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2016年06月22日

PL学園野球部休部となる。最後の夏となり、部員3年生だけの大会出場!



 高校野球の甲子園大会で春夏計7回優勝し、全国の球児のあこがれだったPL学園高校(大阪府富田林市)硬式野球部が今夏を最後に「休部」となり、歩みをいったん止める。昨春から部員募集を停止し、現在は3年生のみ12人。第98回全国高校野球選手権大阪大会(朝日新聞社、大阪府高校野球連盟主催)は24日に組み合わせ抽選会があり、7月9日に開幕する。選手は歴史の重みを感じながら「最後の夏」を迎える。


 6月4日、大阪府枚方市のグラウンドであった興国高校(大阪市天王寺区)との練習試合。3点を追う九回裏、1死一塁から主将の梅田翔大(しょうた)君(3年)が右越えの2点本塁打を放って1点差に迫り、敗れたものの勝利への執念を見せた。

 「このユニホームを着ている以上、諦めずに頑張りたい。これを着て諦める姿を見せるのが一番ダメ」。梅田君は試合後、語った。

 2月に就任した川上祐一監督(41)はこの日、出張で不在だった。守りのときベンチにいる選手と記録員は3人だけで、声を張り上げても相手の盛り上がりにどうしても及ばなかった。

 それでも、「最後の攻撃は本当に怖かった。気持ちがこちらにも伝わってきて鳥肌が立つくらいだった」と興国コーチの吉田久人さん(26)は言った。吉田さんはPL学園OB。この日は興国の監督のはからいで指揮を執った。試合後、集まった後輩に「心で応援しています」と声を掛けた。

 梅田君は「PL学園のユニホームを着て甲子園に出たい」と、2014年春に入学した。だが、約半年後に学校側から「翌年の部員募集停止」を告げられた。後輩がいないまま2年生になり、夏に上級生が引退。12人になった。梅田君は「新チームになる前は『どうなるんやろ』『後輩、入ってくるんかな』と心が揺れた」と振り返る。

 2チーム分の人数がおらず、紅白戦はできない。土日に何試合も練習試合を組めるほど投手もいない。新チーム以降の公式戦でまだ勝利がない。夏の大会後に「休部」が待つ。現役部員に注目が集まり、公式戦には多くの報道陣が集まる。

 17日には春夏の甲子園大会を6回制した中村順司元監督(現名古屋商大野球部総監督)がグラウンドを訪れて実技指導し、「勝って校歌を歌おう」と激励した。

 梅田君は「周りからつらい環境と言われるが、むしろそれを意気に感じ、注目される中で野球ができることをありがたいと感じてやり抜くだけ」と前を向く。


■春夏7回優勝、名選手生む

 PL学園は1962年に春夏の甲子園にそれぞれ初出場。春夏37回甲子園に出場し、計96勝30敗。優勝は春夏7回、準優勝4回に上る。桑田真澄投手、清原和博選手の「KKコンビ」がいた83、85年夏に優勝、87年に春夏連覇するなど甲子園で強い輝きを放った。98年夏の準々決勝では松坂大輔投手(現ソフトバンク)擁する横浜を相手に延長17回の激闘を演じ、高校野球史上屈指の名勝負と言われた。

 多数のプロ選手が生まれ、前田健太投手(ドジャース)、福留孝介選手(元カブス、現阪神)、松井稼頭央選手(元メッツ、現楽天)といった大リーガーも輩出している。

 一方、かつては先輩後輩の上下関係の厳しさでも知られた。甲子園は09年の春夏の出場を最後に遠ざかっている。そこへ、13年3月に部員間の暴力事件が発覚。寮内で複数の2年生が1年生に暴力を振るっていたとして8月下旬まで対外試合禁止処分を受け、監督が引責辞任した。公式戦に復帰した秋季府大会で準優勝し近畿大会に出場。この秋季近畿大会以降、監督は野球未経験者が就任した。

 翌14年4月には現3年生が入部。夏の大阪大会で準優勝したが、同10月に学校側は「監督の適任者がいない」として新規部員の受け入れを停止すると保護者らに通知した。学校は部員募集再開の時期は未定としている。(荻原千明、長野佑介)


 〈OBで元プロ野球選手、宮本慎也さんの話〉 休部は覚悟していましたが、つらいです。大事なのは、今の3年生にできるだけ良い環境で大会を迎えてもらうこと。彼らが集中して野球に打ち込めるかどうか。周囲の大人が支えなければいけません。僕らの頃のような厳しい上下関係は、今は許されません。ただ僕がPLで多くのことを学んだのも事実です。今回、「PLをなくすべきじゃない」という声をいただき、母校が高校球界にどれだけ貢献してきたのか再認識しました。廃部にすることのない道を、僕たちOBも考えていきます。


 〈元PL学園監督の中村順司・名古屋商大野球部総監督の話〉 私が監督をしている頃は野球部を取り巻く周囲の環境に活気がありました。グラウンド外の力に支えられ、チームとして好成績を残せたのだと思う。PLに関わった者の一人として12人には誇りを持って大会に臨んで欲しいと心から思います。今の学校の事情を知らないので勝手なことは言えないのですが、なんとか復活してほしい。それしかないですよ。(聞き手・鈴木健輔)


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