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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年11月22日
龍馬伝47話を見て
龍馬伝。

大政奉還でしたね。

勝海舟の突然の来訪とか新撰組に斬りかかられる所とか…。

フィクションはふんだんに入ってましたが…。

この龍馬伝って私的には「ああ、フィクションやな」とか、「ちょっと龍馬をいいものにしすぎやろ」といったある意味ななめに見る形と、「ほう、こういう解釈か」とか、「成程なぁ」と言った味方の、両面から見ていました。

ある意味冷めて見ていた部分と、惹きこまれるように見ていた部分の両極端がありましたね。

そんな中でも今回の大政奉還は特に「ほう!!成程成程」と思わされました。

要は、大政奉還って真剣に掘り下げて考えた事のない自分に気づかされました。

今までの私的な大政奉還の考え方は、「どうせ大政奉還をしたってちゃんと政治を出来る奴なんかいないので、結局は徳川家が政治をする事になる」という打算や、「戦争を避け、徳川家を存続させるためにはこれしかないな」という所で踏み切った話ととらえていました。

しかし、龍馬伝で勝海舟が言ったように「徳川幕府に従っている二万の武士が食いぶちを失う事」なんですよね。

徳川慶喜の決断ひとつでそうなる訳なんですよね。

まあ、実際は日本を構成する一つの藩になり下がる事ですので、二万人が全て食いぶちを失うわけではないでしょうが…。

それを決断するのにそんな安易に出来ないですよね。

ちょっとだけ徳川慶喜を好意的に見れるようになりました。

この大政奉還を龍馬が成し遂げる事で薩摩や長州が「龍馬を生かせ過ぎた」という形で描いてましたが…。

このあたりはどうなんだろう?

この龍馬伝の描き方では桂小五郎は龍馬に対して「大政奉還が出来るのであればそれに越したことは無い」という描き方だったように感じてましたが、今回の桂は明らかに龍馬に敵意を出していましたよね。

この描き方で行くと、どうしても薩摩と長州は戦争に引きずり込みたいという事ですよね。

まあ、それはそれで歴史通りなんですが、ちょっと描き方のスタンスがずれて来たというか、筋がちょっとおかしいような気がしてます。

恐らく、このタイミングで龍馬の周辺は敵だらけに描きたかったのでしょうが…もうちょっと持って行き方があったような…。

まあ、いいですが…。

龍馬伝は薩摩と長州がどうしても戦に持っていきたいという所を、何を動機として描くのでしょうか?

私が勝手に思っているような「新政府における人員削減」や、「自分達が次の政権で良いポジションを占めたい」といった所なのか、「徳川をたたきつぶしておきたい」なのか、「外国の干渉があり、そこでひと儲けしたい外国に煽られている」という所なのか…。

今の所、明確ではないですよね。

最も、来週で明確にするかは分かりませんが…。

まあ、龍馬暗殺のシーンをメインに描くんでしょうから、そのあたりって描かないんでしょうね。

でもそこの動機をしっかりと描かないと、どうも私的にはしっくりと来ないのですが…。

作者の方、構成作家の方、私に教えてください。



『龍馬の如く 自分らしく幸せに生きる82の法則』【インフォトップ出版09/6新刊】


龍馬の謎 サザエさん家の不思議


Posted by たか at 02:01 | 幕末 | この記事のURL

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