2011年04月09日
科研費獲得騒動その3
研究室をでるとき、ぼくはちょっとした高揚感があっていきようようとJR新大阪駅に向かいました。
なにはともあれ、自分の研究室では対して注目もしてもらえなかった試験結果を、手放しで誉めてもらえたのが嬉しかったし、これまで縁のなかった科研費費というアカデミックな響きのある予算に手を出せるという期待感で一杯でした。
翌日出勤して、自信満々で上司にこの話をすると、驚いたことに上司はほとんど興味を示しませんでした。この業界では大御所といわれる教授が自ら名前をいれると言ってくれたことは少々以外だったようですが、上司も科研費には無縁の人だし、まぁてきとうにやっておれってな感じでした。
それはそれで良かったのですが、困ったのは、自分の周りに基盤研究Aに応募したことのある人がいなかったことでした。もちろん研究所全体でみれば、数件は通っているはずですが、この大きな所帯ですから、そんな人は知り合いでも何でもありません。
当時、まだ募集もかかってなかったし、とりあえず仲間のうちから科研費Bに通ったことのあるのをつかまえて、申請書の書き方を教えてもらいました。彼はいろいろと薀蓄は述べてくれたのですが、それじゃ、君が出して通った書類を見せてくれ、と頼むと、ノーだというのです。正直、これには参りました。
ただ、去年のフォーマットがあるから書いたら添削してやると言われ、ま、それでもいいかと思って、フォーマットだけ貰いました。
続きは、また後ほど・・・
なにはともあれ、自分の研究室では対して注目もしてもらえなかった試験結果を、手放しで誉めてもらえたのが嬉しかったし、これまで縁のなかった科研費費というアカデミックな響きのある予算に手を出せるという期待感で一杯でした。
翌日出勤して、自信満々で上司にこの話をすると、驚いたことに上司はほとんど興味を示しませんでした。この業界では大御所といわれる教授が自ら名前をいれると言ってくれたことは少々以外だったようですが、上司も科研費には無縁の人だし、まぁてきとうにやっておれってな感じでした。
それはそれで良かったのですが、困ったのは、自分の周りに基盤研究Aに応募したことのある人がいなかったことでした。もちろん研究所全体でみれば、数件は通っているはずですが、この大きな所帯ですから、そんな人は知り合いでも何でもありません。
当時、まだ募集もかかってなかったし、とりあえず仲間のうちから科研費Bに通ったことのあるのをつかまえて、申請書の書き方を教えてもらいました。彼はいろいろと薀蓄は述べてくれたのですが、それじゃ、君が出して通った書類を見せてくれ、と頼むと、ノーだというのです。正直、これには参りました。
ただ、去年のフォーマットがあるから書いたら添削してやると言われ、ま、それでもいいかと思って、フォーマットだけ貰いました。
続きは、また後ほど・・・