アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2016年09月25日

『ゴジラ』(昭和29年版)の思い出

前回の続きです。

ゴジラ.JPG


あなたはゴジラ・ファンですか? って聞かれたら、私はなんと答えるべきだろう?
映画館で怪獣映画を見たのは、じつは大人になってからが初めてなのでした。

子供の頃は、新しいゴジラ映画が作られるとマンガ雑誌がよく紹介していたもので、
ゴジラ映画を見てえなあ! と、子供心に思った記憶があります。
でも、映画館は隣町にしかなかったし、
そもそも映画を見るようなゼイタクは、我が家の生活にはありませんでした。
親父に連れて行ってもらった記憶が一度、あるぐらいのもんです。

『三大怪獣地球最大の決戦』とか『ドゴラ』とかは、テレビで放送したのを見た記憶があります。
当時はけっこう、夏休み時期とかに、東宝特撮映画をテレビで放送することがあったんです。
しかし、ゴジラ映画や非ゴジラ特撮映画のほとんどをわたしが見たのは、
レーザーディスクが発売されるようになってから以降のことです。

それ以前にもビデオテープが発売されてはいましたが、当時の市販ビデオの値段というのは、いまからは考えられないほど高額でした。
第一作の『ゴジラ』の東宝正規版が、39800円だかだったと思う。
とてもおいそれと手の出せる値段ではありませんでした。


私がはじめて『ゴジラ』昭和29年版を見たのは、正規品をコピーしたビデオでした。(なんか、話がヤバくなってきたな(´ε`;))
むろん、それは当時でも違法でしたが、ビデオ・レンタルといっしょに「コピー・サービス」をしているような店が、昭和後期にはけっこうありました。
ようやくビデオ・デッキが一般家庭に普及し始めた頃のことです。
1000円ぐらいでコピーしてもらったような記憶があります。

画質はコピーのため荒れてたけれど、ようやく初めて見ることの出来た『ゴジラ』は、
わたしがそれまでいだいていた「怪獣映画」のイメージを完全にくつがえすものでした。
この違法コピー版のビデオを、わたしはその後十何年か、
レーザー・ディスク版を手に入れるまで、大事に持ち続けていました。
そんなふうにしてしか、当時は昭和29年版『ゴジラ』を見ることが叶わなかった。

いまは、BSで時々放送するし、DVDもネットで手軽に購入することができるので、
『ゴジラ』を見るのはぜんぜん難しいことではなくなりました。
いい時代になったものです!

いまの若い人たちが「ゴジラ」と聞いてすぐに思い浮かべるのは、
たぶん平成ゴジラシリーズだろうと思うのですが、
まだ、昭和29年版『ゴジラ』を見たことがない人がいたら、ぜひ一度、見ることをおすすめします。


『ゴジラ』 1954年(昭和29年)予告編



じつはわたしは、昭和29年版『ゴジラ』を除いては、ゴジラ映画が特別好きというわけではありません。
それよりもゴジラ・シリーズではない東宝特撮映画の方に、より深い思い入れがあります!

『海底軍艦』
『空の大怪獣ラドン』
『地球防衛軍』
『サンダ対ガイラ』
ここらへんがマイ・フェバリット・特撮映画です!

理由のひとつは、魅力的なSFメカが登場すること。
海底軍艦・轟天号、マーカライト・ファープ、メーサー殺獣光線砲車などなど。
小松崎茂デザインのSFメカが、円谷特撮で3D化されて見られるというのは、
それだけで文字通りの「見もの」でした。

もう一つの理由は、勇壮にして骨太な伊福部マーチが聞けること!
特に、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』で流された、メーサー殺獣光線砲車出撃マーチ(メーサー・マーチ)は最高です!

『シン・ゴジラ』でも、ゴジラのメイン・テーマをはじめとして、
フリゲート・マーチや宇宙大戦争マーチなどの伊福部マーチが自衛隊の活躍場面で流れ、
海上自衛隊や航空自衛隊にはぴったりだと思いますが、
陸上自衛隊にふさわしいのはなんといっても「メーサー・マーチ」だと私は思います。
アレンジの仕方にもよりますけどね。
残念ながら『シン・ゴジラ』では使われていませんでしたが。


「メーサーマーチ」伊福部昭/作曲   「自衛隊マーチ」小六禮次郎/作曲  「Gフォースマーチ」伊福部昭/作曲



『シン・ゴジラ』のエンド・クレジットに記されていた伊福部昭の音楽は、
『ゴジラ』『キングコング対ゴジラ』『メカゴジラの逆襲』『宇宙大戦争』『三大怪獣地球最大の決戦』『怪獣大戦争』『ゴジラVSメカゴジラ』となっていました。

どれがどこで流れていたか、はっきり覚えていないけれど、もちろん伊福部昭の音楽だということはすぐにわかりました。
それ以外の音楽はすべて、鷺巣詩郎作曲です。

『シン・ゴジラ』の音楽を代表して、『怪獣大戦争マーチ』を上げておきます。


『怪獣大戦争マーチ』





そして理由の3つ目は、「東宝自衛隊」の活躍!
違憲だとかなんだとか、自衛隊がボロクソに言われていた時代にも、
東宝映画のスクリーンの中では、自衛隊は怪獣たちを相手に日本を守って戦っていました。

ゴジラが子供だましに成り下がり、シェーしたりするのを「けッ!」と言って横目で見ながらも、
怪獣と戦う東宝自衛隊をぼくらは応援していました。

いったいこれまで、何千何百人の東宝自衛隊員たちが怪獣との戦いで殉職してきたことでしょう!
かれらを慰霊するために、「シン・ヤスクニ招魂社」を建ててやりたいくらいです!


ところで『シン・ゴジラ』の公式記録集『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』、いったいいつ発売されるんでしょうね?
最初はたしか8月29日のはずが、9月下旬に延期され、さらにまた11月3日(ゴジラの日)に延期になったとか。
わたしはすでに予約済みですが、庵野監督がこだわりぬいて次々に資料を追加するものだから、
どんどん発売日が伸びてるらしい。

まだ、予約が間に合いそうです。


ジ・アート・オブ・シン・ゴジラジ・アート・オブ・シン・ゴジラ
カラー、東宝

グラウンドワークス 2016-11-03
売り上げランキング : 30

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
posted by ミロ at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | わが映画

2016年09月24日

ゴジラはなぜ、東京を襲うのか?





前回の続きです。

ゴジラが登場して以来、「怪獣映画」というジャンルが確立され、たくさんの映画が作られましたが、
なぜかみな怪獣は「日本」を、それもかなりの確率で「東京」ばかり襲うことに、早くから疑問符が付けられてきました。

そもそもゴジラは、なぜ「東京」に来襲したのでしょうか?

製作者も、監督も、脚本家も、物語上のもっともらしい理由は用意していたと思います。
それらはいわば「表層の理由」と呼んでもいいでしょう。
それらをまったく知らずに『ゴジラ』という映画を見たときに、
当時の観客たちはどのように感じていたのだろうか?

水爆を象徴するような大怪物が、大都市・東京をぶっ潰して暴れまわる!(製作者・田中友幸のことば)
つまり、そういう映画であり、それだけの映画なのですが、
その破壊するものと破壊されるものの姿に「何を見るか」は、その時代特有の経験によって違って見えるはずです。

当時の観客たちは、東京大空襲や広島・長崎への原爆攻撃など、わずか十年足らず前に祖国の大都市が実際に滅びた姿を、重ねて見たのではないでしょうか?
映画の中に、それを思わせる描写はたくさんあります。

とすれば、この東京を破壊しまくるゴジラとはいったい何者なのか?


ゴジラは、作中では、志村喬演じる山根博士という動物学者によって、
ジュラ紀から生き延びている海棲爬虫類から陸棲獣類へと進化過程のものが、
度重なる水爆実験によって棲家から追い出されて来たものだろうと推測されています。

昭和29年3月、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験によって、
日本の遠洋まぐろ漁船・第五福竜丸が被爆し、死者まで出すという事件に、日本中が騒然としました。
広島・長崎に続く放射能による犠牲者が、戦後十年足らずの日本に出たのでした。

グーグル・アースで「ビキニ」を検索すると、こんな映像を見ることが出来ます。

ビキニ002.JPG

まさに「環礁」ですね!

日本からははるか南方、地図で見ると、近くにウェーキ島があったりして、
まさに太平洋戦争で日本人が激戦を繰り広げた海域だということがわかります。
こんなところからゴジラは、日本の東京までやって来たというのです!

ビキニ001Z.jpg





民俗学者・赤坂憲雄は、次のようなことを書いています。

  映画『ゴジラ』が誕生したのは、敗戦から九年あまりのちの、一九五四年の秋のことである。その、はじめてのゴジラ映画について、三島由紀夫が好意的な評価を与えていたという話を、年若い友人から聞いたことがあった。とても気になっていた。あの三島由紀夫が、『ゴジラ』などという大衆映画に共感を示すなんてことが、一体あるものだろうか。半信半疑だった。
 ところが、最近になって、映画『ゴジラ』と三島の小説『英霊の声』が思いがけず、ある位相にあっては生き別れの双子の兄弟のようによく似ていることに気付いた。
(赤坂憲雄「『英霊の声』は天皇制への猛き獣(ゴジラ)の吼声だった。」STUDIO VOICE 1991年2月号)


『ゴジラ』と三島の小説『英霊の声』がよく似ているとは、どういうことなのでしょう?

いま一度、ゴジラの進撃コースを想い出していただきたい。

 ゴジラは東京に襲来し、廃墟となるまで踏み荒らす。銀座のデパート街を襲い、国会議事堂を破壊し、皇居の周囲をあてどなく巡ったすえに、不意に背を向けて、ゴジラはふたたび南の海へ還ってゆく。

第一作の『ゴジラ』から、通算で第二十九作に当たる『シン・ゴジラ』に至るまで、
「…ゴジラ映画は、たったひとつの例外もなしに、天皇の棲まう皇居を破壊するゴジラを産みだすことができずにきた。ゴジラはどれほど不条理な怪獣にみえようとも、恨めしげに皇居を眺めることしか許されない。」

赤坂は、「『ゴジラ』は第二次大戦で南の海に死んでいった兵士たちへの鎮魂歌ではないのか」という評論家・川本三郎の説を支持しつつ、次のように指摘しています。


 川本は『ゴジラ』のなかに、南太平洋に死んでいった兵士たちと天皇との対峙の構図を見た。たぶん、それは『ゴジラ』という映画の無意識に届いているにちがいない。『ゴジラ』はその全編が、鎮魂と祈りの声に満たされている。癒やしがたい戦争の傷を負った一人の化学者が、まるで人間魚雷か神風特攻隊のように、みずからの命を贖(あがな)いにすることで、ゴジラという災厄は祓われる。『ゴジラ』は鎮魂の映画だった。


赤坂は、ゴジラの姿に「戦争末期に南の海に散っていった若き兵士たちの、ゆき場もなく彷徨する数も知れぬ霊魂の群れ」を見ます。いまも皇居に棲まう彼らを死に赴かせた神である御方だけが、かれらの魂鎮(たましず)めをすることができる。
つまり、ゴジラが東京に襲来する理由は、そこに皇居があり、昭和天皇がいるからだというわけです。

しかし、すでに天皇はいわゆる「人間宣言」をしてしまっており、もはや、皇居におわするのは、魂鎮めの霊力さえも失ってしまったひとりの「人間」であるにすぎません。

それゆえに、ゴジラの、つまり南の海に散った若き兵士たちの霊を慰め、鎮めるのは、もはや天皇ではありえないということになります。
ゴジラは、ふたたび南海に去るよりほかになかったのです。

ちなみに、「癒やしがたい戦争の傷を負った一人の化学者」とは、芹沢博士のことです。
芹沢博士は山根博士の弟子なので、もともとは生物学者だったと思うのですが、なぜかオキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊剤)なる水爆に匹敵するような破壊兵器を作り出してしまっています。
彼は先の戦争で顔面に傷を負い、右目に黒い眼帯をし、右頬にはケロイドが見えます。水爆を浴びたとされるゴジラと、対をなす存在として設定されています。

芹沢は、オキシジェン・デストロイヤーをゴジラ退治に使ってしまうと、核と同じように世界中に広まることを恐れ、いっさいの開発記録を燃やした上で、みずからオキシジェン・デストロイヤーを持ってゴジラが潜む東京湾にもぐり、ゴジラごと海中に溶解する運命を選びます。


戦争の傷をかかえて隠棲の途をえらんだ化学者が、みずからの命を贖いとしてささげることで、かろうじて一九五四年の浮遊せる死者たちは鎮められた。しかし、まったく鎮魂が果たされたわけでは、むろんない。


さらに、赤坂のつぎの指摘は、現在に至るゴジラ映画を取り巻く状況をも射抜いているという点で、特に重要だと思います。


 ゴジラは何度でも、繰り返し列島に襲来するだろう。そうして、いつしかゴジラが何のために襲来するのかなど、跡形もなく忘却されて、映画の『ゴジラ』だけがいたずらに反復される時代がやって来る。
 三島由紀夫の『英霊の声』は、だからこそ書かれねばならなかった。その、昭和天皇に突きつけられた刃はしかし、玉体には届かなかっただろう。三島は結局、みずからの肉体を生け贄として供犠の庭にささげるほかなかった。


赤坂は、三島由紀夫の自決の深層に、みずからの死とともにゴジラを葬ることを決意した芹沢博士に通底する心的構造を認めています。

さて、それでは、三島由紀夫の『英霊の声』とは、どんな小説なのでしょう?





ある嵐の夜に、帰神(かむがかり)の会が開かれます。
審神者(さにわ)をつとめる木村先生、霊媒の神主である盲目の川崎青年、そこに「私」とN氏が出席しています。
この小説は「私」による、この日に起きたことの「能うかぎり忠実な記録」という形をとっています。

木村先生の吹く石笛(いわぶえ)の音とともに、川崎青年に霊が降りて来て、

われらは裏切られた者たちの霊だ。

と川崎青年の口を借りて、神語り始めます。
降りて来たのは、二・二六事件で義軍を起こしながら、反乱軍という汚名を着せられて殺された青年将校の霊でした。


神集うのはわれらの同志のみではない。時には幾千幾万、何十万のつはものの霊が相見(まみ)え、今の世の汚れをそしる戯れの歌に声を合はせる。しかしその声さへ、人々の耳にもはや届かぬことをわれらは知ってゐる。この日本をめぐる海には、なほ血が経めぐってゐる。かつて無数の若者の流した血が海の潮の核心をなしてゐる。それを見たことがあるか。月夜の海上に、われらはありありと見る。徒(あだ)に流された血がそのとき黒潮を血の色に変へ、赤い潮は唸り、喚(おら)び、猛き獣のごとくこの小さい島国のまはりを彷徨し、悲しげに吼える姿を。

赤坂は、南太平洋に散っていった数も知れぬ若者たちの霊が「幽」の世界(目に見えない霊的世界)に属するとすれば、ゴジラは神語りのいう「猛き獣」を「顕」の世界(目に見える現実の世界)に表出したものではないか、と指摘します。
こういうパースペクティブで眺めたときに、『ゴジラ』と三島の『英霊の声』は、驚くほど似ているように見えるわけです。

二・二六の青年将校の霊は、天皇への至純の恋を神語りしたあと、呪詛の言葉を残して去っていきます。

 などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。

天皇はどうして人間になってしまわれたのか!

 そのあとには、第二の霊があらわれる。われらは戦の敗れんとするときに、神州最後の神風を起こさんとして、命を君国にささげたものだ、と第二の神語りはいう。神風特攻隊の英霊であった。死はいつもわれらの眼前にあり、人々はわれらを生きながらの神と呼んだ、と霊はいう。われらは神なる天皇のために、身を弾丸となして敵機に命中させた、ところが、そのわずか一年後に、陛下は「実は朕は人間であった」と仰せいだされた、われらは裏切られた……

そして、繰り返される呪詛のことば!

 などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。


荒れ狂う神霊たちは、入れ替わり立ち代わり、川崎青年の口を借りて、あるいは怒鳴り、あるいは言葉として聞き取れぬ発声をなし、あるいは歌い、川崎青年の肉体を打ちのめします。ついに川崎君は、仰向けに倒れ、動かなくなってしまいます。

 木村先生が川崎君をゆすり起こそうとされて、その手に触れて、あわてて手を離された。何事かを予感した私どもはいそぎ川崎君の体を取り囲んだ。盲目の青年は死んでいた。
 死んでいたことだけが、私どもをおどろかせたのではない。その死に顔が、川崎君の顔ではない、何者とも知れぬと云おうか、何者かのあいまいな顔に変容しているのを見て、慄然としたのである。


こうして『英霊の声』は終わります。
川崎君の死に顔にあらわれた「何者かのあいまいな顔」とは、そう、神であらせられるべきときに「人間」にましました、あの方の顔なのでした。

川崎君を殺した荒ぶる霊魂たちが、目に見える形で解き放たれたのがゴジラなのではないか、というわけです。
昭和29年版『ゴジラ』を見た当時の観客たちの無意識には、それを感じとるだけの歴史的感性があったろうと思います。





三島は、昭和天皇は二・二六事件のときと戦後の「人間宣言」において、この二回だけはもっとも神であらねばならないときに、「人間」となる過ちを犯してしまったとして、鋭く切り込んでいます
天皇は二・二六において、義軍を義軍として認めず殺したことによって、日本の軍隊──「皇軍」そのものを殺してしまった。皇国の大義が崩れてしまった。軍の魂が失われてしまった。
また戦後、朕は神ではなく人間だと言うことによって、膨大な数の神のために死んでいった者たちの霊は、神界にありながら祀られるべき社もなく、いまも安らうことなく彷徨している。国の魂が失われてしまった。

三島の「道義的歴史観」とでも呼ぶべき歴史観によって語られる、戦前〜戦後の「国史」は、西洋のキリスト教の位置に日本の皇道を対置せんとする彼の激しい恋情の発露と、神学と呼びたいような論理の切れを見せて、あらためて読んでみてもきわめてスリリングです。
しかし、きょうは『ゴジラ』を語るときなので、『英霊の声』については他日を期して、これ以上踏み込まないでおきます。


赤坂が「遅れてきた芹沢博士」だとする三島は、
昭和45年11月25日、自衛隊の市ヶ谷駐屯地のバルコニーで、下に蝟集せる自衛隊員に向かって、自衛隊を否定する憲法改正のために蹶起するよう呼びかけました。
誰もともに立つ者がいないことを見届けると、三島は総監室に引き返し、短刀でみずからの腹をかっさばき、楯の会学生長・森田必勝(25歳)に託した日本刀・関の孫六の介錯によって、首を総監室の床に落としました。

この命を手玉に取ったパフォーマンスは、三島由紀夫が愛する日本に残した最後の芸術作品だったのだと思います。





その時撒いた「檄文」が残されています。


(前略)
 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿であるといふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ党利党略に利用されることではない。
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になってどこへ行かうとするのか。
(中略)
アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。
 われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかし、あと三十分。最後の三十分待たう。共に起って義のために共に死ぬのだ。
 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶっつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまりこの挙に出たのである。
        昭和四十五年十一月二十五日  楯の会会長 三島由紀夫



青年の心のまま死んだ人なんだな、自決時は45歳だったけれど。

中学生だった私は「ミシマ、ハラキリ」の報道に衝撃を受け、これを報じた日の新聞を切り抜き、スクラップ・ブックに貼り付けて保存しました。

三島がなんで死ななければならなかったのか、当時の私にはまるでわかりませんでした。ただ、これは残しておかねばならない大事なことだ、という直観だけがありました。

私が産まれて初めておこなった「スクラップ」でした。この青い表紙のスクラップ・ブックは、いまも大事に私の本棚に並んでいます。
                                         (つづく)

<参考文献>
『STUDIO VOICE』特集=再考三島由紀夫の檄(1991年2月号、株式会社インファス)
三島由紀夫『英霊の聲』(1990年、河出文庫)




posted by ミロ at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | わが映画

2016年09月23日

『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』進撃コースの比較

前回の続きです。

昭和29年版『ゴジラ』では、ゴジラは小笠原諸島のうちの何処かにある大戸島に現れ、民家を破壊して去ります。
その後ゴジラは、突如品川の海岸線から本土に上陸し、操車場を破壊し、品川駅構内に進入、品川駅に向かって走る急行列車がゴジラの足に衝突し、転覆する名シーンとなります。
ゴジラはそのあと、八ツ山鉄橋を持ち上げ、大地に叩きつけて破壊すると、再び海へと戻っていきました。

ゴジラ対策本部が立ち上げられ、東京湾全域の海岸線に、5万ボルトの電流が流れる高さ30m,幅50mの有刺鉄条網が首都防衛線として構築されます。防衛隊本部から出動する戦車や大砲、重機部隊や、避難する住民がドキュメンタリー・タッチで描かれ、作品のリアリティを支えています。

ゴジラが再び、芝浦海岸から上陸し、鉄条網へと接近します。ゴジラが鉄条網に触れてスパークし大きな火花が飛び散るや、防衛隊の戦車や重砲、機関銃が斉射を浴びせます。

鉄条網を突破したゴジラは、田町駅前〜三田方面〜新橋〜銀座尾張町と進み、松坂屋を放射能火炎で炎上させ、和光ビルの時計塔を破壊します。映画公開後、松坂屋から「縁起でもない」と猛抗議された話は有名です。

さらにゴジラは、晴海通りを有楽町へと進み、永田町では国会議事堂を踏みにじり、平河町のテレビ塔をそこで実況中継しているアナウンサーごとなぎ倒します。報道スタッフが自分たちの死に様を実況中継しながら地面に叩きつけられていく描写は、円谷特撮の見せ場でもあります。

地図を見ると、ゴジラが進むすぐ右手の奥には、お堀を隔てて皇居がありますが、
ゴジラは皇居の周りを時計回りにぐるっと廻るような進路を取り、上野〜浅草を経て、隅田川を南下し、東京湾へと去っていきました。


昭和29年版『ゴジラ』マップ
G-MAP001z.jpg
(画像はクリックすると大きく出来ます。大きくしてご覧ください。)


以上が、昭和29年版のゴジラの進路の概要ですが、つぎは『シン・ゴジラ』の進路を見てみましょう。

『シン・ゴジラ』においてゴジラは、最初に羽田沖に現れ、巨大な水蒸気の柱が目撃されます。さらに東京湾横断道路・アクアトンネルが原因不明の浸水し、ついに浮島沖で巨大な尻尾が現れます。東京湾の各所で起こった事故が、謎の巨大生物が原因だとわかると、首相官邸地下の危機管理センターでは、対処方法が話し合われます。 

この東京湾内にあった頃のゴジラは、「第一形態」と呼ばれます。全身がはっきりと映ることはないのでその形状は謎なのですが、どうやら、オタマジャクシに似た形状をしているようです。
今回のゴジラって、両生類? ‥‥通常の生物学的分類にはおさまらないところに、ゴジラのゴジラらしさがあるのでしょう。

ゴジラは橋梁や船舶を破壊しながら、呑川(のみがわ)を遡上していきます。
大河内首相が記者会見を開き、「巨大生物の上陸の心配はない」と語っているその時に、ゴジラは田に上陸します。上陸したゴジラはさらに、品川方面へと進行していきます。

この上陸したての頃のゴジラは「第二形態」とされます。尖った胸郭と後ろ足が発達した形状が特徴です。
ゴジラは、急速に変態を繰り返しながら進化してゆき、東京の市街地を突き進んでいきます。

品川湊に達したゴジラは船付場付近で突如停止し、体を立ち上がらせると、腕が形成され、陸上生活に適応した「第三形態」へと変貌を遂げます。
二足歩行で、八ツ山橋方面へとゴジラは歩き出し、京浜運河を経て、東京湾へと帰って行きました。


『シン・ゴジラ』初回上陸マップ
シン-G初回MAP.jpg


再びゴジラが相模湾に出現したとき、ゴジラはさらに巨大化した姿であらわれ、鎌倉市に上陸します。さらに進化した「第四形態」です。ゴジラはそのまま北上し、東京方面へと向かいます。
大河内首相は、多摩川をゴジラの東京侵入を防ぐための絶対防衛線とさだめ、F2戦闘機、戦闘ヘリAH-1Sコブラ、攻撃ヘリAH-64Dアパッチ・ロングボウ、機構科と特科大隊を丸子橋緑地に布陣して、ゴジラを迎え撃つ「タバ作戦」を開始します。


『シン・ゴジラ』予告



自衛隊の猛攻を受けるも、ゴジラはついに多摩川を越え、東京都内に入ります。絶対防衛線はあっさりと破られ、大田区、世田谷区、目黒区を横断し、ゴジラは新橋駅に至ります。
米軍の爆撃機B-2がゴジラ攻撃のために大挙して接近するも、ここでゴジラはさらに体を変形させ、背中の割れ目から破壊光線を放射し、全機を撃墜してしまいます!

この破壊ビームは、銀座の和光、松坂屋をも、真横に真っ二つにしてしまいます。
初代ゴジラが破壊した和光と松坂屋です! ついに『シン・ゴジラ』は、昭和29年版『ゴジラ』と舞台が重なってきました!

ゴジラは東京駅構内へと侵入し、最終決戦である「ヤシオリ作戦」が始動します。動きを止めたゴジラを新幹線爆弾で叩き起こし、大量の無人機(ドローン)を囮(おとり)に使って、ゴジラに破壊ビームを放射させ、エネルギーを枯渇させる作戦に出ます。つぎに無人在来線爆弾でゴジラを横倒しにし、さらにビルを倒壊させてゴジラの動きを封じ込めたところへ、多数のポンプ車が続々と集まり、ゴジラの口の中へ血液凝固剤と細胞膜の活動抑制剤を流し込みます。


『シン・ゴジラ』再上陸マップ
シンG再上陸MAP101.jpg


ちなみに「ヤシオリ」とは、日本神話で、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するときに用意させた強い酒、「ヤシオリの酒」を意味しています。ゴジラをヤマタノオロチに見立て、ゴジラに注入する血液凝固剤を「ヤシオリの酒」に見立てたわけです。

そもそも『ゴジラ』とは、洋の東西を問わず古くから伝承されて来たドラゴン退治英雄伝説の一変種とも読めるわけで、ドラゴンを退治する英雄が、『ゴジラ』では芹沢博士という悲劇の科学者であったのに対し、『シン・ゴジラ』では、矢口蘭堂・内閣官房副長官という政治家になっています。

政治家が英雄ねえ、‥‥ 現在の日本では、正直言って有り得ないと思います。
私が盛り上がることのできない理由というのは、ここなんだよね!
『シン・ゴジラ』一番のファンタジーであり、最大の「虚構」ではないですか?


東日本大震災の経験により、科学者がもう全幅の信頼が置ける存在ではなくなってしまった、ということも指摘しておくべきでしょうね。
これまでのゴジラ映画のようには、『シン・ゴジラ』では科学者は中心となって活躍しておりません。
時はやはり流れたのです。 

本土決戦となったら、東日本大震災の時の政権党だった民主党のようなザマじゃあ、日本は滅びてしまいます。
どうも日本人が考えているシヴィリアン・コントロールっていうやつは、どこかが間違っているのではないか?
いまの日本の国家体制・防衛体制が映画のような状態だとしたら、これはどんな戦争にも勝ち目はないな。
ゴジラに勝てないのは、最初から目に見えている、とも言える。
‥‥ふと、そんな不安がよぎる映画でも有りました。

それはゴジラの東京襲撃が、中国や北朝鮮による攻撃のメタファーに見えてしまったからです。
現行の憲法のもとでは、「戦争」が始まるときはいつだって、ゴジラに襲われるのと同じように、
「本土決戦」から始まらざるを得ないからです。

太平洋戦争では「本土決戦」は、戦争の最終局面において行われるものでしたが、
先制攻撃を認めない現行憲法のもとでは、戦争の始まりがすなわち本土決戦とならざるを得ません。
こんな国民の生命を無視した憲法のもとで、本当に国民の生命や財産が守れるのか?
ゴジラに蹂躙され、破壊されまくる東京を見て、暗澹とした一瞬が確かにありました。


ゴジラ進化第4形態
シンゴジラz002.jpg

(つづく)

<参考文献>
『シン・ゴジラ』映画パンフレット(2016年)
『円谷英二の映像世界』(1983年、実業の日本社)




posted by ミロ at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | わが映画

『シン・ゴジラ』を観て来た!(ネタバレあり)

『シン・ゴジラ』、8月2日に観て来ました!
感想を書きかけたまま、仕事に追われ、
またお盆は来るやら、リオ・オリンピックは始まるやらで、
更新できないまま、とうとうここまで来てしまいました。

まあ、「いつもどおり」といえば、それまでですが(笑)。


シン・ゴジラz001.jpg
(画像はすべて、クリックすると大きく出来ます。)


‥‥その間に、いろいろな人がいろいろな感想を述べているのに接しましたが、
『シン・ゴジラ』の「リアルさ」がやはり一番の話題になっていますね!


わたしもまた、この映画を見に行く決心がついたのが、
庵野監督が行政機関や自衛隊に、ゴジラを迎え撃つとしたら創作した作戦が理に適っているか? どういう装備をどこに配置してどういう攻撃をするか? 中央指揮所や前線指揮所の機能や内装、やり取りをする際の専門用語や言葉使いなど、
詳細に渡る質問状を出して、その回答からストーリーを組み立てていった、ということを聞いたためでした。
「よし! シン・ゴジラはイケる!」と判断し、ようやく重い腰を上げました。

結果は‥‥期待を裏切らない出来栄えでした!
ただ、その割には盛り上がることができない自分がいたりします。


いきなり昭和29年(1954年)版『ゴジラ』(第1作)の伊福部昭によるメイン・テーマが流れ、昭和29年版『ゴジラ』と同じように始まりました。
TVの予告編では、いっさい伊福部音楽は使われていなかったので、
「むふふ。そう来たか!」と、冒頭からこれから始まる映画への期待感がたかまりました。

『シン・ゴジラ』のストーリーって、「リ・メイク」と呼ぶのがふさわしいような、
昭和29年版『ゴジラ』のストーリー構成を忠実になぞっているのを感じました。

『シン・ゴジラ』は、第1作『ゴジラ』を、状況設定はそのままに現代日本に置き換えたらどうなるか? という実験だったのではないかと思いました。 

物語は「初期化」され、第28作までのゴジラシリーズの物語はいっさいなかったことになっており、昭和29年版『ゴジラ』と同じ位置からスタートしています。
ただ、そのあいだには、62年という時間の位相が存在しているわけですが。


『シン・ゴジラ』と『ゴジラ』(昭和29年版)の比較



ゴジラによって破壊された街の情景は、『ゴジラ』では空襲による焼け跡のイメージなのに対し、
『シン・ゴジラ』では東日本大震災時の津波に襲われた後のイメージになっていますね。

当然時代が違いますから、迎撃する自衛隊の兵器も、現代の最新装備になっています。
10式戦車、99式自走155ミリ榴弾砲、F2戦闘機、戦闘ヘリAH-1S、AH-64Dなど、日の丸空母「いずも」もちらっと顔を見せています。
そこらへんも『シン・ゴジラ』の見どころの一つです!

いっぽう昭和29年版『ゴジラ』ですが、ゴジラを迎撃するのは、
M24チャーフィー戦車やジェット戦闘機F86Fセイバーですが、
それらはみんな米軍からの供与品でした。

『ゴジラ』の封切り日は11月3日でしたが、自衛隊はその年の7月1日に発足したばかりでした。
映画では「防衛隊」という名で登場しますが、残念ながら戦闘能力が見劣りするのは否定できません。
それでも自衛隊(防衛隊)は勇敢に戦い、都民をゴジラから必死に守っています!


日本戦車変遷史



F86Fセイバー
今日もわれ大空にあり [東宝DVDシネマファンクラブ]
『今日もわれ大空にあり』 昭和38年(1964年) 東宝
航空自衛隊パイロットたちが、幾多の試練を経て成長していく姿を描いた航空映画。


昭和29年版『ゴジラ』に登場する発足ゼロ年の自衛隊が相手をするゴジラは、体長50mでしたが、
『シン・ゴジラ』ではシリーズ最大の118.5m、約60年間で倍以上の大きさになりました。
東京の建築物の高層化が進み、それに負けじとゴジラも巨大化しているようです。
                                          (つづく)



posted by ミロ at 01:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | わが映画

2016年09月11日

第26回 定禅寺ストリートジャズ・フェスティバルはビールが美味かった!

26th JSF.JPG
(画像はすべて、クリックすると大きく出来ます。)


ことしもJSF(定禅寺ストリートジャズフェスティバル )がやって来ました!
ことしは9月10日・11日の2日間です。

さっそく私も昨日行って参りました!
寅さん風に言うと、「ネオン、ジャンズ高鳴る仙台」へ!

じっさい、県庁前の勾当台公園から市役所前の市民広場へ行く交差点に立つと、
前方と後方から、大音量のフォー・ビートが、ビルの空に響き渡っています!
仙台の市街地が、まるごとジャズの洪水に浸されるのを味わうことが出来ました。

定禅寺ジャズ014.jpg
定禅寺通り

今年は昨年とはコース順を変えて、
まずゆっくりと仙台駅から名掛丁クリスロードを通って、
一番町通りをたどり、偵察がてら定禅寺通りまで行ってみました。

昨年はさらに西公園まで足を伸ばしたのですが、
そのせいで足がやられてしまったので、
今年は温存策をとって、定禅寺通りまででやめておきました。

ここの「夏の思い出像」のところのPAが一番聴き応えあるので、
ミニマムで行くと決めたら、これで十分です。

すぐ近くに市民広場もあるので、ここを往復するだけで、
満足の行くを体験することができました。

とはいえ、他の場所の演奏も気にはなります。
それにちょうど昼時だったし、ここは昨年と同じく、「志のぶ支店」でチャーシュー麺を食べるために
仙台駅裏までぐるっと迂回して戻りました。

味に満足して、そのまま東の果て、榴ヶ岡公園へ!

定禅寺ジャズ002.jpg
榴ヶ岡公園・噴水広場

ことしは噴水広場の会場へ足を運びました。
昨年は、なにやら大音量のロックっぽい音楽が遠くまで聞こえていたので、
遠慮しておきましたが、
ことしはThe Hobosが、雰囲気満点のブルースを聴かせてくれました。

定禅寺ジャズ001.jpg
The Hobos

けっこう暑い日だったので、噴水の水飛沫が爽やかに感じました。

公園中央にひろがる広大な芝生の上では、親子連れが思い思いに遊んでいました。

定禅寺ジャズ003.jpg

ここを突っ切った向かい側に、もう一つのステージ、「憩いとにぎわいの広場」があります。
売店のテントが立ち並んでいるのが見えますが、ステージはそのさらに向こうです。
何やらよさ気な音が聞こえていたので、芝生を突っ切って覗きに行きました。

定禅寺ジャズ004.jpg
Swingin' Devils Jr. Band

Swingin' Devils Jr. Bandのステージは、
1920年代から90年代までの代表的なジャズナンバー──デキシーランドから、サッチモ、デューク・エリントン、カウント・ベイシーなどの曲をメドレーで聞かせてくれました。
ジャズの歴史を短時間のうちに味わえる、とても良い企画だと思いました。
こういうテーマをしっかり持ったショーは有りだな。

このころすでに、かなり渇きを覚えていて、ビールは売ってないか、きょろきょろ売店を見回したんですが、
残念ながらコーラやラムネしか売ってないようでした。

がまんしてSwingin' Devils Jr. Bandのステージを最後まで見てから、
ビールを求めて勾当台公園まで戻ることにしました。


定禅寺ジャズ008.jpg
鉄砲町付近の国道45号線


仙台駅の東側はすっかり再開発されていて、
大通りは完全に無電柱化が行われていました。
裏通りに一歩入ると、昔通りの電信柱の風景が残ってはいるんですけどね。

ことしはけっこうビルの裏通りの道を選んで移動したため、
仙台という都市の裏表の顔をたくさん目にすることが出来ました。
いやあ、都会の建築物というやつは、工夫が凝らされていて面白いですね!

橋の上から眺めた、両側を高層建築にはさまれた線路の風景とか、
ふだん田舎生活では見られないものが物珍しくて、久びさにお上りさん気分を味わいました。(笑)

人混みが苦手で、イベント時の来仙は避けがちだったんですが、
今回はなぜか人混みにほっとするところがあって、
自分でもどうした心境の変化だろう? と、不思議ではあります。

音楽が、──それも大好きなJAZZが溢れている街というのは、格別でした。
JAZZが流れる都会というのは、やはり絵になります。

振り返ってみると、わたしがJAZZに惚れ込むようになったのは、
「知らず知らずのうちに」というのが正直なところです。
なししろアニメ『エイトマン』などのBGMにしてから、クールなジャズでしたから、
自然とジャズ=都会という認識が出来上がっていったようです。

一時期オーディオに凝ったことがあって、
再生音の「音のつぶて」に衝撃を受けてから、
ジャズ音楽を意識し始めました。

いまはなくなってしまいましたが、仙台の有名なジャズ喫茶「カウント」にも何度か行ったことがあります。

でも、それほど音楽マニアだったわけではなく、
むしろ私の場合は、映画音楽からそこで使われている音楽に興味をもつことが多かった気がします。
『野獣死すべし』
『蘇える金狼』
『最も危険な遊戯』
『殺人遊戯』
『処刑遊戯』などの、松田優作主演の映画で聞いた劇伴ジャズが忘れられず、レコードを集めていました。
おもに大野雄二の作品群ですね。
これらがきっかけとなって、いっそうはっきりと、
「ジャズっていい!」と想うようになったのは否定できません。


『最も危険な遊戯』1978年 村川透監督 大野雄二音楽


『野獣死すべし』1980年 村川透監督 たかしまあきひこ音楽


『蘇える金狼』1979年 村川透監督 ケーシー・ランキン、トッシュ音楽


『ルパン三世』のアニメ音楽を聞いた時、どこかで聞いたような? と思っていたら、
遊戯シリーズで使われていたフレーズを随所に発見しました。
作曲が同じ大野雄二ですから、何の不思議もなかったわけです。

これに開高健経由で「酒」に探究心?を抱くようになったのだから、もう病膏肓です。(笑)
酒とジャズ、もう鉄壁ですね!

定禅寺ジャズ016.jpg
勾当台公園・滝前

勾当台公園に戻ってくると、ここにはしっかりキリンビールの大きな出店があります。
もうのどがからからで、キリンの生ビール(¥500)を流し込むと、ほんとによく冷えていて生き返りました!

ふたたび「夏の思い出像」前に戻ってみると、何やら迫力のある音がしていました。
TBC東北放送の生中継中だったようです。

外山喜雄とデキシー・セインツの面々が、
迫力満点のデキシーを聞かせてくれました。

放送中も素晴らしかったですが、放送終了後、さらに30分ほど演奏を続けて、
われわれ観客をめいっぱい楽しませてくれました。

東京ディズニーランド開園当時、1995年から2006年まで出演していたそうで、
ディズニー・ナンバーも聞かせてくれる大サービスぶりでした。

やっぱりプロは、音の切れが違うなあ!と感心してしまいました。
流石にベテランの風格で、今日聞いた中では随一でしたね。

定禅寺ジャズ018.jpg
外山喜雄とデキシー・セインツ

そのあと市民広場にもどり、6時頃まで聞いて、家に帰ることにして仙台駅に向かったのですが、
裏通りを歩いて行くと、なにやら見た顔の人たちがワゴン車から降りてきました。
外山喜雄とデキシー・セインツの面々でした。
ステージ衣装は着替えてしまっていましたが、ついさっきまで見ていたのですぐに気が付きました。
みんなで「かに政宗」に入って行きました。
どうやら打ち上げはかに料理だったようです。

今日演奏したバンドの皆さんもみな、それぞれ仙台の街のあちこちで、
快い疲労とともに打ち上げをしていることだろう。

いい一日だったな。


シンゴジラ1121.jpg
仙台駅夕景





タグ:JSF
プロフィール
ミロさんの画像
ミロ
園芸愛好家で、庭作り・寄せ植え・ハンギングバスケット作りに精を出しています。茸狩り、山菜採り、鉱物採集が趣味で、その成果を追々紹介していきたいと思ってます。あなたのガーデニング・ライフの参考になれればいいな。
プロフィール
カテゴリアーカイブ
最新記事
月別アーカイブ
2022年07月(1)
2022年06月(1)
2021年08月(2)
2021年07月(2)
2020年11月(2)
2020年10月(1)
2020年08月(1)
2020年07月(2)
2020年06月(3)
2020年04月(2)
2020年03月(2)
2019年11月(1)
2019年10月(2)
2019年08月(2)
2019年07月(1)
2019年06月(1)
2019年04月(1)
2019年01月(1)
2018年12月(2)
2018年11月(1)
2018年08月(1)
2018年07月(2)
2018年02月(2)
2018年01月(2)
2017年11月(1)
2017年10月(1)
2017年09月(1)
2017年07月(1)
2017年05月(2)
2017年04月(4)
2017年02月(2)
2016年12月(1)
2016年11月(2)
2016年09月(5)
2016年06月(1)
2016年05月(1)
2016年01月(2)
2015年12月(1)
2015年11月(2)
2015年10月(3)
2015年09月(5)
2015年08月(4)
2015年07月(5)
2015年06月(2)
2015年05月(2)
2015年04月(3)
2015年03月(4)
2015年02月(3)
2015年01月(1)
2014年07月(3)
2014年06月(2)
2014年03月(1)
2012年04月(1)
2012年01月(1)
2011年11月(1)
2011年10月(1)
2011年09月(3)
2011年08月(7)
2011年07月(11)
2011年06月(7)
2011年05月(6)
2011年04月(6)
2011年03月(7)
2011年02月(1)
2011年01月(8)
2010年12月(6)
2010年11月(5)
2010年10月(3)
2010年09月(3)
2010年07月(1)
2010年06月(1)
2010年05月(2)
2010年04月(1)
2010年02月(1)
2010年01月(3)
2009年12月(1)
2009年11月(3)
2009年10月(2)
2009年09月(1)
2009年08月(1)
2009年07月(3)
2009年06月(6)
2009年05月(2)
2009年02月(2)
2008年10月(1)
2008年09月(3)
2008年08月(4)
2008年07月(8)
2008年06月(5)
2008年05月(5)
2008年04月(8)
2008年03月(7)
2008年02月(5)
2008年01月(3)
2007年12月(4)
2007年11月(19)
ミロのおすすめサイト
21世紀日記
にこまる脳内整理・整頓術!超かん たん図解で頭のもやもやすっきり解消
戦国マニア.com
元DIYストアバイヤー小津のDIYグッズ目利きブログ
松岡正剛の千冊千夜
タグクラウド
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。