2011年04月15日
科研費獲得騒動その4
とにかく科研費の申請書なんか書いたことがない。どうしたらいいのかわけもわからず、とりあえず応募規定を目を皿のようにして読みました。つまり、なにを書けばいいのかを考えたのです。書きたいことはいくらでもありました。しかし、紙面は限られています。ならば、書きたいことというよりも、書かなければならないことを書くことにして、材料を取捨選択しました。この段階で、おおかたの文章構成ができました。
今回の応募で、応募書類が書きやすかった理由は、はっきりしていました。昨年度終了した公募特会の結果がでていたからです。
この公募特会の結果をうけて、そのステップアップという位置づけにすると、話がすごくわかりやすくなりました。
結構時間はかかったかな。一週間くらいかけて書類をつくって、やつのところへ持っていってみせたんですが、みてくれないんだな、これが。
やつ「いや、龍泉さんよくかけてるじゃない」
龍泉「いや、そんなことないでしょ。なおしてよ」
やつ「いや、なおすとこないよ。こんだけかければ十分でしょ」
龍泉「んなこというなら、通るってことか?」
やつ「竜泉さん、冗談やめようよ。大学の教授だって10年に一度あたるかどうかなんだよ。当たるはずないじゃん」
龍泉「でも、よく書けてるっていったじゃないの」
やつ「ま、文章はね」
お話になりません。しかし、なんとか審査員の気を惹こうと、センセーショナルデータを一枚目にのっけて、勝負にでました。
結局そのまま提出です。
ところが、締め切りの3日前に、うちの事務方で科研費担当していた人から電話がありました。
事務方「あ、龍泉さん?君の通る確立高いと思うんだよね」
龍泉(テンション急上昇)「ほんとですか?」
事務方「うん、だけど、ちょっとだけ直してくれないかな。そのほうが通りやすいから」
電話がかかってきたのが6時。3時間かけて文章を修正しました。
いや、疲れた。
冗談みたいな話ですが、書類の準備はこの程度だったんです。
むしろ、仲間を募るのがたいへんでした。うちの研究所は、計算科学も物性物理もA級の連中に三顧の礼をとり、入ってもらいました。某民間会社にも挨拶に行き、協力研究員を快諾してもらいました。
さて、すっかり準備できて書類をだしたあと、たまたま大学の教授とあって予算の話をしましたところ、
「そんなん通ったらの話やろ」
といわれまして、いっきにテンション下がりました。
つまり、教授は最初絶対通るといいながら、実はそれほどでもないと思っていたのかもしれません。
続きはまた書きますね。
今回の応募で、応募書類が書きやすかった理由は、はっきりしていました。昨年度終了した公募特会の結果がでていたからです。
この公募特会の結果をうけて、そのステップアップという位置づけにすると、話がすごくわかりやすくなりました。
結構時間はかかったかな。一週間くらいかけて書類をつくって、やつのところへ持っていってみせたんですが、みてくれないんだな、これが。
やつ「いや、龍泉さんよくかけてるじゃない」
龍泉「いや、そんなことないでしょ。なおしてよ」
やつ「いや、なおすとこないよ。こんだけかければ十分でしょ」
龍泉「んなこというなら、通るってことか?」
やつ「竜泉さん、冗談やめようよ。大学の教授だって10年に一度あたるかどうかなんだよ。当たるはずないじゃん」
龍泉「でも、よく書けてるっていったじゃないの」
やつ「ま、文章はね」
お話になりません。しかし、なんとか審査員の気を惹こうと、センセーショナルデータを一枚目にのっけて、勝負にでました。
結局そのまま提出です。
ところが、締め切りの3日前に、うちの事務方で科研費担当していた人から電話がありました。
事務方「あ、龍泉さん?君の通る確立高いと思うんだよね」
龍泉(テンション急上昇)「ほんとですか?」
事務方「うん、だけど、ちょっとだけ直してくれないかな。そのほうが通りやすいから」
電話がかかってきたのが6時。3時間かけて文章を修正しました。
いや、疲れた。
冗談みたいな話ですが、書類の準備はこの程度だったんです。
むしろ、仲間を募るのがたいへんでした。うちの研究所は、計算科学も物性物理もA級の連中に三顧の礼をとり、入ってもらいました。某民間会社にも挨拶に行き、協力研究員を快諾してもらいました。
さて、すっかり準備できて書類をだしたあと、たまたま大学の教授とあって予算の話をしましたところ、
「そんなん通ったらの話やろ」
といわれまして、いっきにテンション下がりました。
つまり、教授は最初絶対通るといいながら、実はそれほどでもないと思っていたのかもしれません。
続きはまた書きますね。