な所が存在するとは・・・・・・・〜
自宅とバス停の間に存在するだけに無視して通れず〜
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏〜
昔はもっと明るい感じだったが・・・・・・・・。
その護国神社から国体道路を渡った所に小さなお墓がある〜
小奇麗に清掃され管理が行き届いている・・・誰の墓なのか?
調べてみると「筑前国続風土記拾遺」に記述があった〜
「早良郡馬場頭(今の中央区六本松)にあり、昔は老杉の下に石一つ立てり。」
「杉は天明の頃民家の火災によりて枯落せり。里俗是を菊池武時の墓と云う」
肥後の菊池武時は、後醍醐天皇の綸旨により、1333年博多に館があった九州探題
北条英時を攻撃したが、大友氏、宗像氏、少弐氏の裏切りに合い戦況不利になり、
激戦の末、重傷を負い馬場頭まで来た時に、家来に首を打たせ急ぎ埋めたのが
今の首塚となったらしい〜。
胴体は、七隈まで馬が走りそこに落ちたので後世胴塚と称えた言われ、武時を祭る
菊池神社は七隈に鎮座されている〜
こんな近くに歴史的な所が存在するとは・・・・・・・〜
自宅とバス停の間に存在するだけに無視して通れず〜
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏〜
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