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2014年08月16日

下宿生活

私は、父を説得して大阪の大学に進学した〜 母は反対だったらしい〜

私の心の中は、家を出てみたい気持ちで一杯・・というか家からの逃避だったのかも〜

飲んだくれの父だったので、母の事が心配でもあったが、妹が二人いるので〜

学校裏手にある下宿は、大学の事務所で斡旋してもらったもの〜

ご主人が役所勤めで、奥さんが木造二階建ての下宿の主人だった〜

お世辞にも可愛いと言えない、小学生の二人娘・・愛想も無かった様に思う〜

一階に8名、二階に9名の17名〜 真ん中に廊下があり左右に四畳半部屋,三畳半部屋が一部屋〜

新入生で入居したのは、三名だった〜 愛媛と岐阜出身者だった〜

色んな所から集まっており、福岡は私以外に2名(後々お世話になることに・・・)、三重、奈良、岡山、京都、島根、広島、皆バラバラで方言が面白かった〜

入居したら、各部屋に挨拶をして回ったが、優しそうな先輩ばかりで安心したが〜

早速歓迎会になり、飲めないビールを次々に注がれ、吐いて苦しかった思い出がある〜

風呂は家族の人が入った後、順番に入るわけだが、最初分からず先輩より先に入りこっ酷く叱られた〜

最後の方は湯垢で汚く、あまり入りたい気分でなくなるものだ〜

洗濯は二層式洗濯機で、こちらは早い者勝ち〜 最初は面倒でローラー式の脱水絞りで出てきた形のまま

干してたので、下着や服が妙な形になりヨレヨレだった〜

希望者は夕食だけ頼むことが出来たが、月1万円位で不味かった(母の料理がいかに上手だったか思い知らされる)

下宿の部屋代は四畳半で4,500円、三畳半で3,300円だった〜

先輩の一人に、JAZZが好きで当時流行っていたロングヘアーのK氏がいた〜(私も長髪パーマヘアー)

隣の部屋でなかったが、女性をよく連れ込んでいた〜 夜、あの声が聞こえなくて良かったが〜

麻雀は知らなかったが、強制的に誘われ教えてもらいながら賭けていたので、負けが込み結構借金

していた〜 段々覚えてきて借金することは無くなったが〜

一度、一階で麻雀してた先輩が酔いが回り、二階真上の自分の部屋に戻ったのはいいが〜

暫らくして、尿失禁で二階から柱を伝い液体が(尿)流れてきた事を鮮明に覚えている〜

下宿近くに、未亡人経営の定食屋があり誰でも学生の筆おろしをしてくれるという噂があったが〜

奥手の私は、お世話になる事はなく、今思えば一度・・・・・・・。

私の部屋にも一人だけ女性が東京から訪ねて来た事がある〜

私より二歳年上の社会人だった〜  友人の友人でスキー場で知り合いになり〜

時々電話や、手紙のやり取りをしていた〜

しかし、なんと私はサイフを失くしたから泊めてという彼女を〜

駅近くのホテルに連絡し、一人泊めて下宿に戻った馬鹿な事をした想い出がある〜

でも、その時彼女を抱かなかったから、後々彼女が印刷業を営む男性と結婚し〜

私が印刷業希望の後輩を彼女にお願いして世話する事が出来たのかもしれない〜

運命とは不思議なものである〜 世間は広い様で狭い〜

私にとっての下宿生活の四年間は、色んな体験が出来て貴重であったと思っている~

あの頃に戻ってみたい〜 












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